春燦々。

「三月、大丈夫?」

長くて短い公演が終わってフロアに余裕ができた頃、放心状態の僕の後頭部に手を置いて愁が横から顔を覗き込んだ。

「うん……。なんか、幸せで」
「……一緒」

ふたりでステージのセットを見つめる。
照明にあたってきらきらと輝くステージに、艶々と滑らかな木目が美しいGibsonのレスポール。
全身で自分を表現している人を前にすると、どうしてこんなにも胸が高鳴るのか。
かっこいいなんて一言で片付けるには勿体無いのに、それ以外の言葉が思い浮かばなくてもどかしい。

「ドリンク、貰いに行こう」

愁は再び僕の手を取って、ドリンクカウンターで僕はジンジャーエール、愁はビールを頼んだ。

「え」
「……内緒。暑いから外出よう」

夥しいポスターで埋め尽くされた壁に挟まれた階段を、一段一段踏みしめるようにして登ると、愁はポケットから煙草を取り出して1本咥えて火をつけた。

僕はギョッとして、昼間クラスで聞いた噂話を思い出した。
顔に出ていたのか、愁は笑って僕から顔を背けると白い煙を細く吐いた。
バニラのような甘い匂い。

「嫌だったらやめるけど」
「……!嫌、とかじゃないけど、びっくりして。ごめん」
「いやいや。俺がおかしいんよ」
「おかしいとかじゃ」
「おかしいって。こんなとこにいるやつなんか、全員おかしい」

周りにいる人たちを目で追いながら、愁はプラスチックのカップに入ったビールを煽った。気泡が上に向かってパチパチと上がっていく、黄金色の液体。
見た目も匂いも特に美味しそうに見えないのに、みんな幸せそうに飲む。
僕は愁の手からカップを奪うと、ひとくち自分の口の中に流した。

「は……?」
「……じゃあ僕も、おかしい」

苦みと鼻に来る匂いが口いっぱいに広がって顔を顰める。思わず口を勢いよく手で覆ってしまった。

「まっず!」
「ちょ、三月」
「……やっぱり交換して」

自分のカップを突き出して愁に言う。
口を開けたまま動かなくなってしまった愁の煙草は、灰が長くなって今にも落ちそうだ。

「はい、愁はこっちね」
「……!あかん!あかんに決まってるやろ!どうした急に」
「……」
「そんな、頬膨らませてもあかん。いや、いやいやいや。ええ、?何急に、どうした」

あわあわと愁が狼狽える。こんなところはじめて見た。
アルコールの匂いが鼻から頭の中に回って、目の奥がぐるぐるする。
目を閉じると脳裏にステージが焼き付いている。眩しいスポットライト、心臓に響くバカでかいギターの音。体ごと揺らされるドラム。何もかも奪い去っていくような真っ直ぐな歌声。
喉の奥からグッと何かが込み上げる感覚。

「だって……」
「うん」
「だって!」

気づけば愁の目を真っ直ぐ見て口を開いていた。

「僕は人じゃない!」
「……なんで?」
「みんな普通だから」
「普通って?」
「みんな、バイトして、好きな人と付き合って、ちゃんとした好きなことがあって、進路も見えてて」

気持ちがどんどん溢れていく。
音楽にあてられることがあるなら、きっと今のことだと思う。ぎゅっと握りしめた握りこぶしを、愁がそっと手を添える。

「ちゃんとした好きなことってなに?」
「……みんなと分かり合えること」
「三月の好きなことは分かり合えないの」
「僕は面倒なやつだから。人じゃないもん」

自分でもこんな声が出るんだと思うほど取り乱して、出てくるままに吐き出した。
何を言っているのか分からない。僕ですら分からないのに聞かされる方はもっと分からない。ただの迷惑でしかない。

「なら俺も、人じゃない」
「愁は人だよ」
「三月、酒弱い?」
「知らない」
「知らないのね。じゃあ、三月は今何がしたい?」
「……ギター」
「ギターね。ギターは分かり合えないの?」
「……」
「なら、俺が三月を人にしてやれるよ」
「え?」
「俺と三月の世界の『人間』はやだ?」
「どういう」
「こっち、きて。ビールは俺が飲みまーす」

煙草の火を消して、愁は残り半分のビールを一気に飲み干し腰を上げた。
フロアに戻るとスタッフらしき人に声をかけた愁は何やら親しげに話し始め、どこからかアコースティックギターを借りて持ってきた。

「それ」
「近くに公園あるから、そこ行こう」
「公園?」

熱の冷めないライブハウスを後にして、夜の喧騒の中をふたりで駆け出した。