マジックアワー

 私は別に、学校でいじめられているわけではないし、家庭環境だって恵まれている方だと思う。友達だっているし、部活にも入っている。そこそこ充実しているはずだ。
 だけど、なんだろう。漠然とした不安が常に心の中にある。それが何に対しての不安なのかが、自分でも分からないから、気持ちが悪い。でも、ふいに息苦しくなるのだ。

 
***

 
 夜、湯船の中で、私は『ひとり反省会』をする。やりたくてやっているわけではない。今日起こった出来事が、勝手に蘇ってくるのだ。
 今日の反省。
 授業中、班での話し合いの時。自分から色々言えるタイプではないので、必然的に順番は私が最後。みんなの意見を聞くにつれて自分の意見に自信が無くなっていき、咄嗟に考えてたのとは違うことを口走ってしまった。発言した瞬間、若干空気がおかしくなった。多分、的はずれなことを言ってしまったのだろう。
 今のやめておけばよかった。穴があったら入りたい。絶対空気読めないやつって思われた。 
 英語の授業で当てられた時、簡単な問題で間違えてしまったのだって、恥ずかしさと惨めさで頭がいっぱいになって半泣きになった。
 他にも、友達のメッセージの返信に、『!』がついてないくて、全く心当たりは無いけれど、怒らせてしまったのではないかと心配している。
 とにかく、私は異常なくらいに人の目が気になるし、勝手に人の心をマイナスの方向に想像しては落ち込むのだ。
 よく言えば繊細。悪く言えば自意識過剰。

「あー、家にいるのに帰りたいよ」

 どこか、心の落ち着ける場所へ帰りたい。何も考えなくていい世界へ行きたい。
 私はかぶりを振った。髪に残った水が飛び散る。
 どうしようもないことを考えても仕方がない。さっさと出よう。
 私は勢いよくお風呂を上がり、パジャマを着て、洗面所で髪を乾かした。

 気にしすぎであることは分かっている。大して人は私のことなど見ていないし、なんとも思っていない。でも、些細なことで色々考えてしまう。
 あの時ああしていれば。
 どうしてこうしなかったのか。
 こう思われてるんじゃないか。
 妄想は全部悪い方向へと加速し、気が滅入る。
 本当に嫌になる。毎日毎日、そういう思考がまとわりついて、厄介だ。

 リビングに行くと、皿洗いをしているお母さんが話しかけてきた。

「ねえ、アカリ。明日、部活休みよね?」
「うん、そうだけど」

 明日でちょうど、期末テスト一週間前。だから、部活は停止期間に入る。
 私は吹奏楽部に入っていて、クラリネットを担当している。中学の頃から吹奏楽部で、高校でも続けている。最初に比べたらだいぶ上達したが、周りは上手い人たちばかりで、もっと頑張らなきゃと思う。

「お母さん、明日仕事の会議になっちゃってさ。カズキの保育園のお迎え、代わりに行ってくれない?」
「えー、私が?」
「お願い。どうしても間に合わないのよ。お父さんも明日は飲み会だから遅いの」
「テスト一週間前だよ?」

 私は反論する。
 
「だから何よ。どうせ夜にならないと勉強始めないんでしょ? 少しは協力してくれても良いじゃない」

 二年生になって初めての期末テストだ。最後の一週間くらいは、帰ったらすぐに勉強を始めようとやる気になっていたのに。そういう決めつけをされたことで、モチベーションが下がっていく。
 仕事はお母さんの都合で、私には関係のないことだ。下の子のお迎えがあるのでって、断ればいいのに。
 職場だって、お母さんが子持ちであることくらい分かっているのだから、もっと早い時間に会議するとか、抜けてもいいようにするとか、配慮をしてくれたらいいのに。そんな風に考えてしまうのは、まだ私が働いたことのない子どもだから?

 これまでだって、私は何度もカズキのお迎えを引き受けてきた。時には部活を休んでまでお迎えに行った。お母さんは、私の都合なんて考えない。ちょっと部活を休むくらい、別になんてことないじゃない、みたいに思っている。
 一日練習しないだけで、三日戻る。周りのみんなに置いて行かれる。たかが一日、でも、一日で私を取り巻く世界は十分に変わる。

 カズキはまだ六歳で、保育園に行っている。年が離れているため喧嘩はしないし、素直に可愛いと思う。ただし、良好な関係を保てているのは、私のおかげだとも自負している。
 カズキにいたずらをされても、私は怒らない。ちゃんと怒りを沈めて、大人な対応をしている。お母さんはそれが当たり前だと思っているようだけど、やはり納得がいかないこともある。

『お姉ちゃんなんだから、それくらい我慢しなさい』

 私が不満を漏らせば、そんな言葉ばかり。もう聞き飽きた。でも、私が我慢すれば収まることだし、大人げないことをするつもりもない。高校生が幼稚園児と張り合うのもなんだか惨めだし。でも、せめて私のこの努力を、ちょっとくらい褒めてくれてもいいのではないかと思う。

「ね? お願いよ、お姉ちゃんでしょ」
「でも……」

 都合の良い時だけお姉ちゃん。いつもは子ども扱いしてくるくせに。
 嫌だって言いたい。だけど、断ったらお母さんはため息をつく。頼まれて断ったときの、私が悪いわけではないのに残る罪悪感が嫌いだ。私が断ることで、お母さんも私もいい思いはしない。
 結局私は、不満を口にすることもできずに了承した。それで丸く収まるのなら、私は本音を殻に包んだままにする。自分でも、その意思の弱さにうんざりする。

「じゃあ、明日頼むわよ」
「うん……分かった」

 私は渋々返事をして、自分の部屋に行った。なんだか悔しくて、泣きそうになった。