あとはどこまでも転がってくれ

6


結局、京には会いにいけなかった。インフルエンザにかかったのだ。K太郎が死んで翌日に学校ってなんだかなあって思っていたら公的に休む理由が生まれてしまった。
四十度の熱がある中、自分が寝ているのか起きているのかすら曖昧な思考の中なんか適当なことでも考えていた気がする。シャカシャカと振ると水中で輪っかが飛び回り、輪投げを成功させる昔の筆箱の裏のやつ。あれなんて名前なんだろうとか。熱があるとき自分の体の中があの水で満たされている気がしていた。寝返りを打つたびに、体内の悪い成分がゆっくりとあの輪っかくらいゆっくりと移動していく。仰向けであれば腰のあたりに、横を向いていれば脇腹らへん、うつ伏せになると下腹部に。澱が溜まっていく。澱は輪っか状。
熱が下がると随分と体が楽になった。楽になると今度は時間が空く。今日まで公的に休まなきゃいけない日だった。昔の筆箱をわざわざタンスの奥の方から引っ張り出してしばらく振って遊んでいたけれどすぐにつまらなくなった。何が楽しくてこんな筆箱買ってもらったんだろうと今では不思議でたまらない。
そうこうしているとティーからDMがきていてゲームをすることになった。思いっきり平日だけど、って聞いてみたら今日は開校記念日とやらで休みらしい。うちの学校にはそんなものはないから、やっぱり東京ってわけわかんない。
「家できたん?」
「んーほぼかな。あとは水回りだけもうちょっと」
「じゃあ蛇口川でも取りにいく?」
「うんお願い」
ティーは今日も私の建築のための資材獲得を手伝ってくれる。告白もSNS終了のニュースにも触れることなく。家ができたあかつきにはさすがに招待してやろうと思ってはいるけど、その方法が見つからないでいる。深林ポイントまで移動して大木を伐採する。そうして見えた年輪の指示に従っていくつかの木を伐採し続けると蛇口川の獲得できる場所がわかる仕組みだ。木を削って水源を獲得するなんて皮肉なつくりだといつも思う。狩猟とかではないので難易度は高くなく、ただ労力だけやけにかかる。ぽつぽつと会話しながら木を伐採していると、家のチャイムが鳴った。
「やほー」
玄関を開けるとりっちゃんとばやしが私服で立っていた。
「え、学校は?」
「いいからいいから。あげてくれーな」
言うが早いかりっちゃんは私のそばを通り抜けてもう靴を脱いでいる。そのまま誰に案内されるでもなく私の部屋に直行して行った。母親になんか出せるものあるかだけ声をかけて私も後を追う。
りっちゃんが本棚を物色して、ばやしは私がやっていたゲームで木を伐採していた。
『ごめん、急に友達が家きて離脱するね』
ティーにDMだけ送る。
「ばやしってできるの? そのゲーム」
「できるも何もK太郎と一緒にやったことあるよ。苺珈琲って名前、あれ私だから。しょうが湯ってハンネでドリンク同士入ってみたらびっくりしたよー」
あんぐりした口が塞がらない。苺珈琲、そのハンドルネームは月一くらいでふらっとやってくる浪人で私も何度か一緒にクエストをクリアしたことがある。チャット上でもほとんど喋らずいつも機嫌が悪そうにゲームする人だななんて思っていた。
「待って。え、そうなの? てか私って知ってたの? なんで言わないの? いつから?」
「生理中でイライラしたときだけね。声聞けば普通わかるくない? あ、私いつも声出してなかったからわかんないか。ハハハ」
笑いながらも伐採の手を止めず、次の場所めっちゃ遠いじゃん、とかグチ垂れている。完全に経験者の手つき。ティーからのDMでも『まだやるの?』と来ている。やるというか、やられているというか。あなたが見ているのはしょうが湯なんだけど、中身は苺珈琲であると言いますか。なんだそのきもい飲み物は。
「あれ、それグリーンティー? あっちもサボりかいな。ていうかさあんたらまだそれでやりとりしてるわけ? もうすぐサービス終了じゃなかったけ。グリーンティーのLINEもらったからあげようか?」
ばやしがLINEを開いて見せてくれる。これまでも見慣れた泡だった抹茶のアイコン。その下にはグリーンティーではなく、”松本茶近“という名前が書かれている。これでさこんって読むんだってとばやしが教えてくれる。知るタイミングをついぞ失っていたティーの本名をいとも簡単に知る。
「はいどうぞ」
QRコードが開かれてそれを読み取れば私はティーのLINEを獲得してしまう。思わず私は言っていた。
「いやでもこういうのって本人の了承がないと」
「んだよお固いな。じゃあグリーンティーに了承とっといてよ」
母親がどら焼きとお茶を持ってきて、ばやしがようやくゲームを中断した。おとなしかったりっちゃんもどら焼きに興奮してばくばくと食べ出した。
「というか学校は?」
「あ、そうだそうだ。今日のメインイベント忘れてた」
りっちゃんはどら焼きの皮を口の端につけたまま、カバンをごそごぞとしてファイルを取り出した。
「これ。K太郎が休んでたときのプリント類。私たちで届けに行きますよーって言ったらくれた」
「ありがたいんだけどさ、そういうの学校サボって届けにくるやついねえのよ」
「どうせ暇だったんでしょー?」
高熱だったときの辛さを知らないやつが言う暇はなんとも無責任なものだったが、ゲームやっているところを見られてしまっているので何も言えない。ファイルから出すと、親に渡しておけばよい大事そうなプリントが数枚と、進路希望調査票。
「それ今月末までに書いて出せってさ。私はもう出した」
「第二以降は?」
「なんも書かなかったからもしかしたら差し戻されるかもね。でも私は第一しか見えてねえ」
りっちゃんは指を壁に向かって突き出した。仕草はともかく進む道が決まっている人はかっこいい。残念ながらりっちゃんが行きたい大学の方角は逆だったけれど。
「ばやしは?」
「私はまだ出してないけど、県外かな。一人暮らししたいから。親とまだ話してないけど、一人暮らしさせてもらうには多分国立。まあでもそこまで遠くは無理そう。実家から車で二時間くらいのところあたりで目指せるといいのかなって。どこも学力足りてないから来年は猛勉強だけどね」
「そうだよね。みんなバラバラだよね」
聞かずともわかっていたことだった。誰もがこの街にい続けるわけがない。改めてふたりの口からそう聞いたことで実感した。三年生になればみんなが塾に通い出して、りっちゃんだけはラクロスにもっと熱中して、そうやって少しずつ違う道を進んでいく。
もう会えない、なんてことはないだろう。でも確実にいまの関係ではいられない。当たり前に休み時間に一緒にいて、当たり前にお昼を一緒に食べて、当たり前に学校サボってお見舞いに行くなんて関係は終わってしまう。
視線がぼんやりと部屋の隅を滑らせる。その視線を追って、「K太郎のことはほんとに残念だったね」と、ばやしがポツリと零す。部屋の隅にはK太郎がいつも丸まって寝ていたどら焼きのクッションがあった。K太郎の形にどら焼きがしぼんでいる気がした。
「でもさでもさ、K太郎は生きてるよ!」
りっちゃんが大声で言って私の後ろを指差すから、私は振り向いて少しだけ探してしまった。もういるはずのないK太郎の面影を。ばやしが一足先に見つけて笑い声をあげる。
「ほんとだね」
「ほらさほらさ」
りっちゃんが私の頭を雑に撫でる。ヘアセットもしていないぼさぼさの髪の毛がくしゃくしゃとされてもっとぱやぱやになる。あ、K太郎って私のことか。
「K太郎がいなければK太郎は生まれてないし、K太郎がいなくなったってK太郎に繋がってるんだよ!」
K太郎を名乗る登場人物が複数いるから、日本語を言っているようには聞こえなかった。でも言いたいことはわかったし、なんだか笑えてきた。最初に私のことをK太郎と呼んだのもたしかりっちゃんだった。私とK太郎が似ている、やる気のない目が似ているなんてほぼ悪口みたいなことだったと思う。女の子に対して太郎ってどうか思っていたけど、だんだん馴染んできた。馴染みすぎてK太郎の人生を私が背負うくらいどうってことないとすら感じてしまう。
「さてさて、それじゃ私たちはこっちのK太郎を連れ出しますか」
「どこに?」
ふふんと、ふたりは鼻を鳴らして教えてくれなかった。どこか特別な場所にでも連れて行ってくれるようなそんなワクワクを感じた。

「学校かよ」
りっちゃんの背中に掴まって自転車をゆらゆらしていたら着いたのはいつもの学校だった。
「私学校休んでて私服なんですけど」
「私たち学校サボってて私服なんですけど」
「それはガチで知らん」
まあまあと言いながら自転車をとめて、校舎へと向かう。なんだか悪いことをしているみたいだった。みたいというか実際に悪いことしてる。いつもなら制服で通っている場所に私服で来て、先生にバレたら絶対に怒られる。それ以前に私インフルの隔離期間だし、社会的にもアウト。
でもワクワクしていた。
いつもならできないこと、いつもと同じ場所でいつもと違う高揚感を感じていた。先生に隠れるように下駄箱を通るとき、廊下の静けさを知った。授業中の廊下ってこんなに静かなんだ。いつもなら使わない非常階段を使った。私が通っていた学校にもまだこんな場所があるんだって初めて知った。途中、移動教室から忘れ物を取りに戻ったというバル太郎に会った。りっちゃんが無理やりバル太郎も仲間に入れた。こんなことには乗ってこないと思っていたのに、意外にノリノリで軍隊のハンドサインのようなことをやり出した。それにりっちゃんが適当に合わせるからばやしが大笑いしちゃって危うく先生にバレそうになった。
りっちゃんとばやしが向かっていたのは北校舎の屋上のようだった。
「ごめん、私もう鍵持ってないよ? ふたりに言ってなかったけど私だけ屋上に入れる鍵持ってたんだけどもう捨てちゃってて、だけど学校に忍び込むのでもう十分満喫できたっていうか」
りっちゃんは私の口を抑えて、ジャラーンとポッケから鍵を取り出した。
「なんで?」
「なんか宗田が昨日学校来たときにくれてさ。お前ら武内と仲よかっただろってね。ねー」
りっちゃんがばやしと顔を近づけてニヤニヤ向けてきた。なんか勘違いがありそうだったけど、まあいいか。
久々の屋上はやっぱり風が強くて前髪が一瞬で死んだ。海風に向かってなんだこのとか言いながら両手で殴ってみせているのはりっちゃんだ。バル太郎もそれに習ってキックで立ち向かう。バル太郎ってまじで変人、と大笑いしているばやしがいる。
京がタバコをふかしていた屋上はもう私の世界には存在しない。でもこの四人でゲラゲラ笑い合う屋上が新たに存在していた。
「バル太郎」
ひとりだけ制服だから動きにくそうだ。
「ん?」
「京とは最後に話せたの?」
「うんちょっとだけね。ごめんって言われた。きっと怪我させたことを謝ってるんだろうけど、私にとっては退学してってことなのかなって勝手に思ってる」
「伝えたの?」
「ううん」
「たぶん会える場所私知ってるよ」
「いいんだ、私のこの気持ちは私が覚えていればそれでいい」
「ふーんそう」
今楽しそうなバル太郎に私はそれ以上何も言わなかった。ポニーテールから流された前髪は見る影もなく、スカートはめくれ上がって下に履いたハーフパンツが見え隠れしている。普通に授業を受けられる人がそれでも私たちとこんなことしている。ならもうこの話は終わりでいっか。
勢いでティーにもDMを送った。
『まだ付き合う気にはなれないけど、LINE交換してもいい?』
告白の件を持ち出すとまたギクシャクするかもという考えはよぎった。でも無視したまんまなのも癪だから。ありがとね、なんてもう絶対言わせてやるもんか。
「K太郎もやろうよ」
りっちゃんとばやしがまだ風と戦っていた。居合を放とうとしているばやしの後ろ髪が靡いている。なぜかバル太郎が風を背に受けて対峙している。バル太郎にとっては向かい風も追い風になっていた。
「待ってもう授業終わるかも」
「よっしゃ逃げるぞー!」
滞在時間たったの五分。感傷に浸ることも許されず、まだまだ遊べる体力も残っている。でも私たちは常に何かに追われるように走っていく。
階段を。屋上を。下駄箱を。校庭を。駐輪場を。
私はりっちゃんの背中に掴まって、自分の自転車があるはずのバル太郎もなぜかばやしの背中に掴まった。
チャイムが鳴った。すぐに即帰宅組が校舎を出ていく。私服三人と制服一人の謎の四人組を見てみんながゲッと刮目する。その視線が気持ちよかった。
校門に立つ先生に、さようなら! と元気に告げる。すぐに遠くなる後ろの方で先生が何かを叫んでいた。自転車に乗る私たちには到底ついてこれない。
帰らせ坂を一気に翔けた。
りっちゃんがブレーキに手をかけないもんだから両手両足に風がゴウゴウと吹き付ける。りっちゃんの背中から両手を離して手のひらをいっぱいに広げるとまるで海風に抱きついているみたいに思えた。対向車なんていないからスカートから伸びる足も広げて、スカートが捲れて。
家とか海とか緑とか青とか白とかが視界の中でごちゃ混ぜになって、二月に飛び込んで行くような気がした。誰もいないバス停を一瞬で通り過ぎる。一月よりも二月のほうが寒いのは、空気の重さが違うからだと思う。
二月のほうが乾燥していて、その分軽くて気持ちがいい。
最近いろんな人に言われる“将来”って言葉がなんとなく近い気がする。無味無臭で乾燥した言葉だけど、それを問われるのがなんか気持ちがいい、でも近づいてくるほど遠ざけたくなる。何がしたいのか、どうなりたいのか、君の“人生”。漠然とした感情も明確にしなくちゃいけなくって、“将来”っていう言葉と十年後の自分というものが同一のものであることがいまだに信じられない。そもそも十年後の自分というやつがいまの自分の延長線上にいることすら信じられなくて。でも十年前の自分がいまの私のずっと後ろの方にいて、自分がいまその延長線上に立っていることはなんとなくわかった気がする。
だからつまり、私はいま十七歳だった。

今日のことが内申点に響くかもしれない。
親に心配されるかもしれない。
りっちゃんの大学推薦とか、ばやしの生理の痛みだとか、置いて行ったバル太郎のカバンだとか、私の進路希望調査票とか。
ティーとは付き合うの? それは、んー、どうしよ。
京は無事に東京行けるだろうか。ティーと京が何かの縁で東京で会ったりしたらいいな。
世界はこれからもどんどん壊れていく。いまの私にとっての当たり前は未来の私にとってはそうじゃない。そうなったとしても、こんなふうに世界が繋がればいいな。
何がどうなるかは誰にもわからない。だから私は今日という日を生きる。
明日には何かにつながるかもしれない今日を生きる。
賽は常に投げられているんだ。毎日、私の手によって。
あとはどこまでも転がってくれ。