四月の四番目の火曜日
「来てしまった…」
私は来てしまったのだ。どこにというと。
この前、おにぎりを作るだけのバイトにメ―ルをした。
すると、すぐ返事がきた。
では、来週の火曜日午後一六時に、榴ヶ岡公園の近くにあるつつじアパ―トの二階に来て下さい。
よろしくお願いしますと書かれていた。
私はすぐ返信した。
了解しました。午後一六時に、つつじアパ―トに伺いますのでよろしくお願いしますと
メ―ルに打ち込んだ。
それ以降は、メ―ルはこなかったけど、このメ―ルは本当に現実なのか疑ってしまう。
でも、このようにメ―ルがきたのだから何かしらおにぎりバイトはやっているのだと思えた。
着いたつつじアパ―トは、一見普通のアパ―トだった。
こんな所でおにぎりバイトをしているとは思わない。
いや、おにぎりバイトということをしている奴がいるなんて考えないだろう。
二階にあるおにぎりバイトに向かうため階段をかけ上る。
タンタン タンタン
「ここか」
メ―ルには二階しか書かれていなかったが、階段を上るとアパ―ト番号の隣にご飯のマ―クがあったからすぐ分かった。
「お邪魔し―ます」
ドアノブを握りしめて、ご飯マ―クの部屋に入る。
私は呆然と立ちつくした。
そこには、誰もいなかった。
「え? いない」
見渡してみると、シンプルな部屋であった。
リビングにはクロ―ゼット、テレビ、勉強机しかなかった。
キッチンには湯沸かしと底が深い皿に入っているご飯。
そしてキッチンの近くには、テ―ブルがあった。
テ―ブルに何か置いていると思い行ってみると、おにぎりを作るにあたり、海苔と梅干しがあった。
「ほんとに作るんだ。おにぎり」
やっとおにぎりを作るという現実が頭の中ではっきりとしてきた。
いやこのバイトに応募してから、おにぎり作るんだっていう軽い気持ちだった。
でも、ここに来てから現実だと受け止めた。
「……作るか」
私は一通り部屋を眺めてから独り言を呟いた。そして、まずキッチンに向かい、石鹸を両手でこすりつけて手を洗った。
いつもひとりで洗う手洗いは、人の家だからだろうか。新鮮で心地よい。
テ―ブルに向かい、おにぎりサイズになるくらいの米を手のひらにのせた。
手のひらにのっけた米を見たら、私はおにぎり何個作ればいいんだと思った。
しかしおにぎり何個作って下さいって、書いてなかったし、ご飯がある分だけ作ればいいか。
黙々とおにぎりを作り、ご飯はなくなった。
手を洗って帰るだけと思ったが、おにぎりバイトの主に私がきたことを伝えた方がよいだろうかと考えた。
数秒考えた結果、カバンからル―ズリ―フと筆箱を出した。
ル―ズリ―フを半分に切って、シャ―プペンで書き始めた。
初めまして、松井茉莉です。
おにぎり、作り終えました。私はこれで帰りますとだけ書き残した。
なにか書いた方が礼儀かと思ったが、思いつかなかった。
私は書いた紙をテ―ブルに置き、ご飯マ―クの部屋を後にした。
この時、背中から視線を感じた。
「こいつか」
電柱に寄りかかり俺は松井茉莉を見ていた。
俺が見ているなんて松井茉莉は知らない。
俺が誰であることなんて。
次の日、私はこのバイトをしたということはアヤメには報告していない。
友人と親しくなって、悩みや苦しみを共感してもらうことはある。
それでも、自分の中でそうかな? とまだ苦しみが残る部分がある。
たとえ、友人に言われたとしても、やはり自分が決めなくてはいけない。
孤独だ。
「今日も……あそこ行こう」
昨日行ったご飯マ―クの部屋に行きたい。
おにぎりバイトもないけど。
昨日行ってから胸の高まりが収まらない。
見知らぬ世界へ足を踏み入れたワクワクと他人に作ったおにぎりへの喜び。
あの場所が本来の自分を取り戻してくれる気がする。
日差しがあるのに雲行きが怪しい中、私は昨日行った場所へ再び向かった。
「……ご飯マ―クの部屋。ドア開いてる?」
一人呟き、ご飯マ―クの部屋を見上げた。
誰もいなそうだ。
「行ってみようかな。いやでも不法侵入か?」
おにぎりバイトの主は、昨日この十六時の時間ではいなかったから。
多分誰もいないと思う。
行ってみよう、決して不法侵入ではない。
バイト先の仕事現場をちゃんと把握しておかなければならないのだ。
そう自分に言い聞かせて、マンションの階段を上り、ご飯マ―クの部屋へと向かった。
ドアノブを握りしめて、ドアを開いた。
そこは、ゲ―ムの音が鳴り響いていた。
よし、行け―と男性が猫背気味に携帯で音楽を聞いているのかイヤフォンをしながら、テレビゲ―ムを夢中にやっている姿だった。
ガラリとした昨日の静かな部屋とは、違くなっていた。
「この人が、おにぎりバイトの主?」
私の声は聞こえていないのか、おにぎりバイトの主はテレビゲ―ムに夢中だ。
この部屋の空気を全部吸って私は大音量でおにぎりバイトの主に放った。
「あの―!」
おにぎりバイトの主は、肩をビクっと上にあげていた。
両耳にはめていたイヤフォンを抜き、お化けがいるかのように私の方に振り向いた。
「……お前、なんでここに」
そう呟き私の方に向かってくると思いきや、彼は玄関前にいる私の足を蹴飛ばして、外に出て行った。
「痛っ、あんにゃりょ」
私は彼の後を追った。
彼は私より十センチ身長が高くて、大学生のようであった。
亀のように彼は足が遅く、陸上で県大会に行った私はすぐ追いついた。
「待って下さい。ちょっと」
息切れをしながら、私は彼の頭に被られていたパ―カ―のフ―ドをグイと引っ張った。
「お前、俺は死なせる気か!」
私がパ―カ―のフ―ドを引っ張ったからか、オエと嗚咽しそうな声を出して彼は頭を上にあげてゴホゴホと咳をむせていた。
私は彼の姿を見て、すぐにフ―ドを右手から外した。
「す、すいません」
「……何なんだよ。お前、俺を殺しに来たのか。そうなんだろ! どうせ、俺のことなんて。みんな、俺をネタに笑ってんだろ!」
この人は、一体どうしたのだろうか。いきなり、おかしくなったか?
「いや、そんなことないですよ」
私は首を傾げた。
私の姿を見て彼は我に返ったのか、ゴホンと咳払いをした。
周囲には私と彼しかいない。
「お前、今日はおにぎりバイトないはずだろう? なんで勝手に俺の家に入った?」
彼は私の方を振り向くと顔を隠すようにフ―ドを被り直して、私の方を見てきた。
彼の目は見えないが、ほんの少し見えた。
それは、どこか寂しそうで嬉しそう。
「勝手に家に入ったことは謝ります。でも、ここに来たのは…おにぎりがあったからです」
「おにぎり…」
「懐かしかったんです。祖母と作っているようで」
彼は頭をかきながらなにか言いたそうだ。
「……そうかよ。俺はおにぎりバイトを始めてから、あんたが初めてだよ。こんなの言ってくれんの。でも、おばあちゃんと俺を比べ んな。違うんだよ」
「……そうですね」
「……」
会話が終わってしまった。
ってか、疑問だったんだけど。
なんで、私のこと知ってた?
あ、でも、当たり前か。
おにぎりバイトの主だもんね。
いやいや、でも会ったことはないし。
初対面だよね。
でも、聞き間違えではない。
確実に彼は言った。
なんでお前がここにって。
彼は下に俯いているようだが道端にある蟻達が列になって、食料を運んでいる姿を見ていた。
それは蟻達が踏まれないように、片足で彼が守っていた。
表情は分からないが、俺がいるから大丈夫だと言っているようであった。
やっぱり、おにぎりが好きな人は優しいに決まってる。
私は心の中で微笑んだ。
「あの―、なんで私のこと知ってたんですか」
「はあ?」
「知ってましたよね?」
「……べ、別に知らねぇよ」
彼はフ―ドを被っているが、嘘を付いているのはバレバレだ。
蟻達は私たちが話し始めると、急いで食料を運び始めた。
「なんで私を知る必要があるんですか?」
私は少し強い口調で彼に発した。
彼は困った様子で私を覗うように見てきた。
「…あんたには分かんないよ。俺の気持ち」
私もあなたの気持ちなんて知らないよ。
でもね、知りたいの。
こんな気持ち、初めてで分からないけど。
「……分かりませんね。あなたの気持ち。でも、知りたいんです」
私はフ―ドに被されていて見えないが彼の目を見てそう呟いた。
「なんで、俺のことを知りたいんだ?」
彼は私の言葉に驚いたのか左手でフ―ドをバサっと取った。
彼の顔は鼻筋が通っていて、ぽてっとした唇に四本の指は入るんじゃないかってくらいの広いおでこ。
そして、コンパスで上手に丸く描いたような丸い黒目に短い髪。
暗い印象から感じられない明るく良い印象を受けやすい外見だ。
「私も分かりません」
彼に伝わるように目を見開きながら、私は見えない心の中を見据えた。
「自分でも分からない? はあ? 重症だな」
彼はケッと舌打ちをしたら、カップルと思われる二人が手を繋ぎ私たちの横を通り過ぎた。
「それでも、知りたいんです」
彼は下に俯き、終始黙った。
そして、意を決して私を見て声を発した。
「……言っても、引かないか?」
「はい」
私は彼の目を見た。
なんて目が綺麗なんだろうか。
鏡を丁寧に拭いた後のように輝いていた。
「俺は、このバイトをやろうと思ったのは、世の中に飽き始めたから。普通に大学に行って、友達もいる。それは幸せなことだよ。
でも、なんかつまんないんだよ。高校までは、友達とワイワイして楽しかった。今は自分が自分じゃない気がするんだ。俺はいてもいなくてもいいのかと思うんだよ」
彼はズボンのポケットに両手をいれて、恥ずかしそうに伝えてくれた。
「……自分が自分じゃないっていうのは?」
「……分からないと思うけど。人の目が怖い。人と目を合わせることは俺にとって苦痛。目が合うと、その人がなにを考えているか分
かってしまう気がして」
彼は両手を広げ自分の手のひらを見ていた。
「でも、私と目を合わせましたよね?」
私は無理やり口角をあげて、彼に言った。
「……そうだな。不思議だけど、あんたは目が合わせられる。何でだろう」
彼は少し微笑み、私に思いがけない言葉を発した。だが、私は思った。
あなたが人と向き合おうとしていないからじゃないの。
そう思った瞬間、口は勝手に開いていた。
「あなたは間違ってますよ」
彼は驚いた表情で私を見てきた。
口を開けたまま私を見て黙り込んだ。
そして、乾燥しきった彼の唇がゆっくりと言葉に表れた。
「……な、にが」
いつもの私なら言わないのに。
「私と目を合わせられるのは多分私を知らないから。あと、おにぎりが好きだからです。あなたは、淋しいんです。私と同じく」
「おにぎりは、今関係ない!」
彼が声を荒げたからか、犬の散歩をしていたおじいちゃんはこちらを見てきた。
犬もワンワンと吠えて、おじいちゃんにリ―ドをひかれて去っていた。
「あります! おにぎりには、愛情がこもってるから。その思いをあなたも感じたかったのでしょう。誰かが作ることで、自分は存在
していると」
彼は黙って、眉を下げていた。
私の言ったこと当たったのだろう。
本当にそうだよと言っているかのように。
「……あんたの言った通りかもしれない。俺は誰かに見てほしかった。淋しかったんだと思う。だから、誰かを感じることができるお
にぎりを通して、感じたいと思ったんだ」
誰かに見てもらいたいけど見てもらえない悲しみで彼は涙が溢れ出そうになっていた。
私は頭の中でペットボトルを思い浮かべた。
カラカラな口の中を五〇〇ミリリットルの容量が入っているペットボトルを飲み干す。
それは寂しそうに残ったペットボトルだけ。
心の中は、空っぽなのだ。
「分かりますよ。気持ち。私もそうですから」
「あんたもなのか?」
私は頷く。私は彼を直視できなかった。
彼が感じる空気は今の天気に似ている。
太陽のような温かさもありモヤモヤした雲が彼の心に覆われている。
「おにぎり。あんたもおにぎりに支えられたんだな。俺もあんたも」
いつの間にか雲は消えて、どこか顔が明るくなった彼は少年のように笑った。
「……っはい。……あなたの名前は何ですか?」
私は涙を手で拭い、彼に聞いた。
「ああ、俺は吉田圭。あんたの名前はもう知ってる。松井茉莉」
「……あはは。そうですよね。そうだ。今から一緒におにぎり作りません?」
何年ぶりだろう。
私は大げさに口を開いて、なんにも考えずに笑っていた。
「奇遇だな。俺も作りたかった」
彼もちゃんと前を向いて、私というものを知ろうと話をしてくれる。
「じゃあ、戻りましょう」
私は彼の手を引いて、あのご飯マ―クの部屋へと戻った。
おばあちゃん、私何を思っておにぎりを握ればいいかようやく意味が分かったよ。
誰かを思うことで、一人じゃないってことをこのおにぎりを通して伝えなきゃいけないんだ。



