冷たい唇、その奥に

 当日は、七月の初旬だというのに、やけに暑い日だった。
 わたしは、半袖の黒のTシャツに、ジーンズで待ち合わせ場所へ向かった。
 待ち合わせ場所は、街で一番大きな駅だった。
 大型モニターの周りは、待ち合わせをしている人たちで溢れ返っている。
 みな忙しそうに、スマートフォンを操作している。
 わたしが二十分前に着くと、香はまだ来ていなかった。
 鋭い日差しに、わたしは思わず手をかざした。
 わたしは木陰で待っていた。
「やあ」
 ふいに声をかけられた。
 わたしにかけられた声だと気づくまでに少し時間がかかった。
「神代(かみしろ)さんだよね?」
 男の人は、わたしの名前を呼んだ。
「はい」
 わたしは答えた。
「立川充(たちかわみつる)。よろしくね」
 何となく見たことがある顔だ。
 一学年上に人気がある先輩がいる、と香が言っていた。
 その後、白石(しらいし)という、立川先輩の友人が合流した。
 香は遅れて来た。
 待ち合わせ時間の十五分後に。
「ごめん、ごめん……メイクに時間かかっちゃって」
 香は、わたしには見せたことのないメイクで現れた。
「じゃあ、行こっか」
 香はそう言うと、率先して歩き始めた。
 カラオケ店は、駅から五分程度歩いたところにあった。
 カラオケ店では、思わず耳を塞ぎたくなるほどの音量で、流行のヒット曲らしいであろう音楽が流れていた。
 わたしは、思わず顔をしかめた。
「どうしたの?」
 香が訊いてきた。
「ううん」
 わたしは首を振って言った。
 香と先輩たちは、三人でその曲を口ずさんでいる。
 わたしは、視線の置き場に困って、店内を見回した。
 鼓動がやけにはやい。
 受付が終わると、二〇五号室に案内された。
 部屋は薄暗かった。
 香が電気をつけるか先輩たちに訊くと、白石先輩が、そのままでいいよ、と答えた。
 わたしはソファーに座らずに立っていた。
「美咲ちゃん、俺の隣に座りなよ」
 立川先輩が言った。
 美咲ちゃんと呼ばれて、心臓が鳴った。
 貴利以外の男の人に、下の名前で呼ばれるなんて。
 香は、白石先輩と顔を近づけ合って何かを話している。
 最初に曲を入れたのは、白石先輩だった。
 歌の上手さはよくわからない。
 でも、白石先輩の歌声は、自然と耳に馴染んだ。
 次に香が曲を入れた。
 ラップが入っている曲を違和感なく歌う。
 歌っている最中に、香がわたしのほうに視線をよこした。
 でも、わたしは、思わず視線を逸らしてしまった。
 最後に歌ったのは、立川先輩だった。
 白石先輩とは、また違う歌声だ。
 心の揺らぎが静かになるような、不思議な歌声だった。
 ふと、貴利が歌を歌う姿をと想像してみた。
 曖昧な輪郭さえ思い浮かべることができなかった。
 わたしは歌わなかった。
 最後まで。
 どれだけ勧められても。
 流行りの曲なんて、一曲も知らない。
 知っている曲と言えば、貴利がたまに歌っている童謡ぐらいだ。
 二時間は、瞬く間に過ぎていった。
 カラオケの代金は、立川先輩と白石先輩が支払ってくれた。
「自分の分は、自分で支払います」
「気にしないで。その代わり、今度、一緒に出かけよう」
 立川先輩は悪戯な笑顔を浮かべて言った。
「ありがとうございます」
 わたしは頬を赤くして言った。
 その後、待ち合わせ場所の駅まで戻って、先輩達と別れた。
「立川先輩、絶対、美咲に気があるよ」
 香が耳打ちして言った。
 わたしは、答えに窮し、俯いて自分のつま先を見つめた。
 八月に入って、四人で花火大会に行った。
 その帰り道で、立川先輩に告白された。