フィボナッチ

 それから、継原と話す機会は少しずつ増えていった。

 休み時間に向こうから声を掛けてきたり、グループワークが終わったあともそのまま雑談したり、以前なら用件だけで切れていた会話が少しだけ続くようになった。

「相原、シャー芯ある? 0.5」

 昼休み、前の席から継原が振り返った。

「あるけど」

「一本ちょーだい。補充するの忘れてた」

 筆箱からケースを取り出して渡すと、継原は一本だけ抜き、そのままシャーペンへ入れた。

「これで借り一個」

「一本くらいで数えるなよ」

「相原なら言いそうなのに」

「俺が借りた側ならな」

「シャー芯一本でも返すの?」

「一本なら返すのも楽だろ」

「やっぱり。そこは譲らないんだね」

「なにが?」

「自分が借りたものはちゃんと返したいってとこ」

「まぁな」

「几帳面というか、もはや融通が利かない感じだよね」

「そこまで言う?」

「だってシャー芯一本だよ?」

「一本だから返すのも簡単なんだろ」

「その発想がもう相原なんだよなぁ」

「どういう意味だよ」

 継原は笑いながら芯のケースを返してきた。

「私は返さなくていいんだよね?」

「いらない」

「じゃあ、一個得した」

「芯一本くらいで得した気になるなよ」

「あ、芯一本を侮ったね。これが積み重なればシャー芯買わなくて済むんだよ?」

「何本借りるつもりだよ」

 継原は声を押さえて笑い、そのまま前を向いた。

 以前なら、芯を渡してそれで終わっていたはずだが、最近はこういうどうでもいい話が妙に長く続く。
 話す機会が増えたせいか、最近、俺の日常に継原がよく現れる気がする。

 廊下で女子生徒がプリントを落としたのを見ると、踵を返して女子生徒の元にトコトコと歩み寄り、拾うのを手伝う。掃除当番が一人早退した日には、誰に言われた訳でもないのに、自ら率先して手伝う。

 その場で少し手を貸せば済む事を見つけると、継原はそのままやってしまう。

 放課後。教室の後ろでプリントを仕分けている継原を見つけた。

「それ、お前の仕事?」

「違うよ。この子、もうすぐ委員会あるんだって」

 隣にいた女子が、時計を気にしながら苦笑する。

「今日までに分けなきゃいけなかったの忘れてて。結ちゃんが手伝ってくれてる」

「二人でやればすぐ終わるし。これ、一組と二組に分ければいいんだよね?」

「うん。本当ごめん。終わったらジュース奢るから」

「いいよ気にしなくて」

「でも手伝ってもらってるのになにもしないの悪いし」

「じゃあ今度、誰か困ってたら助けてあげてよ。それでいい」

「結じゃなくて?」

「その時、困ってるが私だったら私でもいいけど。でも別に私じゃなくてもいい」

 女子は一瞬きょとんとした後、「なにそれ」と笑った。



「分かった。そうするよ」

「うん」

 二人はそんなやり取りをしながら、また手を動かし始めた。



「よくやるな」

「なにが?」

「そういうの。自分の仕事じゃないのに」

「今二人でやった方が早いじゃん」

「それはそうだけど」

「じゃあいいでしょ」

 継原は気にした様子もなく、プリントを一枚ずつ分けていく。その横で突っ立って見ているのも妙に居心地が悪くなり、俺は近くの机から椅子を引っ張ってきた。


「手伝ってくれるの?」

「まぁ、折角だし」

「相原かっくぃ〜」

「茶化すなよ」

「相原くんまで、ごめんね」

「いいよ、三人ならもっと早く終わるだろ」



 そうして、三人で仕分けをすると、あっという間に作業は片付いた。

「二人とも、本当にありがとう!」

 女子は両手を合わせながら俺たちに頭を下げると急いで委員会へと向かった。教室に俺と継原だけが取り残される。

「さて、俺も帰るかな」

 椅子を元に戻して鞄を持つと、継原も自分の荷物をまとめ始める。

「あ、じゃあ一緒に帰ろうよ」

「なんで?」

「手伝いついで」

「なんのついでだよ」

「細かいこと気にしない」

 まぁ、断る理由もなかった。

 二人で教室を出て、昇降口へ向かう。

 校門を出てしばらく歩いたところで、さっきの教室での事を思い出した。


「お前、こういうの多いよな」

「こういうの?」

「この前も一年のプリント拾ってたし、掃除当番でもないのに手伝ってたよな」

 そこまで言うと、継原は俺をじっと見た。

「相原、意外と見てるね」

「たまたまだよ」

「ふーん?」

 継原が少しだけ笑う。

「なんだよ」

「誰がなにしてたとか、そういうの見てるんだね」

「別に、たまたまだよ」

「たまたまが二回続いたと」

「二回くらいあるだろ普通」

「二回とも私だったと?」

「そうだな」

「へぇ」

 継原が意味あり気にニヤリと笑った。

「その顔やめろ、腹立つ」

 すると継原はカラカラと風車を回すような音を立てて笑った、わ

 しばらく歩いてから、さっきの会話がふと頭に戻ってくる。

「そういや、ジュースいらないって言ってたやつ。なんで本人じゃなくて、別の誰かでいいんだ?」

「あぁ、別に私に返してほしくて手伝った訳じゃないからかな」

「でも、向こうは返したいって言ってただろ」

「だったら、その気持ちを別の時に使えばいいじゃん。誰か困ってる時に」

「お前に返すんじゃなくて?」

「私が困ってたら私でもいいよ。でも、その時、他に困ってる人がいるなら、その人でもいい」

「・・・・・・よく分かんないな」

「別に分からなくてもいいんじゃない?」

「投げやりだな」

「相原は相原で好きにしたらいいよ」

 そう言って、継原は少し先を歩いていく。

 俺もその隣へ並ぶ。誰かにしてもらった事を、その人に返さなくてもいい。

 俺にはまだ、その感覚がいまいち分からなかった。



 数日後、俺は風邪を引いて学校を休んだ。朝から熱があり、一日寝ていれば治るだろうと思っていたが、夕方になっても身体は重いままだった。

 寝るのにも飽きて、ベッドの上でぼんやりスマホを眺めていると、短い通知音が鳴った。

『生きてる?』

 継原だった。

『なんとか』

『九死に一生を得てよかったね』

『いや、ただの風邪だから』

 てゆうか。

『なんでお前が生存確認してんの?』

『しちゃダメ?』

『ダメじゃないけど、ただ気になっただけ』

『クラスメイトのよしみだよ。感謝したまえ』

『ワー、アリガトー』

『ドウイタシマシテー』

 なにこの会話。と、思いながらスマホを置こうとしたところで、また通知が鳴った。

 今度は写真だった。

 数学のノート。続けて英語の宿題が書かれた黒板、明日の持ち物、それから提出期限が近いプリントまで送られてくる。

『なにこれ。全部お前が撮ったの?』

『明日来た時困るかなと思って』

『頼んでないけど』

『知ってる』

 別にお前がやる事でもないのに、面倒見のいい奴だ。

 困っているなら手伝えばいい。自分に返してもらう必要はない。

 継原にとっては、これもたぶんその延長なんだろう。

『ありがと』

 送ってから、数学のノートをもう一度開く。

 板書だけじゃなく、先生が口頭で言ったらしい補足まで端に書き込まれていた。

 ここまでやるのは、さすがに手間だった筈だ。

 指が自然と動く。

『今度なんか返す』

 すぐに既読がついた。

『また?』

『また』

『この前の話聞いてた?』

『聞いてた』

『聞いてこれなの?』

『俺は俺だから』

『くぅ〜〜〜』

 うぜぇぇぇ。

 画面の向こうでどんな顔をしているのか、なんとなく想像出来た。そういう顔まで浮かぶくらいには、いつの間にかこいつと話す時間が増えていたらしい。



§



 翌朝、熱は平熱に戻っていた。まだ少し身体は重かったものの、学校を休むほどでもない。教室に入ると、自分の席に着くより先に継原と目が合った。

「お、復活した」

「おう」

「もう熱ないの?」

「ない。昨日はありがとな」

「どういたしまして」

「で、なにがいい? 昨日のお礼」

 一瞬きょとんとしてから、継原が深いため息を吐いた。

「本当に返すんだ」

「返すって言っただろ」

「この前あんな話したのに」

「あれはお前の考え方だろ」

「相原には一ミリも届いてなかった」

「聞いてはいたよ」

「聞くだけだったと」

「納得するかは別だからな」

「頑固だなぁ」

 継原はしばらく考え込んだあと、俺の机に置かれていた数学の問題集へ視線を落とした。

「じゃあさ。今日、数学教えてよ」

「数学?」

「前の授業で分からないところそのまま放ったらかしだから」

「昨日俺も休んでるんだけど」

「大丈夫、それより前のとこだから」

「まぁ、別にいいけど」

「じゃあ決まり」

「それだけでいいの?」

「うん」

「昨日あれだけ送ってもらったのに、軽くない?」

「私が決めるんだからいいでしょ」

「でも」

「私が数学分かるようになったら、普通に助かるから」

「まぁ。それもそうか」

「でしょ?」

 妙に勝ち誇った顔をしている。

「分かった。なら教えるの放課後でいい?」

「うん。図書室ね。先生、よろしくお願いします」

「悪い気しないな」

「センコーが調子乗るなよ」

「秒でグレるなよ」

 継原は笑いながら自分の席へ戻っていった。

 俺としても、数学を教えるくらいなら気が楽だった。

 という訳で放課後、数学のレッスンが始まる。