公園は、保育園のすぐ近くにある。滑り台とブランコしかない小さな公園だが、ちびっ子二人は楽しそうに遊んでいる。
私と丸山さんは、ベンチの端と端に腰を下ろす。
オレンジ色の夕日が公園を包み込んでいるが、私のところだけがちょうど木の陰になっていて薄暗い。横目で私は丸山さんを見る。夕日に照らされた横顔は、まるで私とは違う世界の人間のようだった。
「ねえ、佐藤さん」
急に話しかけられて、私はビクッと体を震わす。
「佐藤さんって、あたしみたいな人、苦手でしょ?」
ドストレートな言葉を、丸山さんは何のためらいもなく言い放った。
「え、えっと……」
私は目を泳がす。ばれてる? そんなにわかりやすかっただろうか? 丸山さん、怒っているのかな? 謝らなければ。けど、謝ってしまえば認めたことになる。
返答に困っていると、丸山さんはプッと吹き出した。
「ごめんごめん、嫌なこと聞いて。でも別に、気を遣ってくれなくて大丈夫だよ」
「え、ええ?」
私は困惑する。
「なんとなく、分かるじゃん? 学校だと、そういう空気が流れているというか。この人は多分あんまりあたしのこと好きじゃなさそうだなとか、この人とは合わないだろうなとか」
丸山さんはそんなことを言い出した。丸山さんも、そういう空気を感じるんだ。私と同じだ。そう思うと、一気に親近感が湧いた。
「嫌だったら嫌って言ってくれた方が、あたしは楽だから。そしたら遠慮なく切り捨てられる。ドロドロした人間関係で悩む時間が面倒なんだ。だからはっきり言って欲しいし、あたしも思ったことすぐに口にしちゃうから、よくトラブルになる」
私は驚いて丸山さんを見つめた。
私には到底理解できない考え方だった。嫌いだって言われたら普通に傷つくし悲しいし、思ったことだって何度も何度も頭の中で考えて、ようやく口に出せる。悩んでいる時間がもったいないからって、そう簡単に切り捨てることはできない。
「何? あたしの顔、なんかついてる?」
不思議そうに彼女は首を傾げる。
「あ、いや、すごいなって思って」
「すごい?」
「私、色んなことをすぐ気にしちゃうからさ。はっきり物事を言うのも苦手で……」
「へえー」
丸山さんはあまり分かってなさそうな返事をした。
「打たれ弱いし、人と話すのも得意じゃないし、毎日『ひとり反省会』をするほどには他人の目が気になるし……」
なんでこんな話を丸山さんにしているのだろう。私のことを話したって、何にも面白くなんてないのに。
しかし、彼女は思ったよりも食いついてきた。
「待って、『ひとり反省会』って何?」
「え、したことないの?」
「ないない。てか、よくわかんないんだけど」
「今日一日を振り返って、あの言動おかしくなかったかな、とか、あの時ああしとけばよかったなとか、色々考えて悶えることだよ」
「え……何? その無駄な時間……」
丸山さんは引いたような目で私を見る。
私は頭を抱えた。そうか、根っからのポジティブ人間は、『ひとり反省会』とは無縁なのか。
「過ぎたことをとやかく考えても、どうしようもないじゃん」
丸山さんは正論を言い放つ。
もちろん、考えたところでどうにもならないことは分かっている。しかし、考えないようにしようとしても、勝手に思い起こされてくるのだ。それはもう、私の人格として形成されてしまっているため、自分ではどうしようもない。
「あたし、馬鹿だから、気にしたところでどうしようもないんだよね。だから、そんな時間があるなら、あたしは他人にどう思われても良いから、好きなことをやっていたい」
丸山さんは空を仰いだ。私もそれにつられて空を見上げる。橙のような紫のような藍色のような、色々な色が入り混じった不思議な空だった。まるで夢の中にいるようだ。
まあ実際、今こうして丸山さんと二人で話しているのも、昨日の私には考えられない夢のような出来事だが。
「うち、ひとり親だからさ。パパが女作って出て行ってね。ママもママで、いい加減だからさ。子どもの面倒も見ずに、色んな男に依存しまくって。ここだけの話、タイガはママの愛人との間にできた子なんだよね。だから、あたしとはパパが違う」
さらっと重い告白をする丸山さんに、私はどういう反応をすれば良いのか分からなかった。タイガくんのお迎えも、きっと毎日のように来ているんだ。だから和樹も丸山さんのことを知っていたのだ。
「家事とかタイガの世話とか、必然的に全部あたしがやらなきゃいけないんだ。そのせいで、放課後遊べないし、部活もできない」
普段の学校での彼女からは、全く想像できない一面だった。いつもクラスの中心にいる丸山さんが、家では家事や弟の世話に追われているなんて。そんなことをほぼ初めて話した私に言っていいのだろうか?
「だからせめて、学校は楽しい場所であって欲しいんだよね。何の不安も感じず、やりたいことが自由にできるようなさ。とにかく、一分一秒が惜しいんだよ。そのために、無駄なことに時間を割きたくないの」
丸山さんは、学校が楽しくてしょうがないのだ。それがよく伝わってくる。
彼女は楽観的に見えるが、心には固い意志があって、それを貫き通している。無駄なものは切り捨てて、複雑な家庭環境がありながらも、自分で自分の楽しみや居場所を見つけ、守っているのだ。
たかが数回の和樹のお迎えを、部活を休みたくないとかテスト勉強をしたいだとかいう自分本位のしょうもない理由で断りたいと言っている私が恥ずかしくなってきた。丸山さんは、いつもこれをやってのけているのに。惨めな気持ちになって、心が沈んでいく。
「どうせ学校のほとんどの人は、今後会うことないんだし。長い人生の中のほんの三年だよ? その人たちにどう思われたって、痛くもかゆくもないよ」
平然と彼女は言う。
大人だな、と思った。彼女は人生を客観的に見ている。
私は丸山さんから目をそらし、下を向いた。
「なんか、丸山さんの考え方って、凄くポジティブだね。すごく、その、羨ましい……」
私には、長い人生の中のほんの三年だなんて思えたことはない。今をどう過ごせるかが、最も重要なのだ。
中学生なんて、一瞬だと大人は言う。だけどそれは、もう終わったことだから言えるのだ。所詮は他人事。今の私にとっては、その三年はとてつもなく長く感じる。
「なんだか、丸山さんに比べると、私の悩みがくだらなく思えてきたよ……」
くだらない。だけど、私にはその悩みが一生つきまとってくる。他人に言えば、そんなことで悩むなんて馬鹿だと言われる。
「まあ別に、人によって耐えれるキャパとか、苦手なこととかって違うじゃん? 比べる必要なんかないよ。別の人にとっては些細なことでも、その人にとって辛いことは辛いし、苦しいことは苦しい」
私はパッと顔をあげた。
『世界にはもっと辛い思いをしている人がいるんだから、それくらい我慢しなさい』
昔、先生にそんなことを言われたことがある。辛いことがあって、泣きながら悩みを打ち明けたときに言われたこの言葉。きっと、私を慰めるために先生は言ったのだろうけど、この言葉はずっと、心に引っかかっていた。
世界中の人と比べたら、そりゃ私の悩みなんてくだらないし、ちっぽけだ。
それじゃあ、私のこの苦しみはどうなるの? この悩みは? この不安は? なかったことにしなければならないの?
誰にも言えないまま、一人で抱え続けてきたこの疑問。
人それぞれ違うのだから、比べる必要なんかない。丸山さんのその言葉が私の胸に響く。私の心を、ほんの少しだけ軽くしてくれた。
「あたしだって、ほんとは嫌だよ。毎日お迎えとか普通に面倒くさいし、掃除とか料理も好きじゃないし」
丸山さんはため息をつく。
「嫌だけど、あたしの場合は生活がかかっているからね。仕方ないんだ。辛くないかって言われたら噓になるけど。でも私は余裕で耐えられるし、なんか充実してる」
そうか。私と丸山さんは、そもそも置かれている境遇が違うのか。世間から見れば、私は恵まれていて、丸山さんは可哀想なのだろう。だけど、丸山さんは強くて、私は弱い。どちらが幸せか?
……いや、丸山さんなら、いちいち比べるようなことはしないはずだ。
私と丸山さんは、ベンチの端と端に腰を下ろす。
オレンジ色の夕日が公園を包み込んでいるが、私のところだけがちょうど木の陰になっていて薄暗い。横目で私は丸山さんを見る。夕日に照らされた横顔は、まるで私とは違う世界の人間のようだった。
「ねえ、佐藤さん」
急に話しかけられて、私はビクッと体を震わす。
「佐藤さんって、あたしみたいな人、苦手でしょ?」
ドストレートな言葉を、丸山さんは何のためらいもなく言い放った。
「え、えっと……」
私は目を泳がす。ばれてる? そんなにわかりやすかっただろうか? 丸山さん、怒っているのかな? 謝らなければ。けど、謝ってしまえば認めたことになる。
返答に困っていると、丸山さんはプッと吹き出した。
「ごめんごめん、嫌なこと聞いて。でも別に、気を遣ってくれなくて大丈夫だよ」
「え、ええ?」
私は困惑する。
「なんとなく、分かるじゃん? 学校だと、そういう空気が流れているというか。この人は多分あんまりあたしのこと好きじゃなさそうだなとか、この人とは合わないだろうなとか」
丸山さんはそんなことを言い出した。丸山さんも、そういう空気を感じるんだ。私と同じだ。そう思うと、一気に親近感が湧いた。
「嫌だったら嫌って言ってくれた方が、あたしは楽だから。そしたら遠慮なく切り捨てられる。ドロドロした人間関係で悩む時間が面倒なんだ。だからはっきり言って欲しいし、あたしも思ったことすぐに口にしちゃうから、よくトラブルになる」
私は驚いて丸山さんを見つめた。
私には到底理解できない考え方だった。嫌いだって言われたら普通に傷つくし悲しいし、思ったことだって何度も何度も頭の中で考えて、ようやく口に出せる。悩んでいる時間がもったいないからって、そう簡単に切り捨てることはできない。
「何? あたしの顔、なんかついてる?」
不思議そうに彼女は首を傾げる。
「あ、いや、すごいなって思って」
「すごい?」
「私、色んなことをすぐ気にしちゃうからさ。はっきり物事を言うのも苦手で……」
「へえー」
丸山さんはあまり分かってなさそうな返事をした。
「打たれ弱いし、人と話すのも得意じゃないし、毎日『ひとり反省会』をするほどには他人の目が気になるし……」
なんでこんな話を丸山さんにしているのだろう。私のことを話したって、何にも面白くなんてないのに。
しかし、彼女は思ったよりも食いついてきた。
「待って、『ひとり反省会』って何?」
「え、したことないの?」
「ないない。てか、よくわかんないんだけど」
「今日一日を振り返って、あの言動おかしくなかったかな、とか、あの時ああしとけばよかったなとか、色々考えて悶えることだよ」
「え……何? その無駄な時間……」
丸山さんは引いたような目で私を見る。
私は頭を抱えた。そうか、根っからのポジティブ人間は、『ひとり反省会』とは無縁なのか。
「過ぎたことをとやかく考えても、どうしようもないじゃん」
丸山さんは正論を言い放つ。
もちろん、考えたところでどうにもならないことは分かっている。しかし、考えないようにしようとしても、勝手に思い起こされてくるのだ。それはもう、私の人格として形成されてしまっているため、自分ではどうしようもない。
「あたし、馬鹿だから、気にしたところでどうしようもないんだよね。だから、そんな時間があるなら、あたしは他人にどう思われても良いから、好きなことをやっていたい」
丸山さんは空を仰いだ。私もそれにつられて空を見上げる。橙のような紫のような藍色のような、色々な色が入り混じった不思議な空だった。まるで夢の中にいるようだ。
まあ実際、今こうして丸山さんと二人で話しているのも、昨日の私には考えられない夢のような出来事だが。
「うち、ひとり親だからさ。パパが女作って出て行ってね。ママもママで、いい加減だからさ。子どもの面倒も見ずに、色んな男に依存しまくって。ここだけの話、タイガはママの愛人との間にできた子なんだよね。だから、あたしとはパパが違う」
さらっと重い告白をする丸山さんに、私はどういう反応をすれば良いのか分からなかった。タイガくんのお迎えも、きっと毎日のように来ているんだ。だから和樹も丸山さんのことを知っていたのだ。
「家事とかタイガの世話とか、必然的に全部あたしがやらなきゃいけないんだ。そのせいで、放課後遊べないし、部活もできない」
普段の学校での彼女からは、全く想像できない一面だった。いつもクラスの中心にいる丸山さんが、家では家事や弟の世話に追われているなんて。そんなことをほぼ初めて話した私に言っていいのだろうか?
「だからせめて、学校は楽しい場所であって欲しいんだよね。何の不安も感じず、やりたいことが自由にできるようなさ。とにかく、一分一秒が惜しいんだよ。そのために、無駄なことに時間を割きたくないの」
丸山さんは、学校が楽しくてしょうがないのだ。それがよく伝わってくる。
彼女は楽観的に見えるが、心には固い意志があって、それを貫き通している。無駄なものは切り捨てて、複雑な家庭環境がありながらも、自分で自分の楽しみや居場所を見つけ、守っているのだ。
たかが数回の和樹のお迎えを、部活を休みたくないとかテスト勉強をしたいだとかいう自分本位のしょうもない理由で断りたいと言っている私が恥ずかしくなってきた。丸山さんは、いつもこれをやってのけているのに。惨めな気持ちになって、心が沈んでいく。
「どうせ学校のほとんどの人は、今後会うことないんだし。長い人生の中のほんの三年だよ? その人たちにどう思われたって、痛くもかゆくもないよ」
平然と彼女は言う。
大人だな、と思った。彼女は人生を客観的に見ている。
私は丸山さんから目をそらし、下を向いた。
「なんか、丸山さんの考え方って、凄くポジティブだね。すごく、その、羨ましい……」
私には、長い人生の中のほんの三年だなんて思えたことはない。今をどう過ごせるかが、最も重要なのだ。
中学生なんて、一瞬だと大人は言う。だけどそれは、もう終わったことだから言えるのだ。所詮は他人事。今の私にとっては、その三年はとてつもなく長く感じる。
「なんだか、丸山さんに比べると、私の悩みがくだらなく思えてきたよ……」
くだらない。だけど、私にはその悩みが一生つきまとってくる。他人に言えば、そんなことで悩むなんて馬鹿だと言われる。
「まあ別に、人によって耐えれるキャパとか、苦手なこととかって違うじゃん? 比べる必要なんかないよ。別の人にとっては些細なことでも、その人にとって辛いことは辛いし、苦しいことは苦しい」
私はパッと顔をあげた。
『世界にはもっと辛い思いをしている人がいるんだから、それくらい我慢しなさい』
昔、先生にそんなことを言われたことがある。辛いことがあって、泣きながら悩みを打ち明けたときに言われたこの言葉。きっと、私を慰めるために先生は言ったのだろうけど、この言葉はずっと、心に引っかかっていた。
世界中の人と比べたら、そりゃ私の悩みなんてくだらないし、ちっぽけだ。
それじゃあ、私のこの苦しみはどうなるの? この悩みは? この不安は? なかったことにしなければならないの?
誰にも言えないまま、一人で抱え続けてきたこの疑問。
人それぞれ違うのだから、比べる必要なんかない。丸山さんのその言葉が私の胸に響く。私の心を、ほんの少しだけ軽くしてくれた。
「あたしだって、ほんとは嫌だよ。毎日お迎えとか普通に面倒くさいし、掃除とか料理も好きじゃないし」
丸山さんはため息をつく。
「嫌だけど、あたしの場合は生活がかかっているからね。仕方ないんだ。辛くないかって言われたら噓になるけど。でも私は余裕で耐えられるし、なんか充実してる」
そうか。私と丸山さんは、そもそも置かれている境遇が違うのか。世間から見れば、私は恵まれていて、丸山さんは可哀想なのだろう。だけど、丸山さんは強くて、私は弱い。どちらが幸せか?
……いや、丸山さんなら、いちいち比べるようなことはしないはずだ。


