それからというもの、図書委員の日になると、俺と素野は以前よりもよく話すようになった。
「今日、返却多くない?」
「月曜だからじゃない?」
「月曜って返却増えるの?」
「知らない」
「適当かよ」
まぁ、会話自体は他愛もない。
それでも以前なら、仕事がなければ黙っていた時間に、どちらからともなく話すようになった。
素野が週末に見つけた変な自販機の話をして、俺が最近やっているゲームの話をする。
「それってなにが楽しいの?」
「育成のステ振りと、戦略的な要素があるところ」
「ゲームなのに頭使いそう」
「使うよ。そこが楽しいんじゃん」
「ゲームなら頭空っぽにしてやりたくない? 疲れない?」
「二時間歩く奴に言われたくねぇよ」
「歩くのとゲームは違うじゃん」
「ゲームするのと散歩も違うだろ」
大抵、こんな感じで話は噛み合わない。
俺がゲームの面白さを説明しても、素野は「へぇ」と言うだけだし、素野が散歩中に見つけた景色を楽しそうに話しても、俺にはいまいちピンとこない。
それでも、共感はできなくてもなにに楽しみを見出してるのかは分かるようになってきた。
例えば素野は、綺麗な場所を目的に歩いているわけじゃない。
目的地を決めずに歩いて、偶然何かを見つけるのが好きらしい。
逆に俺はゲームを始める時、攻略サイトを見ることがある。
効率のいい育成方法や、取り逃したら面倒なアイテムを先に確認しておきたいからだ。
その話をした時、素野は心底不思議そうな顔をした。
「攻略本見たら先に答え知っちゃうじゃん」
「全部見る訳じゃないから。取り返しつかないところだけ」
「私は絶対嫌だなー。それネタバレじゃん。知らない方が楽しいでしょ」
「失敗したら時間無駄になるだろ」
「失敗したら、それも思い出じゃん」
「そんな思い出はいらない」
「風情がないねぇ」
素野は肩を竦める。その仕草がなんとなくアメリカ人っぽい大袈裟なジェスチャーで、思わず俺は「なんだそれ」と笑ってしまった。
相変わらず価値観が合わない。
俺はある程度、先が分かっていた方が安心する。
素野は、先が分からない方が面白いらしい。
それでも俺は、図書委員の日が来ると楽しみに思っていた。こいつとの噛み合わなさは、不思議と嫌じゃない。
§
ある日の事。
図書委員の仕事を終える時間になり、 貸出用のパソコンを落としてカウンターの上を簡単に片付ける。素野は椅子に座ったまま大きく伸びをし、声を漏らした。
「終わったー」
「お疲れ」
「公野くんもね」
二人で図書室を出て、昇降口まで並んで歩く。
靴を履き替えて外に出たところで、素野が駅とは違う方向へ視線を向けた。
「今日、ちょっと遠回りして帰ろっかな」
「また散歩?」
「うん」
「よく飽きないな」
「歩く道変えれば飽きないよ」
俺なら一秒でも早く帰ってゲームをしたい。わざわざ遠回りするなんて考えられない。
そんなことを考えていると、素野がこちらを見る。
「公野くんも来る?」
「なんでだよ」
「この前、散歩のなにが楽しいか分からないって言ってたじゃん。だったら一回やってみればいいじゃん」
「二時間歩くんだろ?」
「今日はそんな歩かないよ」
「どれくらい?」
「一時間?」
「長ぇ」
「じゃあ三十分」
「値切れるんだ、散歩って」
「今なら安くしとくよ!」
素野が笑う。ノリのいい奴だ。
散歩に興味がある訳じゃない。早く帰りたい気持ちの方が強い。でも、
「三十分だけなら」
「お、来るんだ」
「一回くらいやってみないと、本当に面白くないか分からないしな」
「文句言う為に散歩する人初めて見た」
「まだ言うか決まってないから」
「絶対言うでしょ」
校門を出て、最初の交差点に差しかかる。
右へ曲がれば駅だ。
だが素野は曲がらず、そのまま真っ直ぐ歩いていく。
「そっちなにあるの?」
「知らない」
「知らないの?」
「行ったことないからね」
「じゃあどこ行くんだよ」
「決めてないよ。強いて言うなら、まだ見ぬ景色を求めて」
「大冒険の予感がするな」
「おらワクワクすっぞ」
全然しない。
せめて美味しい店があるとか、穴場スポットがあるとか、歩く理由くらい欲しい。
「普通、どこ行くか決めるだろ」
「決めたら、そこに行くために歩くことになるじゃん」
「それのなにが駄目なんだよ」
「駄目じゃないけど、今日はそういう気分じゃない」
「気分て」
「なにも考えずに、成り行きに任せるのもいいもんだよ。行雲流水ってね」
「自由なのか適当なのか分からんな」
そんなことを言いながら、見知らぬ住宅街へ入っていく。
似たような家が並ぶだけで、特別珍しいものはない。
なにが楽しいんだ、これ。
そう思ったところで、素野が急に立ち止まった。
「あ」
「なに?」
「あれ」
家と家の間に、細い路地が伸びている。
「行ってみよう」
「なんでだよ」
「気になるから」
「絶対なんもないだろ」
「行かなきゃ分かんないじゃん」
「行き止まりだったら?」
「戻ればいいだけ」
「無駄じゃん」
「無駄という経験は得られるよね?」
「無駄にポジティブなのうぜぇ」
素野は笑いながら路地へ入っていく。
「公野くん、来ないの?」
数歩先から振り返られた。
「・・・・・・・・・・・・行くよ」
結局、俺もそのあとを追った。
細い路地を抜けると、小さな公園に出た。
滑り台と錆びかけた鉄棒、それからバネのついた遊具がいくつか並んでいる。
「あ」
また素野が足を止めた。
「今度はなに?」
素野が指さす。
そこには白と黒に塗られた遊具があった。
丸い耳と鼻らしき突起はついている。たぶんパンダを模しているのだろうが、全体の形はどう見てもパンダじゃない。
「なんだこれ」
「パンダじゃない?」
「パンダか?」
「白黒だし」
「ならシマウマはどうなるんだよ」
「パンダ」
「苦しい言い分だな」
素野は遊具の周りを一周する。
「じゃあ、パンダに比較的似た謎の生き物という事にしよう」
「雑な分類だな」
そう言いながら、素野はスマホを取り出した。
「写真撮るの?」
「うん。未確認生物だし」
「ツチノコじゃないんだから」
正面から一枚。少し横に移動して、もう一枚。なんで画角気にしてんの?
俺は写真を撮る素野とパンダ似の謎の生物遊具を一瞥する。
たぶん一人で歩いていたら、目に入ってすらいなかった。
でも素野が立ち止まったせいで、俺までこのどうでもいい遊具について考えている。
「変な奴」
「遊具が?」
「お前が」
「なんで私?」
そう言っておかしそうに素野ははにかむ。その笑顔が妙に心地いい。
散歩の楽しさは、まだ分からない。けれど、素野には俺が普段見過ごしているものが、少し違って見えているらしい。
なんとなく、こいつのフィルターを借りて世界を見ているような気がした。
公園を出て、再び歩き出す。
しばらくしてスマホを取り出すと、思っていたより時間が経っていた。
「おい」
「なに?」
「もう一時間過ぎてるぞ」
「わ、本当だ。気づかなかった」
「三十分って言ったよな?」
「そうだね」
「そうだね、じゃなくて」
「でも公野くんもなにも言わなかったじゃん」
言われて、返事に詰まる。
確かに、途中で時間を気にする事はなかった。それくらい夢中になってたって事? なんかちょっと悔しい気がしないでもない。
「まあ、別にいいけど」
「ふふ、楽しかった?」
「いや、別に。てゆうか変な遊具見ただけだろ」
「でも時間忘れてたじゃん」
「話してたからだよ」
「ふうん、私との会話に夢中だったと」
そう言われて、俺は失言だと思った。間接的にはそうなるのか。
素野は一瞬黙った後、
「じゃあまた行けるね」
と、笑った。
「いや、それは別の話」
「えー、なんで?」
「三十分って言ったのに倍くらい歩かされた」
「次はちゃんと三十分にするよ」
「信用できねー」
「本当だってばー」
軽口を言い合いながら、俺たちは駅へ向かう道に戻る。
結局、散歩の楽しさは分からなかった。
目的もなく歩く意味も、どうでもいいものにいちいち足を止める感覚も、俺にはまだ理解できない。
それでも。
素野と歩いた時間は、不思議と退屈じゃなかった。
「今日、返却多くない?」
「月曜だからじゃない?」
「月曜って返却増えるの?」
「知らない」
「適当かよ」
まぁ、会話自体は他愛もない。
それでも以前なら、仕事がなければ黙っていた時間に、どちらからともなく話すようになった。
素野が週末に見つけた変な自販機の話をして、俺が最近やっているゲームの話をする。
「それってなにが楽しいの?」
「育成のステ振りと、戦略的な要素があるところ」
「ゲームなのに頭使いそう」
「使うよ。そこが楽しいんじゃん」
「ゲームなら頭空っぽにしてやりたくない? 疲れない?」
「二時間歩く奴に言われたくねぇよ」
「歩くのとゲームは違うじゃん」
「ゲームするのと散歩も違うだろ」
大抵、こんな感じで話は噛み合わない。
俺がゲームの面白さを説明しても、素野は「へぇ」と言うだけだし、素野が散歩中に見つけた景色を楽しそうに話しても、俺にはいまいちピンとこない。
それでも、共感はできなくてもなにに楽しみを見出してるのかは分かるようになってきた。
例えば素野は、綺麗な場所を目的に歩いているわけじゃない。
目的地を決めずに歩いて、偶然何かを見つけるのが好きらしい。
逆に俺はゲームを始める時、攻略サイトを見ることがある。
効率のいい育成方法や、取り逃したら面倒なアイテムを先に確認しておきたいからだ。
その話をした時、素野は心底不思議そうな顔をした。
「攻略本見たら先に答え知っちゃうじゃん」
「全部見る訳じゃないから。取り返しつかないところだけ」
「私は絶対嫌だなー。それネタバレじゃん。知らない方が楽しいでしょ」
「失敗したら時間無駄になるだろ」
「失敗したら、それも思い出じゃん」
「そんな思い出はいらない」
「風情がないねぇ」
素野は肩を竦める。その仕草がなんとなくアメリカ人っぽい大袈裟なジェスチャーで、思わず俺は「なんだそれ」と笑ってしまった。
相変わらず価値観が合わない。
俺はある程度、先が分かっていた方が安心する。
素野は、先が分からない方が面白いらしい。
それでも俺は、図書委員の日が来ると楽しみに思っていた。こいつとの噛み合わなさは、不思議と嫌じゃない。
§
ある日の事。
図書委員の仕事を終える時間になり、 貸出用のパソコンを落としてカウンターの上を簡単に片付ける。素野は椅子に座ったまま大きく伸びをし、声を漏らした。
「終わったー」
「お疲れ」
「公野くんもね」
二人で図書室を出て、昇降口まで並んで歩く。
靴を履き替えて外に出たところで、素野が駅とは違う方向へ視線を向けた。
「今日、ちょっと遠回りして帰ろっかな」
「また散歩?」
「うん」
「よく飽きないな」
「歩く道変えれば飽きないよ」
俺なら一秒でも早く帰ってゲームをしたい。わざわざ遠回りするなんて考えられない。
そんなことを考えていると、素野がこちらを見る。
「公野くんも来る?」
「なんでだよ」
「この前、散歩のなにが楽しいか分からないって言ってたじゃん。だったら一回やってみればいいじゃん」
「二時間歩くんだろ?」
「今日はそんな歩かないよ」
「どれくらい?」
「一時間?」
「長ぇ」
「じゃあ三十分」
「値切れるんだ、散歩って」
「今なら安くしとくよ!」
素野が笑う。ノリのいい奴だ。
散歩に興味がある訳じゃない。早く帰りたい気持ちの方が強い。でも、
「三十分だけなら」
「お、来るんだ」
「一回くらいやってみないと、本当に面白くないか分からないしな」
「文句言う為に散歩する人初めて見た」
「まだ言うか決まってないから」
「絶対言うでしょ」
校門を出て、最初の交差点に差しかかる。
右へ曲がれば駅だ。
だが素野は曲がらず、そのまま真っ直ぐ歩いていく。
「そっちなにあるの?」
「知らない」
「知らないの?」
「行ったことないからね」
「じゃあどこ行くんだよ」
「決めてないよ。強いて言うなら、まだ見ぬ景色を求めて」
「大冒険の予感がするな」
「おらワクワクすっぞ」
全然しない。
せめて美味しい店があるとか、穴場スポットがあるとか、歩く理由くらい欲しい。
「普通、どこ行くか決めるだろ」
「決めたら、そこに行くために歩くことになるじゃん」
「それのなにが駄目なんだよ」
「駄目じゃないけど、今日はそういう気分じゃない」
「気分て」
「なにも考えずに、成り行きに任せるのもいいもんだよ。行雲流水ってね」
「自由なのか適当なのか分からんな」
そんなことを言いながら、見知らぬ住宅街へ入っていく。
似たような家が並ぶだけで、特別珍しいものはない。
なにが楽しいんだ、これ。
そう思ったところで、素野が急に立ち止まった。
「あ」
「なに?」
「あれ」
家と家の間に、細い路地が伸びている。
「行ってみよう」
「なんでだよ」
「気になるから」
「絶対なんもないだろ」
「行かなきゃ分かんないじゃん」
「行き止まりだったら?」
「戻ればいいだけ」
「無駄じゃん」
「無駄という経験は得られるよね?」
「無駄にポジティブなのうぜぇ」
素野は笑いながら路地へ入っていく。
「公野くん、来ないの?」
数歩先から振り返られた。
「・・・・・・・・・・・・行くよ」
結局、俺もそのあとを追った。
細い路地を抜けると、小さな公園に出た。
滑り台と錆びかけた鉄棒、それからバネのついた遊具がいくつか並んでいる。
「あ」
また素野が足を止めた。
「今度はなに?」
素野が指さす。
そこには白と黒に塗られた遊具があった。
丸い耳と鼻らしき突起はついている。たぶんパンダを模しているのだろうが、全体の形はどう見てもパンダじゃない。
「なんだこれ」
「パンダじゃない?」
「パンダか?」
「白黒だし」
「ならシマウマはどうなるんだよ」
「パンダ」
「苦しい言い分だな」
素野は遊具の周りを一周する。
「じゃあ、パンダに比較的似た謎の生き物という事にしよう」
「雑な分類だな」
そう言いながら、素野はスマホを取り出した。
「写真撮るの?」
「うん。未確認生物だし」
「ツチノコじゃないんだから」
正面から一枚。少し横に移動して、もう一枚。なんで画角気にしてんの?
俺は写真を撮る素野とパンダ似の謎の生物遊具を一瞥する。
たぶん一人で歩いていたら、目に入ってすらいなかった。
でも素野が立ち止まったせいで、俺までこのどうでもいい遊具について考えている。
「変な奴」
「遊具が?」
「お前が」
「なんで私?」
そう言っておかしそうに素野ははにかむ。その笑顔が妙に心地いい。
散歩の楽しさは、まだ分からない。けれど、素野には俺が普段見過ごしているものが、少し違って見えているらしい。
なんとなく、こいつのフィルターを借りて世界を見ているような気がした。
公園を出て、再び歩き出す。
しばらくしてスマホを取り出すと、思っていたより時間が経っていた。
「おい」
「なに?」
「もう一時間過ぎてるぞ」
「わ、本当だ。気づかなかった」
「三十分って言ったよな?」
「そうだね」
「そうだね、じゃなくて」
「でも公野くんもなにも言わなかったじゃん」
言われて、返事に詰まる。
確かに、途中で時間を気にする事はなかった。それくらい夢中になってたって事? なんかちょっと悔しい気がしないでもない。
「まあ、別にいいけど」
「ふふ、楽しかった?」
「いや、別に。てゆうか変な遊具見ただけだろ」
「でも時間忘れてたじゃん」
「話してたからだよ」
「ふうん、私との会話に夢中だったと」
そう言われて、俺は失言だと思った。間接的にはそうなるのか。
素野は一瞬黙った後、
「じゃあまた行けるね」
と、笑った。
「いや、それは別の話」
「えー、なんで?」
「三十分って言ったのに倍くらい歩かされた」
「次はちゃんと三十分にするよ」
「信用できねー」
「本当だってばー」
軽口を言い合いながら、俺たちは駅へ向かう道に戻る。
結局、散歩の楽しさは分からなかった。
目的もなく歩く意味も、どうでもいいものにいちいち足を止める感覚も、俺にはまだ理解できない。
それでも。
素野と歩いた時間は、不思議と退屈じゃなかった。

