終焉選択ゲームAGARIの噂

「じゃあ、行ってくるね」
 J大学の正門をくぐる前の野苅の言葉は、いつものようにあっさりしていた。
 俺が何かを言う隙も無く、彼女は大学の中を進んでいった。日が落ち、街灯の明かりとまだ人が残っている校舎からの灯りが野苅の後姿を、まるで映画の中の登場人物のように照らしている。彼女が通りを曲がり見えなくなるまで、その姿を見つめていた。
 ――野苅は、無事に帰ってくるのだろうか。
 ――AGARIというイベントは、本当にやっているのだろうか。
 野苅を止めて、自分が行くべきだった。不思議なことに、あまり恐怖は感じていなかった。というか、まだ実感できていないというのが正しいのかもしれない。顔も知らないユーザーがSNSの更新をしなくなったことなんか俺には関係ないし、樋渡にしろ見附にしろ、明日には何もなかったように出勤してくるのではないかと、そう思っている自分がいる。
 事実は小説より奇なり、というが、そういうことは自分とは関係のないところで起きるものだと、これまでの人生でずっと思ってきた。
 だから、自分自身の身に何かが起きるというような、当事者感覚はまったくなかった。ただ、いったい何が起きているのか知りたいという、そんな好奇心が自分の中にあった。
 スマホを取り出す。仕事用のチャットツールを開いてみるが、誰からの連絡もない。SNSを開いてみると、火曜微酔部の人たちに送ったメッセージへ返信が届いていた。

「はじめまして。たぶんなのですが、なにか勘違いされていますよ。桂木望がタイケンガタドットコムで働いていたはずはありません。桂木望は4年前に亡くなっています」

「え……」
 思わずスマホを取りこぼしそうになる。慌てて体勢を整え、スマホを握りなおす。
 ――桂木望は、死んでいる? しかも、4年前に?
 野苅の話では、桂木望は一昨年までタイケンガタドットコムで働いていたはずだ。いったい、どういうことだ。
 何かがおかしい。
 そうだ、野苅。彼女に話さなければ。彼女を止めなければ。まだ間に合うかもしれない。
 俺は正門の方へ向き直り、自分も会場となる第二学生会館ホールに向かおうと足を踏み出――そうとしたとき、突然力強く腕を掴まれた。
「尾崎くん」
 聞き覚えのある声だ。
 振り返って男の顔を確かめる、その一瞬がやけに長く感じた。そこにいたのは、目の下に深い隈の刻まれた、三白眼の――あの夜に会った男だった。
「あんた……いったい誰なんだ」
 
 俺の質問には答えず、男は黙って歩きだした。腕を掴んでいた手がするりと離れ、そのまま、野苅が消えた並木道の方へ歩き出す。
「待て。質問に答えろ」
「歩きながら話そう」
 振り返りもせずに男は言う。昨日と同じ、抑揚のない静かな声だった。
 並木道に入ると、さっきまで聞こえていた学生たちの笑い声がいつの間にか消えている。都会の大学らしい洒落た石畳を男の後ろについて進んでいく。
 隣を歩く男の足音が、しなかった。俺の靴音だけが静かな学内に響いている。
「おい、質問に答えろ。桂木望は4年前に死んでいる。じゃあ、あんたは何者なんだ」
 男は淡々と歩き続ける。どこへ向かっているのかわからない。ただ街灯の光が落ちる並木を延々と歩き続けている。
「尾崎くんは、体験型イベントって、好き?」
 唐突に、男が言った。
「は?」
「謎解きとか、そういうの」
 こんな状況で何を言い出すのか。呆れた声が出た。
「好きも嫌いもない。仕事だから関わってるだけで、そもそも興味がない」
「そう。僕もなんだ」
「……はあ?」
 思わず足が止まった。俺が立ち止まったからか、男もようやく立ち止まり、ゆっくりとこちらを振り向く。街灯の光が、まるでスポットライトのように男を照らしていた。
「でもね――没入っていうのを、本気で好きな人っていうのは、いるんだよ。現実の続きじゃなくて、現実の代わりを、本気で欲しがる人が」
 男の言っている意味が分からなかった。没入、という言葉はタイケンガタドットコムへ送られてくるレビューでよく見かける。物語が現実に侵蝕してくる、なんて見附がいつか説明してくれた気がする。
「あの、そんな抽象的な話が聞きたいわけじゃないんだよ。AGARIって何なんだ。樋渡さんと見附さんは、野苅さんはどこにいったんだ!?」
 やはり俺の質問には答えない。一方的に話したいことだけを話す男に、苛立ちが募っていく。
「……もういい。警察にも相談するからな。ていうか今する。もう知らん」
 ポケットからスマホをとりだし、画面に指を滑らせる。半ばやけになって110を押した。しかし――呼び出し音すらならない。無音だった。切れているわけでも、話し中でもない。ただ、何も聞こえない。画面を見ると、勝手に通話画面が終了している。
「なんなんだ」
 電波の表示は、ちゃんと立っている。もう一度110をプッシュしてみるが、なにも呼び出し音が鳴ることもなく通話画面が消え、スマホのホーム画面へと勝手に戻ってしまう。
「もういい。直接交番に行く。あんたと話しても何もならん」
 スマホをポケットにしまうと、桂木と名乗っていた男に背を向け、来た道を戻りだす。駅前に交番があったはずだ。警察に言ってどうなる話ではないが、今はそれくらいしかできることが思いつかない。わざと大きな音を立てて並木道を進んでいく。
 ――こんなに、奥まで来ていただろうか。
 感覚的に、もう5分以上歩いている。こんなに歩いても正門に辿り着かないなんてことが、あるだろうか。
 並木道の景色は、全く変わり映えがない。早足が小走りになり、全力に変わるまで、そう時間はかからなかった。
 自分の靴音だけが、やけに大きく響く。街灯が、一つ、また一つと後ろへ流れていく。それなのに、正門に辿り着かない。走っても、走っても、ずっと街灯が俺を照らし続ける。
 息が切れて、膝に手をついた。
「……くそ」
 そのとき、ポケットの中からスマホが、ぽんっと軽い通知音を立てた。
 息を整えながらスマホを取り出す。暗い画面の上に、通知が浮かんでいる。

新着レビューが2件届きました
イベント:終焉選択ゲーム AGARI
投稿者:見附加奈恵

イベント:終焉選択ゲーム AGARI
投稿者:野苅しおり

 見附と野苅からレビューが届いている。樋渡のときと一緒だ。
 しかし、どうして俺のスマホにタイケンガタドットコムのレビューの通知が届くのだ。会社のパソコンにしか届かないはずだ。
 指が震えて、うまく開けない。それでも、開かないわけにはいかなかった。先に、見附のレビューを開く。

終焉選択ゲーム AGARI
★★★★★

こわくなくなりました。
迷っていたのが、うそのようです。
ここまで来た人は、みんなそうなります。
このレビューを読んでいるあなたも、もうここにいます。

 喉の奥が、ひくりと鳴った。
 野苅のレビューは、もっと短かった。

終焉選択ゲーム AGARI
★★★★★

思い出しました。
思い出せて、よかったです。
私は、選びます。
あなたも、もうすぐです。

「尾崎くん」
 背後から、声がした。
 ゆっくりと振り返る。そこにいたのは、たしかに桂木望と名乗っていたあの男――のはずなんだが、なんだかやけに大きく見えた。見上げるほど高い位置に、桂木の血色の悪い顔があった。
 その顔が、どうして、俺は、逃げなければいけないのに、目が離せなくて、どこか、どこか上の方へ、あがっていけるような、そんな――。男は突然、柔らかな笑みを浮かべた。
 きっとこれは恐ろしいことなのだろう、というのは頭では理解できる。しかし恐怖心はやってこない。
 男がゆっくりと手をこちらに伸ばす。
 差し伸べる、と言う言葉が浮かぶ。
 その手を、俺は――