4
翌日の学校は賑やかで楽しそうだった。
京が教室で暴れたことが尾を引いていて、さらに京が退学になることも広まってそれがさらに拍車をかけているようだった。その輪の中心には依田さんがいた。依田さんは血を流していたが見た目ほど大きな怪我にはならなかったようで、大きめの絆創膏に網目状のガーゼで止めて学校にやってきた。みんなが「大丈夫?」っていう優しさのスポットライトを依田さんの右こめかみに浴びせて、その光から漏れたところにある好奇心をふんだんに醸し出しながら依田さんを囲んでいた。怪我をした依田さんが無事だったからか、昨日の出来事は京が暴れただけという非日常イベントに位置付けが決まってしまい、そのイベントの出演者になれた興奮で溢れている。当事者になった依田さんはなんだかいたたまれなさそうだった。
私たちは今いる世界がいつ終わるか壊れるかなんて考えずに、非日常イベントに飛びつくように懸命に今を生きている。
「おっはー」
りっちゃんが快活に声を発しながらばやしと一緒に教室に入ってきた。りっちゃんは一日休んだだけでなんだか大人になったみたいだった。少し観察してみるとそれがちょっとカールさせた前髪によるものだとわかった。ヘアゴムもワンポイントでラメがついた新しいものになっていた。ばやしはなんだか体調が悪そうで、右手をポッケに突っ込んでいた。だから昨日は生理がひどかったんだってその時わかった。この学校にはまだ生理休暇なんて制度は整備されていない。
「おは」
「おっはーって古くね。なんだっけ?」
ばやしが大きな音を立てて椅子に体重を預けながら言った。
「なんだっけね」
「何かわかんないのに使うなよ」
「良いじゃん良いじゃん。元ネタわかんないのに古いのはわかるってなんか変だよね」
りっちゃんは飛び跳ねるように私の首に抱きついて、
「てかさてかさ、昨日やばかったんだって?」
と言ったからもうすでに知っているんだと驚いた。噂の広まり方ってとてもおかしい。どうして昨日休んだりっちゃんがもう知っているのか、きっと噂という塊がそこかしこに落ちていてマリオのキノコみたいに誰でも拾って良いことになっているのだろう。
「京のこと?」
「そう。宗田。うわー休まんかったらよかったかも」
「昨日はなんで休んでたの?」
「お母さんと大学のラクロス見に行ってた! やっぱ練習よりも大会見た方がいいよねってなって行ったんだけど、あれはマジでよかった。いまのまんまじゃ全然当たり負けしちゃうのが見ててもわかってさ。ほんと激しくて〜」
りっちゃんは二年生のうちからもうすでに行きたい大学が決まっている。学力よりもラクロスで決めていて、もう親にも伝えているらしい。学力的にも問題がないし、先生からも推薦でいけるだろうと言われている大学だからりっちゃんは今はラクロスに熱中している。三年生になって引退しても部活行くんだって言ってた。決め方がどうであれもうすでに行く道を決められているりっちゃんは大人だ。少なくともふたりが示し合わせて休んだわけではないことを密かに安心していた私なんかと比べると。
「ばやしも休んでたんでしょ?」
「うん、私は生理」
「てかさてかさ」
「もう私の話終わりかい」
「だって聞かなくてもわかってたもん。会ってからずっと機嫌悪いしポッケに手突っ込んでたし」
「ほな聞くなや」
てかさてかさ、とケタケタ笑いながらりっちゃんはまだ続けた。
「どうなってたの。宗田が暴れて依田ちゃんが怪我したことだけ聞いたけど、何がどうなってどうなったのよ」
りっちゃんですら当事者になれるんだって私は素直に驚いていた。その場にいなくても同じクラスでそんなことが起こったと聞いただけでその輪に入っていけるりっちゃんに驚いたし、ばやしも機嫌悪いながらこちらに目を向けていたので消極的当事者になっていると私は判断した。
「何がどうなったって言われても、今りっちゃんが言ったことがほとんど全てだよ」
「違うじゃんか。なんかそれに至るまでにあれこれがあるもんじゃんか」
そんなこと言われても……。そもそも私もその現場をちゃんと見たとは言えないしな。
すべてのことに理由があるとも私は思わない。京の家の事情とかアルバイトであったであろう何かとか、それなりに言えそうなことはあったけどきっとそういうことではないし、そんなことを私がペラペラと話していいわけでもないし。暴れるに至るあれこれなんて端的に言えば暴れるしか自分の叫びを伝える方法がなかったんだと私は京を勝手に解釈している。
そんな思いをりっちゃんにどう伝えようか逡巡していると、輪の中心から抜け出した依田さんが話しかけてきた。
「あの」
「依田ちゃん! 昨日何があったの? 大丈夫だった?」
ずけずけと、それでも友達の家のわんちゃんに触れるような繊細さでりっちゃんが依田さんの右こめかみのガーゼを撫でる。それを依田さんが恐縮するように頭を振った。
「あの、武内さんちょっといいかな」
私?
りっちゃんとばやしと目を合わせる。依田さんはクラスの中でもかなりおとなしい部類で、これまでふたりで話すようなことはなかった。私の沈黙を肯定と受け取ったのか、依田さんはベランダに歩き出した。今日のクラスのヒーローみたいな人から話しかけられるなんて、思い当たることは何もなかったが私もふたりにアイコンタクトしながら依田さんを追いかけた。
私たちのクラスは端っこだったからちょうどベランダの端っこ、密談にこれ以上ないような場所で振り向いた。
「宗田くんが退学になったってほんと?」
「え?」
「武内さんって宗田くんと仲良かったよね?」
立て続けにされる質問に私は戸惑ったものの、宗田とある程度会話できる人は確かにクラスで私くらいだった。
「うんまあ。退学になるってのもほんとらしい」
「そっか」
さすがに昨日の今日でもう京が退学したということはなさそうだが、今日は学校に来ていなかった。あと5分で朝のHRが始まる予鈴が鳴る。その音に背中を押されるように依田さんは堰を切った。
「もしできたら、宗田くんにごめんねって伝えてほしいの。私が怪我しちゃったばかりに大事になっちゃって、私は全然宗田くんのせいだなんて思ってないし、私のせいで宗田くんが辞めちゃうのが寂しいって。先生にもあとで言うんだけど、私は宗田くんに学校辞めて欲しくないなって」
少し声を震わせながら、一気に言い切った。
私の返事を待たずに、ごめんねこんなこと頼んでと言い残して依田さんは教室に急いで戻って行った。一応、予鈴が鳴ったら席に着くというのが学校のルールだったが、誰もそんなことは守ろうとしていない。だから依田さんもただ逃げたかっただけなのだろう。自分自身が吐いた告白みたいな言葉から。
ひとり残された私は本鈴が鳴るまでベランダの手すりにもたれて時間を潰していた。
その時私が考えていたことは「こんな展開もあるんだ」ってことだった。
単純に宗田に好意を寄せている人がいるなんて考えたこともなかった。いやよく考えてみれば別に容姿もそれなりに整っているし、ちょっと悪い人に惹かれてしまうなんてのもまあよくある話ではある。でも依田さんがあの宗田にね〜。かなりアンバランスと言ってしまうと失礼だけど、宗田があわあわしそうでなんか微笑ましい。ううん。そんな他人様の浮いた話に驚いたんじゃなくて、私の中で終わったと思っていた宗田との関係が、退学を機にこんな展開で依田さんと私の接点に繋がるなんてことに驚いていた。依田さんって思ったよりも早口でしゃべれるんだなとか、ちっちゃいつが入る直前にはスタッカートみたいに飛び跳ねるような発音になるのは癖なのかなとか、そんな新しいことを見つけた。
依田さんの思いを宗田に伝える機会が私にあるのだろうか。なんかどうにかして伝えてあげたいなと思った。
その日の授業は全体的に気持ち悪い授業が続いた。先生が生徒に対して遠慮しているというか、いつもは生徒の手が挙がらないとお前らにはやる気がないんだと怒って拗ねる国語教師も「じゃあこの問題わかるやつ」「まあこの問題はちょっと難しいから教えちゃうけど」なんてふうに手が挙がらないと見るやすぐに自分で授業を進めた。手が挙がらないことに対して、何か重大な理由が背景に隠されていてそれを触れてはいけないものとして扱っているようなそんな気持ち悪さだった。
四限目には急遽保健室の先生が授業を行うことになった。後で聞いたけど他のクラスでは行われてなかったようで、私たちのクラスだけの特別なものだったらしい。だから理由はあからさまだった。
ざっくり言うと「辛いことがあれば言っていいんだよ」ってことをあの手この手で伝える内容だった。
「言って解決するんだったら宗田もあんなことしてないんじゃないの。知らんけど」
昼休みにばやしが言ったその言葉がけっこう全てなんじゃないかと思う。言えないことが辛いんじゃなくて、言っても仕方ないことが多いから辛いんだ。学校という大きな母集団よりも、17歳というちっぽけな個人のほうがそこらへんの諦めと妥協はうまくなっている。京がうまく適応できなかっただけで。
あれ、これって私も結局は京個人の責任にしようとしている考え?
「ねえ今日どっか行かない?」
「りっちゃん部活オフ?」
「毎週木曜日はオフだって言ってるじゃーん」
「じゃあどこいく?」
「そういえば朝依田ちゃんと結局何話してたの?」
りっちゃんは本当に話が続かない人だ。いつもなら話を戻してくれる役割のばやしも今日は機嫌が悪いのか無視している。
何話してたのか、その質問はとてもずるい。友達との会話なんて記憶にないどうでもいい猥談か、誰にも言えないような密談しかないのだから。どちらにせよ要約できるようなものではない。
「仲良くなろうよ、的な?」
全然違う。全然違うけど言える範囲で要約すると確かにこんな感じなのではないのかとも思う。
「えーそうなの! ねえちょっと依田ちゃん。K太郎と仲良くなりたいの? じゃあ今日どっか遊びに行こうよ。ゲーセンとか? ちょうどプリクラもあるし。カラオケでもいいよ」
りっちゃんの行動力と巻き込み力には舌を巻く。んでもって、こうやって聞くと依田さんが私と仲良くなりたがっているという要約はあまりにも雑だったと反省した。依田さんは全くそんなことを言っていない。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする依田さんに心の中で土下座をする。
「え、いやでも。まだ私そんな」
「いいっていいって。こういうのは私みたいなものに迷惑ついでについてくるのがいいのよ。任せてってば」
「りっちゃんさすがにそれは迷惑かけすぎだよ。ごめんね依田さん」
「え〜?」
りっちゃんが両目が飛び出す様を両手で再現して前後に動かしていた。最近のりっちゃんのマイブームだ。私もばやしもいつもキョトンとして、また出たよとしか思っていないやつ。でもそれを見て依田さんは手を口に当てて声を殺しながら笑っていた。りっちゃんが調子乗って「え〜え〜え〜」と連続してやっていた。
帰らせ坂から本当に一度も曲がらずにまっすぐ突き進むと、自転車で30分くらいして映画館や本屋などが入っているショッピングモールが見えてくる。ドームの前にあるから通称ドムジャ。
絶対に値札を確認したら買えそうもないブランドショップに入って見るだけ見た。店員も冷やかしだと思って話しかけすらしてこなかった。映画を見る案も出たけれど何も面白そうなものがやっておらず、結局いつものようにゲームセンターに落ち着いた。
「依田さんほんとにごめんね。無理に付き合わせちゃって」
「ううん。全然。武内さんと仲良くなりたいと思ってたのは本当だし」
りっちゃんとばやしが太鼓の達人で難易度MAXに挑戦してボロクソになっているのを眺めながら、また依田さんの新しい一面を見つけた。この子、あざとい。もしくはシンプルいい子。
「私こういうとこほとんど来たことなかったから、結構楽しいよ。あんま顔には出ないんだけどね」
と口を結んで口角をあげる依田さんは不覚にも可愛かった。これを京にも見せてやりたかったから写真だけ撮ってもいい? と結局ツーショットを撮った。絶妙な空間のある仲良くなりたてっぽいいい写真だった。
「武内さんってさ」
「真緒でいいよ。もしくはK太郎」
「K太郎?」
「うん、私の飼ってる犬の名前。もう老犬で死んじゃいそう。りっちゃんとばやしも私のことを犬の名前で呼ぶんだ。最初は変な感じしたけど慣れるもんだよね」
「ふふ、可愛い。K太郎は何歳なの?」
「十七歳だけど」
「あ、違う違う。ワンちゃんの方の」
あ、そっちね。普通に自分の年齢を答えてしまった馬鹿さ加減が恥ずかしい。
「K太郎の自覚がすごいんだね」
優しく笑ってくれる依田さんに救われて私もはにかむ。
「K太郎は十二歳くらい」
「じゃあ私たちの大先輩だ」
「犬の寿命詳しいね」
「私も飼ってるんだ、ダックス。まだ飼い始めたばっかりで今2歳くらい」
「そうなんだ! 何ちゃん?」
「バールくん」
「バールくん? なんか……あれだね。物騒な名前だね」
「でしょ。ニュースとかでバールのようなもので〜って言ったときにワンちゃんのようなものっておもったらなんか可愛く聞こえない?」
ダックスみたいなものでって真剣に読んでいるアナウンサーを想像して確かにそれは楽しそうなニュースに聞こえた。悲惨なニュースを茶化すのではなく、それはきっと自衛のための密かな工夫なんだと思う。ささやかな自分の優しい世界の守り方。
「じゃあ私のことはバール?」
「バールはちょっと物騒だから……、バル太郎は?」
「なんか飲兵衛みたいだね」
そう言いながらも依田さんことバル太郎は仲良しみたいと言って気に入ってくれた。難しすぎると文句を言いながら戻ってきたりっちゃんとばやしにバル太郎を紹介して、四人でプリクラを撮った。
え、待ってこれどうやって撮るの? 全部指示出してくれるからそれに合わせるだけだよ。ほら最初はハートポーズだって。さんにいち。間髪入れずに二枚目のカウントダウンが始まる。次はほっぺだって。え、ちょっと待って早くない。さんにいち。最後はあなただけのあなたらしい一枚をと機械音が言う。機械が言うらしさってなんだよ。狭いボックスの中は、合成音声とツッコミと笑い声でいっぱいだった。表情を取り繕う暇もなく、普段なら恥ずかしくてできないポーズまで撮影のカウントダウンに急かされるとなぜだかできてしまう。
初プリ20XX/1/21♡、なかよしきねん、バル太郎ってなに?、なんて書くと私たちはその完成度にまた笑った。バル太郎の右こめかみのガーゼには可愛いハートを上塗りしておいた。プリとして形に残すことよりもその瞬間を笑い合うこの時間を楽しんでいた。こういうのでいいんだと思う。友達になりましょうよりも、こういう時間で仲良くなっていくのだ。私たちは誰も仲良くなりましょうなんて言っていないし。
翌日の学校は賑やかで楽しそうだった。
京が教室で暴れたことが尾を引いていて、さらに京が退学になることも広まってそれがさらに拍車をかけているようだった。その輪の中心には依田さんがいた。依田さんは血を流していたが見た目ほど大きな怪我にはならなかったようで、大きめの絆創膏に網目状のガーゼで止めて学校にやってきた。みんなが「大丈夫?」っていう優しさのスポットライトを依田さんの右こめかみに浴びせて、その光から漏れたところにある好奇心をふんだんに醸し出しながら依田さんを囲んでいた。怪我をした依田さんが無事だったからか、昨日の出来事は京が暴れただけという非日常イベントに位置付けが決まってしまい、そのイベントの出演者になれた興奮で溢れている。当事者になった依田さんはなんだかいたたまれなさそうだった。
私たちは今いる世界がいつ終わるか壊れるかなんて考えずに、非日常イベントに飛びつくように懸命に今を生きている。
「おっはー」
りっちゃんが快活に声を発しながらばやしと一緒に教室に入ってきた。りっちゃんは一日休んだだけでなんだか大人になったみたいだった。少し観察してみるとそれがちょっとカールさせた前髪によるものだとわかった。ヘアゴムもワンポイントでラメがついた新しいものになっていた。ばやしはなんだか体調が悪そうで、右手をポッケに突っ込んでいた。だから昨日は生理がひどかったんだってその時わかった。この学校にはまだ生理休暇なんて制度は整備されていない。
「おは」
「おっはーって古くね。なんだっけ?」
ばやしが大きな音を立てて椅子に体重を預けながら言った。
「なんだっけね」
「何かわかんないのに使うなよ」
「良いじゃん良いじゃん。元ネタわかんないのに古いのはわかるってなんか変だよね」
りっちゃんは飛び跳ねるように私の首に抱きついて、
「てかさてかさ、昨日やばかったんだって?」
と言ったからもうすでに知っているんだと驚いた。噂の広まり方ってとてもおかしい。どうして昨日休んだりっちゃんがもう知っているのか、きっと噂という塊がそこかしこに落ちていてマリオのキノコみたいに誰でも拾って良いことになっているのだろう。
「京のこと?」
「そう。宗田。うわー休まんかったらよかったかも」
「昨日はなんで休んでたの?」
「お母さんと大学のラクロス見に行ってた! やっぱ練習よりも大会見た方がいいよねってなって行ったんだけど、あれはマジでよかった。いまのまんまじゃ全然当たり負けしちゃうのが見ててもわかってさ。ほんと激しくて〜」
りっちゃんは二年生のうちからもうすでに行きたい大学が決まっている。学力よりもラクロスで決めていて、もう親にも伝えているらしい。学力的にも問題がないし、先生からも推薦でいけるだろうと言われている大学だからりっちゃんは今はラクロスに熱中している。三年生になって引退しても部活行くんだって言ってた。決め方がどうであれもうすでに行く道を決められているりっちゃんは大人だ。少なくともふたりが示し合わせて休んだわけではないことを密かに安心していた私なんかと比べると。
「ばやしも休んでたんでしょ?」
「うん、私は生理」
「てかさてかさ」
「もう私の話終わりかい」
「だって聞かなくてもわかってたもん。会ってからずっと機嫌悪いしポッケに手突っ込んでたし」
「ほな聞くなや」
てかさてかさ、とケタケタ笑いながらりっちゃんはまだ続けた。
「どうなってたの。宗田が暴れて依田ちゃんが怪我したことだけ聞いたけど、何がどうなってどうなったのよ」
りっちゃんですら当事者になれるんだって私は素直に驚いていた。その場にいなくても同じクラスでそんなことが起こったと聞いただけでその輪に入っていけるりっちゃんに驚いたし、ばやしも機嫌悪いながらこちらに目を向けていたので消極的当事者になっていると私は判断した。
「何がどうなったって言われても、今りっちゃんが言ったことがほとんど全てだよ」
「違うじゃんか。なんかそれに至るまでにあれこれがあるもんじゃんか」
そんなこと言われても……。そもそも私もその現場をちゃんと見たとは言えないしな。
すべてのことに理由があるとも私は思わない。京の家の事情とかアルバイトであったであろう何かとか、それなりに言えそうなことはあったけどきっとそういうことではないし、そんなことを私がペラペラと話していいわけでもないし。暴れるに至るあれこれなんて端的に言えば暴れるしか自分の叫びを伝える方法がなかったんだと私は京を勝手に解釈している。
そんな思いをりっちゃんにどう伝えようか逡巡していると、輪の中心から抜け出した依田さんが話しかけてきた。
「あの」
「依田ちゃん! 昨日何があったの? 大丈夫だった?」
ずけずけと、それでも友達の家のわんちゃんに触れるような繊細さでりっちゃんが依田さんの右こめかみのガーゼを撫でる。それを依田さんが恐縮するように頭を振った。
「あの、武内さんちょっといいかな」
私?
りっちゃんとばやしと目を合わせる。依田さんはクラスの中でもかなりおとなしい部類で、これまでふたりで話すようなことはなかった。私の沈黙を肯定と受け取ったのか、依田さんはベランダに歩き出した。今日のクラスのヒーローみたいな人から話しかけられるなんて、思い当たることは何もなかったが私もふたりにアイコンタクトしながら依田さんを追いかけた。
私たちのクラスは端っこだったからちょうどベランダの端っこ、密談にこれ以上ないような場所で振り向いた。
「宗田くんが退学になったってほんと?」
「え?」
「武内さんって宗田くんと仲良かったよね?」
立て続けにされる質問に私は戸惑ったものの、宗田とある程度会話できる人は確かにクラスで私くらいだった。
「うんまあ。退学になるってのもほんとらしい」
「そっか」
さすがに昨日の今日でもう京が退学したということはなさそうだが、今日は学校に来ていなかった。あと5分で朝のHRが始まる予鈴が鳴る。その音に背中を押されるように依田さんは堰を切った。
「もしできたら、宗田くんにごめんねって伝えてほしいの。私が怪我しちゃったばかりに大事になっちゃって、私は全然宗田くんのせいだなんて思ってないし、私のせいで宗田くんが辞めちゃうのが寂しいって。先生にもあとで言うんだけど、私は宗田くんに学校辞めて欲しくないなって」
少し声を震わせながら、一気に言い切った。
私の返事を待たずに、ごめんねこんなこと頼んでと言い残して依田さんは教室に急いで戻って行った。一応、予鈴が鳴ったら席に着くというのが学校のルールだったが、誰もそんなことは守ろうとしていない。だから依田さんもただ逃げたかっただけなのだろう。自分自身が吐いた告白みたいな言葉から。
ひとり残された私は本鈴が鳴るまでベランダの手すりにもたれて時間を潰していた。
その時私が考えていたことは「こんな展開もあるんだ」ってことだった。
単純に宗田に好意を寄せている人がいるなんて考えたこともなかった。いやよく考えてみれば別に容姿もそれなりに整っているし、ちょっと悪い人に惹かれてしまうなんてのもまあよくある話ではある。でも依田さんがあの宗田にね〜。かなりアンバランスと言ってしまうと失礼だけど、宗田があわあわしそうでなんか微笑ましい。ううん。そんな他人様の浮いた話に驚いたんじゃなくて、私の中で終わったと思っていた宗田との関係が、退学を機にこんな展開で依田さんと私の接点に繋がるなんてことに驚いていた。依田さんって思ったよりも早口でしゃべれるんだなとか、ちっちゃいつが入る直前にはスタッカートみたいに飛び跳ねるような発音になるのは癖なのかなとか、そんな新しいことを見つけた。
依田さんの思いを宗田に伝える機会が私にあるのだろうか。なんかどうにかして伝えてあげたいなと思った。
その日の授業は全体的に気持ち悪い授業が続いた。先生が生徒に対して遠慮しているというか、いつもは生徒の手が挙がらないとお前らにはやる気がないんだと怒って拗ねる国語教師も「じゃあこの問題わかるやつ」「まあこの問題はちょっと難しいから教えちゃうけど」なんてふうに手が挙がらないと見るやすぐに自分で授業を進めた。手が挙がらないことに対して、何か重大な理由が背景に隠されていてそれを触れてはいけないものとして扱っているようなそんな気持ち悪さだった。
四限目には急遽保健室の先生が授業を行うことになった。後で聞いたけど他のクラスでは行われてなかったようで、私たちのクラスだけの特別なものだったらしい。だから理由はあからさまだった。
ざっくり言うと「辛いことがあれば言っていいんだよ」ってことをあの手この手で伝える内容だった。
「言って解決するんだったら宗田もあんなことしてないんじゃないの。知らんけど」
昼休みにばやしが言ったその言葉がけっこう全てなんじゃないかと思う。言えないことが辛いんじゃなくて、言っても仕方ないことが多いから辛いんだ。学校という大きな母集団よりも、17歳というちっぽけな個人のほうがそこらへんの諦めと妥協はうまくなっている。京がうまく適応できなかっただけで。
あれ、これって私も結局は京個人の責任にしようとしている考え?
「ねえ今日どっか行かない?」
「りっちゃん部活オフ?」
「毎週木曜日はオフだって言ってるじゃーん」
「じゃあどこいく?」
「そういえば朝依田ちゃんと結局何話してたの?」
りっちゃんは本当に話が続かない人だ。いつもなら話を戻してくれる役割のばやしも今日は機嫌が悪いのか無視している。
何話してたのか、その質問はとてもずるい。友達との会話なんて記憶にないどうでもいい猥談か、誰にも言えないような密談しかないのだから。どちらにせよ要約できるようなものではない。
「仲良くなろうよ、的な?」
全然違う。全然違うけど言える範囲で要約すると確かにこんな感じなのではないのかとも思う。
「えーそうなの! ねえちょっと依田ちゃん。K太郎と仲良くなりたいの? じゃあ今日どっか遊びに行こうよ。ゲーセンとか? ちょうどプリクラもあるし。カラオケでもいいよ」
りっちゃんの行動力と巻き込み力には舌を巻く。んでもって、こうやって聞くと依田さんが私と仲良くなりたがっているという要約はあまりにも雑だったと反省した。依田さんは全くそんなことを言っていない。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする依田さんに心の中で土下座をする。
「え、いやでも。まだ私そんな」
「いいっていいって。こういうのは私みたいなものに迷惑ついでについてくるのがいいのよ。任せてってば」
「りっちゃんさすがにそれは迷惑かけすぎだよ。ごめんね依田さん」
「え〜?」
りっちゃんが両目が飛び出す様を両手で再現して前後に動かしていた。最近のりっちゃんのマイブームだ。私もばやしもいつもキョトンとして、また出たよとしか思っていないやつ。でもそれを見て依田さんは手を口に当てて声を殺しながら笑っていた。りっちゃんが調子乗って「え〜え〜え〜」と連続してやっていた。
帰らせ坂から本当に一度も曲がらずにまっすぐ突き進むと、自転車で30分くらいして映画館や本屋などが入っているショッピングモールが見えてくる。ドームの前にあるから通称ドムジャ。
絶対に値札を確認したら買えそうもないブランドショップに入って見るだけ見た。店員も冷やかしだと思って話しかけすらしてこなかった。映画を見る案も出たけれど何も面白そうなものがやっておらず、結局いつものようにゲームセンターに落ち着いた。
「依田さんほんとにごめんね。無理に付き合わせちゃって」
「ううん。全然。武内さんと仲良くなりたいと思ってたのは本当だし」
りっちゃんとばやしが太鼓の達人で難易度MAXに挑戦してボロクソになっているのを眺めながら、また依田さんの新しい一面を見つけた。この子、あざとい。もしくはシンプルいい子。
「私こういうとこほとんど来たことなかったから、結構楽しいよ。あんま顔には出ないんだけどね」
と口を結んで口角をあげる依田さんは不覚にも可愛かった。これを京にも見せてやりたかったから写真だけ撮ってもいい? と結局ツーショットを撮った。絶妙な空間のある仲良くなりたてっぽいいい写真だった。
「武内さんってさ」
「真緒でいいよ。もしくはK太郎」
「K太郎?」
「うん、私の飼ってる犬の名前。もう老犬で死んじゃいそう。りっちゃんとばやしも私のことを犬の名前で呼ぶんだ。最初は変な感じしたけど慣れるもんだよね」
「ふふ、可愛い。K太郎は何歳なの?」
「十七歳だけど」
「あ、違う違う。ワンちゃんの方の」
あ、そっちね。普通に自分の年齢を答えてしまった馬鹿さ加減が恥ずかしい。
「K太郎の自覚がすごいんだね」
優しく笑ってくれる依田さんに救われて私もはにかむ。
「K太郎は十二歳くらい」
「じゃあ私たちの大先輩だ」
「犬の寿命詳しいね」
「私も飼ってるんだ、ダックス。まだ飼い始めたばっかりで今2歳くらい」
「そうなんだ! 何ちゃん?」
「バールくん」
「バールくん? なんか……あれだね。物騒な名前だね」
「でしょ。ニュースとかでバールのようなもので〜って言ったときにワンちゃんのようなものっておもったらなんか可愛く聞こえない?」
ダックスみたいなものでって真剣に読んでいるアナウンサーを想像して確かにそれは楽しそうなニュースに聞こえた。悲惨なニュースを茶化すのではなく、それはきっと自衛のための密かな工夫なんだと思う。ささやかな自分の優しい世界の守り方。
「じゃあ私のことはバール?」
「バールはちょっと物騒だから……、バル太郎は?」
「なんか飲兵衛みたいだね」
そう言いながらも依田さんことバル太郎は仲良しみたいと言って気に入ってくれた。難しすぎると文句を言いながら戻ってきたりっちゃんとばやしにバル太郎を紹介して、四人でプリクラを撮った。
え、待ってこれどうやって撮るの? 全部指示出してくれるからそれに合わせるだけだよ。ほら最初はハートポーズだって。さんにいち。間髪入れずに二枚目のカウントダウンが始まる。次はほっぺだって。え、ちょっと待って早くない。さんにいち。最後はあなただけのあなたらしい一枚をと機械音が言う。機械が言うらしさってなんだよ。狭いボックスの中は、合成音声とツッコミと笑い声でいっぱいだった。表情を取り繕う暇もなく、普段なら恥ずかしくてできないポーズまで撮影のカウントダウンに急かされるとなぜだかできてしまう。
初プリ20XX/1/21♡、なかよしきねん、バル太郎ってなに?、なんて書くと私たちはその完成度にまた笑った。バル太郎の右こめかみのガーゼには可愛いハートを上塗りしておいた。プリとして形に残すことよりもその瞬間を笑い合うこの時間を楽しんでいた。こういうのでいいんだと思う。友達になりましょうよりも、こういう時間で仲良くなっていくのだ。私たちは誰も仲良くなりましょうなんて言っていないし。


