とある少女の物語

恋をしたことがなかった。

正確に言えば、恋をする必要がなかった。

私には推しがいた。

画面の向こうで笑って、歌って、踊っているその人を見ているだけで、毎日は十分に楽しかった。

だから、恋愛なんて面倒なものだと思っていた。

誰かを好きになって、会いたくなって、少し話しただけで一喜一憂して。
そんなことをするくらいなら、推しの新しい動画を見ていたほうがずっと幸せだ。

――少なくとも、あの日までは。


*


「ねえ、澪」

昼休み。

向かいの席に座った乃愛が、頬杖をつきながら私を見た。

「なに?」

「澪ってさ、好きな人いる?」

「いない」

即答だった。

「……早くない?」

「だっていないもん」

「じゃあ、気になる人は?」

「いない」

「即答……」

乃愛が呆れたように笑う。

私はスマホの画面に視線を戻した。

そこには、昨日配信されたばかりの推しの新曲のMVが映っている。

「私にはこの人がいるから」

「それ、恋愛とは違うでしょ」

「同じようなもんじゃない?」

「全然違うと思うけどなあ」

そう言って、乃愛は笑った。

私は知らなかった。

このときの乃愛もまた、私には言えない「好きな人」がいたことを。

そして私自身も、この数週間後には、今まで一度も欲しいと思わなかったものを欲しがるようになることを。

会いたい。

もっと話したい。

自分だけを見てほしい。

そんな、面倒で、どうしようもなくて。

でも、たぶん人生で一番きれいな気持ちを。

私たちは同じ学校で、別々の人に恋をした。

これは、そんな二人の女の子の話。