終焉選択ゲームAGARIの噂

 弟が死んで一か月経っていた。
 確かに自分の手で葬儀を行い、行政の手続きもしたはずなのだが、そうした記憶はほとんどなかった。ふと気が付いたら、僕は家のリビングでひとりぼうっと宙を見つめていた。片付いていたはずのリビングには物があふれ、空のペットボトルや弁当のゴミ、郵便受けから取り出したままのダイレクトメールが散乱していた。両親が死んでから弟と2人で暮らしてきた、2人には広すぎる二階建ての一戸建てが、やけに狭く感じた。
 ……片付けなければ。
 ソファからのっそりと立ち上がり、引き出しからゴミ袋を引っ張り出す。
 ゴミ袋にものを放り込んでいくたびに、これまでの記憶が断片的に思い出されていく。
 ――望。
 弟は、いわゆる引きこもりだった。
 大学四年になるかならないかの頃、望は自分の部屋から出てこなくなった。
 その頃はまだ両親も健在だったから、母が望の部屋の前に朝晩食事を置いていた。僕は「もう望も大人なんだから、そんなことしなくていいよ」と言っていたのだが、優しい母は食事の準備をやめなかった。僕が就職をして一年もしないうちに、両親が事故で亡くなった。
 両親の葬儀の際に、久々に顔を合わせた望に声をかけたが、弟はただ小さく頷いただけだった。
 さすがに大学の学費を払い続けることは出来ず、望は大学を中退することになった。それでも望は部屋を出てこなかった。
 僕は弟の面倒を見なかった。食事の準備も何もせず、同じ家にいるけれどいないものとして扱っていた。ただ、時々冷蔵庫の中の食料や飲み物が減っていたり、残業して終電で帰ると風呂を使った形跡があったり、望が生きていることだけはわかっていた。
 生きている以外のこと――望が何を考え、何をしていたか、そういうことは考えないようにしてきた。
 リビングに散らばっていたゴミを一通り片付けると、突然部屋が明るく、広くなったように感じた。
 ――今日は何月何日だろう。何曜日かもわからない。会社はどうしているんだっけ。
 スマホはどこだったか。ソファの周りを探し、クッションをどけ、ローテーブルの下を覗いて、ようやくテレビ台の裏に落ちているのを見つけた。画面は真っ黒だった。電池が切れている。
 充電器につないで、しばらく待つ。起動した画面には見たこともない通知の数が表示されていた。
 日付は、弟の葬儀からちょうど一か月後。木曜日の13時。どう考えても、普通の社会人ならば仕事をしている時間だ。
 ふう、とひとつ呼吸をしてからスマホのロックを解除する。まず最初に目に入ったのは、上司からの連絡だった。
「しばらく会社に来られない状態だと思うので、こちらで休職の手はずを整えておきます。落ち着いたら連絡ください(休職期間にも限りがあるので、その前にはまた連絡します)」
 2週間ほど前に届いていた。他にも親戚や友人らからのメールやLINE、通話記録がいくつも残っていた。こんなに長い間連絡を返さずにいて申し訳ない。ソファに腰を下ろすと、ひとまず「落ち着いたらきちんと連絡します」とだけメールやLINEの返信をしていった。

 返信を終えると、ほかの部屋も片付けなければ、という気持ちになった。まずは自分の部屋の様子を確認しようと、階段へ向かう。階段の軋む音がやけに耳障りで、前からこんな風に鳴っていただろうか、とチクリと心に刺さった。
 二階の廊下は薄暗かった。手探りで廊下の電気をつける。と、二階の奥の――望の部屋の扉が、開けっ放しになっている。
 望の死んだときの姿が頭をよぎる。
 そうだ、あの時も、この扉が開いていた。
 普段は、閉まったままの扉が。開いていた。だから。仕事から帰ってきて。珍しく望は出かけたのかと思って。扉くらい閉めて出かけろよ、なんてちょっとイライラして。それで。それで。暗闇。パソコンのモニターの光。浮かび上がる。
 弟は、クローゼットのフックにロープをかけ、首を吊っていたのだ。
 幻視。
 そうだ、これは幻だ。
 呼吸が荒くなっている。あれはもう一か月も前のことだ。今はもう弟の遺体は運び出され、荼毘に付されている。あそこにあるわけがないんだ。
 ゆっくりと深呼吸を繰り返す。とりあえず、あの扉を閉めよう。ずっしりと重くなった体を引きずり、望の部屋の前まで進む。
 望の部屋の中から――ぼんやりとした光が漏れ出ていた。遮光性の強いカーテンが閉められ、昼でも真っ暗な室内。なんだろう、と思って部屋の中を覗いてみると、どういうわけか望のパソコンモニターが点いたままになっていた。
「え……」
 喉から掠れた声が出る。どれくらいぶりに声を発したのだろう、ほとんど息でしかない自分の声に、少し戸惑ってしまう。
 どうしてパソコンが点いたままなのだろう。
 電源を落としていないにしろ、誰も触っていないのだから、スリープ状態になっているはずだ。
 ――望なのか?
 そんなはずはない。理性ではわかっている。何らかの拍子でスリープが解けパソコンが立ち上がってしまっただけだろう。しかし、僕の足は勝手に望の部屋の中へと進んでいった。まるで、望に呼ばれているように。
 デスクの前に立つと、モニターの光が僕の顔を照らした。
 画面には、一枚のスライドが浮かび上がっている。

「終焉をえらべ、アガリ 企画書(草案)」

 スライドにはただ一言、そう書かれていた。