あとはどこまでも転がってくれ

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その日は午後まで授業があったはずだけど、臨時の学年集会が開かれ、いつもより早く帰るようアナウンスがあった。学年主任が具体的なことはなにも明らかにしないまま、ただ悲しいということを繰り返していた。来年に迫った受験という言葉も何度か口に出された。狭い学年の中なのでどういうことが起こったのかはすでに全員が知っているような雰囲気だった。うちの担任の姿は見当たらず、おそらく病院に運ばれていった依田さんに付き添っているのだろう。
宗田京が教室で暴れて先生が戻ってきて、自然と先生と京が対峙するような形となり取っ組み合いに近い状態になっていると、京の払った先生の腕が近くに積み重ねられていた机の山に当たった。その拍子に机の山が崩れてすぐ近くにいた依田さんが下敷きになった。机の足がぶつかったのか、依田さんの右こめかみが赤く腫れ血が流れたのだ。と興奮しながら教室に戻ってきた男子が話していた。
「ごめん山さん。京ってどこいったか知ってる?」
私は何故か楽しそうに高揚した教室から逃げるように、学級委員の山下に尋ねる。少し高めの声色でいやらしくならないように何かに謙遜するような低姿勢を意識して。
「宗田? 全然わかんないけど、あのあと北校舎のほう向かったのは見た気がする。あいつ学年集会も来なかったし」
北校舎のほうってことはきっと屋上だろう。南校舎には屋上がなく、北校舎だけ屋上がある。当然立ち入りは禁止だが、京はそこへの侵入方法を心得ている。そして私もその一人だ。
「ん、ありがと」
「あいつのところ行くの?」
「いや全然」
「やめといた方がいいよ。まだ機嫌なおってないだろうし、今のあいつの肩を持つようだとクラスでの立ち位置とか内申とかなんか響くかもしれないし……」
「行かないってば」
私は笑いながら再度否定する。山下の指摘はひどく先回りして三歩先の未来を見たうえでの至極真っ当なアドバイスなのだろう。だから一言でまとめるならば優しさだった。私に対しての。でも優しさっていうスポットライトを人に浴びせる時に、そのスポットライトから外れる人のことを何も考えなくてもいいのだろうか。京が暴れ出した理由とか、厳密には依田さんが怪我をした原因である机は先生の腕に当たって倒れたんだとか、依田さんが京に対して抱える気持ちとか。スポットライトの明るさはそのすぐ隣に暗さを作るからちょっとだけ残酷だ。
先生に京の場所知ってるかって聞かれただけだよ。なんて私は山下に言い訳するようにその場を離れた。

例に漏れず私の通う高校も街の避難所に指定されている。だから通学のためには長い長い登り坂があって通称“帰らせ坂”と呼ばれている。帰らせ坂のおかげもあって高校よりも高い建物はこの街には存在しない。その短所から生じる長所みたいなものを一番実感できるのが北校舎の屋上だった。ちなみに南校舎に屋上が存在しないのは街にせり出すような北校舎と異なり南校舎が山側にあるからだ。学校の南側には校舎は帰らせ坂をあと二回分登ったくらいの高さの山がある。南校舎は山から吹き下ろされる風で草木が飛んでくるから掃除が大変だという理由で屋上が作られなかったというのは嘘か誠か。そもそも避難所に指定されているすぐ横に土砂崩れの可能性がある山があるってどうなのよ。
屋上につながる扉を開いた瞬間、冬の風が校舎に流れ込む。海と山に囲まれたこの地ならではの勢いのある風に吹かれながら、京は手すりにもたれてタバコをふかしていた。
「やりたい放題かよ」
向かい風がゴウゴウと耳を塞ぐから私が発したはずのその声は自分にすら聞こえなかった。でも京には聞こえたらしく、
「お前に何がわかるんだよ」
と風に負けないような怒鳴り声で返ってきた。
「荒れてんね。またバイト先でやらかしたん?」
「うるせーよ」
「本当に退学になるよ」
「もうなるって」
「まじ?」
「さっき言われた」
「それは……悲しいね」
「適当言ってんなや」
京の吐き捨てた言葉は私の心を少なからず引っ掻いた。
京と話すようになったのはたまたま屋上という逃げ場所を共有していたからだった。だから私は京のことをみんなよりも少しだけ知っている。“みんな”って誰のことを指しているのかわかんないけど、少なくとも妹を養うためにバイトをしていて、そこでは年齢という理由でそれなりに虐げられていることくらいは。でもなんで京がバイトをしてまで妹を養おうとしているのか、親はいるのか、どこに住んでいるのかなんかは何も知らない。この前の修学旅行に来れなかった背景にお金の問題が多少絡んでいるらしいことはなんとなく聞いている。
帰らせ坂には早くも帰路を急ぐ生徒の後ろ姿が見えた。
「いいの?」
「何が」
「退学。社員になる条件が高校を卒業することじゃなかった?」
「いい悪いとかじゃないだろ。もう決まったことなんだし」
いい悪いとかじゃないなんてそんなの出鱈目だ。絶対悪いだろ。
チャイムが鳴った。私たち以外の学年はいまも定刻通りに授業を受けている。
こういう人との終わり方もあるんだと私はぼんやりと考えていた。誰かが私のストーリーから出ていく時、それはもっと劇的な演出があって荘厳な音楽が流れてくれるものだと思っていた。チャイムなんかではなくて。でも実際こんなものなのかもしれない。ただ屋上でたまに喋る程度、クラスでも馴染めずみんなに午後休だけ与えるくらいの影響度の京が私の人生からいなくなるのだ。
それでもこんなにも悲しい。
さっき自分が言った言葉が遅れて私を実際に悲しくさせた。京がいなくなるのが悲しいのではない。私の人生を構成していたひとつがいなくなるのが悲しいのだ。
悲しくて、そして怒っていた。
怒るというひどく窮屈で私の体力を奪っていく感情が私を締め付ける。
「あの子には悪いと思ってる」
最後の最後まで京は怒鳴るような口調だった。風が強く吹いている。タバコの煙が風に乗って街の方にすごい速さで漂っていく。
「誰のこと」
「クラスの」
「だから誰」
「あの、怪我したっぽい子」
何かの沸点を迎えた音がした。やかんのピーっという甲高い音ではなくて、ぽきっと折れるような音がした気がした。
なんで私に伝えんのよ。本人がいない場所で実はヤンキーが謝ってた。誠実でかっこいー! ってあれ超ダサいから。何もかっこよくないし美談になんかしてやんないから。んで怪我してんのよ。ぽいじゃなくて血出てんのよ。あと依田さんな。クラスメイトの名前くらい覚えとけ。ハスってんなよバカ。
どうせいなくなる人にならなんと言ってもよかった。何を思われてもよかった。その衝動を行動に移すのはひどく簡単で優しい世界を構成することがこんなにも難しいことなんだと逆説的に私に教えてくれた。だから私は優しい世界を大事にしようと決めていた。
「うんわかった伝えておく」
私は最後にそう伝えた。京は教室で最後に見せた燃えるような眼差しで私を見つめていた。
その視線を逃れるように私は屋上を出た。途中で屋上に繋がる鍵を窓から投げ捨てた。それが最初の、世界が崩れた瞬間だった。