見附からのメッセージは、何度読み返しても変わらなかった。
今朝、樋渡からのメッセージに怯えていたとは思えない、「私もAGARIに参加することにしました」という淡々とした文章。これは、本当に見附本人が書いたものなのだろうか。
震える指でキーボードを打つ。「いまどこですか」「返事をください」と送ってみるが、既読さえつかない。
その時、野苅の席に置かれていた固定電話が鳴りだした。電話なんて滅多にかかってこないので、代表電話は1つしかない。
野苅の席へ移動し、電話を取る。
「はい、タイケンガタドットコムです。どちらさまでしょうか」
「あ、尾崎くん?」
電話の主は野苅だった。彼女の声は、いつもよりずっと小さくて硬い。
「野苅さんですか? どうしたんですか、電話なんて」
「急ぎなの。今から出られる? 見附さんも一緒に」
見附、の言葉に思わず言葉を飲み込んでしまう。
「あの……見附さんは、いなくて」
「いない? 早退? ……まあいいや。尾崎くんだけでいいから、すぐにR駅まで来て」
野苅は強引に話を進めてくる。そもそも会社の代表の指示を断ることなどできないが、それにしてもあまりにも性急だ。
「R駅って、どこに行くんですか」
「桂木くんの家」
「え?」
「LINEは送ったの。久しぶり、元気? って。でも、既読にならない。だから直接家に行ってみようと思って」
「行って、どうするんですか」
「わかんない。わかんないけど、このまま何もしないでいるのも嫌なの」
電話の向こうで、小さく息を吐く音がした。
「……正直に言うとね、私も怖いんだ。樋渡くんとも連絡つかないし、何が起きてるのかわけが分からないし。だから、誰かに一緒に来てほしくて。……最低でしょ。ごめん」
謝る声が、少し笑っていた。笑っているのに、泣き出す手前のような声だった。
いつもは強気な野苅の弱々しい声。ひとりで行かせるわけにはいかない。
しかし、それだけではない。
「いえ。行きます」
気が付けば、そう答えていた。
俺たちの身に起きていることの真実――AGARIとはいったい何なのかを、自分自身の手で知りたい。その思いが強くなっていた。桂木の家には、何かしらの手掛かりがあるかもしれない。
会社の最寄り駅から、一度乗り換えを経て約四十分。たったそれだけ離れただけで、都心とは空気ががらりと変わっている。高いビルもなく、空がやけに広く見えた。
改札は広く、通勤ラッシュにはきっと混雑するのだろう。しかし、平日の夕方どきには学校帰りらしい学生がパラパラいるだけだった。
野苅は、改札を出てすぐの柱の横に立っていた。足元には大きな紙袋が置いてある。朝と同じジャケットのままで、目の下に濃い隈ができていた。
「来てくれてありがとう」
「いえ……」
「それで、見附さんは? 体調でも崩しちゃった?」
来た、と思った。
「そのことなんですけど……歩きながら話してもいいですか」
野苅は不審そうに眉をひそめたが、小さく頷いた。
日が傾きはじめている。十月の空気は、思ったよりも冷たかった。
野苅がスマホの地図を見ながら先を歩く。桂木の住所は、会社に残っていた履歴書から調べたらしい。そんなことしていいのか、微妙な顔をしながら話を聞いていた。
道すがら、見附のことと、樋渡のレビューのことを話した。
見附がAGARIに参加すると連絡してきたこと。樋渡がAGARIのレビューを投稿してきたこと。レビューは念のため、会社を出る前にスクリーンショットを撮ってきていた。スマホを差し出すと、野苅は歩きながら画面を見つめ、やがて足を止める。
「――いっしょに、あがりましょう」
小さく口に出して読んだ、その声が震えて聞こえた。
「見附さんまで……。樋渡くんがこんなことを書くわけないし、見附さんだって、あんなに怖がってたのに……」
「野苅さん、落ち着いてください」
「……何が起きてるの、私の会社に。ただがんばってやってきただけなのに。桂木くん? 彼のせいなの? 全然仲良くもなかったじゃん! 話したことだって、数えるくらいなのに!」
野苅の声が、住宅街の静けさの中でやけに大きく響いた。はっとしたように口を押さえ、それから、ごめん、と呟く。
しばらく黙って歩いたあと、野苅はぽつりぽつりと話しはじめた。
「会社を出たあと、一回自宅に帰ったの。桂木くんに関するものが何か残ってないかな、と思って、学生時代のサークルの資料とかを漁ってみたの」
ちらりと、足元の紙袋に目をやる。
「そしたら、思い出したんだよね。大学二年の冬に、あんちゅーると火曜微酔部と、あと他の学校のいくつかのサークルとで、合同ハッカソンをやったの。ハッカソンって知ってる? いくつかのチームに分かれて、数日間で集中してイベントを作って競い合う、みたいな企画。みんなで徹夜でイベントを作って、外からお客さん呼んで遊んでもらって。青春でしょ。そのとき、桂木くんと一緒のチームだった」
「一緒のチームだったことを、忘れてたんですか?」
俺の疑問に、野苅はゆっくりとうなずいた。
「うん……。あのハッカソンは学生時代の中でも結構インパクトあるイベントだったはずなのに、今の今まですっかり忘れてた。……なんか、変だよね。徹夜で一緒に苦労してイベントを作った仲間のはずなのに。私の中では、人づてに仕事を探してるって聞いた、ただの知り合いでしかなかったから」
それが、さっきの「全然仲良くもなかった」という言葉につながる。
「まあ、その後あんちゅーるが一気に人気になっちゃって、それで今までがむしゃらに動いてきたから、ってのはあるかもしれない。四年のときに私がメインでやった学祭企画が評判になって、取材まで来てさ。それで、就活もしないで会社を作って、今に至る。……あの頃は、何をやっても上手くいく気がしてた」
懐かしそうに目を細める横顔を見ながら、何かが引っかかるのを感じた。
駅から10分ほど歩いたところで、野苅が足を止めた。
「……ここ、だと思う」
住宅街の外れ、周りの家々から取り残されたように、その家はあった。
古い二階建ての一軒家。門柱には「桂木」の表札がかかっている。灯りはついておらず、カーテンは閉ざされている。人が住んでいる気配が、まるでない。
インターホンを押してみる。建物の中にピンポンという音がむなしく響く。
「……留守、みたいですね」
そう声をかけるも、野苅は、門の外から一歩も動こうとしない。
「……少し時間を空けて、出直してみますか?」
なおも野苅は動こうとしない。困ってしまい、桂木の家を改めて観察してみた。
ふと、門柱に取り付けられた郵便受けが目に入った。郵便受けは、手紙やチラシであふれかえっていた。――数日、もしかしたら、もっと長い間留守にしているのかもしれない。
……郵便受けからだらしなくはみ出ている一枚のチラシに、目が留まった。真っ赤な背景に、白い文字で、こう書かれていた。
――終焉選択ゲーム AGARI
雷に打たれたような衝撃、というのだろうか。心臓が止まるのかと思うくらい、どきっと大きく跳ねた。
「野苅さん、これ……」
恐る恐るそのチラシを郵便受けから引きずり出し、野苅といっしょに覗き込む。
終焉選択ゲーム AGARI
あなたは、どの終焉を選びますか。
主催:ひねもすの民
日時:2026年9月~ 永遠
会場:J大学 第二学生会館ホール
参加方法:ただ、来てください。
「……ここ」
肩越しにチラシを覗き込んだ野苅が、かすれた声を出した。
「ハッカソンをやった場所だ」
例の大きな紙袋から、クリアファイルに入った資料を取り出す。クリアファイルには何枚もの資料が挟み込まれているようだ。その1枚目には「学生合同ハッカソン」そして「会場:J大学 第二学生会館ホール」という文字が読み取れる。
「――私も行くかあ」
「行くなら、俺も――」
「だめ」
野苅は、はっきりと首を振った。
「まさかアルバイトに任せて、代表が家で待ってるわけにはいかないでしょ」
「でも」
「もし、明日まで連絡がなかったら、ごめんだけど警察とかに相談してほしい」
「桂木さんの家に一人で行くのが怖いって、言ってたじゃないですか」
「それとこれとは、別でしょ」
返す言葉がなかった。野苅は、足元の紙袋を持ち上げて、俺に押しつける。
「これ、預かってて。サークルの資料。何かの役に立つかもしれないから」
俺たちはR駅まで来た道を戻った。野苅はJ大学へ一人で行くと言って聞かなかったが、半ば強引に大学の前まで一緒について行くことにした。
太陽はすっかり落ち、雲の間から覗く夕方と夜との境目が、何かの象徴のようにやけに鮮やかに見えた。
今朝、樋渡からのメッセージに怯えていたとは思えない、「私もAGARIに参加することにしました」という淡々とした文章。これは、本当に見附本人が書いたものなのだろうか。
震える指でキーボードを打つ。「いまどこですか」「返事をください」と送ってみるが、既読さえつかない。
その時、野苅の席に置かれていた固定電話が鳴りだした。電話なんて滅多にかかってこないので、代表電話は1つしかない。
野苅の席へ移動し、電話を取る。
「はい、タイケンガタドットコムです。どちらさまでしょうか」
「あ、尾崎くん?」
電話の主は野苅だった。彼女の声は、いつもよりずっと小さくて硬い。
「野苅さんですか? どうしたんですか、電話なんて」
「急ぎなの。今から出られる? 見附さんも一緒に」
見附、の言葉に思わず言葉を飲み込んでしまう。
「あの……見附さんは、いなくて」
「いない? 早退? ……まあいいや。尾崎くんだけでいいから、すぐにR駅まで来て」
野苅は強引に話を進めてくる。そもそも会社の代表の指示を断ることなどできないが、それにしてもあまりにも性急だ。
「R駅って、どこに行くんですか」
「桂木くんの家」
「え?」
「LINEは送ったの。久しぶり、元気? って。でも、既読にならない。だから直接家に行ってみようと思って」
「行って、どうするんですか」
「わかんない。わかんないけど、このまま何もしないでいるのも嫌なの」
電話の向こうで、小さく息を吐く音がした。
「……正直に言うとね、私も怖いんだ。樋渡くんとも連絡つかないし、何が起きてるのかわけが分からないし。だから、誰かに一緒に来てほしくて。……最低でしょ。ごめん」
謝る声が、少し笑っていた。笑っているのに、泣き出す手前のような声だった。
いつもは強気な野苅の弱々しい声。ひとりで行かせるわけにはいかない。
しかし、それだけではない。
「いえ。行きます」
気が付けば、そう答えていた。
俺たちの身に起きていることの真実――AGARIとはいったい何なのかを、自分自身の手で知りたい。その思いが強くなっていた。桂木の家には、何かしらの手掛かりがあるかもしれない。
会社の最寄り駅から、一度乗り換えを経て約四十分。たったそれだけ離れただけで、都心とは空気ががらりと変わっている。高いビルもなく、空がやけに広く見えた。
改札は広く、通勤ラッシュにはきっと混雑するのだろう。しかし、平日の夕方どきには学校帰りらしい学生がパラパラいるだけだった。
野苅は、改札を出てすぐの柱の横に立っていた。足元には大きな紙袋が置いてある。朝と同じジャケットのままで、目の下に濃い隈ができていた。
「来てくれてありがとう」
「いえ……」
「それで、見附さんは? 体調でも崩しちゃった?」
来た、と思った。
「そのことなんですけど……歩きながら話してもいいですか」
野苅は不審そうに眉をひそめたが、小さく頷いた。
日が傾きはじめている。十月の空気は、思ったよりも冷たかった。
野苅がスマホの地図を見ながら先を歩く。桂木の住所は、会社に残っていた履歴書から調べたらしい。そんなことしていいのか、微妙な顔をしながら話を聞いていた。
道すがら、見附のことと、樋渡のレビューのことを話した。
見附がAGARIに参加すると連絡してきたこと。樋渡がAGARIのレビューを投稿してきたこと。レビューは念のため、会社を出る前にスクリーンショットを撮ってきていた。スマホを差し出すと、野苅は歩きながら画面を見つめ、やがて足を止める。
「――いっしょに、あがりましょう」
小さく口に出して読んだ、その声が震えて聞こえた。
「見附さんまで……。樋渡くんがこんなことを書くわけないし、見附さんだって、あんなに怖がってたのに……」
「野苅さん、落ち着いてください」
「……何が起きてるの、私の会社に。ただがんばってやってきただけなのに。桂木くん? 彼のせいなの? 全然仲良くもなかったじゃん! 話したことだって、数えるくらいなのに!」
野苅の声が、住宅街の静けさの中でやけに大きく響いた。はっとしたように口を押さえ、それから、ごめん、と呟く。
しばらく黙って歩いたあと、野苅はぽつりぽつりと話しはじめた。
「会社を出たあと、一回自宅に帰ったの。桂木くんに関するものが何か残ってないかな、と思って、学生時代のサークルの資料とかを漁ってみたの」
ちらりと、足元の紙袋に目をやる。
「そしたら、思い出したんだよね。大学二年の冬に、あんちゅーると火曜微酔部と、あと他の学校のいくつかのサークルとで、合同ハッカソンをやったの。ハッカソンって知ってる? いくつかのチームに分かれて、数日間で集中してイベントを作って競い合う、みたいな企画。みんなで徹夜でイベントを作って、外からお客さん呼んで遊んでもらって。青春でしょ。そのとき、桂木くんと一緒のチームだった」
「一緒のチームだったことを、忘れてたんですか?」
俺の疑問に、野苅はゆっくりとうなずいた。
「うん……。あのハッカソンは学生時代の中でも結構インパクトあるイベントだったはずなのに、今の今まですっかり忘れてた。……なんか、変だよね。徹夜で一緒に苦労してイベントを作った仲間のはずなのに。私の中では、人づてに仕事を探してるって聞いた、ただの知り合いでしかなかったから」
それが、さっきの「全然仲良くもなかった」という言葉につながる。
「まあ、その後あんちゅーるが一気に人気になっちゃって、それで今までがむしゃらに動いてきたから、ってのはあるかもしれない。四年のときに私がメインでやった学祭企画が評判になって、取材まで来てさ。それで、就活もしないで会社を作って、今に至る。……あの頃は、何をやっても上手くいく気がしてた」
懐かしそうに目を細める横顔を見ながら、何かが引っかかるのを感じた。
駅から10分ほど歩いたところで、野苅が足を止めた。
「……ここ、だと思う」
住宅街の外れ、周りの家々から取り残されたように、その家はあった。
古い二階建ての一軒家。門柱には「桂木」の表札がかかっている。灯りはついておらず、カーテンは閉ざされている。人が住んでいる気配が、まるでない。
インターホンを押してみる。建物の中にピンポンという音がむなしく響く。
「……留守、みたいですね」
そう声をかけるも、野苅は、門の外から一歩も動こうとしない。
「……少し時間を空けて、出直してみますか?」
なおも野苅は動こうとしない。困ってしまい、桂木の家を改めて観察してみた。
ふと、門柱に取り付けられた郵便受けが目に入った。郵便受けは、手紙やチラシであふれかえっていた。――数日、もしかしたら、もっと長い間留守にしているのかもしれない。
……郵便受けからだらしなくはみ出ている一枚のチラシに、目が留まった。真っ赤な背景に、白い文字で、こう書かれていた。
――終焉選択ゲーム AGARI
雷に打たれたような衝撃、というのだろうか。心臓が止まるのかと思うくらい、どきっと大きく跳ねた。
「野苅さん、これ……」
恐る恐るそのチラシを郵便受けから引きずり出し、野苅といっしょに覗き込む。
終焉選択ゲーム AGARI
あなたは、どの終焉を選びますか。
主催:ひねもすの民
日時:2026年9月~ 永遠
会場:J大学 第二学生会館ホール
参加方法:ただ、来てください。
「……ここ」
肩越しにチラシを覗き込んだ野苅が、かすれた声を出した。
「ハッカソンをやった場所だ」
例の大きな紙袋から、クリアファイルに入った資料を取り出す。クリアファイルには何枚もの資料が挟み込まれているようだ。その1枚目には「学生合同ハッカソン」そして「会場:J大学 第二学生会館ホール」という文字が読み取れる。
「――私も行くかあ」
「行くなら、俺も――」
「だめ」
野苅は、はっきりと首を振った。
「まさかアルバイトに任せて、代表が家で待ってるわけにはいかないでしょ」
「でも」
「もし、明日まで連絡がなかったら、ごめんだけど警察とかに相談してほしい」
「桂木さんの家に一人で行くのが怖いって、言ってたじゃないですか」
「それとこれとは、別でしょ」
返す言葉がなかった。野苅は、足元の紙袋を持ち上げて、俺に押しつける。
「これ、預かってて。サークルの資料。何かの役に立つかもしれないから」
俺たちはR駅まで来た道を戻った。野苅はJ大学へ一人で行くと言って聞かなかったが、半ば強引に大学の前まで一緒について行くことにした。
太陽はすっかり落ち、雲の間から覗く夕方と夜との境目が、何かの象徴のようにやけに鮮やかに見えた。



