Green Love ~青と翠が混ざり合う場所~

七月。

期末テストが終わると同時に、学校は解放感に満ちた、騒がしい夏休みの空気に包まれた。

太陽の光は暴力的なまでに強烈で、アスファルトからは陽炎(かげろう)がゆらゆらと立ち上っている。 校庭の隅の木々にしがみつく蝉(せみ)たちは、まるで自分たちの短い命を燃やし尽くすかのように、競い合って夏の到来を告げていた。

遮るもののない日差しの中で、街の緑は春の柔らかな色から、濃緑(こんりょく) へと完全に姿を変え、息苦しいほどの生命力を放っている。 今までの僕なら、このけたたましい季節のエネルギーにあてられて、涼しい部屋の隅でただ秋が来るのを待っていただろう。

けれど、今年の夏は違った。僕の隣には、太陽よりも眩しい笑顔を見せる少女がいる。

「ねえ、蓮見くん。夏休み、行きたい場所があるんだ」

終業式の日の放課後、誰もいなくなった教室で、碧(あお)は僕の前にあのトイカメラを突き出しながら、いたずらっぽく微笑んだ。

彼女が連れてきてくれたのは、電車を乗り継いだ隣町にある、数年前に閉館したという古い温室植物園だった。

「すごいでしょ? 私が見つけた『緑の秘密基地』だよ」

錆びついた鉄格子の隙間を抜け、立ち入り禁止の看板の裏側へ回り込む。碧はそう言って、まるで自分だけの宝物を見せる子供のように得意げに胸を張った。

かつては多くの人で賑わっていたであろうその場所は、今は完全に人間の管理から外れ、ガラスの屋根から容赦なく差し込む太陽の光を浴びて、熱帯のジャングルのように鬱蒼 (うっそう) とした緑で満たされていた。 足元にはシダ植物が密生し、巨大なヤシの木はガラスの天井を突き破らんばかりに成長している。

温室の中は外よりもさらに暑く、むっとするような土と葉の匂い、そして植物たちが吐き出す濃密な酸素の匂いが立ち込めている。 息を吸い込むだけでむせ返りそうなほどの生命の気配。けれど、僕たちの他に誰もいないその空間は、外の蝉時雨さえも遮断され、世界から切り離されたみたいに静かだった。

「本当にすごいね・・・・・・。よくこんな場所見つけたな」

「ふふ、秘密。さあ、蓮見くん! 今日は撮りまくるよ!」

碧は僕からプレゼントしたトイカメラを首から下げ、温室の奥へと探検家のようにトコトコと歩いていく。

大きなヤシの木の葉の隙間から、木漏れ日が彼女の白いノースリーブのワンピースに落ち、まるで水玉模様のような美しい影を描き出していた。 細く白い腕と、深い緑のコントラスト。その完璧な調和に、僕は吸い寄せられるようにカメラを構えた。

パシャリ。

僕は汗が滲むのも気にせず、夢中でシャッターを切り続けた。

レンズの向こうの碧は、いつも以上に生き生きとして見えた。 トイカメラを構えて「蓮見くん、笑って!」と僕を撮り返してきたり、珍しい形の巨大な葉っぱを見つけては「見て見て! 傘みたい!」とはしゃいだり。

静寂に包まれた廃墟のような植物園に、二人の笑い声が、高いガラス天井に反響して優しく響いていた。 永遠にこの時間が続けばいいと、心の底から願った。

◇

「ふぅ・・・・・・ちょっと疲れちゃった」

一時間ほど撮影を続けた頃、碧が大きなガジュマルの木の根元にある、苔むした木製のベンチに、ぽつんと腰掛けた。

彼女の額には、うっすらと汗が浮かんでいる。 呼吸も少し浅く、肩が上下に揺れていた。

「そうだね、水分補給しよう。来る途中で冷たいの買ってきたから」

「わあ、ありがとう!」

僕は持っていた保冷バッグから、水滴のついたスポーツドリンクのペットボトルを取り出し、彼女に手渡した。

碧はそれを受け取ると、冷たいボトルを自分の火照った頬にピタッと当てて「冷たい!」 と嬉しそうに声をあげる。 その仕草一つひとつが、あまりにも愛らしくて、僕の胸をきゅんと締め付けた。

「僕も座っていい?」と聞きながら、僕も彼女の隣に腰を下ろす。 ベンチが小さくて、二人の肩がかすかに触れ合った。

ドクン、と心臓が鳴る。

でも、今の碧はそれに気づかないくらい、少しだけ息が荒かった。

「…………………一ノ瀬さん、大丈夫? ちょっと顔色が白い気がするけど」

僕は心配になり、彼女の顔を覗き込んだ。透き通るような白さは彼女の魅力でもあったけれど、今は少し血の気が引いているように見えた。

「ん? 大丈夫だよ。ちょっと、はしゃぎすぎちゃっただけ」

碧はいつもの向日葵のような笑顔を浮かべて、ドリンクを一口飲んだ。

でも、彼女がボトルを持つ手が、微かに震えているのを僕は見逃さなかった。 部室で手を重ねた時の、あの氷のような冷たさが不意に脳裏をよぎる。

「一ノ瀬さんってさ、体育の授業いっつも見学してるよね。走るのとか、苦手なの?」

ずっと気になっていたけれど、踏み込んでいいのかわからずに聞けなかったことを、僕は思い切って尋ねてみた。

碧はドリンクを飲む手を止め、一瞬だけ、動きを止めた。

そして、遠くの緑の葉を見つめるようにして、どこか諦めたような、寂しげな微笑みを浮かべた。

「うん。私ね、すっごく運動音痴なの。走るとすぐに心臓がバクバクして、倒れそうになっちゃうの。だから、先生が危ないからって止めるんだよね」

「そっか・・・・・・。じゃあ、今日もこんな暑いところで無理させちゃったね。ごめん。もっと早く休ませればよかった」

僕が後悔に駆られてうつむくと、碧は少しだけ慌てたような声を出した。

「ううん! 謝らないで」

碧は僕の方を振り返り、僕のシャツの袖をぎゅっと掴んだ。

その力が思いのほか強くて顔を上げると、彼女の瞳が、少しだけ潤んでいるように見えた。 泣きそうなのを必死に堪えているような、切羽詰まった表情だった。

「私ね、蓮見くんとここにいる時間が、一番好きなの。蓮見くんがカメラを向けてくれるとね、自分がすごく特別な、綺麗な世界の一部になれた気がするの。だから・・・・・・」

碧はそこで言葉を区切ると、掴んでいた袖をゆっくりと離し、僕の手の上に自分の冷たい手をそっと重ねた。

真夏の熱気を孕んだ温室の中で、彼女の手だけが異質なほどに冷たい。

「だから、私のこと、これからもたくさん撮ってね。忘れないように、全部、綺麗に残してほしいの」

彼女の言葉は、まるで遺言のように重く、悲痛な響きを帯びていた。なぜ彼女がそんなに切実な顔をするのか、僕にはわからなかった。忘れるはずがないのに。僕の心には、もう君しかいないのに。

「当たり前だよ。言われなくても、一ノ瀬さんの写真は一生分撮るつもりだから」

僕が照れ隠し混じりに、けれど本気でそう言うと、碧は一瞬、全てを悟ってしまったかのように泣きそうな顔をした。

けれどすぐに、いつもの眩しい笑顔に戻って「約束だよ」と小さく小指を差し出し、僕の小指に絡めてきた。

ガラス越しの夏の光が、指切りをして重なり合った僕たちの手を白く飛ばすように照らしていた。

僕は彼女の言葉の裏に隠された本当の意味を、自分の命の期限を悟った人間の悲痛な叫びを、まだ何も分かっていなかった。

ただ、重ねられた彼女の冷たい手を、そして震える小さな小指を、少しでも温めるように優しく握り返すことしかできなかった。