そのままでいいんだよ。

「みのり、初カレおめでとーっ!」
「うわ、優花……う、うん」

 教室に入って開口一番。大きな声で言うから、周りにクラスメイトが寄ってくる。「え! みのり彼氏できたの?」「いいなー!」「どんな人ー!?」みんなこの手の話が大好きで、普段あまり話さない子まで加わってくる。

「まぁ、私の彼氏には敵わないけどぉ、イケメンだよー」

 自分の彼氏を下げはしないけれど、自分ごとのように自慢げに話す優花にまかせて、私は苦笑しているだけ。

「えー! どこが好きになったの? やっぱ顔?」
「顔がいい男って実際中身どうなの?」
「俊太は顔も性格もめちゃくちゃいいよ!」
「まぁ、優花みたいな彼女だったら彼氏も自慢だろうしねぇ」

 いつの間にか、私から話題は優花の話に移っていく。いつものことだし別にいいのだけど。

『どこが好きになったの?』

 あの質問には、答えられない。だって、好きになったから付き合うわけじゃない。ただ提案されて、じゃあと乗っただけ。
 好きなわけじゃないのに付き合うとか、アリなのかな?
 でも、あの時紡くんは「いいよ」って言ってくれた。あの瞬間、私は否定されなかったことが実は嬉しかった。だから、私も了承した。
 男の子と付き合うことに全く興味がないわけじゃないし、かと言って好きな人も居ない。いきなり現れた優花の彼氏の友達紡くん。これから好きになれるように、いや、私のことを好きになってもらえるように頑張らないとって、そう思った。

「あのね、優花」
「なになにー?」

 放課後、私はメイクポーチを両手にしっかり持って優花を呼び止める。

「あたしに、優花のメイクの仕方を教えて欲しいんだけど」
「えー! いいよぉ! みのりがあたしのこと頼ってくれるのめっちゃ嬉しい! 一緒に可愛くなろうね!」

 大きな瞳をより見開いて、優花が嬉しそうに頷いてくれる。
 そして、いつものモールのレストルーム。優花のメイクポーチからは、この前よりもたくさんのかわいらしい色合いのメイクパレットが出てくる。

「あたし、人にするメイクは全然上手くなくて」

 ヘアアイロンで失敗したことを思い出してしょげてしまう優花に、私は首を振った。

「私、優花みたいに可愛くなりたいの。だから、優花の真似、してもいい?」

 男の子は、みんな優花のことが好きだ。歩いていればみんなが振り返るし、優花がそこにいることで場が明るくなる。私に足りないものを、優花はたくさん持っている。だから、優花に少しでも近付けたら、紡くんも私のことを好きになってくれるかもしれない。

「うん、それはもう全然オッケーだよ! みのりとおそろになれるの嬉しいし。あ、ほら見て! ジョリーの新作リップ。ちょっぴり背伸びしてレッド買っちゃった」

 優花が見せてくれたのは、私が買ったリップの色違い。私のはベージュピンクで、肌馴染みがよく比較的誰でも挑戦しやすい色。優花はリップのキャップを開けて唇に当てた。色白の肌に血色よく赤いリップが乗る。艶のある発色は優花にとてもよく似合っている。大人っぽくもあり、どこか可愛らしくも感じた。

「わぁ、優花似合う」
「ほんと? 濃すぎない?」
「うん、可愛い……」

 思わず見惚れてしまうほど。優花は何をしても可愛いし似合ってしまう。

「みのりも塗ってみる?」
「え!」

 リップを差し出されて、つい受け取ってしまった。今日はメイクポーチをしっかり持ってきたし、自分のリップがある。だけど、優花に近づくためには、赤のリップが似合う自分であって欲しい。緊張しながら、鏡を覗き込み唇にリップをなぞる。
 アイブローもアイシャドウもアイラインも、チークもリップも優花と全部一緒。だからかな。私には、全部が似合わない。

「わー! 可愛いっ! みのり大人っぽーい!」

 拍手をして喜ぶ優花に、私は鏡の中の自分を見つめたまま眉間に皺を寄せる。似合わない。今すぐ拭き取りたいと思う衝動を抑えて、隣で喜ぶ優花に笑顔を作る。優花はなんでもかんでも可愛いと言う。本当にそう思っているのか、ただの口癖なのか。どっちとも取れるから、余計に自分自身が似合わないと思っている感覚が正しいのか分からなくなる。でも、優花に近づくためには、このリップも似合うようにならないといけない。紡くんと次会うまでに、可愛くなっていないと。自信のないままの私じゃ隣を歩くことも出来ない。

「あ! 俊太来たって」
「え?」
「紡くんも一緒かも。ほら、みのり行こうっ」
「は? え、行くって」

 今日は会う約束していないよね?
 私が言うよりも先に、優花は素早く片付けてレストルームから出て行ってしまう。スクバを持って立ち上がると、鏡に映る姿を見た。メイクはしっかり出来ているし、今日は髪型も変じゃない。大丈夫な、はず。口元が赤すぎることが少し気になるけど、優花も同じリップを付けているからきっと大丈夫。そう思って店内に向かった。

「あ、みのりこっちー!」

 跳ねる勢いで手を振る優花。その後ろに、俊太くんと紡くんがいる。二人とも相変わらず背が高くて目立つしかっこいい。

「……こんにちは」
「みのりちゃん、おつー!」

 元気な俊太くんと、軽く会釈を返すだけの紡くん。俊太くんは優花の頭を愛おしそうに撫でて隣に並んだ。

「俺ら今日はこの後もう帰るけど、二人はどうする?」
「え、じゃあ、私も帰ります」

 だって、今日は優花にメイクを教わるだけに寄っただけだし、二人が帰るなら私も帰るだけだ。

「じゃあ、二人も仲良く帰ってねー」

 笑顔で肩を寄せ合って行ってしまう優花と俊太くん。残された私はどうしたら。不安なまま紡くんを見上げれば、彼は無表情のまま。

「電車どっち?」
「え……」
「家の方向」
「あ、えっと……」

 気まず過ぎて、言葉がうまく出てこない。帰る電車は南方面。ここから二駅先。そこからは歩いて五分もしないところが私の家だ。だけど、それを伝えたからってどうするのだ。紡くんが俊太くんみたいに送ってくれるのだろうか。

「南方面……です」
「あー、俺は逆だ」
「えっ」

 そうなんだ。つい、ホッとしてしまう。逆ならここでバイバイだ。私には気を遣ってもらわなくていい。まだ紡くんの隣を歩ける自信もないから。

「やっぱやめよう」
「……え?」
「付き合うとかノリで言っちゃったけど。完全にあいつらに乗せられちゃってるだけでしょ?」

 呆れたようにため息をつく紡くんに、胸がぎゅうと締め付けられる。
あれ……もしかして始まってもいないのに、終わろうとしている? 好きになってもらえるようにメイクも優花寄りにして、頑張ろうとしたんだけどな。紡くんはやっぱりあの場のノリだったんだ。それは私だってそうだったけど、嬉しかったのに。私を否定しないでいいよっていってくれたことが、すごく、嬉しかったのに。

「……ダメなとこあったら、直すから」
「は? いや、別にそう言うのないし。そもそも、好きでもないのに付き合うってなんかおかしくねぇ?」

 私もそれは思った。だけど、そこから好きになりたいと、なってほしいと頑張ろうと思うのはダメなのかな。

「一回会っただけで付き合うとか、無理じゃん?」

 それはそうだけど。だったら、あの「いいよ」はなんだったの? 面倒だっただけ? 頭の中に言葉が巡ってくるのに、口に出来ずに私は俯くだけ。

「無理してあいつらに流されることないよ。俺はあんたのこと好きになれる気がしないし。じゃあな」

 顔を上げたけど、なにも言葉が出てこなかった。泣きそうだけど、メイクが落ちちゃうし、泣けない。胸が苦しい。
 私が、優花みたいになんて、なれるわけがなかった。なに、頑張ろうとしているんだろう。どう頑張ったって、私は可愛くなれないのに。
 まだ好きにもなっていなかったのに、フラれるってどういうことだろう。

『俺はあんたのこと好きになれる気がしないし。』

 だったら最初っからそう言ってほしかった。なんで『いいよ』なんて言ったの。連絡先交換なんてしたの。そんなことしなかったら、浮かれることもなかった。やっぱり私なんかって落ち込みはしたかもしれないけど、仕方ないって割り切れたはずなのに。一度上げて落とされるとか、私なんか悪いことしたかな? 大きなため息をついて俯くと、暗いスマホ画面に映る自分の顔に笑ってしまう。こんな似合わないメイク、早く落としたい。
 踵を返し、私はクレンジング売り場へ直行する。拭き取りタイプだと落ち切らない気がして、オイルタイプのメイク落としを手に取った。お会計を済ませると、レストルームへ向かう。
 誰もいない洗面台、鏡には情けない自分が映っている。スクバからタオルを取り出して置き、シャツの袖を肘まで捲った。買ったばかりのクレンジングオイルを開けて、手のひらに大量プッシュする。メイクも自信のない自分も、優花と比べることも好きでもない人と付き合うとかノリで了承してしまったことも、全部洗い流す気持ちで肌を擦る。そして、ぬるめのお湯で一気に洗い流した。

「……っぷはぁ!」

 息を止めたまま何度も濯ぎ、思い出したように息を吐き出した。そして、新しい空気を取り込む。額から顎を通って流れる雫を手で払い、水滴の飛び散った鏡には、まっさらになった自分が写る。小さな目はやや釣り目で、面長な顔。私はどう頑張ったって、優花にはなれない。
 カタンッと物音がして、一つ空けた隣に人が来る気配に、私は慌てて顔にタオルを当てた。

「どしたん? みのりー」

 ゆるい声で名前を呼ばれた。顔を見なきゃ誰か分からない。私の名前を知っているということは、知り合いだ。まさか、こんなところを見られてしまうなんてと、目元だけタオルをずらして見る。

「彼氏に似合わんメイク落としてこいって言われたん?」

 こちらではなく、鏡を見ながら自分の髪型を整えているのは、同じ学年のマリカだ。私は話したことがないけど、優花とはたしか仲が良かったはず。

「……いや、言われてない、けど」
「へぇ」

 話しかけておいて、さほど興味がなさそうな返事をされるのはなんでだろう。だったら最初から話しかけないでほしい。一刻も早くこの場を去りたくて、まだ湿っている前髪を整えるとタオルにクレンジングオイルを挟み、スクバに突っ込み踵を返す。

「あ、ちょい。鏡水滴だらけじゃん?」
「え……」

 引き止められたかと思えば、視線が鏡越しに合う。顔を洗った時に飛んだ水滴で、確かに鏡は汚れていた。手拭き用のペーパーを数枚乱暴に掴んで、二度拭きする。無言のままゴミ箱に突っ込むと、マリカの方を見ずにトイレから出た。

「おお、荒ぶってるねぇ」

 マリカの声がしたけど、無視だ。そもそも、別に友達じゃないし、学校と学年が同じってだけ。それに、マリカも優花に負けず劣らず可愛い。と言うか、優花は可愛いタイプだけど、マリカは美人で綺麗なタイプだ。
 人と比べるのは良くないとは分かっているけど、どこを見ても私は努力をしないと可愛くも綺麗にもなれない。正直、メイクもヘアアレンジも、どうしたらいいのかよく分からない。
 ため息を吐き出して駅の方向へ足を進めようとした瞬間、誰かの視線に気が付いた。数メートル先、自販機の横に立っている男子学生。スラリとした背に明るめの髪色。ついさっき顔を合わせていた紡くんだ。真っ直ぐに私を見ている? と、思えば、眉間に皺が寄っているような。いや、私、もしかして睨まれてる? さっき別れたのにまたついてくるんかいとか思われてない? そんなことは決してないのに! たまたま、偶然。駅から電車に乗らなきゃ家に帰れないし、顔洗ってた分のロスタイムあったのに。なんで紡くんこそ、まだそこにいるのよ。そっちが早く帰んないのが悪い。うん、私は全然悪くない。ビビる必要なんてないのよ。もう紡くんとはさようならしたんだし、なかったことにすれば問題なくない? 変に意識してる方がおかしい。
 深呼吸をして息を吐き出すと、なるべく紡くんから距離をとって、顔を伏せながら歩き出す。早く帰ろう。紡くんと電車の方向が逆であることが本当に救いだ。
 電車の中でも、家に着いてからも、ショート動画でメイクやヘアアレンジの仕方を見ていた。流れてくるのは再生回数が多くて、たくさんの好意的なコメントが寄せられている動画ばかり。画面の中の全員が、自信たっぷりに自身の顔や髪を使って可愛さをアピールするように教えてくれる。
 17歳の私と同じくらいの子もいれば、プロみたいなメイクをする歳上の人もいるし、大人っぽい歳下もいる。

「自分に似合う色って必ずあるから。たくさんある中から探し出すのって、運命の相手を探すみたいでワクワクしない!?」
「私、鏡と睨めっこするの好きなんよねー」
「マイナス部分を探すんじゃなくて、プラスな部分を見つけるの大事!」

 どうやったらそんなふうに自信満々マインドになれるのだろうか。私には分からない。私は、すぐ近くにいる優花みたいにすらなれないのに。