裏方学級委員はゆるがない 17歳の恋愛練習論

「何事も練習が大切だな」
「僕ごときに物理を教わっているひとに言われたくないのだが」
「これでもあたしは幼いころからピアノやバイオリンを仕込まれた。厳しい指導と鍛錬。何事も続けるとそれなりの成果は出るものだ。こんなあたしでも地方のコンクールで入賞できるようになった」
 
 音楽家一家に育った法月は小学生時代ピアノでその名をとどろかせていたらしい。僕も中等部一年の頃に法月が弾くピアノを聞いたことがある。法月がまだ「姫」とか「王女」とか呼ばれていたころだ。その旋律に僕は心を奪われたものだ。

「日々の練習は大事だ。そして大会に出るという経験も」
 小学生時代の貯金だけでも今の法月は余裕で食っていけるだけのものが残っている。
 
「恋愛も経験だな。告ってフラれる、告ってフラれる。それを繰り返しているうちに付き合える相手に出会う。そして付き合い、また別れる。それを繰り返して恋愛マスターになるのだ」
「僕は別に恋愛マスターになりたいわけではない」
「それでもお前はラスボスを攻略しようかどうか迷っている」
「ラスボスじゃないわ!」
「『高嶺の花』だったな」

 法月は教室ではコミュ障で小さくなっているくせに、僕の前では傲慢な「王女様」になる。

「レベル1のお前が『高嶺の花』を攻略するのは無謀というものだ。まずはレベルアップする必要がある。手始めはスライムだ」
「お前……中二から成長していないな……」
「恋愛も同じ。手始めにモブ女を攻略して経験値をつみ、レベルアップして、そしてラスボスに挑むのだ」
「『ラスボス』に戻っているじゃないか……」
「だから」と法月は閲覧室を見回した。「――手ごろなスライムを見つけて、告白の練習をしろ。下手な鉄砲でも数打てば――当たる……かもしれない」
「は? 何言ってんだ?」
「おっと、あたしはスライムではないぞ。『王女様』だ。あたしの貞操は『王子様』のためにある」
「『王女様』が『あたし』と言うのかよ」
「あら——わたくし(・・・・)としたことが。オホホホホ」
 法月は僕の前でだけ女優になる。
「そもそも恋愛って練習して良いものなのか?」
「経験は大事だろう」
「練習ということは、はじめから別れることが前提で付き合うということだよな」
「そうなるかな」法月はよそ見をした。
「そんなの不誠実だ」
「お前はまさか永遠の愛の信者なのか?」法月は大げさに体を引いて、そして僕を憐れむような顔をした。「まさか——こんなところに幼児向け童話の信者がいようとは……」

 およそ恋愛とは無縁の法月がそんなことを言うくらいだから、世の若者たちは皆そのような認識なのか? 別れる未来があるだろうと思いつつ告白して付き合うのか?
 交際するからには、その後求婚して、結婚し、家庭を持って、こどもも何人かもうけ、老後をともにする。最後はどちらかがどちらかを看取る。そこまで考えて求愛するのではないのか?
 僕は鶴翔さんと付き合った後のことも妄想することがある。結婚した後の世界だ。
 家に帰ったら僕を出迎える鶴翔さんの笑顔がある。その笑顔は今と変わらない。
 僕の中にいる未来の鶴翔さんは今の鶴翔さんのままだ。エプロン姿の鶴翔さん。僕の目の前に鶴翔さんの手料理がある。同じテーブルに三歳くらいの女の子――僕と鶴翔さんの愛の結晶だ。
 そんな妄想をして僕は何度も自己嫌悪に陥っている。
 僕の妄想の鶴翔さんは、鶴翔さんであって鶴翔さんではない。
 鶴翔さんは僕の想像の範囲内でおさまるひとではない。
 そもそも鶴翔さんは結婚しても家にずっといる人ではないだろう。きっとバリバリ仕事をしていて、いつも時間に追われていて、僕の方が先に家に帰っているだろう。
「お迎え、お願いね」と言われてこどもを迎えに行くのは僕の方に違いない。ひょっとしたら鶴翔さんの方が単身赴任して僕やこどもと別居しているかもしれない。その赴任先は海外かもしれない。
 僕は鶴翔さんとのデートを妄想するが、たいてい映画を観たり何かを食べたり、買い物をしたり――せいぜいそんなところだ。
 しかし、鶴翔さんなら夏は青く透き通った海でダイビングをしているかもしれないし、冬は白銀の丘でスノボをしているかもしれない。大学生の夏休みにはアフリカまでボランティアに行っているかもしれない。
 そんな彼女についていく自分を僕は想像できない。
 僕には取り柄がない。何の特技もないし、向上心もない。鶴翔さんに似合うバイタリティがない。
 僕が妄想する小さな世界に出てくる鶴翔さんは現実の鶴翔さんとはかけ離れた存在なのだ。
 そう——鶴翔さんに僕は不釣り合いだ。僕と結婚したら鶴翔さんは自由がなくなり幸せにもなれないだろう。
 結局のところ、僕が鶴翔さんとつきあう世界は妄想のたまものでしかない。