フィボナッチ

 放課後、俺達は図書室の端にある長机を挟んで向かい合っていた。

「ここから分かんない」

 継原が開いた問題集をこちらへ押し出す。

 開かれていたのは、数列のページだった。

「どこまで分かる?」

「数字が並んでる」

「ほぼなにも分かってないじゃん」

「だから呼んだんだけど」

「威張るなよ」

「先生、お願いします」

「朝からそれ気に入ってるな」

 問題集を引き寄せ、最初の例題を見る。

「とりあえず、この数列の次になにが来ると思う?」

「2、4、6、8・・・・・・だから10」

「それは分かるんだ」

「馬鹿にしてる?」

「ちょっとだけ」

「帰ろうかな」

「教えてほしいのどっちだよ」

「だって、並んでる数字だけなら分かるけど、問題になった途端『第n項』とかアルファベット出てくるんだもん。数字のままでいいじゃん」

「毎回順番に書いてたら、100番目とか求める時に死ぬだろ」

「100番目まで聞かなくていいじゃん」

 継原は不満そうに唇を尖らせながらも、もう一度ノートへ視線を落とした。

 まずは隣り合う数字の差を見ればいいと教えると、最初こそ一問ごとに手が止まっていた継原も、少しずつ続きを考えられるようになっていく。

「これ、3ずつ増えてるから・・・・・・次は14?」

「正解」

「よし」

「そんな喜ぶ問題でもないだろ」

「出来なかった人間にしか分からない喜びがあるの」

「大げさだな」

 その後も何度か手を止めながら問題を進めていき、気付けば最初に詰まっていたページは抜けていた。

「なんとなく分かってきたかも」

「最初が酷すぎただけだろ」

「数字が並んでる、から進歩したじゃん」

「自分で言うなよ」

 継原は満足そうにページをめくる。その手が、次のページで止まった。

「これなに?」

 指差した先には、問題の横に小さなコラムが載っていた。

「フィボナッチ数列」

「名前は聞いたことある」

「本当に?」

「その言い方むかつくな」

「じゃあどんなの?」

「1、2、3、5・・・・・・みたいな」

「惜しい。最初は1、1」

 俺は継原のノートの余白に数字を書いていく。

 1、1、2、3、5、8、13・・・・・・。

「前の2つを足した数字が、その次に来る」

「1と1で2」

「そう」

「1と2で3。2と3で5」

「そういう事」

「じゃあ5と8で13」

「分かってるじゃん」

「数学苦手でも足し算くらい出来るよ」

「さっきまで数字が並んでるしか分かってなかった奴が言う?」

「今は成長したので」

 継原は少し得意そうに笑いながら、ノートに並んだ数字へ視線を戻した。

 しばらく黙って眺めたあと、ペン先で最初の1を軽く叩く。

「なんか、前の数字が残ってるみたいだね」

「残ってる?」

「うん」

 今度は1、1、2と順番にペン先を動かす。

「1と1で2になるでしょ。でも、その2が次の3にも使われて、その3がまた次の5に使われて」

「それがフィボナッチ数列だからな」

「そうじゃなくて」

「なにが?」

 継原は少し眉を寄せた。

 自分でも上手く説明出来ないらしく、数字の列をペン先でゆっくりとなぞる。

「前にあったものが、次の数字の中にも入ってる感じ」

「ただ足してるだけだろ」

「相原、そういうとこ夢ないね」

「数学に夢を求めるなよ」

「でも、そういう見方した方が面白くない?」

「例えば?」

「円周率とか。終わらないって、なんかよくない?」

「計算する側からしたら迷惑だけどな」

「私は好きだけどな。終わらないって事は、ずっと続くって事でしょ」

「言葉変えただけじゃん」

「本当、無粋」

「ていうかお前って数字に意味持たせるタイプだっけ?」

「これは友達の受け売りだけどね」

「お前の言葉じゃねぇのかよ」

 俺が肩を竦めると、継原は悪びれもせず笑い、もう一度ノートを覗き込んだ。

 1、1、2、3、5、8、13・・・・・・。

「でもこれ、どこまで続くの?」

「ずっと」

「終わらない?」

「まあ、続けようと思えば」

「そっか」

 なにが面白いのか、継原は少し嬉しそうだった。

「じゃあ次は。8と13だから・・・・・・21」

「正解」

「その次は34」

「合ってる」

「なんか、フィボナッチは好きかも」

「さっきまで数列嫌がってたのに?」

「これはなんか面白い」

「基準が分からん」

「先生には分からない感性なのです」

「あっそ」

 結局、その日は閉館を知らせる放送が流れるまで図書室に残っていた。

 問題集を閉じる頃には外が薄暗くなっていて、継原は大きく伸びをしながら「分かった気がする」と満足そうに笑った。

「気だけじゃ困るんだけど」

「まぁ、テストで分かるよ」

「駄目だったら?」

「また教えて」

「次はお返しじゃないからな」

 反射的に言うと、継原が俺を見る。

「じゃあ次は、私が借りた事になるの?」

「まあ、そうなるんじゃない?」

「じゃあ、また返さなきゃ駄目?」

「別に俺は求めないけど」

「ほんと面倒臭いね」

「なんでだよ」

「自分の借りは絶対返すのに、私の借りは別にいいんでしょ?」

「だから、それはお前が決めればいいだろ」

「じゃあ返さなーい」

「好きにしろ」

「うん。好きにする」

 継原は妙に嬉しそうに笑った。

 なにがそんなに面白いのか分からないまま、俺達は並んで図書室を出た。