私は、損は絶対したくない性分である。
別におじいちゃんの教えを金科玉条としているわけではない。私はおじいちゃんほど極端じゃないし(十分極端だよ、と由希には言われるが)、ただ目の前の問題を計算式に当てはめ、頭の中のそろばんが勝手に解を導き出してくれているに過ぎない。だから私のこれは、『性分』としか言いようがない。
この価値基準は金銭面に限らない。人間関係だって同じだ。
誰しも身体は一つしかない。人生の時間も、脳のリソースも有限である。ならば付き合う相手にも損得勘定を持ち出すのは至極当然のことだろう。
例えば同じクラスの友人、保奈実はクラスの軋轢や悩み事に妙に詳しい。文化祭や修学旅行の円滑なグループ決めなどの際には非常に頼りになる存在だ。
また、隣のクラスの千香は几帳面で、板書を一字一句漏らさず写している。風邪をひいてしまったときなどは私もお世話になったことがある。
もちろん、私とて無償で人から施しを受けているわけではない。というか、私はどちらかというと人から頼られるタイプだ。
人は私を『査定屋』と称する。『最高裁』、あるいは『歩く電卓』と呼ばれることもある。
多分、ディスられているわけじゃない。単純に揉め事が起きたときや相談事があるときなどは、何故だか真っ先に私に話がやって来るのだ。
あまり他者の問題処理にリソースを割きたくないところではあるが、私はそもそも問題を解くという行為そのものに楽しみを覚えてしまうらしく、よほどのことがない限り無碍にしたことはない。
ともかく、人には向き不向きがある。
相手の得意不得意を把握し、互いに無理のない付き合いを続ける。それが、友人関係を長続きさせるコツではないだろうか。
そういう意味では、由希はちょっと特殊かもしれない。
彼女には何が向いているかと言われると、即答できない。勉強の相談相手にはならないし、遊びに付き合えば予定外の出費を強いられる。時間管理も大ざっぱなので、由希と遊ぶ際の計算式には『遅刻』という定数を忘れてはいけない。
まあ、保育園からの腐れ縁なのだ。由希の突飛な行動を再計算するのにもすっかり慣れてしまったし、長期的な観測対象としてはある意味優秀じゃないだろうか。
と、由希に関してだけは格別に寛容な私でも、さすがに閉口してしまう出来事があった。
休日、由希と麻辣湯を食べながら今後の進路について話し合っていたときのことである。近々、学校に進路希望調査票を提出することになっていたのだ。
「高校を卒業したら、お花屋さんになろうかなと思って」
その麻辣湯のお店は由希が前々から行ってみたいと言っていた流行りの店で、私はクーポンが使えるもっと割安なお店にしようと提案したのだが彼女が頑として譲らず……という話は一旦置いといて。
「だ、大学に進学しないと言うのか……?」
「いや、そんな新種の都市伝説を聞かされた人みたいな反応されても」
そして由希は両手を握り合わせ、瞳をキラキラさせた。
「こないだね、素敵な漫画を読んだんだ。聞いてくれる?」
漫画。
嫌な予感しかしない。
私は箸を置き、麻辣湯の辛みを抑えるべく一度水を飲み下し、それから諫めるような視線を由希に突き刺してみるのだが、そんなものがこの夢見心地の妖精に通じるはずもなく、彼女は勝手に語りはじめた。
「その漫画、お花屋さんで働く女の子が主人公なの。あるとき、近所に住むイケメンリーマンがお花を買いに来店するんだけどね、物腰も柔らかくて雰囲気もいい人なんだけど、どこか影がある人なんだ。実はこのリーマン、新婚の奥さんを亡くしたばかりで、それでお花を買いに来ていたの。しかも、それから何度も来店してきて、その度に彼の影は暗くなっていく。事情を聞くと、どうやら彼の周りで次々と人が亡くなっていくらしいの。やがて主人公もイケメンリーマンを取り巻く数々の事件に巻き込まれていって、しかもこの一連の事件、花がキーワードになっていてね──」
私は眼鏡拭きで念入りに眼鏡を拭きながら聞いていた。
このモードになった由希は、私がどう口を挟もうが話を止めようとしない。眼鏡がピカピカになってやることがなくなると、私は由希の手もとの麻辣湯の湯気が消滅していく様を眺めた。
「で、ここでなんとイケオジ刑事に告白されて、リーマンと逃亡犯と義理のお兄ちゃんを合わせると今のところ五角関係ってわけ。複雑過ぎるよね。そんなとき、主人公の家のポストにラベンダー柄のポストカードが届いて……ってところまでが最新刊の内容。どう? これ、めっちゃエモいし素敵じゃない?」
話が終わったことに気づくのに少し時間がかかった。
「……で?」
「で、わたしもお花屋さんになりたいなあって」
私は眼鏡を外して目頭を揉み、また掛け直した。さっきから外したり掛けたりで忙しい。
「大学卒業してからじゃ駄目なの?」
「えー、だってやりたいことが見つかったんだもん」
「えっとその、連続殺人事件の捜査みたいなことを?」
「じゃなくて、お花屋さん! 事件周りのことはあくまでフィクションだから!」
ため息を堪えて冷静にそろばんを弾く。
「お花屋さんって、朝早いし、手も荒れやすいって聞くよ。お給料も多分そんなに高くないし」
「知ってるよ」
「知ってるの?」
「うん。最近、近所のお花屋さんに通って色々お話聞いてるもん」
この行動力である。きっかけは相当浅いが、本気度はそう低くもないのだろうか。
とはいえ、いくら計算式を組み直しても、由希の進路選択が最適解だとは私には思えなかった。
由希はこう見えて勉強ができない方ではない。もっと言うと自主学習というものはほとんどせず、地頭だけで解いてしまうタイプだ。こんなにアホっぽい感じなのに、全く信じがたいことではあるが。
私は由希の将来のため、全力で説得を試みた。
由希の学力なら大学進学は十分可能だし、花屋になるのは卒業後でも遅くない。わざわざ選択肢を狭めるのは愚の骨頂だ。そもそも、その漫画に影響を受けたからという理由なら、例えばお前は海賊漫画にハマっていたら海賊王を目指していたのか、と言ってみると「海賊なんていう職業は現代日本にはないよ」と至極真っ当な正論が返ってきた。
私の説得の間に由希は冷めた麻辣湯を食べ尽くしていた。
「だって、やりたいと思うものを書くのが進路希望調査でしょ?」
超然と小首を傾げながら宣う天然妖精を前に、私は呆れ果てしばらく閉口してしまったのだった。
別におじいちゃんの教えを金科玉条としているわけではない。私はおじいちゃんほど極端じゃないし(十分極端だよ、と由希には言われるが)、ただ目の前の問題を計算式に当てはめ、頭の中のそろばんが勝手に解を導き出してくれているに過ぎない。だから私のこれは、『性分』としか言いようがない。
この価値基準は金銭面に限らない。人間関係だって同じだ。
誰しも身体は一つしかない。人生の時間も、脳のリソースも有限である。ならば付き合う相手にも損得勘定を持ち出すのは至極当然のことだろう。
例えば同じクラスの友人、保奈実はクラスの軋轢や悩み事に妙に詳しい。文化祭や修学旅行の円滑なグループ決めなどの際には非常に頼りになる存在だ。
また、隣のクラスの千香は几帳面で、板書を一字一句漏らさず写している。風邪をひいてしまったときなどは私もお世話になったことがある。
もちろん、私とて無償で人から施しを受けているわけではない。というか、私はどちらかというと人から頼られるタイプだ。
人は私を『査定屋』と称する。『最高裁』、あるいは『歩く電卓』と呼ばれることもある。
多分、ディスられているわけじゃない。単純に揉め事が起きたときや相談事があるときなどは、何故だか真っ先に私に話がやって来るのだ。
あまり他者の問題処理にリソースを割きたくないところではあるが、私はそもそも問題を解くという行為そのものに楽しみを覚えてしまうらしく、よほどのことがない限り無碍にしたことはない。
ともかく、人には向き不向きがある。
相手の得意不得意を把握し、互いに無理のない付き合いを続ける。それが、友人関係を長続きさせるコツではないだろうか。
そういう意味では、由希はちょっと特殊かもしれない。
彼女には何が向いているかと言われると、即答できない。勉強の相談相手にはならないし、遊びに付き合えば予定外の出費を強いられる。時間管理も大ざっぱなので、由希と遊ぶ際の計算式には『遅刻』という定数を忘れてはいけない。
まあ、保育園からの腐れ縁なのだ。由希の突飛な行動を再計算するのにもすっかり慣れてしまったし、長期的な観測対象としてはある意味優秀じゃないだろうか。
と、由希に関してだけは格別に寛容な私でも、さすがに閉口してしまう出来事があった。
休日、由希と麻辣湯を食べながら今後の進路について話し合っていたときのことである。近々、学校に進路希望調査票を提出することになっていたのだ。
「高校を卒業したら、お花屋さんになろうかなと思って」
その麻辣湯のお店は由希が前々から行ってみたいと言っていた流行りの店で、私はクーポンが使えるもっと割安なお店にしようと提案したのだが彼女が頑として譲らず……という話は一旦置いといて。
「だ、大学に進学しないと言うのか……?」
「いや、そんな新種の都市伝説を聞かされた人みたいな反応されても」
そして由希は両手を握り合わせ、瞳をキラキラさせた。
「こないだね、素敵な漫画を読んだんだ。聞いてくれる?」
漫画。
嫌な予感しかしない。
私は箸を置き、麻辣湯の辛みを抑えるべく一度水を飲み下し、それから諫めるような視線を由希に突き刺してみるのだが、そんなものがこの夢見心地の妖精に通じるはずもなく、彼女は勝手に語りはじめた。
「その漫画、お花屋さんで働く女の子が主人公なの。あるとき、近所に住むイケメンリーマンがお花を買いに来店するんだけどね、物腰も柔らかくて雰囲気もいい人なんだけど、どこか影がある人なんだ。実はこのリーマン、新婚の奥さんを亡くしたばかりで、それでお花を買いに来ていたの。しかも、それから何度も来店してきて、その度に彼の影は暗くなっていく。事情を聞くと、どうやら彼の周りで次々と人が亡くなっていくらしいの。やがて主人公もイケメンリーマンを取り巻く数々の事件に巻き込まれていって、しかもこの一連の事件、花がキーワードになっていてね──」
私は眼鏡拭きで念入りに眼鏡を拭きながら聞いていた。
このモードになった由希は、私がどう口を挟もうが話を止めようとしない。眼鏡がピカピカになってやることがなくなると、私は由希の手もとの麻辣湯の湯気が消滅していく様を眺めた。
「で、ここでなんとイケオジ刑事に告白されて、リーマンと逃亡犯と義理のお兄ちゃんを合わせると今のところ五角関係ってわけ。複雑過ぎるよね。そんなとき、主人公の家のポストにラベンダー柄のポストカードが届いて……ってところまでが最新刊の内容。どう? これ、めっちゃエモいし素敵じゃない?」
話が終わったことに気づくのに少し時間がかかった。
「……で?」
「で、わたしもお花屋さんになりたいなあって」
私は眼鏡を外して目頭を揉み、また掛け直した。さっきから外したり掛けたりで忙しい。
「大学卒業してからじゃ駄目なの?」
「えー、だってやりたいことが見つかったんだもん」
「えっとその、連続殺人事件の捜査みたいなことを?」
「じゃなくて、お花屋さん! 事件周りのことはあくまでフィクションだから!」
ため息を堪えて冷静にそろばんを弾く。
「お花屋さんって、朝早いし、手も荒れやすいって聞くよ。お給料も多分そんなに高くないし」
「知ってるよ」
「知ってるの?」
「うん。最近、近所のお花屋さんに通って色々お話聞いてるもん」
この行動力である。きっかけは相当浅いが、本気度はそう低くもないのだろうか。
とはいえ、いくら計算式を組み直しても、由希の進路選択が最適解だとは私には思えなかった。
由希はこう見えて勉強ができない方ではない。もっと言うと自主学習というものはほとんどせず、地頭だけで解いてしまうタイプだ。こんなにアホっぽい感じなのに、全く信じがたいことではあるが。
私は由希の将来のため、全力で説得を試みた。
由希の学力なら大学進学は十分可能だし、花屋になるのは卒業後でも遅くない。わざわざ選択肢を狭めるのは愚の骨頂だ。そもそも、その漫画に影響を受けたからという理由なら、例えばお前は海賊漫画にハマっていたら海賊王を目指していたのか、と言ってみると「海賊なんていう職業は現代日本にはないよ」と至極真っ当な正論が返ってきた。
私の説得の間に由希は冷めた麻辣湯を食べ尽くしていた。
「だって、やりたいと思うものを書くのが進路希望調査でしょ?」
超然と小首を傾げながら宣う天然妖精を前に、私は呆れ果てしばらく閉口してしまったのだった。
