風に羽根を預けて

パンケーキは驚くほど美味しかった。
黙々と食べ終わると、私たちは窓の外を見た。
風が強くなって、木枯らしがびゅうと音を立てていた。
たくさんの落ち葉が、風に巻き上げられていく。
寄る辺のない気持ちでそれを見つめていると、颯が口を開いた。

「俺さ。本当言うと、一人でいる中井のこと、少し気になってたんだ」
「え?」
「でも、俺、男だろ。どうしても男が女に声をかけるって、誤解されるから。だから、何も言えなかった」
私は、クラスの中でムードメーカーとして立ち回ることのできる颯を想像した。
――彼は誰にでも気安く声をかける人だったはず。でも、私にはそれが出来なかったんだ‥‥‥。
心の中で、申し訳なく思っていると、颯は言った。
「きっと、俺みたいな奴でも気軽に飛び越えることができない、‥‥‥何ていうか、高い壁が美羽の中にあるんだろーな、って思ってて」
「うん‥‥‥」
私は、心の中で彼に言った。
そう。これはきっと普通の人には理解されない。
壁を作ってしまったのは私。
誰かと深く関わらなければ、別れを悲しまずに済む。そう思っていた。
時間が経つに連れて、それはだんだんと高く伸び、私の心に長い影を落とすようになった。
この壁に気づいてくれたのは、颯だけだ。
傍にいるお父さんも、お母さんも、誰も私の気持ちに目を向けてはくれなかった。

私は、すっと息を吸い、これまでにあったことを颯に話し始めた。
幼少期の思い出から、度重なる転勤、高校に入るまでの私の葛藤を、すべて伝えた。
颯は何度も相槌を打ち、私を分かろうとしてくれた。
私を見つめるその眼差しから、彼の優しさがにじみ出ている気がした。
すっかり話し終わったあと、颯は言った。
初めて会話を交わしたときから変わらない、屈託ない口調だった。

「全部話せたじゃん。すげーよ」

何が凄いのか、私には分からなかった。
けれど、ほんの一歩だけ前に踏み出せた気がして、私は体から力が抜けた気がした。
緊張が緩んで、店内に甘い匂いが漂っているのに気が付く。
カウンターごしに私たちの話を聞いていたのだろうか。
ちょうど話が終わったタイミングで、月菜さんが声をかけてきた。

「ねえ、ホットチョコレート試作してみたの。颯、美羽ちゃん、飲んでみてくれない?」

「あ、ありがとうございます。いただきます」

ホットチョコレートの入ったマグカップを受け取ると、そっと口に含んだ。
チョコレートの香りとともに、こっくりとした触感と甘さが舌の上に広がった。

「‥‥‥美味しい」

今まで胸にこびりついていたやるせなさが、チョコレートの甘さに溶けていくようだった。

月菜さんは微笑むと、
「私はもう上がるから、颯、後片付けはお願いね」
そう言って、ニ階に上がって行ってしまった。
颯とお姉さんは、喫茶店のニ階に住んでいるのだそうだ。

それから、颯は、お姉さんの月菜さんのことを話した。
いつも人にいい顔ばかりする自分をお調子者と呼ぶこと、たまに母親みたいに叱ること、学費のために、自宅でできる副業を毎晩遅くまでやっていること。
もちろん、自分のことも、開けっぴろげに話した。
私とは、まるで違う。
でも、私は、颯の話をずっと聞いていたいと思った。
ほんのひとときだったとしても、『友達』になってくれた、彼のことをもっと知りたいと感じたから。

明日、学校で会ったら、私から声をかけてみよう。

そんなことを思ったのは、初めてのことだった。