裏方学級委員はゆるがない 17歳の恋愛練習論

 そんな恥ずべき妄想にふけりながらも、僕の足はしっかりと図書室へと僕を運んでくれていた。無意識とはおそろしいものだ。
 図書室は書庫と閲覧室に分かれていて、閲覧室は大きなテーブルがいくつもあり、小声なら話をしても良いことになっていたから、放課後のちょっとしたミーティングや勉強会に利用している生徒が多かった。
 現実に戻った僕は、今さら思い出したかのようにそいつ(・・・)の姿を探した。
 そいつ(・・・)はいた。
 閲覧室奥の大きなテーブルの一つ。なぜかそのテーブルにはそいつ(・・・)以外の生徒の姿はない。
 無理もない。そいつ(・・・)の存在感が異様だからだ。ホラー映画の古井戸からゆっくりと這い出して来るような長い黒髪の女。そんな不気味な影には誰も近寄ろうとしない。
 ふだんは授業が終わったらさっさと家に帰るそいつ(・・・)は約束通りこの閲覧室で僕を待っていた。
 いや、待っているのではない。
 机に突っ伏して寝ているな。ストレートの黒髪が何本か跳ねていてアホ毛丸出しだ。見て見ぬふりをする生徒たちにはそれが妖(あやかし)の濡れた乱れ髪に見えるかもしれないが。
「法月(のりづき)……」
 僕が呼びかけると、アホ毛が立つ黒髪の女はのっそりと上体を起こした。
「生出(おいで)か……もう来たのか」
 そいつ(・・・)は焦点が定まらなくても僕の声を認識したようだ。
「寝足りないようだね」
「一日十時間は寝ないとな」
 小さく伸びをして、そいつ(・・・)は息をゆっくりと吐き、おもむろに僕に顔を向けた。
 僕と目が合った刹那、そいつ(・・・)はまるで奇跡の証明写真のような顔をした。さらさらストレートの黒髪がはらりと落ちて止まる。ぞっとするような神秘的な美貌。
 しかしその顔を維持できない。すぐに眠そうに瞼が落ちる。
 口元によだれが乾いた痕がある。「二年G組の眠り姫」と呼ばれる法月美鈴(のりづきみすず)はまさに「残念美少女」の典型だった。顔だけなら鶴翔(かくしょう)さんよりも美人なのにもったいなさすぎる。
 僕は法月(のりづき)の真向かいに腰を下ろした。
 こいつとは腐れ縁だ。中等部一年の頃からだから、かれこれ五年目だ。五年のうち四年は同じクラスになっている。
 僕の頭に中等部一年の四月がよみがえる。
 あの時、僕は教室の右端一番前の席にいた。すぐ後ろに法月美鈴はいた。前髪ぱっつんのさらさら黒髪ストレート。無表情でぞっとするような美しさがあり、美少女が多かったクラスでも異質だった。
 最初の中間テストで学年一位をとった時は末恐ろしい存在になると誰もが思ったものだが、今法月(のりづき)は僕に物理を教えてもらう立場になっている。
 高校二年の一学期中間テストで法月は物理15点という成績をたたき出した。サイコロを転がして適当に答えたような得点だ。いや、それ以下か。
 だからクラスで鶴翔さんに次いで二番目に物理の成績が良かった僕に教えを乞うたのだ。
 法月に頼まれたら僕は従うしかない。
「昨日出した課題はやって来たの?」一応僕は訊く。
「努力はしたのだが、寝てしまったな」相変わらず口が悪い。少なくとも――教えられる立場ではない。
「いつ起きているんだ? あ?」僕は怒って見せる。
「先生(・・)、ごめんなさい」
 法月は小ばかにする不気味な笑顔を僕に向けた。
 殊勝な態度も演技にすぎない。こいつはそういうやつなのだ。
 おそらく――僕が出した課題など、やるに値しないものだったのだろう。こいつは確かに物理は15点だったが、数学Ⅱは90点だった。もちろんG組で最高得点だ。あの鶴翔さんですら及ばなかった点だ。
 法月は極端なヤツだった。期末テストではおそらく数学と物理の得点は逆になるだろう。そうやって帳尻合わせをして一学期の成績を平均点にもっていく。たとえ僕が教えなくても期末の物理は高得点をとるに違いない。一方で数学Ⅱは赤点だ。
「生出(おいで)先生、お願いします」
 にやついた法月を睨(にら)みつけ、僕は物理を教えた。
 低得点の者を高得点の者が教える。そうやってクラスの平均点を高める。残念なことに僕たちのG組は平均点で他のクラスに劣る。クラスの成績向上を願って鶴翔さんはいつも奮闘している。僕はその意向を酌んで法月に物理を教えている。鶴翔さんが望まなければ僕はこんな面倒くさいヤツと向かい合うことはなかった。
 法月は開いた教科書とノートを前にしておとなしく手を動かした。
 安心した僕は再び意識がとんだ。

 学園内で活躍する鶴翔知夏(かくしょうちなつ)さんの姿が浮かぶ。
 今頃、部活連の会合で積極的に発言をしているだろう。はきはきとした口調。理路整然とした発言内容。誰もが彼女が放つ言の葉(ことのは)に耳を傾ける。
 その後、どこかの運動系部活の助っ人をしているに違いない。運動神経の良い彼女はバスケットやフットサルの練習によく付き合っている。
 応援団の助っ人をしたこともあったな。
 僕は鶴翔さんのチアリーダー姿を思い出した。サッカー部の練習試合の応援に駆り出されたときのことだ。
 へそ出しの鶴翔さんが胸を揺らす姿など滅多にお目にかかれない。当然のことながら試合観戦に来たはずの男子生徒たちはサッカーそっちのけで、チアリーダー姿の鶴翔さんにばかり目を向けていた。

 僕の妄想(・・)は暴走する。一気に時空を超える。
 僕は鶴翔さんと映画館にいる。隣の席の鶴翔さんの顔がスクリーンの光を浴びて美しく輝く。悲しい場面で涙する鶴翔さん。ハッピーエンドで思わず手をたたく鶴翔さん。すべてが妄想だが、ふだん見る鶴翔さんの表情が結集したものだ。
 そしてまた時空を超え、鶴翔さんとのランチ。女子の姿が多いおしゃれなカフェテラスで僕たちは談笑しながらおいしいオムライスを口にする。彼女の微笑を目にしながらの食後のティラミスは絶品の味だ。
 ショッピングは遠出だ。僕はたくさんの紙バッグを抱える。僕を振り返るミニワンピース姿の鶴翔さんの笑顔がまたも眩しい。
 僕の目の前で踊るようにスキップする鶴翔さんから魅惑の芳香がしてくる。

「気持ち悪い——にやけ顔だな」
 法月のひとことで僕は現実に戻った。
「――高嶺の花を思い浮かべて妄想していたか」
 当たっているから僕は言葉に詰まる。
 こいつの洞察力はすごい。それとも僕の方がわかりやすいのか。
「女子学級委員をエロい姿にしていたか。全く——これだからチェリーボーイはキモい」
「違うわ!」
 僕は声を上げていた。
 周りの視線を感じる。ここは閲覧室。喋っても良いが小声に限られる。
「ほう……チェリーではないと?」
「そっちの『違う』ではない。初めの方のやつだ」
「鶴翔知夏を裸に剥(む)いた——」
「言葉を慎め——よ。そんな想像はしていない」
 チアリーダー姿はよみがえっていたが。勝手にミニワンピース姿にしていたのも事実だ。
 
 全く調子が狂う。法月の前では僕はモブではなく、中等部一年の頃の「思いあがっていた僕」に戻ってしまう。

「そんなに毎日思い浮かべて悶々とするくらいならとっとと行動に移せ」
「は?」
「おっと、『襲え』と言っているのではないぞ。告(こく)れ——だ。告って、そしてフラれろ」
 
 フラれるのか。
 そうだよな。僕はモブだ。鶴翔さんにはふさわしくない。