春燦々。

石でできた高台までの階段をテンポよく駆け上がっていくと、次第に澄んだ空気に溶け込むようなアコースティックギターの音色が聞こえてきた。

木でできたベンチに座る猫背の後ろ姿を見つけ、上がった息を整えてからそっとその隣に腰掛けた。愁は僕の方を振り向くこともなく、風に吹かれるままそこに乗せるように伸び伸びと歌い続けた。

「眠い」
「眠いの」
「昨日帰ってから全然眠れへん」
「同じく」
「ちょっと前なら余裕でオールできたのになあ」
「オール……」
「したことない?オール」
「ない」
「あらま、じゃあ今夜どう?」
「眠いんじゃないの」

淡々と短い会話を紡いでいく。
愁と話すのはとても楽だということに、最近気づいた。
いつもいつも、頭で考えて話してしまう。こう言った方がいいんじゃないか、理解されやすいんじゃないか、これは言わない方がいいんじゃないか。
そんな事ばかり考えていると、自分の伝えたいことの半分も伝えられないような話し方になって、最終的にはぼーっとしていて分からないと言われることが普通になった。

「オールって、たのしい?」
「そりゃもう」
「なにするの」
「んー。一晩中ゲームするか、歌い続けるか……、踊るか」
「深夜テンション……。愁踊ったりするの」
「するよ」
「……想像つかない」

こんなにも世の中冷静な目で見てそうな雰囲気の男が、踊るところなんて想像つかない。踊っているのを頬杖をつきながら笑ってみていそうだ。

「三月!」
「……えっ!」

ギターをベンチの隣において立ち上がった愁は僕を引っ張って立ち上がらせると、洋画の世界のようにステップを踏んで体を揺らし始めた。

「そっち……!?」
「ははっ、なんだと思った?ヒップホップ?」
「わ、わかんない!」

分からない。体を使って表現したことなんて一度もない。どう動けばいいのかわからなくて、つい足元ばかりを見てしまう。

「俺もわかんないよ」
「待って、愁ストップ!」
「はいはい、どう?想像ついた?」
「みてないよ……」
「ええ、しょうがないな」

こうだよ。
そう静かに言って、愁は僕の手を掴んでゆっくりまた動き始めた。
その動きについて行くのに精一杯で顔と体の筋肉に力が入る。

「頭で考えなくていいから」
「……!」
「ね」

高台からは、向こうの街の明かりが見える。
キラキラと輝いていて、それはもう高級な宝石の集まりみたいに眩しい。
そんな景色に背を向けて、優しく微笑んでくれる愁は、僕が出会った人の中で一番僕が欲しいものを置いてくれる人だと思った。
楽しそうな声の割には不器用に見える笑顔も、細く見えるのに意外としっかりしている体も、優しいのにどこか滲み出ている寂しさと弱さが、僕にはすごく愛おしく思えた。

「なに」
「……いや」
「ん?」
「愁って、どうやって生きてきたの」
「急すぎん?」
「だって、僕が知らないことを愁はたくさん知ってる。ほんとに同い歳?」
「そりゃ、住むとこ違ったんやし知ってることも知らんこともばらばらよ」
「僕は知らなさすぎるから」
「それが怖い?」
「うん。みんな──」
「それ禁止。みんなみんなって言うの、もうやめな」

再びベンチに腰を下ろして一呼吸置いたあと、愁は続けた。

「みんなと比べたら、キリがない。でも、そうしないと自分の価値が分からないのも、わかる。でも、知らないままで別にいいよ。知りたくなったらその時知ればいいし、いやでも自分の無知さにぶち当たる時もある。それまで、三月が興味あることだけ良いとこも嫌なとこも知り尽くして楽しめばいい」
「身勝手じゃん」
「身勝手でいいよ。他に何か知りたくなったら、俺が連れ出してあげる」
「そういうもん?」
「そういうもん。そんな生き急がなくたって、1個ずつ、間違えないように、ゆっくりでいいんだから」

頭のてっぺんから後頭部を、大きな手がゆっくり撫でて戻ってを繰り返す。やっぱり絶対同い歳じゃない気がする。そう思うぐらいには、僕はこの小さな町みたいに閉鎖的な経験しかなくて。
でも、欲しい言葉を的確にくれる愁に、不思議と焦燥感もなかった。

「あのさ」
「うん」
「変なこと言ってもいい?」
「もちろん」
「音楽ってやれば世界が変わるの?」
「それは幸せな世界にって解釈でいいの」
「そう」
「残念ながら変わらない」
「なんで」
「三月は帝国が好きでしょ?でもあんなに神の言葉だと思えるほどの帝国の曲なのに、別に三月の敵でも味方でもない。現に三月は別に救われてない。俺も救われてない。こんなに愛しているのに、それならいっそ辛いことも痛いことも悲しいことも全部奪い去ってくれた方がマシだと思う」
「うん」
「好きって気持ちで100%ポジティブな気持ちになれるなら、そもそも好きって気持ちすらわかんなくなると思わん? 結局、帝国も俺も三月も傷ついた生々しい人間なんだよ」
「……僕、音楽がしたいんだけど」

はじめて、ちゃんと言おうと思って伝えられた自分の気持ち。こんなにも胸がドキドキして、怖いだなんて。
音楽がしたい。そう言いきれたら良かったのに、したいんだけどなんて情けない言い方に逃げてしまって、また凹む。

「進路希望ねえ」

愁はポケットに手を突っ込むと、皺の入った髪を1枚取り出した。さっきまで見ていたぴんと伸びた無感情な紙とは違って、とてつもなくヨレヨレの弱そうな『進路希望調査票』。進路なんて強く真っ直ぐ堅実的な言葉も、これじゃ不安定すぎる。

「ちなみに俺も音楽をするつもりだけど」
「……音楽をするって、どうするの」

はじめて自分から目を合わせて聞いた。
愁はまた不器用に口角を上げて、それはねえ。と溜めてから僕に教えてくれた。