ベタな私の孤独論

 スマートフォンから、四回目の目覚まし音が響いた。七時十五分から、五分刻みで設定している。奈央は叩くようにタップして、ようやく体を起こした。
「……食堂、九時まで開けてくれぇ~……」
 寮の食堂は利用時間が決まっている。朝は六時から八時まで。授業に間に合う限界で、クローズされてしまう。
「前世は吸血鬼かもしれない……」
 朝日に照らされている、罪なきカーテンすら憎い。
 重い腰をなんとか上げて、洗面所へ向かった。顔を洗って制服に着替える。億劫な気持ちを引きずりながら、食堂へ入った。食器のぶつかり合う音に、奈央の眉間に皺が寄る。
「……部屋に持ち込み可でよくない?」
 朝の食堂は常に混んでいる。空いているのは、窓際の席だけだ。窓が大きいから、日差しが直に当たって温かい。夏は悲惨だ。
(寒がりにはちょうどいいわ)
 朝食プレートを貰うと、陽射しで温まった椅子へ腰を下ろした。程よい温度だが、日差しが白い机に反射して目に痛い。
(遮光カーテンは導入してもいいかもね)
 効果のほどは知らないが、レースのカーテンよりは期待できた。
 大口で丸いパンをかじると、LINEの通知が届く。メッセージの送り主は、北海道にいる母だ。家族用のグループに届いている。
 指にパンくずをつけたまま、メッセージを開いた。そして、がくりと肩が落ちる。
『進路調査票、まだ出してないって? 富田先生から電話あった』
 パンを二つに千切り、片方を八重歯で引き裂く。椅子に背を預けると、さらにメッセージが届いた。
『大学行きたくないなら、就職とでも書いておきなさい。恥ずかしいったらない』
 使い切りの小さなパックのいちごジャムとバターを、二つともパンに塗った。奈央はパンを口に咥えると、片手で母へ返信する。
『三者面談に親は来ないって言わされて、恥ずかしいったらない』
 密かに鼻で笑うと、弟の充(みつる)からもメッセージが届いた。家族のグループではなく、個別にだ。
『近場の公立でいいんじゃないの? 私立は高いでしょ』
 同時着信というタイミングからして、家族三人で食卓を囲んでいるのだろう。
 奈央はパンをさらに引き裂いて、今度はママレードをぼとりと落とした。口に入れると、程よい酸味が心地良い。
(できた弟だわ。親と姉の扱いを心得てる)
 充は転勤に付き合い、しょっちゅう転校をしていた。不満を漏らしたことは一度もない。それどころか、いつも意気揚々としていた。
 滲んできた汗を拭って、充にだけ返信を書く。
『学費安くて、寮のある大学を探してる。あんたは』
 ぴたりと指が止まる。ふっと、嫌味な笑みを浮かべる黒瀬の顔が頭をよぎった。
 奈央は少し考えると、パンくずを払い落として文字を打つ。
『ちゃんと、行きたい大学を探しなよ』
 北海道も良しとした黒瀬の言葉を、そのまま打った。すると、すぐに返信がくる。
『ありがと。じゃ、お母さんに伝えとく』
 次いで届いたスタンプは、『死にはしない』と言っているお坊さんだった。イラストはリアルタッチで、手を合わせて微笑んでいる。
「……もっと中二らしいスタンプを買いなさいよ……」
 年齢以上に気の利く弟に感謝して、パンを飲み込み寮を出る。寮生同士で登校する生徒は多い。けれど、一人部屋の奈央は一人で歩いた。
 歩いていると、ふたたび母からメッセージが届く。家族グループに『了解』の単語だけが記載されていた。
(誰の、なにを、どう了解したのよ)
 奈央は返信もスタンプも送らず、ぶらんと手を降ろした。
(けど、就職はいいかもしれない。お金を充に残せるもの。あの子は頭もいいし、全国に友だちもいる。充実した人生を送ってほしいわ。名前の如く)
 可愛い弟のことを考えていると、ふいに脚が止まった。
「……やろうと思えば、できるのよね」
 SNSを開き、プロフィール画面を確認する。フォロワーは増えていないが、減ってもいない。投稿は通学出勤の苦痛ばかりで、奈央へメンションは一つもなかった。
 代り映えのないSNSを見ていると、黒瀬の言葉が全身に広がっていく。
(フォロワーは、絆を持ってるか……)
 少しだけ考えて、SNSのアカウント削除のページを開く。
 五年以上も使っているアカウントは、捨てるには惜しい気がした。でも、黒瀬の言葉が体の中から出て行かない。
 小さく息を吐くと、奈央は指を転がした。アカウント削除のボタンをタップする。
(ああ……)
 そして、直後にメールが届いた。フォロワーが心配して……ではない。SNSシステムからの『アカウントの削除が完了しました』という自動送信だ。
 数ミリ指を動かしただけで、奈央の五年間は消え去った。SNS以外で連絡手段のないフォロワーとは、もう切れた。
(……これは、孤独になったのかしら)
 わからない。ただ、充はSNSをやってない気がした。
 周囲を見回すと、複数名で歩いている生徒は大勢いる。
(なんで集団になるんだろう。歩調を合わせるのも、興味のない話を聞くのも嫌だわ)
 たくさんの生徒の中で、とくに密着している二人に目を止めた。ポニーテールの女子生徒は、笑顔とテンションを爆発させている。
「やっぱ牧村くんカッコいいよ~! 土曜のライブ行くんだ!」
「え!? チケット取れたの!? 倍率えぐくない!?」
「名義借りまくった。亜美も行く? 三連番で一枚余ってるの」
「いいの!? 行く!」
 亜美と呼ばれたショートボブの女子生徒も笑顔を花開かせた。
 けれど、奈央の心は濁る。
(なにを嬉しがってるのかしら。三連番の『余り』って、馬鹿にされてるのよ?)
 自然と眉間にしわが寄った。それでも二人は笑い合っている。はしゃぎっぷりは、ポニーテールが通行人を殴るほどだ。
「当日キャンセルは勘弁だよ。行けないなら、譲渡探すから」
「わかってるって。え~、めっちゃ嬉しい」
 歓喜の会話に、奈央の脚が止まった。
「そっか。お金と手間を、亜美とやらで省いたのか」
 ようやく、一つわかった。
(集団のメリットは助け合いか。余り扱いに腹が立つのと、ライブに行ける喜びは別の話。喜べたなら、『余り』は選抜になる。若干の上下関係は、生じるけど)
 ――では、助け合いを必要としない人間はどうなのか。
 止まった脚は、まだ動かない。正門はすぐそこだ。予鈴前に教室へ入る群れに、いまなら混ざれる。けれど、東館はまだ見えない。
(ベタは餌をもらったかな)
 黒瀬は、もう倫理教室にいるのだろうか。
 進むか否かを迷っていると、前方から女子の黄色い悲鳴が轟いた。セーラー服やジャンパースカートの制服、シャツは白やピンクやライトブルーと一貫性はない。
「ああ、これは……」
 珍しくない光景に、奈央は背を丸める。
 女子生徒たちは、まるで餌を落とされた鯉の群れだ。全員の視線は、愛する餌へ向けられている。視線を一身に集めているのは、ピンク髪に学ランを着た天ケ瀬だった。
「えー! 本当にピンク! 可愛い~!」
「柔らか系の色、似合うよね! めっちゃ好き!」
 天ケ瀬の一挙一動で、大勢の女子生徒が活性化する。しかし、天ケ瀬は通学路を逆行し始めた。
「よー、芹沢。早いじゃん」
 盗撮を気にせず、天ケ瀬は話しかけてくる。おかげで、天ケ瀬ファンに睨まれた。
 すっかり慣れた状況に、奈央は軽く手を振る。
「おはよ。帰るの?」
「ああ。髪色と制服を戻すまで、学校来るなってさ」
「だろうね。どっか行くの?」
「決めてない。芹沢は倫理準備室?」
「迷ってたとこ。けど、やる気でないんだよね。私もどっか行こうかなあ」
 頭のうしろで手を組むと、ぽこんと頭を叩かれた。
「どこでもいいなら、倫理準備室にいろ」
「あ、おはよ。ともちゃん」
 黒瀬の手には、丸めた教科書が握られている。もう一度、軽く頭を叩かれた。
「先生と呼べ。サボったら余計に怒られる。親に連絡されても面倒だろ」
 教師らしからぬ発言だ。普通は「授業に出なさい」というような話をする。
 少しばかり迷ったように見せて、奈央は大きく頷いた。
「ベタに餌やってもいいなら、行く」
「一摘まみだけな。天ケ瀬も来い。警察に補導される」
「え~。俺を追い出したの学校じゃ~ん」
 カルガモの親子よろしく、黒瀬を先頭に倫理準備室へ入った。