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昼休み、教室の後ろ側で宗田京がイスを思いっきり蹴り上げた。そのとき私は教室のベランダ(教室の廊下とは反対側、外に突き出る形でクラスを横断できる道があり私たちはそれをベランダと呼んでいた)で飛び降り防止の柵みたいな手すりに腕をもたせかけていた。クラスで生まれる悲鳴は私の耳にはっきりと届いていたけれど、そちらに目を向けるでもなく京が暴れたのだと知っていた。
校内で禁止されているスマホを開くとそこは教室とは打って変わって静かな世界だった。SNSって誰がつけた名前なんだろうか。そーしゃるねっとわーきんぐさーびすなんていうよくわかんない名前をSNSなんて呼ぶから余計によくわかんない。多分もっと簡単にパラレルみたいな名前だったらいい。もちろんパラレルワールドのパラレル。私のいくつかあるうちのひとつの世界。
『つきあってください』って言われたDMを開く。ハンドルネームがグリーンティーで年齢は私と同い年らしい、本名は知らずいつもはティーって呼んでる、東京に住んでいるらしいからここから飛行機で二時間くらい、ゲームでは私をよく守ってくれる。教室の悲鳴なんて到底聞こえない距離にいる彼なのか彼女なのかは、今もアイコン周りが緑に輝いていて向こうでスマホを開いていることを知らせてくる。
んー困ったな、とでもいうように私は前髪から指を突っ込みわしゃわしゃと振った。教室の後ろの方からは机や椅子が倒れる音が聞こえてきて、その音に気づいた先生が慌てて飛び込んできた。私はスマホを背に隠すように体制を変えた。すると教室がもっと私の視界から消えた。
風が大胆に吹き私のスカートを揺らす。ベランダは北校舎と南校舎の間に突き出るように生えているので風通りがいい。夏は涼しいからみんなの場所だけど、冬は誰も来ないから私だけの場所。でもさすがに寒い。
『ごめん、困るよねこんなこと言われたって』
ティーからのDMが動く。私がアイコンを緑に輝かせたまましばらく返事をしなかったから不安にでもなったのだろうか。なんて返そうかとさえ考えていなかった自分がなんだか申し訳なくなる。
あほ!
とでも返せたらいいだろうか。何も自分を開示しないくせに突然つきあってなんて送ってきたこと、ちょっと返事を返さなかっただけですぐに保険をかけてきたこと、私の世界をひとつ潰そうとしたこと。
あほ!
と小さく呟くと一月の空気が、白く包んだ。暴言みたいに吐いた言葉は風に乗って東京まで届けばいいと思った。どうせDMでは伝えられないのだから。
ティーと付き合えるかどうかを考えてみた。ティーについて知っていることは随分少ないけれど付き合いとしてはなかなか長い方だと思う。中学生になって一年くらいがたった頃に初めてネットゲームなるものをやってみた。やり方もわからないながら初見で一見歓迎のグルに入ったらそこにいたのがティーだった。音声を繋げてゲームを始めてみたらあまりに声が若くてびっくりしたのを覚えている。そこからティーはしょっちゅう私をパーティーに誘ってくれた。ゲームをするときのチャットや電話でしか話したことはなく、例えばゲーム以外で電話したりとか直接会おうとなったことは一度もない。私たちのSNSにはそもそも電話なんて機能もない。私は一人で飛行機に乗ったこともない。
『てか今日ゲームする?』
結局私は一か八か、そう送った。だってどう返せばいいかわからなかったんだもん。だから一番聞きたいことを送った。
『いいよ。誰か呼ぶ?』
『今日は鷹狩りしたい。鷹の蹄が欲しくて』
『建築? 採用?』
『建築用』
『おっけ。弓矢持っていくわ』
鷹の蹄というのは私とティーが良くやっているTPS(三人称視点シューティングゲーム)のことで、建築や自分の街の住人採用のための素材として知られている。
『ありがと』
ちょっとティーとDMしていたらいつの間にか教室は静かになっていた。少し後ろを振り向くと散乱した机と椅子がちょうどラウンドみたいになっていてその中心で京と先生が対峙していた。何がどういう理由でこの状況が出来上がったのか想像もつかない。緊迫した雰囲気に見えるけれどきっと教室の中は血まみれだ。体から流れる赤い血ではなくて、心から流れる黒い血でいっぱい。SNSの世界に逃げ込んだ私にはどうでもいいことだったけれど、身近にある血はとても怖いものだった。
血が流れることなんて、涙が流れることなんて、小説を読まなくても身近に溢れている。でも直視はしたくなかった。私の世界が危なっかしいバランスの上で奇跡的に成り立っているだけで、当たり前に壊れうるということを知ってしまうには私は弱いから。悲劇よりも退屈を、緊迫よりも逃げ場を私は常に用意して生きている。
『あ、もうすぐ昼休み終わる』
ティーはそう言った。ティーも私と同じように学校でスマホいじっているんだとその時知った。東京の学校だからきっとスマホもOKなんだろうなってなんとなく思った。ティーがいなくなると私はひとりになってしまう。クラスでよくつるんでいる友だち、りっちゃんとばやしはふたりとも学校を休んでいた。ふたりして休むということは私の知らないところで何かしらの動きがあるのかと、そんなことを思ったりもしたが実際ふたりは休んでいるわけでそんなことは考えても仕方がない。私の重力の弱さは私が一番知っている。
なんとなく北校舎を眺めていると、五限目の体育のためか三階の教室で女子が着替え出した。北校舎の三階は三年生の教室で、だから女の人って感じがしてずっと大人びて見える。そんな人たちの着替えシーンはなんだかドキドキする。もう少しかな、もう少し待てば。そんな邪な考えが頭を占め出したころ、教室のカーテンがしゃっと引かれた。カーテンが閉められる直前、三年生の先輩と少し目線があったような気がして私はベランダの手すりから顔を引っ込めた。もう絶対遅いし、いま顔を引っ込めるほうがむしろ悪い。ドキドキが落ち着くまでそうしていた。数十秒後、頭をあげて見たらもうカーテンはぴたっと閉められて中が見えそうにはなかった。今頃は誰にも見られない空間であのお姉様方はきっと着替えている。
手元のスマホが震えた。
『ありがとね』
ティーからだった。
ん?
なにが?
なにがありがとうなの?
私は一瞬、意味がわからなかった。でも少しして理解する。たぶん告白をスルーしたからだと思った。たぶんティーは振られたと思ったんだ。振られたけれど私がそれについてちゃんと返事をしなかったから、しなかったおかげで今日この後ゲームすることが決まってこれからもこの関係を続けることができる。変に反応しなかったからありがとね。
うわ、意味わかんね〜〜〜。
私は何も振ってない。いや返事を考えていなかったから実質振ったみたいなものだったけど、私はただその場から逃げただけ。SNSという私にとって必要な世界をどうしても手放したくなくて今日この後帰ってからの居場所を作ろうとしただけ。それに対してありがとねって本当に意味わかんない。
徒労感で思わずまた座り込みそうになった。
そのときだった。
がっしゃーん
「依田! 大丈夫?」
地でも割ろうかとするような音が響いて、間髪入れずに先生の慌てた悲鳴に近い声が聞こえた。反射的に振り向くと机と椅子のラウンドが少し崩れてその廊下側で倒れている人の周りに人だかりができていた。誰かが起こそうとするのを先生が止めていた。誰かハンカチ持ってない?という声が聞こえてくる。たぶん血が流れているのだ。体から流れる赤い血が。
宗田京が倒れている方から目を背けるようにこちらを見た。確かに目があった。
昼休み、教室の後ろ側で宗田京がイスを思いっきり蹴り上げた。そのとき私は教室のベランダ(教室の廊下とは反対側、外に突き出る形でクラスを横断できる道があり私たちはそれをベランダと呼んでいた)で飛び降り防止の柵みたいな手すりに腕をもたせかけていた。クラスで生まれる悲鳴は私の耳にはっきりと届いていたけれど、そちらに目を向けるでもなく京が暴れたのだと知っていた。
校内で禁止されているスマホを開くとそこは教室とは打って変わって静かな世界だった。SNSって誰がつけた名前なんだろうか。そーしゃるねっとわーきんぐさーびすなんていうよくわかんない名前をSNSなんて呼ぶから余計によくわかんない。多分もっと簡単にパラレルみたいな名前だったらいい。もちろんパラレルワールドのパラレル。私のいくつかあるうちのひとつの世界。
『つきあってください』って言われたDMを開く。ハンドルネームがグリーンティーで年齢は私と同い年らしい、本名は知らずいつもはティーって呼んでる、東京に住んでいるらしいからここから飛行機で二時間くらい、ゲームでは私をよく守ってくれる。教室の悲鳴なんて到底聞こえない距離にいる彼なのか彼女なのかは、今もアイコン周りが緑に輝いていて向こうでスマホを開いていることを知らせてくる。
んー困ったな、とでもいうように私は前髪から指を突っ込みわしゃわしゃと振った。教室の後ろの方からは机や椅子が倒れる音が聞こえてきて、その音に気づいた先生が慌てて飛び込んできた。私はスマホを背に隠すように体制を変えた。すると教室がもっと私の視界から消えた。
風が大胆に吹き私のスカートを揺らす。ベランダは北校舎と南校舎の間に突き出るように生えているので風通りがいい。夏は涼しいからみんなの場所だけど、冬は誰も来ないから私だけの場所。でもさすがに寒い。
『ごめん、困るよねこんなこと言われたって』
ティーからのDMが動く。私がアイコンを緑に輝かせたまましばらく返事をしなかったから不安にでもなったのだろうか。なんて返そうかとさえ考えていなかった自分がなんだか申し訳なくなる。
あほ!
とでも返せたらいいだろうか。何も自分を開示しないくせに突然つきあってなんて送ってきたこと、ちょっと返事を返さなかっただけですぐに保険をかけてきたこと、私の世界をひとつ潰そうとしたこと。
あほ!
と小さく呟くと一月の空気が、白く包んだ。暴言みたいに吐いた言葉は風に乗って東京まで届けばいいと思った。どうせDMでは伝えられないのだから。
ティーと付き合えるかどうかを考えてみた。ティーについて知っていることは随分少ないけれど付き合いとしてはなかなか長い方だと思う。中学生になって一年くらいがたった頃に初めてネットゲームなるものをやってみた。やり方もわからないながら初見で一見歓迎のグルに入ったらそこにいたのがティーだった。音声を繋げてゲームを始めてみたらあまりに声が若くてびっくりしたのを覚えている。そこからティーはしょっちゅう私をパーティーに誘ってくれた。ゲームをするときのチャットや電話でしか話したことはなく、例えばゲーム以外で電話したりとか直接会おうとなったことは一度もない。私たちのSNSにはそもそも電話なんて機能もない。私は一人で飛行機に乗ったこともない。
『てか今日ゲームする?』
結局私は一か八か、そう送った。だってどう返せばいいかわからなかったんだもん。だから一番聞きたいことを送った。
『いいよ。誰か呼ぶ?』
『今日は鷹狩りしたい。鷹の蹄が欲しくて』
『建築? 採用?』
『建築用』
『おっけ。弓矢持っていくわ』
鷹の蹄というのは私とティーが良くやっているTPS(三人称視点シューティングゲーム)のことで、建築や自分の街の住人採用のための素材として知られている。
『ありがと』
ちょっとティーとDMしていたらいつの間にか教室は静かになっていた。少し後ろを振り向くと散乱した机と椅子がちょうどラウンドみたいになっていてその中心で京と先生が対峙していた。何がどういう理由でこの状況が出来上がったのか想像もつかない。緊迫した雰囲気に見えるけれどきっと教室の中は血まみれだ。体から流れる赤い血ではなくて、心から流れる黒い血でいっぱい。SNSの世界に逃げ込んだ私にはどうでもいいことだったけれど、身近にある血はとても怖いものだった。
血が流れることなんて、涙が流れることなんて、小説を読まなくても身近に溢れている。でも直視はしたくなかった。私の世界が危なっかしいバランスの上で奇跡的に成り立っているだけで、当たり前に壊れうるということを知ってしまうには私は弱いから。悲劇よりも退屈を、緊迫よりも逃げ場を私は常に用意して生きている。
『あ、もうすぐ昼休み終わる』
ティーはそう言った。ティーも私と同じように学校でスマホいじっているんだとその時知った。東京の学校だからきっとスマホもOKなんだろうなってなんとなく思った。ティーがいなくなると私はひとりになってしまう。クラスでよくつるんでいる友だち、りっちゃんとばやしはふたりとも学校を休んでいた。ふたりして休むということは私の知らないところで何かしらの動きがあるのかと、そんなことを思ったりもしたが実際ふたりは休んでいるわけでそんなことは考えても仕方がない。私の重力の弱さは私が一番知っている。
なんとなく北校舎を眺めていると、五限目の体育のためか三階の教室で女子が着替え出した。北校舎の三階は三年生の教室で、だから女の人って感じがしてずっと大人びて見える。そんな人たちの着替えシーンはなんだかドキドキする。もう少しかな、もう少し待てば。そんな邪な考えが頭を占め出したころ、教室のカーテンがしゃっと引かれた。カーテンが閉められる直前、三年生の先輩と少し目線があったような気がして私はベランダの手すりから顔を引っ込めた。もう絶対遅いし、いま顔を引っ込めるほうがむしろ悪い。ドキドキが落ち着くまでそうしていた。数十秒後、頭をあげて見たらもうカーテンはぴたっと閉められて中が見えそうにはなかった。今頃は誰にも見られない空間であのお姉様方はきっと着替えている。
手元のスマホが震えた。
『ありがとね』
ティーからだった。
ん?
なにが?
なにがありがとうなの?
私は一瞬、意味がわからなかった。でも少しして理解する。たぶん告白をスルーしたからだと思った。たぶんティーは振られたと思ったんだ。振られたけれど私がそれについてちゃんと返事をしなかったから、しなかったおかげで今日この後ゲームすることが決まってこれからもこの関係を続けることができる。変に反応しなかったからありがとね。
うわ、意味わかんね〜〜〜。
私は何も振ってない。いや返事を考えていなかったから実質振ったみたいなものだったけど、私はただその場から逃げただけ。SNSという私にとって必要な世界をどうしても手放したくなくて今日この後帰ってからの居場所を作ろうとしただけ。それに対してありがとねって本当に意味わかんない。
徒労感で思わずまた座り込みそうになった。
そのときだった。
がっしゃーん
「依田! 大丈夫?」
地でも割ろうかとするような音が響いて、間髪入れずに先生の慌てた悲鳴に近い声が聞こえた。反射的に振り向くと机と椅子のラウンドが少し崩れてその廊下側で倒れている人の周りに人だかりができていた。誰かが起こそうとするのを先生が止めていた。誰かハンカチ持ってない?という声が聞こえてくる。たぶん血が流れているのだ。体から流れる赤い血が。
宗田京が倒れている方から目を背けるようにこちらを見た。確かに目があった。


