フィボナッチ

 それからしばらくして、俺は月末に教室へ貼り出すクラス新聞を作る羽目になった。

 係決めのじゃんけんに負けただけなのだが、記事を書く担当だった連中は、原稿を渡した時点で仕事を終えた顔をして帰っていき、気付けば模造紙への配置と仕上げだけが俺のところに残っていた。

 しかも締め切りは明日の朝。

「・・・・・・・・・・・・終わるか、これ」

 放課後の教室で机を二つくっつけ、その上いっぱいに模造紙を広げる。

 記事を貼る場所を決めて、見出しを書いて、空いたところに写真を置く。やる事だけ並べれば大した量には見えないのに、一人で始めると思ったより面倒だった。

 とはいえ、じゃんけんで負けたのは俺だ。

 諦めて定規を当てていると、教室の入口から声がした。

「まだ帰ってなかったんだ」

 顔を上げると、鞄を肩に掛けた継原がこちらを覗き込んでいた。

「見れば分かるだろ。クラス新聞。明日の朝まで」

「ああ、あれ相原だったんだ」

「じゃんけんで負けたんだよ。てかお前こそなにやってんの?」

「忘れ物取りに戻ってきたの」

 継原は教室に入ってくると、机の上に広げた模造紙を覗き込みながら自分の席へ向かう。

 忘れ物を鞄にしまったところで、俺の席へ近づき、まだ貼っていない原稿と写真を見比べて少しだけ眉を上げた。

「これ、一人でやるの?」

「そうだよ」

「大変そう」

「他人事だな。まぁ、そりゃそっか」

「手伝おうか?」

「いや、いいよ」

 俺は定規へ視線を戻す。

 継原はそのまま帰るのかと思ったが、なぜかしばらく動かなかった。

「なんで?」

「お前の仕事じゃないし」

「それ、この前私に言ってたね」

 友達のプリントを仕分けていた時の事だろう。言われてみれば、同じような事を言ったのを思い出す。

 継原は口元を少し緩めた。

「暇だから手伝うよ」

「いや、だから」

 返事も待たず、近くの机へ鞄を置くと、向かいに椅子を持ってきて腰を下ろす。

「なにすればいい?」

「じゃあ、俺が記事の枠引いてサイズ測るから、お前その大きさに合わせて写真切ってくれ」

「りょーかい」

 俺が原稿の位置を決め、その横で継原が写真を切ったり、見出しを書いたりする。

 二人になれば、当然作業は早くなった。

 ただ、継原は頼んだところだけでは終わらない。

「ここ、ちょっと寂しくない?」

「別にいいだろ」

「よくないよ」

 すると継原は、空いていた場所に小さな飾りを描き始める。

「余計な仕事増やすなよ」

「やるならちゃんとした方がいいじゃん」

「俺一人なら原稿貼って終わりだったけどな」

「でも、こっちの方が見やすくない?」

 少し離れて全体を見る。単に原稿と写真を並べただけの時より、確かに見た目は華やかになっていた。

「まぁ」

「でしょー? あ、ここもついでだから描いていい?」

「あんまり脱線するなよ? 作業はまだあるんだから」

「分かってますって」

 そんなやり取りをしながら作業を続けているうちに、窓の外はいつの間にか暗くなっていた。

「出来たぁ」

 最後の写真を貼り終え、継原が机に突っ伏す。

「お疲れ」

「相原も」

 俺も椅子から立ち、完成した新聞を眺める。

 一人だったら、まだ半分くらい残っていたかもしれない。

「助かった。ありがとな」

「どういたしまして」

 継原は、のりの付いた指先をティッシュで拭きながら答える。

「で、なにがいい?」

「なにが?」

「お返し」

 手を拭いていた継原の動きが止まった。

「また?」

「だって手伝ってもらったし。しかも明日締め切りだったし、だいぶ助かった」

「助かったのはよかったけど、私が勝手に残って手伝っただけだよ?」

「それでも、ちゃんと返したいから」

「じゃあ、ありがとうでいいよ」

「いや、それだけじゃ釣り合ってないだろ」

「別に釣り合ってなくていいよ。てか私的には釣り合ってるし」

「俺的には釣り合ってないんだけど」

「そもそも、私がしてほしいお返しなんだから、私が決めていいでしょ?」

 それを言われると反論しづらい。


「相原って、本当にゼロにしたがるよね」

「なにが?」

「別に。それより帰ろう? もうすぐ下校時間だよ」

「・・・・・・おう」

 教室の電気を消し、二人で廊下へ出る。

 並んで歩きながらも、さっきの言葉が妙に頭に残っていた。

 ゼロにしたがる。

 俺はただ、借りたものを返したいだけだ。

 返してしまえば、それで元通りになる。傘の時はミルクティー一本で納得出来たし、休んだ日に授業の内容を送ってもらった時は、数学を教える事で返せた。

 でも今日の一時間を、なにで返せば同じになるのかは分からない。

 継原は「ありがとうでいい」と言ったけれど、それでは俺の中にまだなにかが残っている。

 それなのに、不思議と嫌な感じはしなかった。

 なにを返せばいいのか考えるのも、以前ほど面倒には感じない。

 どうせ返すなら、継原が喜ぶものがいい。

 そこまで考えてから、なんで俺がそんな事まで気にしているんだと思った。

 別に深い意味はない。返すなら、喜ばれた方がいい。

 それだけ。


§


 翌日の休み時間。継原が俺の席までやってくると、机の前で足を止めた。

「相原」

「ん?」

「お返し。昨日手伝った分の」

「・・・・・・お前、昨日いらないって言ってただろ」

「言ったよ」

「じゃあなんで」

「相原が返さないと落ち着かないみたいだから、特別に返させてあげようと思って」

「なんでそんな上からなんだよ」

「返したいんでしょ?」

「まぁ・・・・・・返したいけど」

「じゃあ決まり」

 継原は満足そうに頷く。

「今日の昼休み、購買でクリームパン買ってきて」

「クリームパン?」

「今日限定のやつ出るんだって。でも私、昼休みになったら委員会行かなきゃいけなくて」

「昨日一時間くらい手伝って、それ?」

「私がいいって言ってるんだからいいの」

 また軽い。昨日使わせた時間と釣り合っているとは思えないが、本人がそれでいいと言うなら仕方ない。

「分かった」

「やった。じゃあお願いね」

「売り切れてたら?」

「その時は諦める」

「意外と聞き分けいいな」

「でも午後ずっと落ち込む」

「面倒臭いな」

「だから相原にかかってるよ」

「急に責任重くすんな」

「じゃあよろしくねっ」

 継原は笑いながら自分の席へ戻っていった。

 という訳で、昼休みになると同時に購買へ向かった。

 限定と言っていた割にはまだいくつか残っていて、目当てのクリームパンはあっさり確保出来た。

 その時点では、それだけのつもりだった。

 けれどレジへ向かう途中、冷蔵棚に並んだミルクティーが目に入る。

 継原がいつも飲んでいるやつだ。

 雨の日のお返しに渡した時も、美味しそうに飲んでいたのを覚えている。

 昨日の一時間にクリームパン一個。

 本人はそれでいいと言っていたけれど、俺としてはやっぱり軽い気がした。

 飲み物くらい付けた方が、まだ釣り合うだろう。

 そう考えて、ミルクティーを一本手に取った。

 他の飲み物でもよかったはずなのに、これを選んだのは、継原が好きなのを知っていたからだ。

 どうせ返すなら、喜ばれた方がいい。そのまま二つまとめて会計を済ませた。

 教室に戻ってしばらくすると、委員会を終えた継原が駆け込んできた。

「間に合った?」

「余裕で」

 机の上に置いていたクリームパンを渡す。

「ありがと! 信じてたよ!」

「大袈裟だな」

「限定だからね。今日逃したら一生後悔してたかもしれない」

「人生背負わせんなよ」

 嬉しそうに袋を受け取る継原の前へ、続けてミルクティーを置いた。

「あとこれ」

「ん? なにこれ?」

「見れば分かるだろ」

「ミルクティーだね」

「正解」

「いや、そうじゃなくて。頼んでないけど?」

「知ってる」

 継原はミルクティーと俺の顔を交互に見ると、ゆっくり口元を緩めた。

「相原も勝手にやるようになったね」

「違う。これは返す分に含まれてる」

「クリームパンでいいって言ったのに?」

「昨日の一時間にパン一個は軽すぎるだろ」

「私はそれでよかったんだけど。また、釣り合い?」

「そういう事」

「相原らしいなぁ」

「なんだよ、その言い方」

「別に?」

 継原は少し楽しそうに笑ってから、ミルクティーを手に取った。

「でも、ありがと」

「おう」

 ストローを刺し、一口飲む。

「やっぱこれ好き」

「だろうな」

「なんでそう思うの?」

「だって前もあげた時、美味しそうに飲んでただろ」

「私の事、よく見てるんだね?」

「意味あり気に言うのやめて? たまたまだから」

「たまたま覚えてたんだ?」

「そういう事」

「ふーん」

「なんだよ」

「別にー?」

 継原は「ふふ」と笑うと、今度はクリームパンの袋に手をかけた。

「こっちもいただくね?」

「おう」

 一口食べるなり、目を丸くする。

「美味しいぃ」

「よかったな」

「一口いる?」

「いや、いい。甘いのそこまで好きじゃないし」

「それは人生半分損してるよ」

「それよく聞くけど、好きじゃないもの食べる方が損するだろ」

「だから生まれながらにして損してるって事」

「ひどっ」

「人は生まれながらにして不平等を抱えているのだよ」

 そう言って、継原はまたクリームパンを頬張る。

「食べ物一つで随分でかい話になったな」

「大事な問題だよ?」

「はいはい」

 継原は気にした様子もなく、クリームパンをもう一口食べる。その合間にミルクティーへ手を伸ばし、満足そうにストローを咥えた。

 昨日手伝ってもらった一時間に、クリームパンとミルクティー。

 さっきよりは釣り合った気がする。

 それでも、これで完全に返せたかと聞かれれば、まだ少し引っ掛かる。

 継原本人は、そんな事を気にしていないのだろう。

 クリームパンを食べながら、時々ミルクティーを飲んでは満足そうにしている。

 その顔を見ていると、少なくとも選んだものは間違っていなかったと思えた。