「はぁーっ。今日も疲れた。しずく、帰ろ」
百花からの誘いに頷く。私は大壱ではないから、友情を維持したまま無断で別行動をする度胸はない。首を横に振ればグループから追い出される。輪から外れた後に、誰と学校生活を送るのかイメージできないのが、なによりこわかった。
そうするのが当たり前かのように百花と電車に乗る。やがてトンネルに入った。窓には車内の人影が反射している。イヤホンで耳を塞ぐ男性、難しい顔をしたサラリーマン、ロングネイルのストレートヘア。みんなスマホを見ている。
先生の言葉をふと思い出す。
スマホばかり見ていると肝心な物事を見落とすから使用しすぎないように、だっけ。私はそう思わない。肝心な物事とやらを知るのは幸せだとは限らないから。
画面を眺めるのは耳を塞ぐのと同じだ。知りたくもない現実を見なくてすむ。
スカートのポケットからスマホを出す。
それだけのことができずに、今日も両手は気だるい空気をつかむ。
腕のあたりをちょんとつつかれる。百花の磨かれた爪が「私の話を聞いて」とアピールしている。小鳥のくちばしみたいだ。触れられると、ちくりと痛む。
「三人組の男子の隣にいる人。先輩かな? スカート短すぎ。うちの学校の制服って可愛いって人気なのに、あの着こなしはないよね」
膝が隠れるくらいの長さで、短いとは言えない。すらりと伸びるほどよい肉付きのある両足、糸で吊るされているかのようにしゃんと伸びた背筋。きっと美人だ。
「そうなんだ」
「あと、その奥にいる三つ編み。野暮ったいよね」
「そっか。わからなかった」
「ちゃんと見なって。少し早起きして、ハーフアップやお団子にすればマシになるのに」
「……三つ編みじゃなくてフィッシュボーンだよ。じゅうぶんおしゃれだと思う」
口に出した言葉がしゅるしゅるとしぼんで、電車の扉の隙間から抜けていく。
「なに?」
「なんでもないよ」
百花は視界に入る制服を品定めしていく。SNSの投稿についたコメントに返信するような気軽さで次から次へと。わたしは水飲み鳥のようにひたすら頷く。
そういえば百花は英語の授業で当てられて解答を間違えている。虫の居所が悪いのかもしれない。
同じ学校の制服を着た生徒がちらりとこちらを見た。
まずい。私は百花のブレザーのすそを引き、目配せをする。着こなしチェックを続けたいようだったが、百花は口を閉じた。
もうすぐ降車駅だ。今日は寄り道はなさそう。もう少しのがまんだ。
百花は唇を尖らせていたが、なにかを思い出したかのように「そうだ」とつぶやいた。
「買ったの? ハイライト」
買ってない。欲しかったアイシャドウをこっそり購入した、とは言えない。
怪しまれないように、私は間髪入れずに答える。
「今月はお小遣いが厳しくて。一昨日、みんなでカラオケ行ったでしょ」
「割り勘にしたじゃん」
「ほかにも欲しいものがあったから。新しいスニーカーも買ったし」
「えー、残念。使ったところ見たいのに」
桃色の頬をわずかに膨らませる。素直に可愛いなと思う。澄ましていると大人びて見えるのに、しゃべり出すところころ表情が変わる。目を惹くのは笑顔だ。陽光を受けてきらめく花のような愛らしさがある。
百花には笑って欲しい。でもハイライトは買わない。私も笑顔でいたいから。
きっと鼻の高さを指摘されるのはいまのうちだけだ。そのうち気にしなくなる。
女子高生の話題は子どものおもちゃ箱に似ている。新しい商品が出たら欲しくなり、手に入れば今まで遊んでいたものには目もくれない。友達の噂話、SNSのバズりネタ、新作のお菓子やアプリ。流行っては廃れて忘れられていく。
けれど例外もある。おもちゃがお気に入りになってしまったときだ。大切にしてもらえるのならともかく、執着されてボロボロにされてしまうのはつらい。
残念ながら、私の鼻は忘れられることなく話題にされ続けた。
撮影した写真は当然のようにアプリで加工。鼻が高く見えるメイク術やマッサージを伝授され、百花の推しのインフルエンサーやアイドルの顔がいかに整っているか、鼻筋が素晴らしいのかを熱弁された。
朝のホームルーム前、休み時間、授業の合間の移動時間。ここぞとばかり百花は鼻を気にかけてくる。
相槌と作り笑いで逃げ回り、ようやく昼休みを迎えた。空き教室は避難場所みたいだ。
「はあーっ……」
手鏡を内側に向けると、毎日見る顔が遠慮がちに映る。頬は白く、眼の下に薄紫色のクマがある。しっかり眠っているはずなのに疲れが取れない。
「悩みごと? おれでよかったら聞くよ」
「ありがと。でも迷惑かけるといけないから」
「そう言わずに。最近顔色悪いし、気になってたんだよ」
昼食を食べるだけの仲なのに、体調の変化に気づいてくれた。大壱の優しさは闇の中を照らす光だ。心細さを温めてくれる、優しい光。一人ぼっちで見知らぬ道に迷い込んだときに見つけた街灯みたい。
ずっと誰かに相談したいと思っていた。しかし同じグループでは話せない。人の口に戸は立てられぬ。万が一、本人の耳に入ったら大変なことになる。
大壱はどうだろう。昼休みに私と会っているのを口外していないらしく、情報通の百花からなにも言われない。相談しても黙っていてくれそうだ。
「豊山くん、あのね……」
私は悩みを打ち明けた。百花の身だしなみチェックがしんどい、最近は鼻の高さを指摘されて困っている。
そう。困っている。私はずっと困っているんだ。
すべて話し終えると少しだけ体が軽くなった。運び続けていた荷物をようやく下せたような気分だ。
「ピノキオみたいに鼻が伸びればいいのに。それか手品でハトを出すように、一瞬だけ鼻を伸ばせたら楽なのにね。生まれ持ったものだから変えられない。難しいね」
大壱は左肩を前に出し、体を斜めにして座っている。床の木目を辿りながら答えを探しているようにも見えた。
「小嶋さんは鼻を高くしたいの?」
「うーん。そういうことになるのかな? モデルみたいにしゅっとした鼻になれば、百花ちゃんからいろいろ言われなくなると思う。でもそれで本当にいいのかって言われたら、違うような気もするんだけどね」
百花に認められたらグループのメンバーから一目置かれる。足が遠のいている昼休みの集まりにも入りやすくなるはずだ。百花が私の鼻の高さに興味を示せば、身だしなみチェックを止める可能性もある。
鼻が高くなれば困りごとが解決するかもしれない。けれどそれが望みかと問われるとそうでもないような気がする。いったい私はどうしたいのだろう。
「なら整形はどう?」
「えっ」
「整形だよ」
「整形……」
饒舌に悩みごとを吐き出していた唇が震える。
鼻に触れた。幼い頃から当たり前のようにある私の鼻。百花に指摘されるまで特に不満のなかった呼吸するための器官。ここに人の手を入れて形を変えるの?
大壱と私の間にある、机二列分の距離。遠いと感じたことはなかった。なんでもない世間話が私達を結びつけて、これからもっと仲良くなる。そんな気さえした。
いまは大壱が見知らぬ人のようだ。友達と会話をする中で、互いの解釈のずれから相手の返事に違和感を覚えるときがあるが、それだった。
いままで会話のテンポや話題で温度差を感じることはなかったのに、よりによってこのタイミングだなんて。
私はランチバックを手にして席を立つ。
「ごめん。今日はちょっと用事があって。もう行くね」
「えっ、小嶋さん?」
呼び止める声を無視して教室を出る。
ショックだった。
「そのままの鼻で大丈夫」「あまり気にしない方がいいよ」なんてフォローしてもらえると思っていた。
整形をしなければならないほど私の鼻は変なの?
眉、目、鼻、口、耳。この世に生まれたときから人生を共に歩み、苦楽を共にした仲間のような存在が不格好だなんて考えたことがなかった。
雑踏にまぎれてしまえば見分けがつかないくらい平凡な顔だと思う。けれどすれ違う人はそう思っていないのかもしれない。私の鼻は同情されるくらいにはへなちょこで、だから百花はハイライトを何度も勧めてくるのだろうか。
心臓を掴まれているような鈍い痛み。私は胸元を抑えながら教室へ急いだ。
電車に乗ったとき、スカートからスマホを出せばよかった。耳を塞いで、肝心な物事を見落としていれば傷つかずにすんだ。
「良い友達だと思ってたのにな……」
人間関係はすごろくみたいだ。もう一振りでゴールなのに、簡単にふりだしへ戻ってしまう。
本当にいやになる。
百花からの誘いに頷く。私は大壱ではないから、友情を維持したまま無断で別行動をする度胸はない。首を横に振ればグループから追い出される。輪から外れた後に、誰と学校生活を送るのかイメージできないのが、なによりこわかった。
そうするのが当たり前かのように百花と電車に乗る。やがてトンネルに入った。窓には車内の人影が反射している。イヤホンで耳を塞ぐ男性、難しい顔をしたサラリーマン、ロングネイルのストレートヘア。みんなスマホを見ている。
先生の言葉をふと思い出す。
スマホばかり見ていると肝心な物事を見落とすから使用しすぎないように、だっけ。私はそう思わない。肝心な物事とやらを知るのは幸せだとは限らないから。
画面を眺めるのは耳を塞ぐのと同じだ。知りたくもない現実を見なくてすむ。
スカートのポケットからスマホを出す。
それだけのことができずに、今日も両手は気だるい空気をつかむ。
腕のあたりをちょんとつつかれる。百花の磨かれた爪が「私の話を聞いて」とアピールしている。小鳥のくちばしみたいだ。触れられると、ちくりと痛む。
「三人組の男子の隣にいる人。先輩かな? スカート短すぎ。うちの学校の制服って可愛いって人気なのに、あの着こなしはないよね」
膝が隠れるくらいの長さで、短いとは言えない。すらりと伸びるほどよい肉付きのある両足、糸で吊るされているかのようにしゃんと伸びた背筋。きっと美人だ。
「そうなんだ」
「あと、その奥にいる三つ編み。野暮ったいよね」
「そっか。わからなかった」
「ちゃんと見なって。少し早起きして、ハーフアップやお団子にすればマシになるのに」
「……三つ編みじゃなくてフィッシュボーンだよ。じゅうぶんおしゃれだと思う」
口に出した言葉がしゅるしゅるとしぼんで、電車の扉の隙間から抜けていく。
「なに?」
「なんでもないよ」
百花は視界に入る制服を品定めしていく。SNSの投稿についたコメントに返信するような気軽さで次から次へと。わたしは水飲み鳥のようにひたすら頷く。
そういえば百花は英語の授業で当てられて解答を間違えている。虫の居所が悪いのかもしれない。
同じ学校の制服を着た生徒がちらりとこちらを見た。
まずい。私は百花のブレザーのすそを引き、目配せをする。着こなしチェックを続けたいようだったが、百花は口を閉じた。
もうすぐ降車駅だ。今日は寄り道はなさそう。もう少しのがまんだ。
百花は唇を尖らせていたが、なにかを思い出したかのように「そうだ」とつぶやいた。
「買ったの? ハイライト」
買ってない。欲しかったアイシャドウをこっそり購入した、とは言えない。
怪しまれないように、私は間髪入れずに答える。
「今月はお小遣いが厳しくて。一昨日、みんなでカラオケ行ったでしょ」
「割り勘にしたじゃん」
「ほかにも欲しいものがあったから。新しいスニーカーも買ったし」
「えー、残念。使ったところ見たいのに」
桃色の頬をわずかに膨らませる。素直に可愛いなと思う。澄ましていると大人びて見えるのに、しゃべり出すところころ表情が変わる。目を惹くのは笑顔だ。陽光を受けてきらめく花のような愛らしさがある。
百花には笑って欲しい。でもハイライトは買わない。私も笑顔でいたいから。
きっと鼻の高さを指摘されるのはいまのうちだけだ。そのうち気にしなくなる。
女子高生の話題は子どものおもちゃ箱に似ている。新しい商品が出たら欲しくなり、手に入れば今まで遊んでいたものには目もくれない。友達の噂話、SNSのバズりネタ、新作のお菓子やアプリ。流行っては廃れて忘れられていく。
けれど例外もある。おもちゃがお気に入りになってしまったときだ。大切にしてもらえるのならともかく、執着されてボロボロにされてしまうのはつらい。
残念ながら、私の鼻は忘れられることなく話題にされ続けた。
撮影した写真は当然のようにアプリで加工。鼻が高く見えるメイク術やマッサージを伝授され、百花の推しのインフルエンサーやアイドルの顔がいかに整っているか、鼻筋が素晴らしいのかを熱弁された。
朝のホームルーム前、休み時間、授業の合間の移動時間。ここぞとばかり百花は鼻を気にかけてくる。
相槌と作り笑いで逃げ回り、ようやく昼休みを迎えた。空き教室は避難場所みたいだ。
「はあーっ……」
手鏡を内側に向けると、毎日見る顔が遠慮がちに映る。頬は白く、眼の下に薄紫色のクマがある。しっかり眠っているはずなのに疲れが取れない。
「悩みごと? おれでよかったら聞くよ」
「ありがと。でも迷惑かけるといけないから」
「そう言わずに。最近顔色悪いし、気になってたんだよ」
昼食を食べるだけの仲なのに、体調の変化に気づいてくれた。大壱の優しさは闇の中を照らす光だ。心細さを温めてくれる、優しい光。一人ぼっちで見知らぬ道に迷い込んだときに見つけた街灯みたい。
ずっと誰かに相談したいと思っていた。しかし同じグループでは話せない。人の口に戸は立てられぬ。万が一、本人の耳に入ったら大変なことになる。
大壱はどうだろう。昼休みに私と会っているのを口外していないらしく、情報通の百花からなにも言われない。相談しても黙っていてくれそうだ。
「豊山くん、あのね……」
私は悩みを打ち明けた。百花の身だしなみチェックがしんどい、最近は鼻の高さを指摘されて困っている。
そう。困っている。私はずっと困っているんだ。
すべて話し終えると少しだけ体が軽くなった。運び続けていた荷物をようやく下せたような気分だ。
「ピノキオみたいに鼻が伸びればいいのに。それか手品でハトを出すように、一瞬だけ鼻を伸ばせたら楽なのにね。生まれ持ったものだから変えられない。難しいね」
大壱は左肩を前に出し、体を斜めにして座っている。床の木目を辿りながら答えを探しているようにも見えた。
「小嶋さんは鼻を高くしたいの?」
「うーん。そういうことになるのかな? モデルみたいにしゅっとした鼻になれば、百花ちゃんからいろいろ言われなくなると思う。でもそれで本当にいいのかって言われたら、違うような気もするんだけどね」
百花に認められたらグループのメンバーから一目置かれる。足が遠のいている昼休みの集まりにも入りやすくなるはずだ。百花が私の鼻の高さに興味を示せば、身だしなみチェックを止める可能性もある。
鼻が高くなれば困りごとが解決するかもしれない。けれどそれが望みかと問われるとそうでもないような気がする。いったい私はどうしたいのだろう。
「なら整形はどう?」
「えっ」
「整形だよ」
「整形……」
饒舌に悩みごとを吐き出していた唇が震える。
鼻に触れた。幼い頃から当たり前のようにある私の鼻。百花に指摘されるまで特に不満のなかった呼吸するための器官。ここに人の手を入れて形を変えるの?
大壱と私の間にある、机二列分の距離。遠いと感じたことはなかった。なんでもない世間話が私達を結びつけて、これからもっと仲良くなる。そんな気さえした。
いまは大壱が見知らぬ人のようだ。友達と会話をする中で、互いの解釈のずれから相手の返事に違和感を覚えるときがあるが、それだった。
いままで会話のテンポや話題で温度差を感じることはなかったのに、よりによってこのタイミングだなんて。
私はランチバックを手にして席を立つ。
「ごめん。今日はちょっと用事があって。もう行くね」
「えっ、小嶋さん?」
呼び止める声を無視して教室を出る。
ショックだった。
「そのままの鼻で大丈夫」「あまり気にしない方がいいよ」なんてフォローしてもらえると思っていた。
整形をしなければならないほど私の鼻は変なの?
眉、目、鼻、口、耳。この世に生まれたときから人生を共に歩み、苦楽を共にした仲間のような存在が不格好だなんて考えたことがなかった。
雑踏にまぎれてしまえば見分けがつかないくらい平凡な顔だと思う。けれどすれ違う人はそう思っていないのかもしれない。私の鼻は同情されるくらいにはへなちょこで、だから百花はハイライトを何度も勧めてくるのだろうか。
心臓を掴まれているような鈍い痛み。私は胸元を抑えながら教室へ急いだ。
電車に乗ったとき、スカートからスマホを出せばよかった。耳を塞いで、肝心な物事を見落としていれば傷つかずにすんだ。
「良い友達だと思ってたのにな……」
人間関係はすごろくみたいだ。もう一振りでゴールなのに、簡単にふりだしへ戻ってしまう。
本当にいやになる。

