「あなた、神様なの?」
私が聞くと。
ハクは。
少しだけ首を傾けた。
肉の根が地下室中で蠢く。
「神様」
「そう」
「僕?」
「村のみんな、そう言ってる」
しばらく。
沈黙。
それから。
少年の顔が歪んだ。
笑ったのだと思う。
「違うよ」
「……え?」
「僕」
ゆっくり。
「神様になれなかった」
*
昔。
この村には雨が降らなかった。
田畑が枯れた。
井戸が干上がった。
さらに病が流行った。
村人は山へ祈った。
何日も。
何週間も。
当然。
何も起きなかった。
そんな頃。
一人の祈祷師が村へ来た。
その男は言った。
「神がいないのなら、作ればいい」
神へ変えるための条件。
冬至生まれ。
第一子。
傷のない身体。
そして。
自分ではなく。
誰かを心から救いたいと願っていること。
十二歳のハク。
すべてを満たしていた。
当時。
妹のトキは病に罹っていた。
高熱。
咳。
日に日に痩せていく。
「僕が神様になったら」
ハクは祈祷師へ聞いた。
「トキを治せる?」
男は笑った。
「もちろん」
だから。
ハクは自分から祭壇へ上がった。
「怖くなかった?」
私が聞く。
「怖かった」
「じゃあなんで」
「トキ死ぬほうが嫌だった」
たったそれだけだった。
村人はハクを地面へ埋めた。
首だけ出して。
七日間。
神へ近づけるためだと言って。
水だけを与えた。
皮膚へ印を刻んだ。
血を抜いた。
山の獣の血を入れた。
死者の骨を砕き。
薬と混ぜ。
飲ませた。
夜になると。
社の中で。
村人全員が祈った。
「神様になってください」
「我々を救ってください」
十二歳の子どもへ。
何百回も。
何千回も。
ハクは。
最初の三日は泣いていた。
四日目には叫ばなくなった。
五日目。
腕が増えた。
六日目。
下半身が土へ溶け始めた。
七日目。
人間ではなくなった。
そして。
雨は。
降らなかった。
トキの熱も下がらなかった。
祈祷師は。
その夜、村から消えた。
「じゃあ……」
私は喉を押さえた。
「全部」
「失敗」
ハクが言った。
その十日後。
隣町から医者が来た。
薬を持って。
病人を診て。
治療した。
トキも。
回復した。
その一か月後。
季節が変わって。
雨が降った。
ただ。
それだけ。
でも。
村人は言った。
「ハク様が雨を降らせた」
「ハク様が病を治した」
そうしなければ。
耐えられなかったから。
十二歳の子どもへしたことが。
何の意味もなかったなんて。
認めたくなかった。
だから。
化け物を神様にした。
*
「じゃあ、この人たちは?」
胸の顔を見る。
ハクの腕が動く。
六本の腕が。
自分自身を隠すように身体へ巻きつく。
「お供え」
「……何?」
「僕、腐るから」
神ではない。
でも。
死ぬこともできない。
長い年月の中で、身体が壊れ始めた。
肉が落ちる。
目が腐る。
指が取れる。
それを見た村人たちは考えた。
神様へ。
新しい肉を与えよう。
最初は死刑囚。
次に身寄りのない老人。
病人。
障害のある者。
孤児。
そして。
村にとって。
「いなくても困らない人」。
生きたまま。
ハクの身体へ縫いつけた。
「……生きたまま?」
「うん」
「痛かった?」
胸の顔が。
一斉に。
こちらを見た。
「いたい」
「いたい」
「いたい」
「いたい」
「いたい」
地下室中に響いた。
吐いた。
床へ。
胃液しか出なかった。
ハクが心配そうに腕を伸ばす。
私は反射的に避けた。
その瞬間。
ハクの腕が止まる。
ゆっくり。
引っ込んだ。
「……ごめん」
ハクが言った。
胸が潰れそうになった。
化け物なのに。
私が怯えたことを。
謝った。
「違う」
涙が出る。
「あなたが悪いんじゃない」
ハクは。
その言葉を理解できなかったようだった。
「僕、神様なのに」
「違うよ」
初めて。
はっきり言った。
「あなたは神様じゃない」
地下室が。
静かになった。
何十もの顔も。
動きを止める。
ハクは私を見る。
「……ほんと?」
「うん」
「僕、神様じゃない?」
「違う」
長い。
長い沈黙。
それから。
ハクは。
泣いた。
黒い目から。
透明な涙。
十二歳の子どもの顔で。
「よかった」
その一言だけ。
「もう」
声が震える。
「お願い聞かなくていい?」
「いい」
「雨、降らせなくていい?」
「いいよ」
「病気、治さなくていい?」
「いい」
「みんなを幸せにしなくていい?」
「しなくていい」
何度も。
何度も頷いた。
ハクは泣いた。
胸の顔も。
腹の顔も。
全員泣いた。
「じゃあ」
ハクが言う。
「お願い」
「なに?」
「殺して」
私は。
答えられなかった。
「もう眠りたい」
*
祖母の日記が。
地下室の隅に積まれていた。
何十冊も。
最後の一冊を開く。
『私は兄を救いたかった』
次。
『嘘だ』
次。
『救えた』
指が震えた。
『社へ火をつければよかった』
『誰かへ全部話せばよかった』
『でも私は神の妹として尊敬されていた』
『家も与えられた』
『食べ物にも困らなかった』
『村人は私へ頭を下げた』
最後。
『兄を神様にしていたのは、村だけじゃない』
『私もだ』
そして。
最終頁。
『ミツキへ』
私の名前。
『ごめんなさい』
『兄を殺してあげて』
私は日記を閉じた。
ハクを見る。
「火で死ねる?」
「たぶん」
「怖い?」
「怖い」
「それでも?」
ハクは。
笑った。
「うん」
その顔だけ。
写真の少年と同じだった。
私が聞くと。
ハクは。
少しだけ首を傾けた。
肉の根が地下室中で蠢く。
「神様」
「そう」
「僕?」
「村のみんな、そう言ってる」
しばらく。
沈黙。
それから。
少年の顔が歪んだ。
笑ったのだと思う。
「違うよ」
「……え?」
「僕」
ゆっくり。
「神様になれなかった」
*
昔。
この村には雨が降らなかった。
田畑が枯れた。
井戸が干上がった。
さらに病が流行った。
村人は山へ祈った。
何日も。
何週間も。
当然。
何も起きなかった。
そんな頃。
一人の祈祷師が村へ来た。
その男は言った。
「神がいないのなら、作ればいい」
神へ変えるための条件。
冬至生まれ。
第一子。
傷のない身体。
そして。
自分ではなく。
誰かを心から救いたいと願っていること。
十二歳のハク。
すべてを満たしていた。
当時。
妹のトキは病に罹っていた。
高熱。
咳。
日に日に痩せていく。
「僕が神様になったら」
ハクは祈祷師へ聞いた。
「トキを治せる?」
男は笑った。
「もちろん」
だから。
ハクは自分から祭壇へ上がった。
「怖くなかった?」
私が聞く。
「怖かった」
「じゃあなんで」
「トキ死ぬほうが嫌だった」
たったそれだけだった。
村人はハクを地面へ埋めた。
首だけ出して。
七日間。
神へ近づけるためだと言って。
水だけを与えた。
皮膚へ印を刻んだ。
血を抜いた。
山の獣の血を入れた。
死者の骨を砕き。
薬と混ぜ。
飲ませた。
夜になると。
社の中で。
村人全員が祈った。
「神様になってください」
「我々を救ってください」
十二歳の子どもへ。
何百回も。
何千回も。
ハクは。
最初の三日は泣いていた。
四日目には叫ばなくなった。
五日目。
腕が増えた。
六日目。
下半身が土へ溶け始めた。
七日目。
人間ではなくなった。
そして。
雨は。
降らなかった。
トキの熱も下がらなかった。
祈祷師は。
その夜、村から消えた。
「じゃあ……」
私は喉を押さえた。
「全部」
「失敗」
ハクが言った。
その十日後。
隣町から医者が来た。
薬を持って。
病人を診て。
治療した。
トキも。
回復した。
その一か月後。
季節が変わって。
雨が降った。
ただ。
それだけ。
でも。
村人は言った。
「ハク様が雨を降らせた」
「ハク様が病を治した」
そうしなければ。
耐えられなかったから。
十二歳の子どもへしたことが。
何の意味もなかったなんて。
認めたくなかった。
だから。
化け物を神様にした。
*
「じゃあ、この人たちは?」
胸の顔を見る。
ハクの腕が動く。
六本の腕が。
自分自身を隠すように身体へ巻きつく。
「お供え」
「……何?」
「僕、腐るから」
神ではない。
でも。
死ぬこともできない。
長い年月の中で、身体が壊れ始めた。
肉が落ちる。
目が腐る。
指が取れる。
それを見た村人たちは考えた。
神様へ。
新しい肉を与えよう。
最初は死刑囚。
次に身寄りのない老人。
病人。
障害のある者。
孤児。
そして。
村にとって。
「いなくても困らない人」。
生きたまま。
ハクの身体へ縫いつけた。
「……生きたまま?」
「うん」
「痛かった?」
胸の顔が。
一斉に。
こちらを見た。
「いたい」
「いたい」
「いたい」
「いたい」
「いたい」
地下室中に響いた。
吐いた。
床へ。
胃液しか出なかった。
ハクが心配そうに腕を伸ばす。
私は反射的に避けた。
その瞬間。
ハクの腕が止まる。
ゆっくり。
引っ込んだ。
「……ごめん」
ハクが言った。
胸が潰れそうになった。
化け物なのに。
私が怯えたことを。
謝った。
「違う」
涙が出る。
「あなたが悪いんじゃない」
ハクは。
その言葉を理解できなかったようだった。
「僕、神様なのに」
「違うよ」
初めて。
はっきり言った。
「あなたは神様じゃない」
地下室が。
静かになった。
何十もの顔も。
動きを止める。
ハクは私を見る。
「……ほんと?」
「うん」
「僕、神様じゃない?」
「違う」
長い。
長い沈黙。
それから。
ハクは。
泣いた。
黒い目から。
透明な涙。
十二歳の子どもの顔で。
「よかった」
その一言だけ。
「もう」
声が震える。
「お願い聞かなくていい?」
「いい」
「雨、降らせなくていい?」
「いいよ」
「病気、治さなくていい?」
「いい」
「みんなを幸せにしなくていい?」
「しなくていい」
何度も。
何度も頷いた。
ハクは泣いた。
胸の顔も。
腹の顔も。
全員泣いた。
「じゃあ」
ハクが言う。
「お願い」
「なに?」
「殺して」
私は。
答えられなかった。
「もう眠りたい」
*
祖母の日記が。
地下室の隅に積まれていた。
何十冊も。
最後の一冊を開く。
『私は兄を救いたかった』
次。
『嘘だ』
次。
『救えた』
指が震えた。
『社へ火をつければよかった』
『誰かへ全部話せばよかった』
『でも私は神の妹として尊敬されていた』
『家も与えられた』
『食べ物にも困らなかった』
『村人は私へ頭を下げた』
最後。
『兄を神様にしていたのは、村だけじゃない』
『私もだ』
そして。
最終頁。
『ミツキへ』
私の名前。
『ごめんなさい』
『兄を殺してあげて』
私は日記を閉じた。
ハクを見る。
「火で死ねる?」
「たぶん」
「怖い?」
「怖い」
「それでも?」
ハクは。
笑った。
「うん」
その顔だけ。
写真の少年と同じだった。
