冷たい唇、その奥に


 駅に着くと、立川先輩は柱に背を預けて電話をしていた。
 わたしに気づくと、電話を切って駆け寄ってきた。
「どうしたの? 何かあった?」
「どうしたらいいのか、わからなくて……」
「とりあえず、ゆっくり話そう。公園にでも行こうか」
 駅から離れて、住宅街まで歩いた。
 この辺りは、街灯が少ない。
 一人では、歩きたくない。
 公園は住宅に囲まれるようにして、ひっそり佇んでいた。
 灯りは一つだけで、灯りの周りには無数の虫が円を作って飛び回っている。
 ベンチに腰掛けると、先輩はポケットから何かを取り出そうとした。
「あっ、ごめん」
 立川先輩はそう言うと、ポケットをパンパンと叩いた。
「何があったの?」
「あの……兄が怖くなったんです……」
「どうして? 優しいお兄さんだって言ってたのに」
「そうなんですけど……今日の兄はいつもと違って……」
「そっか。受験勉強で大変なんじゃないの? お兄さん、受験生なんだよね?」
「はい、そうです……」
「美咲ちゃんがサポートしてあげないと」
「そうなんですけど……」
「美咲ちゃんみたいな妹だったら、俺は勉強がんばっちゃうけど」
「キスしてください」
 わたしは立川先輩の目をじっと見つめて欲しがるように言った。
「えっ……どうしたの? 急に」
「お願いします。してください」
「俺はいいけど……いいの?」
「はい。先輩にしてほしいんです」
 立川先輩は、わたしの肩に優しく触れて、自分のほうにわたしの体を引き寄せた。
 わたしは、目を閉じていた。
 気配を感じる。立川先輩の。
 柔らかい唇だった。
 唇の手入れを、きちんとしているのだろう。
 ふと、この唇は、他の女の子にも触れているような気がした。
 男の人の唇が、こんなにも柔らかいなんて意外だった。
 立川先輩は、背中に手を回してきた。
 わたしも同じように、立川先輩の背中に手を回す。
 抱きしめあって、キスをした。
 わたしは、欲しくなった。
 立川先輩のすべてを。
 ふいに、口のなかに何かが入ってきた。
 体がビクついた。
 立川先輩の息が荒くなった。
 わたしは目を開けて、立川先輩の唇を引き離した。
「ごめん。嫌だった?」
「そんなんじゃないです……ただ……」
「ほんとにごめん。今日は帰ろう」
 立川先輩はそう言うと、手を差し出した。
「大丈夫です」
 わたしは自分の力で立ち上がった。
 自宅の近くまで、立川先輩は送ってくれた。
「じゃあ」
 立川先輩はそれだけ言うと、一度も振り向かずに暗闇のなかに消えて行った。