とつぜん目の前にあらわれた男の子に、わたしは正直ビビってしまいました。もうおもらし寸前でした。でも震える声が少し出るようです。
「あ、あなただれ?」
それはまったく見たことのない男の子でした。また、どこからか入り込んだとも考えられないのです。
「ぼくはたかし」
ああもうそれ嫌。もう怪異じゃん、それ。勘弁してほしいよ。
「たかしくんはどこの子?ここに入院してるの?」
「ああ、ぼくは外科にね。お尻にできものが出来ちゃって、それが悪性らしいので検査ってことさ」
「外科?隣の棟の」
「隣かどうかは知らないよ。病院ってすっごく複雑じゃん?だから探検してんだ」
「夜中に迷惑なことすんなよ」
わたしは本気で怒りました。まったく迷惑な話です。しかもよりによってたかしだなんて。そんな名前つけるなんて、いったい親は何考えてるんでしょう。関係ないですが。
「とにかく病室に戻りなさい」
「はーい」
「送って行こうか?」
「いいよべつに」
「帰り方わかるんか」
「そんなアホじゃねーよ」
そう言いながらたかしくんと名乗るその子は、ぷいとそっぽを向いてしまいました。なんだかちょっと生意気でかわいいです。
「じゃあはやく帰って…」
わたしがそう言ったとき、たかしくんはいなくなっていました。あれ?と思ったのですが、見回しても、どこにもあの男の子はいません。わたしの背中に嫌な汗が流れるのがわかりました。そして気づいたんです。513号室の、いま目の前の病室のドアが、いつの間にか開いているのです…。
恐怖というのは現実と想像のブレだと思っていました。ふだんの景色が非現実にえぐられたとき、人は恐怖を感じるように、そこにあるべきものじゃないものがあった場合に、そう感じるからです。わたしはいま、ナースステーションの机の下でうずくまって震えています。もう怖くってどうしようもありません。看護日誌なんか書けるわけありません。いやもう泣きそうです。誰か助けてください。そのとき、雅子ちゃんの泣き声が聞こえました。雅子ちゃんが泣いている…そう思ったら、震えている場合ではありません!
「行かなくっちゃ」
わたしはもうほんのわずかしかない勇気をふりしぼり、立ち上がりました。とにかく行かなくちゃ。いまはそれだけ考えようと思いました。
「ああもう怖いなあっ!」
そう声をあげて、わたしは雅子ちゃんの部屋に急ぎます。ドアを開けると、奥のベッドで雅子ちゃんが泣いています。
「どうしたの?怖い夢、見た?」
まあいまわたしも見ていたところですが、なにか?
「ううん、さっきたかしくんが来てくれた」
「あ、ああそう」
「それでね、愛理ちゃんに言伝だって」
「ことづて?わたしに?」
「うん。愛理ちゃん面白いって。かわいいって」
「あっそう。うれしくないけど。で?なんて言われたの?」
雅子ちゃんはその愛らしい目をパッチリ開いて、そしてわたしをまっすぐ見て言いました。
「あのね、安森って先生がね、理恵子ちゃんていう看護師さんに嘘を言ったんだって。それはね、お薬の量。たくさんお薬増やしたんで、たかしくんはそれで死んじゃったんだって」
「えと、それは…」
「それでね、理恵子ちゃんは悪者になっちゃって、そして死んだの。たかしくんがいたあの病室で。たかしくんは必死になって止めたんだって。でも理恵子ちゃんは首を吊ったって…」
「マジかー。って、その理恵子ちゃんって誰?」
「理恵子ちゃんはね、ほんとは一条さんっていうんだよ」
その話が真実かどうかはわかりません。まあ子供と幽霊の言うことなんか、誰も信じないでしょうしね。もちろんわたしも半信半疑です。でも辻褄は合うんです。そしてわたしが抱いた違和感も、そこにあったんです。
あれから何週間か経った頃です。うちの病院の院長が亡くなりました。糖尿病を患っていたそうですが、どうも薬の量を間違えたということでした。そういうこともあるんですね。そうしているうち、雅子ちゃんの退院が決まりました。これからは定期的に通院するだけでいいのです。まあ保育園とか幼稚園は無理かもしれませんが、退院したらディズニーランドに連れて行ってもらうってはしゃいでいました。わたしはちょっと寂しいですが、でもうれしいことでもあります。そんなこんなで、わたしは相変わらず忙しい毎日を送っています。
「ねえおねえちゃん、こんど入院した子、あの子は心臓が悪いんだよ」
「なんであんたがそんなことわかんのよ」
「そりゃわかるさ」
「まあそうかもね」
「なあおねえちゃん」
「なによ」
「いつ結婚するんだよ」
「そっ、そんなことわかんないわよ!」
「彼氏いないもんなー」
「うるさいわね!幽霊のくせに生意気よ!」
わたしはあれからちょくちょく、513号室のあの子と、喧嘩する。 //// 小児病棟 ~おわり~
「あ、あなただれ?」
それはまったく見たことのない男の子でした。また、どこからか入り込んだとも考えられないのです。
「ぼくはたかし」
ああもうそれ嫌。もう怪異じゃん、それ。勘弁してほしいよ。
「たかしくんはどこの子?ここに入院してるの?」
「ああ、ぼくは外科にね。お尻にできものが出来ちゃって、それが悪性らしいので検査ってことさ」
「外科?隣の棟の」
「隣かどうかは知らないよ。病院ってすっごく複雑じゃん?だから探検してんだ」
「夜中に迷惑なことすんなよ」
わたしは本気で怒りました。まったく迷惑な話です。しかもよりによってたかしだなんて。そんな名前つけるなんて、いったい親は何考えてるんでしょう。関係ないですが。
「とにかく病室に戻りなさい」
「はーい」
「送って行こうか?」
「いいよべつに」
「帰り方わかるんか」
「そんなアホじゃねーよ」
そう言いながらたかしくんと名乗るその子は、ぷいとそっぽを向いてしまいました。なんだかちょっと生意気でかわいいです。
「じゃあはやく帰って…」
わたしがそう言ったとき、たかしくんはいなくなっていました。あれ?と思ったのですが、見回しても、どこにもあの男の子はいません。わたしの背中に嫌な汗が流れるのがわかりました。そして気づいたんです。513号室の、いま目の前の病室のドアが、いつの間にか開いているのです…。
恐怖というのは現実と想像のブレだと思っていました。ふだんの景色が非現実にえぐられたとき、人は恐怖を感じるように、そこにあるべきものじゃないものがあった場合に、そう感じるからです。わたしはいま、ナースステーションの机の下でうずくまって震えています。もう怖くってどうしようもありません。看護日誌なんか書けるわけありません。いやもう泣きそうです。誰か助けてください。そのとき、雅子ちゃんの泣き声が聞こえました。雅子ちゃんが泣いている…そう思ったら、震えている場合ではありません!
「行かなくっちゃ」
わたしはもうほんのわずかしかない勇気をふりしぼり、立ち上がりました。とにかく行かなくちゃ。いまはそれだけ考えようと思いました。
「ああもう怖いなあっ!」
そう声をあげて、わたしは雅子ちゃんの部屋に急ぎます。ドアを開けると、奥のベッドで雅子ちゃんが泣いています。
「どうしたの?怖い夢、見た?」
まあいまわたしも見ていたところですが、なにか?
「ううん、さっきたかしくんが来てくれた」
「あ、ああそう」
「それでね、愛理ちゃんに言伝だって」
「ことづて?わたしに?」
「うん。愛理ちゃん面白いって。かわいいって」
「あっそう。うれしくないけど。で?なんて言われたの?」
雅子ちゃんはその愛らしい目をパッチリ開いて、そしてわたしをまっすぐ見て言いました。
「あのね、安森って先生がね、理恵子ちゃんていう看護師さんに嘘を言ったんだって。それはね、お薬の量。たくさんお薬増やしたんで、たかしくんはそれで死んじゃったんだって」
「えと、それは…」
「それでね、理恵子ちゃんは悪者になっちゃって、そして死んだの。たかしくんがいたあの病室で。たかしくんは必死になって止めたんだって。でも理恵子ちゃんは首を吊ったって…」
「マジかー。って、その理恵子ちゃんって誰?」
「理恵子ちゃんはね、ほんとは一条さんっていうんだよ」
その話が真実かどうかはわかりません。まあ子供と幽霊の言うことなんか、誰も信じないでしょうしね。もちろんわたしも半信半疑です。でも辻褄は合うんです。そしてわたしが抱いた違和感も、そこにあったんです。
あれから何週間か経った頃です。うちの病院の院長が亡くなりました。糖尿病を患っていたそうですが、どうも薬の量を間違えたということでした。そういうこともあるんですね。そうしているうち、雅子ちゃんの退院が決まりました。これからは定期的に通院するだけでいいのです。まあ保育園とか幼稚園は無理かもしれませんが、退院したらディズニーランドに連れて行ってもらうってはしゃいでいました。わたしはちょっと寂しいですが、でもうれしいことでもあります。そんなこんなで、わたしは相変わらず忙しい毎日を送っています。
「ねえおねえちゃん、こんど入院した子、あの子は心臓が悪いんだよ」
「なんであんたがそんなことわかんのよ」
「そりゃわかるさ」
「まあそうかもね」
「なあおねえちゃん」
「なによ」
「いつ結婚するんだよ」
「そっ、そんなことわかんないわよ!」
「彼氏いないもんなー」
「うるさいわね!幽霊のくせに生意気よ!」
わたしはあれからちょくちょく、513号室のあの子と、喧嘩する。 //// 小児病棟 ~おわり~
