新しいクラスにも慣れ始めた頃、あの始業式の日から僕は毎日のように音楽室へ通っていた。
放課後は吹奏楽部が使うから、時間帯はまだ誰もいない早朝の、淡い空気に包まれた1時間程度。
愁となにかを話す訳でもなく、ただ愁が表現する音楽を隣で聴くだけの、本当になんでもない時間。
帝国の曲や、他のバンドの曲、愁が作った曲、幅広く聴かせてくれる。どれも易しくて、僕は次第に『愁が創り出す世界観』に夢中になっていった。
愁は帝国のギタリストのことをヒーローと呼んだ。
それだけで、愁にとってのバニラ帝国がどれだけの存在なのか、十分理解できた。
愁の作った音楽も、帝国と同じものを感じた。
こんなことを言っても、愁は喜ぶか分からないけれど、僕にとってはそれだけで信用に足る存在に思えた。
遅咲きの桜も散り始め、地面にピンクの絨毯が広がりつつあったある日、クラスメイトの数人が話しているのを耳にした。
「10組の転校生、見た?」
「見た! ちょっと奇抜だけど、かっこいいよなあ」
「でもなんか、都会から引っ越してきたらしいけど、向こうで結構やんちゃしてたらしいよ」
「こっちに来てからもひとりでいるっぽいしな、なんかあんるんじゃね」
「見るからに正統派じゃねーじゃん。それにイケメンならうちには晴哉がいるしなあ」
「方向性が違いすぎるだろ」
まだ少ししか経っていないと言うのに、もうそんな噂が出回っているなんて。
たしかに愁はこんな小さな町の中で見れば、目立つ見た目にしょっちゅう授業も抜け出しているみたいだし、話題になるのは納得できるが。
だからと言って、僕も愁がどんな人なのか未だにはっきりわかっていない。
けれども、それを聞いていい気分にはならない。
「三月〜、今日一緒に帰ろうぜ」
他クラスから戻ってきた晴哉がそのまま僕の席の前に座った。
今日は部活がないらしい。そういう日の晴哉は髪をセットしていて、大人びている。
「ん?どうした?」
「……いや」
「お前最近、いつもよりぼーーっとしちゃってんじゃない? まあ暖かいもんな」
「そうだね」
晴哉は僕の頭をくしゃくしゃに撫でながらニッといつものように笑った。
兄貴気質の晴哉と一人っ子の僕。晴哉から見れば、僕は幼馴染でもあるし、弟みたいなものなんだろう。それにしても暖かいとはなんなんだ。赤ちゃんでもあるまいし。
「晴哉〜」
戻ってきた晴哉に、愁の噂話をしていたグループが声をかけてきた。はっきりと目が見える長さの前髪に、少し着崩した制服。細いチェーンのネックレスが制服からチラつく、僕とは違う世界を生きている同級生。
僕は首から下げていたイヤホンを左耳につけて、その輪から外れるようにして音楽を再生した。
「お前週末暇?」
「部活やってるやつに聞くかそれ」
「だよな〜」
「暇だけど」
「まじ!じゃあさ、みんなで映画見に行こーぜ」
「今話題のやつ!」
「え、あの超泣けるってバズってた原作のやつ?」
「そー!」
「俺も見たかったんだよなー!行くわ」
テンポよく会話が弾んでいくのが右耳から聞こえる。どれも僕にとっては難易度の高いやり取り。晴哉は1人でもよく喋るタイプだから、僕が特に話さなくても会話は成立するけど、お互い喋らないタイプが一緒になると地獄だし、そこまで関係性が築けていない相手と一緒になっても地獄だ。
その点、愁は最初からそういうやりにくさを不思議と感じなかった。
左のイヤホンが、エイトビートを刻んでいる。
命のリズムだ。
「っしゃ、帰るか〜」
「……うん」
いつの間にか解散していた晴哉が自分のカバンを手に持って立ち上がり僕もそれに続いた。
「学年が1個上がったってだけなのに、なんか前より楽しいよなあ」
「そう?」
「うん、大人に近づいた気分」
「大して変わらないよ、単純すぎ」
「三月は楽しくない?」
「……まあまあ」
脳裏にある光景が浮かんだけれど、それを晴哉に言おうとはならなかった。どうしてか、心の内に秘めておきたい。
「三月は、高校卒業したらどうすんの」
思っていたよりも早く、予想外の人物からの問いかけに言葉が詰まる。こういうのは親が先だと思っていたのに。
「……晴哉はどうするの」
「今俺が聞いてるんだけど〜? まあいいや。俺はこっから出て大学に進学する」
「バスケは続けるの?」
「いや、辞めるかなあ。普通に大学行って、普通にバイトもして、遊んでみたい。んで、俺の家族みたいな家庭を俺もつくるんだよ」
「堅実的だね」
「みんなそんなもんだろ」
ガタンゴトンと、高架線を電車が通っていく。それが過ぎ去るのを待って、晴哉はもう一度質問を返してきた。
将来のことなんて考えたことがない。
好きな物はあれど、自分がどうしたいかなんて思ったこともなければ、そんななりたいものになれるようなたいそうな自信なんてない。晴哉はなんでもそつなくこなすし、持ち前のコミュニケーション能力で壁にぶつかっても解決できるだろうし、周りも同様社会に適用しているように見える。
僕が好きなものは、社会で生きていくには弱すぎる。
それでも強いて言うなら……。
「三月は昔からあんまりなにかしたいって言わないよな」
「うん……。まあ、でも──」
「あのさ、俺と同じ大学目指さない?」
「……へ?」
「とりあえず。そしたら一緒に勉強もできるし、向こうに出ても俺がついててやれるし、なんなら一緒に住もうぜ」
またしても思いもしなかった提案に、声が上ずってしまった。
晴哉と卒業後も一緒……?
案外晴哉も可愛いことを言うらしい。
小学生までは、毎日のように一緒にいた。どちらかの家に泊まって、遅くまでゲームをして、家族ぐるみで仲がいいから旅行に行ったりもした。
晴哉は多分その延長で言っているんだろう。
まだあと2年近く先のことだけど、晴哉にとって僕は変わらず隣にいる存在だと思ってくれている。
嬉しい。
素直にそう思った。
だけど。
「僕は──」
「三月!」
駅の構内に入ろうとしたその時、後ろから大きな声で呼び止められた。自分の名前が人気のない広い構内に響き渡って、僕も晴哉もぎょっとして振り向いた。
「愁……!」
「俺と来て」
「うぇっ……!」
急ぎ足で僕の前まで来た愁はそのままの勢いで僕の手を取ると改札の方へ引っ張っていく。
「ちょ、はあ? 待てよおい!」
置いていかれそうになった晴哉が咄嗟に愁の肩を掴んで止める。
「なに?てか誰」
「は、お前こそ誰だしなんだよ、急に割って入って連れていくとか」
「ちょっと晴哉」
「あぁ、ごめん。三月との用ができたから連れていくね、これでいい?」
「ちょ、」
「なんだよその言い方!てか三月とどう接点があるんだよ」
「三月、帝国がゲリラライブするって。箱超狭いから、急がないと」
晴哉のことなんて見えていないかのように、愁は僕の目だけをまっすぐ見てる。
帝国がゲリラライブなんて情報どこにも載っていないはず。どこで知ったのか分からないが、愁が言うならそうなんだろう。
あまりの急展開に、僕の心臓は段々と早く脈打っていく。
「行く?」
僕より頭ひとつ分背の高い愁は、一度ちゃんと立ち止まると目線を合わせて聞いてくれた。
はじめてしっかりと目と目を合わせた気がする。やっぱりなにか見透かされている気がして、その瞳の輝きと力強さに、高揚した。
「うん。……行く!」
「よく言った、おいで」
僕の方に差し伸べられた細くて長い大きな手を僕は勢いよく掴んだ。
「いや、ちょっと、三月!」
「ごめん、晴哉!また明日!」
小走りになって改札を通り、帰宅方向とは反対側の夜の繁華街で賑わう街に向かって電車に乗りこんだ。
放課後は吹奏楽部が使うから、時間帯はまだ誰もいない早朝の、淡い空気に包まれた1時間程度。
愁となにかを話す訳でもなく、ただ愁が表現する音楽を隣で聴くだけの、本当になんでもない時間。
帝国の曲や、他のバンドの曲、愁が作った曲、幅広く聴かせてくれる。どれも易しくて、僕は次第に『愁が創り出す世界観』に夢中になっていった。
愁は帝国のギタリストのことをヒーローと呼んだ。
それだけで、愁にとってのバニラ帝国がどれだけの存在なのか、十分理解できた。
愁の作った音楽も、帝国と同じものを感じた。
こんなことを言っても、愁は喜ぶか分からないけれど、僕にとってはそれだけで信用に足る存在に思えた。
遅咲きの桜も散り始め、地面にピンクの絨毯が広がりつつあったある日、クラスメイトの数人が話しているのを耳にした。
「10組の転校生、見た?」
「見た! ちょっと奇抜だけど、かっこいいよなあ」
「でもなんか、都会から引っ越してきたらしいけど、向こうで結構やんちゃしてたらしいよ」
「こっちに来てからもひとりでいるっぽいしな、なんかあんるんじゃね」
「見るからに正統派じゃねーじゃん。それにイケメンならうちには晴哉がいるしなあ」
「方向性が違いすぎるだろ」
まだ少ししか経っていないと言うのに、もうそんな噂が出回っているなんて。
たしかに愁はこんな小さな町の中で見れば、目立つ見た目にしょっちゅう授業も抜け出しているみたいだし、話題になるのは納得できるが。
だからと言って、僕も愁がどんな人なのか未だにはっきりわかっていない。
けれども、それを聞いていい気分にはならない。
「三月〜、今日一緒に帰ろうぜ」
他クラスから戻ってきた晴哉がそのまま僕の席の前に座った。
今日は部活がないらしい。そういう日の晴哉は髪をセットしていて、大人びている。
「ん?どうした?」
「……いや」
「お前最近、いつもよりぼーーっとしちゃってんじゃない? まあ暖かいもんな」
「そうだね」
晴哉は僕の頭をくしゃくしゃに撫でながらニッといつものように笑った。
兄貴気質の晴哉と一人っ子の僕。晴哉から見れば、僕は幼馴染でもあるし、弟みたいなものなんだろう。それにしても暖かいとはなんなんだ。赤ちゃんでもあるまいし。
「晴哉〜」
戻ってきた晴哉に、愁の噂話をしていたグループが声をかけてきた。はっきりと目が見える長さの前髪に、少し着崩した制服。細いチェーンのネックレスが制服からチラつく、僕とは違う世界を生きている同級生。
僕は首から下げていたイヤホンを左耳につけて、その輪から外れるようにして音楽を再生した。
「お前週末暇?」
「部活やってるやつに聞くかそれ」
「だよな〜」
「暇だけど」
「まじ!じゃあさ、みんなで映画見に行こーぜ」
「今話題のやつ!」
「え、あの超泣けるってバズってた原作のやつ?」
「そー!」
「俺も見たかったんだよなー!行くわ」
テンポよく会話が弾んでいくのが右耳から聞こえる。どれも僕にとっては難易度の高いやり取り。晴哉は1人でもよく喋るタイプだから、僕が特に話さなくても会話は成立するけど、お互い喋らないタイプが一緒になると地獄だし、そこまで関係性が築けていない相手と一緒になっても地獄だ。
その点、愁は最初からそういうやりにくさを不思議と感じなかった。
左のイヤホンが、エイトビートを刻んでいる。
命のリズムだ。
「っしゃ、帰るか〜」
「……うん」
いつの間にか解散していた晴哉が自分のカバンを手に持って立ち上がり僕もそれに続いた。
「学年が1個上がったってだけなのに、なんか前より楽しいよなあ」
「そう?」
「うん、大人に近づいた気分」
「大して変わらないよ、単純すぎ」
「三月は楽しくない?」
「……まあまあ」
脳裏にある光景が浮かんだけれど、それを晴哉に言おうとはならなかった。どうしてか、心の内に秘めておきたい。
「三月は、高校卒業したらどうすんの」
思っていたよりも早く、予想外の人物からの問いかけに言葉が詰まる。こういうのは親が先だと思っていたのに。
「……晴哉はどうするの」
「今俺が聞いてるんだけど〜? まあいいや。俺はこっから出て大学に進学する」
「バスケは続けるの?」
「いや、辞めるかなあ。普通に大学行って、普通にバイトもして、遊んでみたい。んで、俺の家族みたいな家庭を俺もつくるんだよ」
「堅実的だね」
「みんなそんなもんだろ」
ガタンゴトンと、高架線を電車が通っていく。それが過ぎ去るのを待って、晴哉はもう一度質問を返してきた。
将来のことなんて考えたことがない。
好きな物はあれど、自分がどうしたいかなんて思ったこともなければ、そんななりたいものになれるようなたいそうな自信なんてない。晴哉はなんでもそつなくこなすし、持ち前のコミュニケーション能力で壁にぶつかっても解決できるだろうし、周りも同様社会に適用しているように見える。
僕が好きなものは、社会で生きていくには弱すぎる。
それでも強いて言うなら……。
「三月は昔からあんまりなにかしたいって言わないよな」
「うん……。まあ、でも──」
「あのさ、俺と同じ大学目指さない?」
「……へ?」
「とりあえず。そしたら一緒に勉強もできるし、向こうに出ても俺がついててやれるし、なんなら一緒に住もうぜ」
またしても思いもしなかった提案に、声が上ずってしまった。
晴哉と卒業後も一緒……?
案外晴哉も可愛いことを言うらしい。
小学生までは、毎日のように一緒にいた。どちらかの家に泊まって、遅くまでゲームをして、家族ぐるみで仲がいいから旅行に行ったりもした。
晴哉は多分その延長で言っているんだろう。
まだあと2年近く先のことだけど、晴哉にとって僕は変わらず隣にいる存在だと思ってくれている。
嬉しい。
素直にそう思った。
だけど。
「僕は──」
「三月!」
駅の構内に入ろうとしたその時、後ろから大きな声で呼び止められた。自分の名前が人気のない広い構内に響き渡って、僕も晴哉もぎょっとして振り向いた。
「愁……!」
「俺と来て」
「うぇっ……!」
急ぎ足で僕の前まで来た愁はそのままの勢いで僕の手を取ると改札の方へ引っ張っていく。
「ちょ、はあ? 待てよおい!」
置いていかれそうになった晴哉が咄嗟に愁の肩を掴んで止める。
「なに?てか誰」
「は、お前こそ誰だしなんだよ、急に割って入って連れていくとか」
「ちょっと晴哉」
「あぁ、ごめん。三月との用ができたから連れていくね、これでいい?」
「ちょ、」
「なんだよその言い方!てか三月とどう接点があるんだよ」
「三月、帝国がゲリラライブするって。箱超狭いから、急がないと」
晴哉のことなんて見えていないかのように、愁は僕の目だけをまっすぐ見てる。
帝国がゲリラライブなんて情報どこにも載っていないはず。どこで知ったのか分からないが、愁が言うならそうなんだろう。
あまりの急展開に、僕の心臓は段々と早く脈打っていく。
「行く?」
僕より頭ひとつ分背の高い愁は、一度ちゃんと立ち止まると目線を合わせて聞いてくれた。
はじめてしっかりと目と目を合わせた気がする。やっぱりなにか見透かされている気がして、その瞳の輝きと力強さに、高揚した。
「うん。……行く!」
「よく言った、おいで」
僕の方に差し伸べられた細くて長い大きな手を僕は勢いよく掴んだ。
「いや、ちょっと、三月!」
「ごめん、晴哉!また明日!」
小走りになって改札を通り、帰宅方向とは反対側の夜の繁華街で賑わう街に向かって電車に乗りこんだ。
