灯油は社の倉庫にあった。
私は地下室へ撒いた。
壁。
床。
肉の根。
ハクの身体。
何十もの顔が。
静かに私を見ていた。
「ミツキ」
「なに?」
「トキ」
ハクが言う。
「怒ってるかな」
「分からない」
「そっか」
嘘で慰めたくなかった。
「でも」
私は言った。
「きっと会いたかったと思う」
ハクが笑った。
マッチを擦る。
小さな火。
指先が震えた。
「ありがとう」
ハクが言った。
私は。
火を落とした。
炎が広がる。
肉の根へ。
壁へ。
ハクへ。
最初。
悲鳴はなかった。
ただ。
燃えていた。
やがて。
胸の顔が。
一つ。
叫んだ。
次。
もう一つ。
そして。
全部。
何十人。
何百人。
女。
男。
老人。
赤ん坊。
子ども。
泣き声。
笑い声。
叫び声。
「おかあさん!」
「いたい!」
「たすけて!」
「やっと!」
「死ねる!」
声が混ざる。
私は逃げなかった。
最後まで。
ハクを見ていた。
白い身体が黒くなる。
六本の腕が燃える。
顔の皮膚が崩れる。
それでも。
ハクは。
笑っていた。
そして。
最後に。
「トキ」
妹の名前を呼んだ。
その瞬間。
背後から。
頭を殴られた。
*
目を覚ます。
暗い。
身体が動かない。
土。
匂い。
鉄。
花。
腐った果物。
「……え?」
首だけが。
外に出ている。
身体が地面へ埋められていた。
社。
焼けたはずの社。
でも。
完全には燃えていない。
地下から伸びていた根は。
山そのものへ続いていた。
全部は。
焼けなかった。
目の前に。
村人たちがいる。
母の葬儀で見た顔。
老人。
若者。
子ども。
全員。
白い服を着ている。
「何して……」
声が掠れる。
村長が。
私の前へしゃがんだ。
「何てことをしてくれた」
「……」
「神様を殺した」
「神様じゃない」
「神様だ」
「違う!」
叫ぶ。
「ただの子どもだった!」
村長の顔が。
歪んだ。
怒っている。
でも。
その奥にあるもの。
恐怖だった。
「では」
震える声。
「今まで我々がしたことは何だったんだ」
その一言で。
全部分かった。
ハクが神様ではなかったと認めた瞬間。
村人は。
自分たちが何百人も殺したことを認めなければならない。
だから。
神様は。
存在しなければならない。
「お前が壊した」
老人が言う。
「お前が神を殺した」
「だから」
私は。
「お前が次になれ」
息が止まった。
「……は?」
祈祷師はいない。
昔の儀式書だけが残っていた。
冬至生まれ。
第一子。
傷のない身体。
誰かを救いたいと願った者。
条件の一部は。
もう誰も気にしていなかった。
神様は。
作れる。
一度作れたのだから。
村人は。
そう信じていた。
「待って」
腕が動かない。
「やめて」
誰かが。
私の腕へ刃を入れた。
痛み。
叫ぶ。
「やめて!」
「神様になってください」
村人が唱える。
「やめろ!」
「我々を救ってください」
「嫌!」
「神様になってください」
「助けて!」
何十人もの声。
「神様になってください」
血が抜かれる。
何か。
黒い液体を入れられる。
身体が熱い。
「神様になってください」
骨を砕いた粉。
口へ。
吐く。
無理矢理飲まされる。
「神様になってください」
一日。
二日。
三日。
指が。
増えた。
四日目。
足の感覚が消えた。
五日目。
身体の中から。
誰かの声が聞こえた。
「ミツキ」
ハクだった。
「……ハク?」
「ごめん」
泣いた。
「死ねなかった」
地下の奥。
焦げた肉の根が。
私の身体へ繋がっていた。
ハクは。
まだいた。
完全には死ねなかった。
そして。
私も。
もう。
逃げられなかった。
七日目。
村人たちが。
社の前へ集まった。
新しい注連縄。
新しい供物。
新しい神職。
私の身体は。
もう人間ではなかった。
腕が四本。
背中に。
知らない女の顔が一つ。
足は土と繋がっている。
痛みは。
まだある。
全部。
ある。
村長が。
地面へ額をつけた。
「神様」
私は。
声を出した。
「違う」
誰も聞かない。
「雨をお願いします」
「違う」
「今年も豊作でありますように」
「違う」
「病が流行りませんように」
「違う!」
叫ぶ。
でも。
村人は。
嬉しそうに頭を下げた。
「お声をくださった」
「新しい神様だ」
「神様が戻った」
「ありがたい」
泣きながら。
笑っていた。
私は。
地下で。
ハクの声を聞いた。
「ミツキ」
「なに」
「僕」
十二歳の声。
「神様になれなかった」
私は。
笑った。
泣きながら。
「私もだよ」
*
それから。
村には。
普通に雨が降った。
作物も育った。
病人は病院へ運ばれた。
何人か死んだ。
何人か助かった。
子どもが生まれた。
老人が死んだ。
恋人同士が結婚した。
受験に落ちた子もいた。
受かった子もいた。
私が。
何もしなくても。
世界は。
勝手に動いた。
それでも。
村人は毎月一日になると。
私の前へ団子と酒を置く。
そして。
言う。
「神様のおかげです」
私は。
今日も。
土の中で。
ハクと一緒に聞いている。
神様になれなかった化け物が二匹。
村人たちの願いを。
死ぬまで。
いや。
死ねないまま。
ずっと。
聞かされ続けている。
私は地下室へ撒いた。
壁。
床。
肉の根。
ハクの身体。
何十もの顔が。
静かに私を見ていた。
「ミツキ」
「なに?」
「トキ」
ハクが言う。
「怒ってるかな」
「分からない」
「そっか」
嘘で慰めたくなかった。
「でも」
私は言った。
「きっと会いたかったと思う」
ハクが笑った。
マッチを擦る。
小さな火。
指先が震えた。
「ありがとう」
ハクが言った。
私は。
火を落とした。
炎が広がる。
肉の根へ。
壁へ。
ハクへ。
最初。
悲鳴はなかった。
ただ。
燃えていた。
やがて。
胸の顔が。
一つ。
叫んだ。
次。
もう一つ。
そして。
全部。
何十人。
何百人。
女。
男。
老人。
赤ん坊。
子ども。
泣き声。
笑い声。
叫び声。
「おかあさん!」
「いたい!」
「たすけて!」
「やっと!」
「死ねる!」
声が混ざる。
私は逃げなかった。
最後まで。
ハクを見ていた。
白い身体が黒くなる。
六本の腕が燃える。
顔の皮膚が崩れる。
それでも。
ハクは。
笑っていた。
そして。
最後に。
「トキ」
妹の名前を呼んだ。
その瞬間。
背後から。
頭を殴られた。
*
目を覚ます。
暗い。
身体が動かない。
土。
匂い。
鉄。
花。
腐った果物。
「……え?」
首だけが。
外に出ている。
身体が地面へ埋められていた。
社。
焼けたはずの社。
でも。
完全には燃えていない。
地下から伸びていた根は。
山そのものへ続いていた。
全部は。
焼けなかった。
目の前に。
村人たちがいる。
母の葬儀で見た顔。
老人。
若者。
子ども。
全員。
白い服を着ている。
「何して……」
声が掠れる。
村長が。
私の前へしゃがんだ。
「何てことをしてくれた」
「……」
「神様を殺した」
「神様じゃない」
「神様だ」
「違う!」
叫ぶ。
「ただの子どもだった!」
村長の顔が。
歪んだ。
怒っている。
でも。
その奥にあるもの。
恐怖だった。
「では」
震える声。
「今まで我々がしたことは何だったんだ」
その一言で。
全部分かった。
ハクが神様ではなかったと認めた瞬間。
村人は。
自分たちが何百人も殺したことを認めなければならない。
だから。
神様は。
存在しなければならない。
「お前が壊した」
老人が言う。
「お前が神を殺した」
「だから」
私は。
「お前が次になれ」
息が止まった。
「……は?」
祈祷師はいない。
昔の儀式書だけが残っていた。
冬至生まれ。
第一子。
傷のない身体。
誰かを救いたいと願った者。
条件の一部は。
もう誰も気にしていなかった。
神様は。
作れる。
一度作れたのだから。
村人は。
そう信じていた。
「待って」
腕が動かない。
「やめて」
誰かが。
私の腕へ刃を入れた。
痛み。
叫ぶ。
「やめて!」
「神様になってください」
村人が唱える。
「やめろ!」
「我々を救ってください」
「嫌!」
「神様になってください」
「助けて!」
何十人もの声。
「神様になってください」
血が抜かれる。
何か。
黒い液体を入れられる。
身体が熱い。
「神様になってください」
骨を砕いた粉。
口へ。
吐く。
無理矢理飲まされる。
「神様になってください」
一日。
二日。
三日。
指が。
増えた。
四日目。
足の感覚が消えた。
五日目。
身体の中から。
誰かの声が聞こえた。
「ミツキ」
ハクだった。
「……ハク?」
「ごめん」
泣いた。
「死ねなかった」
地下の奥。
焦げた肉の根が。
私の身体へ繋がっていた。
ハクは。
まだいた。
完全には死ねなかった。
そして。
私も。
もう。
逃げられなかった。
七日目。
村人たちが。
社の前へ集まった。
新しい注連縄。
新しい供物。
新しい神職。
私の身体は。
もう人間ではなかった。
腕が四本。
背中に。
知らない女の顔が一つ。
足は土と繋がっている。
痛みは。
まだある。
全部。
ある。
村長が。
地面へ額をつけた。
「神様」
私は。
声を出した。
「違う」
誰も聞かない。
「雨をお願いします」
「違う」
「今年も豊作でありますように」
「違う」
「病が流行りませんように」
「違う!」
叫ぶ。
でも。
村人は。
嬉しそうに頭を下げた。
「お声をくださった」
「新しい神様だ」
「神様が戻った」
「ありがたい」
泣きながら。
笑っていた。
私は。
地下で。
ハクの声を聞いた。
「ミツキ」
「なに」
「僕」
十二歳の声。
「神様になれなかった」
私は。
笑った。
泣きながら。
「私もだよ」
*
それから。
村には。
普通に雨が降った。
作物も育った。
病人は病院へ運ばれた。
何人か死んだ。
何人か助かった。
子どもが生まれた。
老人が死んだ。
恋人同士が結婚した。
受験に落ちた子もいた。
受かった子もいた。
私が。
何もしなくても。
世界は。
勝手に動いた。
それでも。
村人は毎月一日になると。
私の前へ団子と酒を置く。
そして。
言う。
「神様のおかげです」
私は。
今日も。
土の中で。
ハクと一緒に聞いている。
神様になれなかった化け物が二匹。
村人たちの願いを。
死ぬまで。
いや。
死ねないまま。
ずっと。
聞かされ続けている。
