ハイライトとアイシャドウ

 電車の中は帰りのホームルームが始まる数分前に似ている。
 談笑中の生徒が腕時計を見る。部活、買い物、カラオケ。放課後を楽しむために一分でも早く教室から解放されたいのだろう。
 反対に担任が来なければいいのにと願う生徒もいる。教室で時間が停滞すればいい。宿題をやらなくてもいいし、面倒な日直は永遠に回ってこない。聞きたくもない話を耳にすることもなくなる。
 十六時三十三分。定刻通りに電車は停車した。扉が開き、おしゃべりな制服達が降りる。入れ替わるようにして、革靴やスニーカー、パンプスが長方形の箱を軋ませた。
 制服の人数が少なくなれば、教室特有の匂いは薄まる。ようやく電車らしくなってきた。少しだけ呼吸がしやすくなる。
 友達の棚橋百花(たなはしももか)が口を開く。
「いまの見た?」
 電車がごおっと音を立てた。私、小嶋(こじま)しずくは聞こえないふりをした。
「なあに?」
「さっき降りた子。ぱっつん眉上のボブショート。リンゴみたいな真っ赤なリップしてた。魔女みたい」
「そうなんだ。知らなかった」
 始まった。百花の身だしなみチェック。
 私達の通う高校は制服が可愛い。制服にふさわしい髪型やメイクを心がけるのがマナーだと言わんばかりに、百花はダメ出しをする。
 校則の範囲内でおしゃれを楽しむのは個人の自由だと思う、とは言えずに、私は今日も笑顔でやり過ごす。 
 百花は悪い子ではない。身だしなみをチェックするだけあって美人だし、スキンケアに時間をかけているからニキビ一つない。ノーメイクで珠のような肌をキープしているし、髪の毛もサラサラ。しかも賢くて情報通。話題豊富で盛り上げ上手だから友達も多い。教科書を忘れたら助けてくれるし、グループワークでは必ず声をかけてくれる。
 電車内での発言に目をつぶれば良い友達だと思う。
「そういえば、新作のコスメ出たんだよ。ほら」
 ダメ出しトークは唐突に終わった。百花はスマホの画面を向けてきた。
 名前も知らない生徒の身だしなみよりも、新作コスメのほうが話題としては無難だ。話は自然と広がり、ドラックストアへ見に行くことになった。
 途中下車をして、友達と寄り道。なんだか女子高生っぽい。
 ホームを行き交うのはオフィスカジュアルばかりだ。駅周辺には大企業の支店や銀行が多く、中高層のビルが立ち並ぶ。高校の制服は見当たらない。
 改札を抜けた百花の足取りに迷いはない。
「駅地下のお店が広くて品揃えが良いんだよ」
 明るい照明の下に並ぶ、きらびやかなパッケージ。お小遣いでは手の届かない物からプチプラまで幅広く取り揃えられている。百花は目当てのまつげ美容液を探している。私はお気に入りのブランドが置かれた棚をのぞいた。
「これ、パールのアイシャドウ」
 ずっと欲しかった人気の色だ。値段と財布の中身を確認していると、百花に商品を取り上げられた。
「似合わないって。しずくにはこっちでしょ」
 代わりに渡されたのはハイライトだ。
 百花は得意げに言った。
「使えば鼻を高く見せられるよ」
「えっ」
 ハイライトを乗せられた手のひらが震えた。
 指摘されるような見た目ではないはずだ。ファンデーションを薄っすら塗っただけのナチュラルメイク。髪は後ろで一つ結びでアレンジはなし。百円ショップで購入した黒のヘアゴムだから飾り気もない。
 百花の友達でいるのなら無難でありたい。彼女より華やかでなければ、名前も知らない女子生徒のように評価をされることもない。
 そう思っていたのに、そうではなかった。
「買わないの?」
 百花は目をぱちぱちとさせる。ケージの中で大切に飼育されている小動物のような、きれいな目をしていた。
「お金が足りなくて」
「出すよ。いくら?」
「貸してもらうのは悪いよ。百花ちゃん、コスメ買えなくなっちゃう」
「んー、たしかにそうかも。お母さんと買うって約束したしなー」
 百花はレジへ向かう。私はハイライトを棚へ戻した。手のひらはわずかに汗ばんでいた。
 買い物の後はカフェへ。話題の和紅茶フロートを注文した。晩秋を思わせる澄んだ赤茶色に、まんまるバニラアイスがふんわり乗せられている。
 配膳されるなり、百花はスマホで写真撮影を始めた。
「もう少しこっちに寄って。あとでSNSに上げるから笑顔でね」
「えっ、でも」
「撮るよー」
 慌ててピースサインを作る。乾いたシャッター音がした。
 ちゃんと笑えているだろうか。もしかすると目を閉じてしまったかも。
 写真を見せて欲しいと頼んだが、百花はなかなか見せてくれない。
「でーきた。どう? 可愛くなったよ」
 加工していたらしい。背景をぼかしてハートのスタンプが押されている。
 よかった。一応笑顔だ。
「ありがとう。このキラキラハートがいいね」
「いや、そうじゃなくて」
 きれいに磨かれた爪が画面をなぞる。私の顔だ。
「鼻、高くしたの。可愛いでしょ」
「う、うん」
「じゃあ投稿するね」
 紅茶を一口含む。砂糖を煮詰めたシロップの味がする。甘ったるくて胃が重い。いますぐ帰りたかった。
 すぐ隣ではスマホの通知音が鳴り止まない。百花の手元では、いいねの数が増えていく。
 キノコみたいだ。胞子を飛ばして子孫を増やす。そうするのが当たり前のように。コメントが湧く。下から上へ、新しい言葉が生まれては流れる。
 美味しそう! 仲良し二人組! 今日も百花は可愛いね~。 
 ぽこぽこ、ぽこぽこ。泡のように浮かぶ感想から目を逸らす。
「ごめん。用事、思い出した。帰るね」
「いまいいところなのに。フロートどうするの?」
「お腹痛くなっちゃって。本当にごめんね」
 二人ぶんのフロート代を出す。
 アイシャドウ、買わなくて正解。払えないところだった。
 店を出た。追いかけて来るとは思えないが、念のため早歩きで移動する。電車に乗ると、ようやく肩の力が抜けた。
「……楽しかった、よね」
 自分に言い聞かせながら、最寄り駅を目指す。