ハイライトとアイシャドウ

 昼休みに空き教室へ行くのを止めた。百花に「そろそろ教室で食べようと思う」と相談をしたらあっさり受け入れられ、翌日からグループへ戻った。
 空き教室で雑談を楽しんでいる間に、昼食を共にするメンバーが増えたらしい。教室の容量の半分を占拠する集団に進化していた。全員が座れるように机をくっつけると、長方形の大きなテーブルが完成する。北欧の貴族が集まって食事会を催しているみたいだ。
 百花の席は黒板側の上座。その隣には絵にかいたような美人が座っている。名前はわからない。しかしどこかで見たことがあるような気がする。赤のラインが入った上履きを履いているから三年生のようだ。
 私は教室の隅、掃除用具入れのすぐ近く。出戻りにふさわしい席だと思った。
 賑やかな昼食に五感を慣らすために笑顔を作る。当分の間ここが昼休みの居場所になる。同じ時間を何度も共有すれば、この状態が当たり前になるはずだ。
 新品のジーンズが色褪せて馴染むように、私も華やかな色を自分のものにすればいい。これは生存戦略の一つだ。足並みを揃えて行動するだけで、無難な女子高生になれる。人間関係に悩まなくてすむ。
 空になった弁当箱に蓋をする。教室の壁掛け時計は、昼休みの終了八分前を知らせている。五分前には机を戻して次の授業の用意を始めるから、おしゃべりに残された時間はあと三分だ。
 壁掛け時計から手元へ視線を移動させる途中、百花と目が合った。百花は唇を細く伸ばして笑った。
「ねえ、ハイライトいつ買うのー?」
 人魚姫の歌声のような、聞いた者を惹きつける声だった。
 昨日配信された話題のドラマ、先日の抜き打ち小テストの愚痴、恋の悩み。あらゆる話題が道を開けるかのようにさーっと身を引き、静まり返る。
 私と百花は仲良しだ。私は百花がテストで八十点以上取ると臨時収入がもらえることを知っているし、百花は私が毎月何日にお小遣いをもらうか知っている。だから「まだ買っていない」の言い訳は通用しない。
「鼻が高く見えるメイクしようよ。心配なら私がやってあげる。上手にできる自信あるよ」
 長机に着席するメンバーが口々に事情をたずねる。噂話を収集したい子、なんとなくその場のノリで身を乗り出す生徒。百花は懇切丁寧に私の鼻がもう少し高ければ美人度が格段にアップすると力説した。
「で、ハイライトはどうするの?」
「……えっと」
「買うよ」って言えばいい。なのに大壱の顔が思い浮び、一言が出ない。
 大壱が羨ましい。私は大壱になりたかった。
 しがらみなく好きな場所で昼食を摂り、単独行動はへっちゃら。顔が広く友達が多いから孤独ではない。
 大壱はつかず離れずの距離で人と付き合うのが上手い。離れてしまったものには執着しないだろうし、必要であれば見知らぬ人と新しい縁をゆるく結ぶ。昔からの知り合いみたいに、私へ声をかけたように。
 憧れているが、友達の反応が気になる私には難しい。生まれ持った性質のようなものが根本的に違うのだ。
 私は私なりに努力して、自分の意思を守れるポジションを得たい。だからこっそりアイシャドウを買い、ハイライトの購入は断っていた。
 けれど大壱には整形を勧められてしまった。
 ハイライトを買っても買わなくても、もう意味がないのかもしれない。
「……ハイライトは悩んでいて。整形はどうかなって」
 思考がまとまらない。何気なくこぼれた一言は、水溜まりに落ちた滴のように波紋を広げた。
「整形するの!?」
 百花が机に両手をついて立ち上がる。ほかの子達も次々に口を開いた。
「えー! すご! 思いきったねー!」
「どこの美容クリニック?」
「どんな感じなのか後で教えてね!」
 教室の空気が全て私に集まってきたようだった。このままでは好奇心に圧迫されて窒息する。私はあわてて片手をあおいだ。
「いや、考えてるだけ」
 楽しみにしていたライブが突然中止を発表されたかのように、みんな席に座り直す。口々に「なんだー」「期待したのに」「はぁー」などと不満をもらす。
 百花の隣で腕を組んでいる上級生が「ねぇ」と手招きするような声を上げた。ドラマの再放送を見ながらスナック菓子を片手に暇潰しをしているような目をしていた。
「整形を考えてるって言うけどさ、親に相談した? 未成年だから親の同意が必要だと思うよ」
「いやまだ……です。考えている最中なので」
「お金けっこうかかるよね。親に相談してないならどうすんの? お年玉貯金とかお小遣いを貯める程度じゃまかなえないと思うけど。アルバイトとかで自分で貯めてるなら別だけどさ」
「三城(みき)先輩、ちょっと落ち着いて。熱くなりすぎですよ」
「百花は黙って」
 注意されて、百花は尾を垂らした子犬のように大人しくなる。
「で?」
「そういうのもまだちょっと」
「ダウン中とかどうすんの? 学校来れないんじゃない?」
「ダ、ダウン?」
 三城は足を組み替えるとわざとらしく大きなため息を吐いた。
「整形する気ないのにするって言うなよ。いやになる」
 昼休みの残り時間の三分はとっくに過ぎていた。カップラーメンの蓋を開けると、麺が汁を吸ってふやけていそうだ。食べてもおいしくない。味がぼやけている。私の覚悟みたいに。
 百花は努めて明るく場を仕切る。
「まあまあそう言わずに。整形いいじゃん! 私はしずくを応援してるからね! とりあえずもうすぐ授業だから机直そーよ」
 教室にはランチグループの解散を待つ生徒が何事かと様子をうかがっている。その中に大壱の姿があった。
 メンバーの一人が机を直し、大壱に話しかけている。そういえば空き教室で昼食を食べるようになったのは、ほかの生徒が席を使っているからだと言っていた。私達だったのか。
 授業内容が頭に入らないまま放課後を迎えた。百花は先輩と一緒に帰ると言う。
 一人での下校は久しぶりだ。気楽なのに嬉しくない。気分転換に澄み渡る海を眺めに行ったのに、すっきりしない感じに似ている。疲れた。爽やかなマリンブルーではなく、光の届かない深海へ潜って眠ってしまいたい。
 電車に乗ってスマホを開く。イヤホンをつけて音楽や動画を流せば無知でいられる。世間知らずな女子高生を装いながら揺られていればいいのに、私はそうしなかった。だって三城にああいう態度で言われたら気になる。
 美容クリニックを検索する。上位に出てきた検索結果をタップすると、きらびやかなホームページが表示された。
 鼻、鼻、鼻。脳内で呪文のように唱えながら探す。あった。
「これが、鼻を高くする方法……」
 シリコンを入れたり、耳の軟骨を移植したりするらしい。切開とある。つまりは手術だ。生まれてこの方、ありがたいことに大病を患ったことはない。丁寧に記された手術方法に何度も目を通すが、イメージするのは難しかった。
 鼻にメスを入れるのはこわい。痛そうだ。けれど、成功すれば半永久的に鼻の高さが維持できるらしい。金額は数十万円かかる。
 美容整形は自由診療だから費用は十割負担。三城の言うとおり、遊び盛りの高校生には厳しい金額が表示されている。
「でも……切らない方法もあるんだ」
 肌の内側に糸を入れる施術や、ヒアルロン酸を注射する選択肢がある。効果は永久ではなく、鼻の高さの維持やメンテナンスのために継続した通院が求められる。一回の金額は手術ほどではないけれど、積み重なると結構な出費になるかもしれない。
「施術後には痛みや腫れ、内出血などが出ることがあるんだ。症状から回復するまでの期間をダウンタイムと呼ぶ……あっ」
 ダウン中、というのはダウンタイムのことだ。三城は施術後の体調不良や表情の変化を気にして、通学は難しいのではないかと質問してきたのか。
「けっこう鼻に負担がかかるんだな。それにお金も」
 知らなかった。知らないことばかりだ。
 電車の壁にもたれかかる。整形なんて何気なく口にするんじゃなかった。容姿にコンプレックスがあって本気で悩んでいる人に失礼だ。
「……先輩、いやだったろうな」
 鼻の奥がじわじわと熱を帯びる。明日、みんなと普段通りに明るく過ごせるだろうか。百花はきっといつもと変わらないと思う。ほかの子は私の発言をどう捉えているのかわからない。
 それに昼休みになったら三城が来る。
 こんな気持ちで一緒に食事はできる? 
「昨日はすみませんでした」って謝って、何食わぬ顔で席に着いてお弁当を広げられる?
 むりだ。できない。
 ほとぼりが冷めるまで、また昼ご飯を食べる場所を探さなきゃ。
「なにやってるんだろう、私……」
 電車を降りた。足は自然と改札を目指して歩き始める。
 相手の顔色をうかがっては逃げてばかり。このままではいけないが、グループを抜けたら状況は悪くなる。がまんするしかない。
 事務的に足を動かしていると、名前を呼ばれた。
「小嶋さん!」
 風に青葉を揺らす大樹のような、涼やかだけれどしっかりとした声。
 大壱だった。