「あ、ちなみに、今の話は内緒ね。先生にしか言ってないから」
丸山さんは唇に人差し指を当てた。
「え? それならなんで私なんかにそんな話を……」
私は驚く。丸山さんの友達でも知らないことを、どうして私に話すのだろう?
「なんか、不思議なんだよね。話したくなったって言うか。佐藤さんなら、ちゃんと聞いてくれそうだなって思ったから」
丸山さんは私を見つめる。
「近い人ほど言えないことってあるじゃん?」
「確かに、そうだね」
私だって、すぐ気にすることとか、毎日『ひとり反省会』をしていることとか、わざわざ仲が良い子には言わない。
「あたしの周りは派手な子ばっかりだからさ、大げさに心配とかしてきそうだし、言ったらすぐクラス中に広まっちゃいそう。佐藤さんは、秘密漏らしたりしないでしょ?」
私は何度も頷いた。信用してくれているんだと、嬉しくなった。
「佐藤さんは優しいんだと思うよ。色々気にするのだって、断れないのだって、常に他人の気持ちを考えてるってことでしょ? あたしにはそれはできない。佐藤さんが持つそういう穏やかな雰囲気、あたしは凄くいいなって思う」
その言葉は、噓ではないと感じた。丸山さんは思ったことをすぐ口に出す。だからきっと、お世辞なんて器用なことは言わない。
私は胸がいっぱいで、泣きそうになった。自分が欠点だと思っていたところを利点だと言われて、救われた気がした。
「私、ずっと丸山さんのこと誤解してたかも。丸山さんは私とは真逆の人間だから、一生関わることないんだって思ってたけど、話してみたらとてもいい人だった。いつもクラスの中心にいる人で、すごく近寄りがたかったから……」
「え、あたしってやっぱり近寄りがたい雰囲気ある?」
「私にとっては、だよ。住む世界が違うって思ってた。でも、丸山さんも、ちゃんと人間なんだなって」
「えー、なにそれ」
今日ここで会わなかったら、私たちは多分、一度も話さないまま高校を卒業していただろう。お互いを知らないまま、誤解したまま、別の世界を生きていた。
「じゃあ、ぶっちゃけ、公園行くってなったとき、どう思った?」
丸山さんは悪戯っぽく私の顔をのぞき込んできた。
「勘弁してくれって思った」
私は正直に言った。
私たちは顔を見合わせる。そして、なんだか可笑しくなってきて、笑い合った。
「やっぱりね。普通に断ればよかったのに」
「なんて断ればよかったの?」
「嫌だ。面倒くさい。あたしだったらそう言う」
「そんな単純?」
「断る理由なんて、単純でいいんだよ。怒られるかもとか、傷つけるかもとか、いちいち気にしてたら自分が損しちゃうじゃん? 多少の我儘も、ときには大事だよ」
私はハッとした。
お母さんに対してだって、もっと簡単に、単純に、私の意思を伝えれば良かったのかもしれない。期待に応えようとか、相手に嫌な思いをさせたくないとか、そんなことをいちいち気にしていては、きりがない。私がちゃんと伝えないから、お母さんも私が何を考えてるかなんて分からないのだ。それなのに、私は他人のせいにしてばかり。
私は自分で自分の首を絞めて、生きにくくしている。自分の平穏を守るために、自分を犠牲にする。そんな生き方を続けていけば、私はきっと、いずれ自分の身を滅ぼすことになるだろう。
私はもっと、他人のことを信じていいのかもしれない。相手はきっとこう思うだろう。そう決めつけるのをやめて、私も少し歩み寄ってみる。上手くいくかもしれないし、いかないかもしれない。でも、それが人間。
私に足りなかったのは、偽りの平穏を手放す勇気だ。
「なんか良いよね、ああいうの」
ふと、丸山さんは元気に公園を走り回っている弟たちを見ながら呟いた。
「自由っていうかさ、何にも囚われていないというか」
大人になるにつれて、私たちはやらなければならないことが増えてくる。勉強、仕事、家事、人間関係、色々なことを気にしながら、生きていかなければならない。そんなことを、無邪気に遊ぶあの子たちはまだ知らない。
頭では言いたいことたくさんあるのに、それをいざ口に出そうとすると、躊躇ってしまう。私だって言い返したい時はあるし、嫌なことは嫌って言いたい。言葉にしないと何も始まらないことは分かっている。だけど、それで綻びが生まれてしまうのなら、最初から何も言わない方が良い。私が我慢すれば済む話だから。そんな自己犠牲的な考え方だったから、私はいつまでも苦しいままなのだ。
だからといって、人はそう簡単には変われない。今すぐ、『何も気にするな』『思ったことははっきりと言っちゃえ』なんて言われても、できはしない。
丸山さんみたいに社交的な方が、この世界ではきっと生きやすい。声の大きな人の意見が採用されて、そういう人たちが生きやすい世の中が形成されていく。私が抱える漠然とした不安の正体は、もしかしたら今後私が生きていかなければならないそういう世の中に対してのものなのかもしれない。
気持ちが悪くて、息苦しい。でも、私のことを少しでも理解してくれる人がいるだけで、私はこの地に立っていられる。少し楽観的になるだけで、険しい道でも歩けるようになる。
少しずつ。私は私が生きやすいように、変わっていけたらいい。
「あの子たちには、ずっとあのままでいて欲しいな」
私はそんな叶わない願いを口にした。
今無邪気に遊んでいる弟たちだって、いずれは大人になるのだから。理不尽な世界で揉まれ、傷つき、汚れていく。
あの頃に戻りたい。そんな言葉を私は呑み込んだ。
「暗くなってきたし、そろそろ帰ろっか。勉強、しないといけないんでしょ?」
彼女は他人事のように言う。
「丸山さんもだよ?」
私はからかうように言い返してみた。
「分かってるよ。時間があったらやる」
「ほんとに?」
「ほんとだって」
私たちは立ち上がった。
日が沈み、夢の中のようだったその景色は、闇が包み込む。
ほんの少しだけ、彼女との距離が近づいた。
私たちは、同じ世界にいるような気がした。
丸山さんは唇に人差し指を当てた。
「え? それならなんで私なんかにそんな話を……」
私は驚く。丸山さんの友達でも知らないことを、どうして私に話すのだろう?
「なんか、不思議なんだよね。話したくなったって言うか。佐藤さんなら、ちゃんと聞いてくれそうだなって思ったから」
丸山さんは私を見つめる。
「近い人ほど言えないことってあるじゃん?」
「確かに、そうだね」
私だって、すぐ気にすることとか、毎日『ひとり反省会』をしていることとか、わざわざ仲が良い子には言わない。
「あたしの周りは派手な子ばっかりだからさ、大げさに心配とかしてきそうだし、言ったらすぐクラス中に広まっちゃいそう。佐藤さんは、秘密漏らしたりしないでしょ?」
私は何度も頷いた。信用してくれているんだと、嬉しくなった。
「佐藤さんは優しいんだと思うよ。色々気にするのだって、断れないのだって、常に他人の気持ちを考えてるってことでしょ? あたしにはそれはできない。佐藤さんが持つそういう穏やかな雰囲気、あたしは凄くいいなって思う」
その言葉は、噓ではないと感じた。丸山さんは思ったことをすぐ口に出す。だからきっと、お世辞なんて器用なことは言わない。
私は胸がいっぱいで、泣きそうになった。自分が欠点だと思っていたところを利点だと言われて、救われた気がした。
「私、ずっと丸山さんのこと誤解してたかも。丸山さんは私とは真逆の人間だから、一生関わることないんだって思ってたけど、話してみたらとてもいい人だった。いつもクラスの中心にいる人で、すごく近寄りがたかったから……」
「え、あたしってやっぱり近寄りがたい雰囲気ある?」
「私にとっては、だよ。住む世界が違うって思ってた。でも、丸山さんも、ちゃんと人間なんだなって」
「えー、なにそれ」
今日ここで会わなかったら、私たちは多分、一度も話さないまま高校を卒業していただろう。お互いを知らないまま、誤解したまま、別の世界を生きていた。
「じゃあ、ぶっちゃけ、公園行くってなったとき、どう思った?」
丸山さんは悪戯っぽく私の顔をのぞき込んできた。
「勘弁してくれって思った」
私は正直に言った。
私たちは顔を見合わせる。そして、なんだか可笑しくなってきて、笑い合った。
「やっぱりね。普通に断ればよかったのに」
「なんて断ればよかったの?」
「嫌だ。面倒くさい。あたしだったらそう言う」
「そんな単純?」
「断る理由なんて、単純でいいんだよ。怒られるかもとか、傷つけるかもとか、いちいち気にしてたら自分が損しちゃうじゃん? 多少の我儘も、ときには大事だよ」
私はハッとした。
お母さんに対してだって、もっと簡単に、単純に、私の意思を伝えれば良かったのかもしれない。期待に応えようとか、相手に嫌な思いをさせたくないとか、そんなことをいちいち気にしていては、きりがない。私がちゃんと伝えないから、お母さんも私が何を考えてるかなんて分からないのだ。それなのに、私は他人のせいにしてばかり。
私は自分で自分の首を絞めて、生きにくくしている。自分の平穏を守るために、自分を犠牲にする。そんな生き方を続けていけば、私はきっと、いずれ自分の身を滅ぼすことになるだろう。
私はもっと、他人のことを信じていいのかもしれない。相手はきっとこう思うだろう。そう決めつけるのをやめて、私も少し歩み寄ってみる。上手くいくかもしれないし、いかないかもしれない。でも、それが人間。
私に足りなかったのは、偽りの平穏を手放す勇気だ。
「なんか良いよね、ああいうの」
ふと、丸山さんは元気に公園を走り回っている弟たちを見ながら呟いた。
「自由っていうかさ、何にも囚われていないというか」
大人になるにつれて、私たちはやらなければならないことが増えてくる。勉強、仕事、家事、人間関係、色々なことを気にしながら、生きていかなければならない。そんなことを、無邪気に遊ぶあの子たちはまだ知らない。
頭では言いたいことたくさんあるのに、それをいざ口に出そうとすると、躊躇ってしまう。私だって言い返したい時はあるし、嫌なことは嫌って言いたい。言葉にしないと何も始まらないことは分かっている。だけど、それで綻びが生まれてしまうのなら、最初から何も言わない方が良い。私が我慢すれば済む話だから。そんな自己犠牲的な考え方だったから、私はいつまでも苦しいままなのだ。
だからといって、人はそう簡単には変われない。今すぐ、『何も気にするな』『思ったことははっきりと言っちゃえ』なんて言われても、できはしない。
丸山さんみたいに社交的な方が、この世界ではきっと生きやすい。声の大きな人の意見が採用されて、そういう人たちが生きやすい世の中が形成されていく。私が抱える漠然とした不安の正体は、もしかしたら今後私が生きていかなければならないそういう世の中に対してのものなのかもしれない。
気持ちが悪くて、息苦しい。でも、私のことを少しでも理解してくれる人がいるだけで、私はこの地に立っていられる。少し楽観的になるだけで、険しい道でも歩けるようになる。
少しずつ。私は私が生きやすいように、変わっていけたらいい。
「あの子たちには、ずっとあのままでいて欲しいな」
私はそんな叶わない願いを口にした。
今無邪気に遊んでいる弟たちだって、いずれは大人になるのだから。理不尽な世界で揉まれ、傷つき、汚れていく。
あの頃に戻りたい。そんな言葉を私は呑み込んだ。
「暗くなってきたし、そろそろ帰ろっか。勉強、しないといけないんでしょ?」
彼女は他人事のように言う。
「丸山さんもだよ?」
私はからかうように言い返してみた。
「分かってるよ。時間があったらやる」
「ほんとに?」
「ほんとだって」
私たちは立ち上がった。
日が沈み、夢の中のようだったその景色は、闇が包み込む。
ほんの少しだけ、彼女との距離が近づいた。
私たちは、同じ世界にいるような気がした。


