「そうじゃないって! 割に合わないの!」
ベタも驚きそうな大声は、女子生徒のものだ。長い茶髪を振り乱し、怒りを露わに拳を振り上げている。隣にはピンク色の髪で学ラン姿の男子生徒もいた。
「命がけなんだよ!? 年中無休で無報酬なんて、おかしいじゃない!」
「そういう使命なんだから、仕方ないだろ」
「けど労働基準法違反だわ! ね! そう思わない!?」
ぐるんと振り返ってきたのは、クラスメイトの我妻沙姫だ。ピンク髪の学ラン男子は、クラスは違うけれど、同学年の天ケ瀬陸だった。
二人とも、奈央と同じ倫理準備室登校組みだ。奈央が来るより前から、住人のように入り浸っているらしい。事情は知らないけれど、なにかあるのだろう。
その証拠に、黒瀬はなにも言わない。当然のようにコーヒーを淹れていた。奈央はコーヒーを軽く口に含むと、どっかりとソファへ腰かける。
「また魔法少女トーク?」
「そう。新しいアニメ始まったんだってさ」
我妻は、一見すれば穏やかなお嬢さま風だ。けれど、魔法少女の話題になると、激情を放つ。議論の方向性は、少し変わっていた。
「それが、おかしいのよ! 急に変身アイテム渡されて、いきなり戦うの! 戦う前に、戦闘は義務か権利かを明確にすべきだわ! 先生もそう思わない!?」
挨拶もせず、我妻は黒瀬に飛びついた。黒瀬は真剣な顔で頷く。
「思うね。見合う対価がなければ、いずれ魔法少女も放棄するだろう。困るのは、世界を救って欲しい第三者。なら、第三者が報酬を出すべきだ」
「でしょ!? そこに税金を使えばいいのよ! 公務員にすべきだわ!」
「いいアイディアだ。巨悪と戦う魔法少女が現れたら、政治家になるといい」
興奮する我妻に、黒瀬は真剣に向き合っていた。
(いつもながら、気の合う二人ね……)
黒瀬の隣を奪われて、奈央は天ケ瀬の隣に座った。熱気を放っている我妻は回答をくれないので、天ケ瀬に質問するしかない。
「おとな向けアニメなの?」
「うんにゃ。日曜の朝にやる子ども向け」
「あ~。ああいうのは、変身して、戦うことに意味あるんだよ」
「それは、番組を作る企業の事情でしょ! 見てるのは子どもよ!? サービス残業万歳な社会人に育ったら、どう責任を取るつもり!?」
「責任取るのは親でしょ。教育するのは親なんだから」
我妻はリアルとファンタジーの境目がない。フィールドはなんであれ、政治的な議論をする我妻は『真面目』なのかもしれない。
不真面目度を競うなら、天ケ瀬は一目瞭然で異端児だ。
「てか、天ケ瀬はなんで髪ピンク? 昨日まで黒かったじゃん。しかも学ランて。うちの制服はブレザーで、冬服は終わったんだが?」
強烈なビジュアルだった。まずもって、天ケ瀬は顔がいい。容姿を客観的に評価すれば、アイドルのような爽やかさだ。他校にも存在は知れ渡り、しょっちゅう、どこかの女子生徒に追いかけられている。とにかく目立つ男だ。
天ケ瀬は堪えるように笑い、詰襟を軽く引っ張った。
「我妻が『女子をピンクにする理由がわからない』って、LINE送ってきたから。学ランのほうがピンクに合ってるんだよ」
「ルッキズム反対! 差別お断り!」
我妻は大声で拳を振り上げる。まるで、選挙運動中の政治家だ。「落ち着け」と天ケ瀬に窘められている。
「差別はしてないでしょ。魔法少女アニメは、伝統ってものがあるのよ」
「伝統に縛られてちゃ未来は拓けないよ! ピンクは女の専売特許じゃないの!」
ここまで聞いて、ようやく奈央は察した。
「ははぁ。そこで、イケメン代表の天ケ瀬がピンクになることで」
「反ルッキズムを訴えるわけだな」
頷きながら、天ケ瀬は両腕を組む。筋の通った話……といっていいかは、難しいところだ。けれど、我妻のいいたいことは、なんとなくわかった。
「嫌いじゃないわ。しかし、相変わらず、付き合いいいわね」
「そりゃ、俺も興味あるからな。違反しまくりの俺を、女子は嫌うかどうか」
「ファンが増えるだけでしょ。似合ってるもん。女子に囲まれるだけよ」
「え~!? それは駄目だよ!」
顔を青くした我妻が、奈央と天ケ瀬の間に割って入ってきた。我妻は隙間に身体を捻じ込み、天ケ瀬にしがみつく。
奈央は追われるようにして席を立ち、今度こそ黒瀬の隣に立った。
「すごいよね。独占欲丸出し。イチャつくなら帰りなさいよ」
笑い飛ばした――つもりだった。気づけば、黒瀬に頬をつつかれている。
「なに?」
「さあね。ただ、きみは『寂しさ』を知らない。だからこうして、孤独になれないんだ」
「孤独に……なれない?」
黒瀬は突然しゃがんだ。いつの間に落ちたのか、ベタのボールペンが床に転がっている。黒瀬はボールペンを拾いあげ、軽く握った。
「フォロワーは、本当に絆を持ってるか?」
「なに、突然。持ってるよ。天ケ瀬と我妻よりも話してる」
「文字は会話じゃない。テンプレートの会話でも、顔を見てするのと、文字を読むだけでは圧倒的な違いがある。なんだと思う?」
「ないよ。どっちでも、言いたいことはわかるもの」
「なら質問を変えよう」
ベタのボールペンを、黒瀬は器用に回転させる。思いのほか指が長い。小さな水槽は、黒瀬に弄ばれている。
「なぜ俺のところに来る? どうして富田先生は、俺にきみの事情を告げ口する?」
「私は……来たいから来てるの。富ジィのことなんて、私は知らない」
「そういうとこだよ」
黒瀬はベタのボールペンを奈央に差し出した。
「孤独になれ。でも寂しくなるな」
黒瀬は真剣な目をしている。けれど、意味はわからず首を傾げた。
「どういう意味?」
「考えるんだね。きみは聡明すぎていけない」
「頭いいってこと? わかんないけど、馬鹿よりいいわ。愚かではないつもりよ」
「残念。馬鹿と愚かは違うよ」
「……どう違うか、考えろって?」
「そうだよ。こういう手合いは、倫理の領分。ソクラテスの『無知の知』なんかは有名だな。ああ、芹沢の二時間目は倫理か。俺は教室へ行くが、お前はどうする?」
「は?」
いつだって、黒瀬は答えを与えてはくれない。問いかけだけ残されては、気になって仕方がない。
――ようは、授業に出ろと言っているのだろう。
「ったく。そういうとこよ」
「どうも。それで、どうする? 今日はソクラテスの話をするが」
催促するように、黒瀬はベタのボールペンを奈央に差し出していた。黒瀬の授業は板書をする。奈央は、擦ったら消える筆記具は嫌いだった。
少し悔しいけれど、ベタのボールペンを受け取る。不敵な笑みで勝ち誇った黒瀬は、我妻と天ケ瀬に目をやった。
「二人は? ここにいる?」
「いる! 行ってらっしゃい!」
「いってらっさ~い」
天ケ瀬に抱き着きながら、我妻は手を振ってきた。
普通の教師なら、もう少し、なにか言うのだろう。授業へ出ろという説得を、一言くらいは口にするはずだ。けれど黒瀬は、いつも、なにも言わずに置いていく。
廊下へ出ると、黒瀬と並んで教室へ歩き出した。
「そうだ。答えてもらってないよ。どうしてベタを飼おうと思ったの? 熱帯魚なら、他にもいるじゃない」
「ん? ああ、それは」
小さく、黒瀬は笑った。
「きみたちに似てるからだよ」
いつになく、美しい微笑みだった。なぜか胸が躍り、奈央は黒瀬に飛びついた。
「ともちゃん、恋人いる? 年下はアリ?」
「先生と呼びなさい。年下も歓迎するけど、生徒は恋愛対象にしない主義だよ」
ぐいと押され、黒瀬は腕を引き抜いてしまう。あからさまに奈央と距離を取った。
「え~。べつに立候補してないんだけど~」
「常に全生徒へ言ってるんだよ。若い男教師ってのは、不便なものでね」
それは、なんとなくわかった。けれど、黒瀬は遠回りしてくれている。教室に着いたのは、始業から三分も過ぎたときだった。
ベタも驚きそうな大声は、女子生徒のものだ。長い茶髪を振り乱し、怒りを露わに拳を振り上げている。隣にはピンク色の髪で学ラン姿の男子生徒もいた。
「命がけなんだよ!? 年中無休で無報酬なんて、おかしいじゃない!」
「そういう使命なんだから、仕方ないだろ」
「けど労働基準法違反だわ! ね! そう思わない!?」
ぐるんと振り返ってきたのは、クラスメイトの我妻沙姫だ。ピンク髪の学ラン男子は、クラスは違うけれど、同学年の天ケ瀬陸だった。
二人とも、奈央と同じ倫理準備室登校組みだ。奈央が来るより前から、住人のように入り浸っているらしい。事情は知らないけれど、なにかあるのだろう。
その証拠に、黒瀬はなにも言わない。当然のようにコーヒーを淹れていた。奈央はコーヒーを軽く口に含むと、どっかりとソファへ腰かける。
「また魔法少女トーク?」
「そう。新しいアニメ始まったんだってさ」
我妻は、一見すれば穏やかなお嬢さま風だ。けれど、魔法少女の話題になると、激情を放つ。議論の方向性は、少し変わっていた。
「それが、おかしいのよ! 急に変身アイテム渡されて、いきなり戦うの! 戦う前に、戦闘は義務か権利かを明確にすべきだわ! 先生もそう思わない!?」
挨拶もせず、我妻は黒瀬に飛びついた。黒瀬は真剣な顔で頷く。
「思うね。見合う対価がなければ、いずれ魔法少女も放棄するだろう。困るのは、世界を救って欲しい第三者。なら、第三者が報酬を出すべきだ」
「でしょ!? そこに税金を使えばいいのよ! 公務員にすべきだわ!」
「いいアイディアだ。巨悪と戦う魔法少女が現れたら、政治家になるといい」
興奮する我妻に、黒瀬は真剣に向き合っていた。
(いつもながら、気の合う二人ね……)
黒瀬の隣を奪われて、奈央は天ケ瀬の隣に座った。熱気を放っている我妻は回答をくれないので、天ケ瀬に質問するしかない。
「おとな向けアニメなの?」
「うんにゃ。日曜の朝にやる子ども向け」
「あ~。ああいうのは、変身して、戦うことに意味あるんだよ」
「それは、番組を作る企業の事情でしょ! 見てるのは子どもよ!? サービス残業万歳な社会人に育ったら、どう責任を取るつもり!?」
「責任取るのは親でしょ。教育するのは親なんだから」
我妻はリアルとファンタジーの境目がない。フィールドはなんであれ、政治的な議論をする我妻は『真面目』なのかもしれない。
不真面目度を競うなら、天ケ瀬は一目瞭然で異端児だ。
「てか、天ケ瀬はなんで髪ピンク? 昨日まで黒かったじゃん。しかも学ランて。うちの制服はブレザーで、冬服は終わったんだが?」
強烈なビジュアルだった。まずもって、天ケ瀬は顔がいい。容姿を客観的に評価すれば、アイドルのような爽やかさだ。他校にも存在は知れ渡り、しょっちゅう、どこかの女子生徒に追いかけられている。とにかく目立つ男だ。
天ケ瀬は堪えるように笑い、詰襟を軽く引っ張った。
「我妻が『女子をピンクにする理由がわからない』って、LINE送ってきたから。学ランのほうがピンクに合ってるんだよ」
「ルッキズム反対! 差別お断り!」
我妻は大声で拳を振り上げる。まるで、選挙運動中の政治家だ。「落ち着け」と天ケ瀬に窘められている。
「差別はしてないでしょ。魔法少女アニメは、伝統ってものがあるのよ」
「伝統に縛られてちゃ未来は拓けないよ! ピンクは女の専売特許じゃないの!」
ここまで聞いて、ようやく奈央は察した。
「ははぁ。そこで、イケメン代表の天ケ瀬がピンクになることで」
「反ルッキズムを訴えるわけだな」
頷きながら、天ケ瀬は両腕を組む。筋の通った話……といっていいかは、難しいところだ。けれど、我妻のいいたいことは、なんとなくわかった。
「嫌いじゃないわ。しかし、相変わらず、付き合いいいわね」
「そりゃ、俺も興味あるからな。違反しまくりの俺を、女子は嫌うかどうか」
「ファンが増えるだけでしょ。似合ってるもん。女子に囲まれるだけよ」
「え~!? それは駄目だよ!」
顔を青くした我妻が、奈央と天ケ瀬の間に割って入ってきた。我妻は隙間に身体を捻じ込み、天ケ瀬にしがみつく。
奈央は追われるようにして席を立ち、今度こそ黒瀬の隣に立った。
「すごいよね。独占欲丸出し。イチャつくなら帰りなさいよ」
笑い飛ばした――つもりだった。気づけば、黒瀬に頬をつつかれている。
「なに?」
「さあね。ただ、きみは『寂しさ』を知らない。だからこうして、孤独になれないんだ」
「孤独に……なれない?」
黒瀬は突然しゃがんだ。いつの間に落ちたのか、ベタのボールペンが床に転がっている。黒瀬はボールペンを拾いあげ、軽く握った。
「フォロワーは、本当に絆を持ってるか?」
「なに、突然。持ってるよ。天ケ瀬と我妻よりも話してる」
「文字は会話じゃない。テンプレートの会話でも、顔を見てするのと、文字を読むだけでは圧倒的な違いがある。なんだと思う?」
「ないよ。どっちでも、言いたいことはわかるもの」
「なら質問を変えよう」
ベタのボールペンを、黒瀬は器用に回転させる。思いのほか指が長い。小さな水槽は、黒瀬に弄ばれている。
「なぜ俺のところに来る? どうして富田先生は、俺にきみの事情を告げ口する?」
「私は……来たいから来てるの。富ジィのことなんて、私は知らない」
「そういうとこだよ」
黒瀬はベタのボールペンを奈央に差し出した。
「孤独になれ。でも寂しくなるな」
黒瀬は真剣な目をしている。けれど、意味はわからず首を傾げた。
「どういう意味?」
「考えるんだね。きみは聡明すぎていけない」
「頭いいってこと? わかんないけど、馬鹿よりいいわ。愚かではないつもりよ」
「残念。馬鹿と愚かは違うよ」
「……どう違うか、考えろって?」
「そうだよ。こういう手合いは、倫理の領分。ソクラテスの『無知の知』なんかは有名だな。ああ、芹沢の二時間目は倫理か。俺は教室へ行くが、お前はどうする?」
「は?」
いつだって、黒瀬は答えを与えてはくれない。問いかけだけ残されては、気になって仕方がない。
――ようは、授業に出ろと言っているのだろう。
「ったく。そういうとこよ」
「どうも。それで、どうする? 今日はソクラテスの話をするが」
催促するように、黒瀬はベタのボールペンを奈央に差し出していた。黒瀬の授業は板書をする。奈央は、擦ったら消える筆記具は嫌いだった。
少し悔しいけれど、ベタのボールペンを受け取る。不敵な笑みで勝ち誇った黒瀬は、我妻と天ケ瀬に目をやった。
「二人は? ここにいる?」
「いる! 行ってらっしゃい!」
「いってらっさ~い」
天ケ瀬に抱き着きながら、我妻は手を振ってきた。
普通の教師なら、もう少し、なにか言うのだろう。授業へ出ろという説得を、一言くらいは口にするはずだ。けれど黒瀬は、いつも、なにも言わずに置いていく。
廊下へ出ると、黒瀬と並んで教室へ歩き出した。
「そうだ。答えてもらってないよ。どうしてベタを飼おうと思ったの? 熱帯魚なら、他にもいるじゃない」
「ん? ああ、それは」
小さく、黒瀬は笑った。
「きみたちに似てるからだよ」
いつになく、美しい微笑みだった。なぜか胸が躍り、奈央は黒瀬に飛びついた。
「ともちゃん、恋人いる? 年下はアリ?」
「先生と呼びなさい。年下も歓迎するけど、生徒は恋愛対象にしない主義だよ」
ぐいと押され、黒瀬は腕を引き抜いてしまう。あからさまに奈央と距離を取った。
「え~。べつに立候補してないんだけど~」
「常に全生徒へ言ってるんだよ。若い男教師ってのは、不便なものでね」
それは、なんとなくわかった。けれど、黒瀬は遠回りしてくれている。教室に着いたのは、始業から三分も過ぎたときだった。
