Green Love ~青と翠が混ざり合う場所~

温室でのあの一件以来、僕の放課後は劇的に変わった。

「蓮見くん、今日はどこに行くの?」

六時間目の終わりを告げる終業のチャイムが鳴り響くと同時、左隣の席から身を乗り出すようにして、碧(あお)が話しかけてくる。 転校してきてからまだわずかな時間しか経っていないというのに、それがすっかり二人の日課になっていた。

彼女は明るく、誰に対しても分け隔てなく接するため、あっという間にクラスの中心的存在になっていた。いつも彼女の周りには人が集まり、笑い声が絶えない。それなのに、放課後になると彼女は決まって、クラスで一番地味で目立たない僕の机の前にやってくるのだ。

僕の所属する写真部は、実質的に僕一人だけの活動だ。 他の部員は顔も見たことがない。そんな孤独で静かすぎる場所に、カメラを持たない碧が「専属モデル」という名目で毎日ついてくるようになったのだ。 僕は戸惑いながらも、その奇跡のような日常をどこかで強く待ち望んでしまっていた。

五月の風は心地よく爽やかで、街の緑は春の柔らかな色から、初夏に向けた力強い濃さへと日ごとにその色を増していた。

「今日は、川沿いの土手に行ってみようか。あそこ、今の時期はクローバーがいっぱい咲いてるから」

「クローバー! いいね、行こう!」

碧は花が咲いたように嬉しそうに笑うと、無造作にカバンを肩にかけ、僕の腕を軽く引っ張るようにして教室を飛び出した。 彼女の手の感触が制服越しに伝わるたび、僕はどうしようもなく胸が締め付けられる。

廊下を歩く僕たちに向かって、クラスの男子から「おい蓮見、またデートかよ!」と容赦のない冷やかしの声が飛ぶ。

僕は心臓が跳ね上がり、顔がカッと熱くなるのを感じながら情けなく俯いたけれど、碧は立ち止まることもなく、「ちがうよー、写真部の活動!」と屈託なく笑って彼らに手を振り返していた。

そのあっけらかんとした態度、何の裏表もない無邪気な屈託のなさに、僕の胸はいつも小さくズキリと痛む。

彼女にとって僕は、ただの「カメラの男の子」であり、「話しやすい友達」に過ぎないのだろうか。 デートだとからかわれて少しも意識しないのは、僕に対してそんな特別な感情を微塵も抱いていないからだ。自意識過剰になりそうな自分を必死に抑え込みながら、僕は彼女の少し後ろを黙って歩き続けた。

◇

街を流れる浅い川の土手は、碧の言う通り、いや、あるいは碧と一緒にいるから一層鮮やかに見えるのか、見渡す限りの瑞々しい鮮やかな緑に覆われていた。

小さな白いクローバーの花が、まるで丁寧に織り上げられた絨毯のように、視界の奥まで一面に広がっている。 吹き抜ける風が草を揺らし、さやさやと心地よい音を立てていた。

「うわあ・・・・・・! 蓮見くん、見て! 綺麗!」

碧は土手に着くなり歓声を上げ、指定の制服のスカートが土や草の汁で汚れるのもまったく気にせずに、その場にぽんとしゃがみ込んだ。 そして、宝探しをする子供のように熱心に地面の草をかき分け始める。

「何を探してるの?」

「決まってるじゃん、四つ葉のクローバーだよ。蓮見くんも突っ立ってないで、一緒に探して」

手招きされて、僕も逆らうことなく彼女の隣にしゃがみ込む。

すぐ隣から、春の風に乗って、かすかにシャンプーの甘い香りが漂ってきた。僕は草むらを見つめるフリをしながら、必死に高鳴る心臓を抑え込んだ。

「四つ葉なんて、そう簡単に見つかるものじゃないよ。確率で言ったら、何万分の一とかじゃないかな」

僕が半ば諦め気味に言うと、碧は草むらから顔を上げずに首を振った。

「見つかるよ。絶対に蓮見くんに見つけてあげるんだから」

「どうして僕に?」

「だって、いつも私ばっかり蓮見くんから『綺麗な写真』っていうプレゼントをもらってるから。今日は私からのプレゼント!」

その真っ直ぐで嘘のない言葉に、僕は返す言葉を見つけられなかった。彼女はいつだって、僕が欲しい言葉を、僕が想像もつかないような角度から真っ直ぐに投げかけてくる。

「あ、あった!」

数分もしないうちに、碧が弾んだ高い声をあげた。 彼女の小さな手のひらの上には、まるで奇跡を引き寄せたかのように、綺麗な四つの葉を広げたクローバーがちょこんと乗っている。

「すごいね、もう見つけたんだ」

「ふふん、私、こういう小さな幸せを見つけるの得意なんだ。はい、これ蓮見くんにあげる」

「え? 僕に?」

「うん。蓮見くんに、いっぱいいいことがありますようにって。・・・・・・あ、そうだ! 今の私、撮って!」

碧は四つ葉のクローバーを自分の目の横に掲げ、慌ててカメラを構える僕に向かって、片目をきゅっと瞑ってウインクをした。

沈みかけの西日が彼女の横顔を柔らかなオレンジ色に染め、背景に広がる無数の緑を、きらきらと逆光で輝かせる。 その表情があまりにも可愛くて、あまりにも完璧な瞬間で、僕は息をするのを忘れてファインダーを覗いた。

パシャリ。

金属のシャッター音が、静かな土手に響く。

「・・・・・・うん。すごく、可愛く撮れたと思う」

「本当? 見せて見せて!」

碧が立ち上がり、弾むような足取りで僕の持っているカメラを覗き込もうと距離を詰めてくる。

しかし、僕が父から譲り受けたカメラは古いフィルム式だ。 今どきのデジタルのように、撮ったばかりの写真をすぐに見返せる液晶画面なんてついていない。

「あ、ごめん。これ、フィルムだからすぐには見られないんだ」

「そっか、残念・・・・・・。じゃあ、現像するまでのお楽しみだね」

碧は少し残念そうに唇を尖らせたが、すぐに悪戯っぽい、小悪魔のような笑顔を浮かべた。

「ねえ、だったらさ。蓮見くんの目には、今の私、どんな風に写ってた?」

下から覗き込んできた碧の瞳が、至近距離で僕の目をまっすぐに見つめる。 長い睫毛(まつげ)の隙間から見える、吸い込まれそうなほど澄んだ瞳。 彼女のわずかな吐息が届きそうなほどの距離に、僕の思考はショートしたように完全にフリーズした。

「綺麗だった」と、素直に言えればどれほど良かっただろう。君がこの世界のどの景色よりも美しいと、声に出して伝えられたら。けれど、臆病な僕の口はパクパクと情けない動きをするだけで、肝心な言葉を何一つ紡ぐことができない。

「それは・・・・・・その・・・・・・」

「ふふ、冗談だよ。蓮見くん、すぐ真っ赤になるから面白い」

碧はからからと風鈴のように笑って、ひらりと一歩下がった。

でも、僕の心臓はもう、限界を迎える一歩手前だった。 揺れる緑の草並み。水面を反射する夕暮れの光。 そして、目の前で笑う少女。

僕はずっと、レンズという安全な盾の向こう側から世界を傍観しているだけの人間だった。傷つくのが怖くて、人間関係から逃げて、何も言わない植物たちに囲まれているだけで満足だと思い込んでいた。

けれど、彼女はそんな僕の盾をいとも簡単にすり抜けて、僕の心の一番深い場所に直接触れてくる。ファインダーを通さなくても、僕の目には、彼女の姿が世界の誰よりも鮮明に、美しく写っていた。

(ああ、僕は・・・・・・一ノ瀬さんのことが、好きなんだ)

もう、緑の風景だけを撮って満足していた昨日までの僕には戻れない。僕の目は、僕の心は、これから先ずっと、彼女という眩しい光だけを追いかけ続けてしまうのだろう。

この新緑の季節の中で、僕は自分がもう二度と引き返せないほどの恋に落ちていることを、完全に自覚したのだった。