終焉選択ゲームAGARIの噂

 翌日、いつもと同じ時間に出社した。昨日のことが夢なのかわからない。俺は本当に桂木と会ったのだろうか。
 わけがわからないまま家に帰り、眠れないかと思ったが、逆に意味がわからな過ぎて脳を使いすぎたせいか、帰宅してすぐ眠ってしまった。ぐっすりと眠ったおかげか、頭はすっきりしている。
 オフィスに着くと、いつもより煌々と電気がついていた。普段つけていない窓際の電気もすべてついている。室内では見附が一人、青い顔でパソコンの画面を睨みつけている。いつもきれいにまとめている髪が、今日はどこか乱れていた。いつも誰よりも早く出勤している樋渡はいないようだ。見附がオフィスを開けたから電気の付け方がいつもと違うのか。
 そんなことを考えながら中に入ると、すぐに見附に声を掛けられる。
「あ、尾崎くん」
 顔を上げた彼女の手元にはスマホが握り締められている。
「見て、これ」
 差し出されたスマホの画面には、SNSの投稿が表示されている。いわゆる初期アイコンの投稿からの書き込みのようだ。
「これ、知ってる?」
「え、なにこれ」
 スマホを借りて画面に目をむけると、「T.com関係者 @t_dotcom99」というアカウントから、AGARIについての告発が投稿されていた。……桂木望。これは昨日会ったあの男が投稿したものなのだろうか。
「尾崎くんじゃないよね?」
「違いますよ」
「だよねえ……」
 見附にスマホを返し、そのまま自分のデスクに向かう。桂木のことを話そうかとも思ったが、話すにしてもまずは野苅か樋渡に話してからの方がいいだろう。
「それより、樋渡さんは来てないんですか?」
 俺がそう問いかけると、見附は表情を曇らせる。スマホを机の上に置くと表情をこわばらせてパソコン画面に視線を向ける。
「……パソコン開いて自分で確認してくれる?」
「はあ」
 よくわからない返事に首をかしげてしまう。言われるままにパソコンを立ち上げると、樋渡からメッセージが届いていた。送信時間は、朝の8時ころ。仕事を始めるには早すぎる時間だ。体調不良の連絡だろうか。マウスを操作してメッセージを開いてみる。
 
樋渡 8:12
おはようございます
AGARIに参加してきます
終わり次第出社するつもりなので、出来そうな作業を進めておいてください。 

 何度読み返しても、意味がわからなかった。
「見附さん、これって……」
「私に分かるわけないじゃない」
 キーボードに手を置いてはいるが、何も作業はしていない。ただ悲痛な表情でモニターを睨みつけている。
「AGARIって何なの」
 絞り出すような見附の言葉に、俺はなんと声をかけていいかわからなかった。
 そのまま少し時間が流れた。自分だけでも業務を進めようかとも思ったが、そんな気分になれない。俺も見附も言葉を発せず、仕事をするでもなく、かといってサボったり帰ったりするわけでもなく、ただ重たい空気だけがオフィスに漂っていた。
 10分ほど時間が過ぎただろうか、いや本当は1分しか経っていなかったかもしれない。オフィスの空気を変えるように、入口から野苅の声が響いた。
「おはよー」
 普段は頼りない代表だと感じることもあるが、この時ほど野苅が頼もしく感じたことはない。二人そろってぱっと顔を上げ「おはようございます」とほぼ同時に野苅へ挨拶を返した。そんな俺たちの行動がおかしかったのか、野苅はぷっと噴き出した。
「なになに、どうしたの2人して変な感じして。何か困ったことあった? てか樋渡くんは?」
 一瞬明るくなりかけたオフィスの空気は、またすぐにどしんと重たくなる。
「え、なに、どうしたの?」
 野苅の声のトーンが変わる。見附がしずかにスマホの画面を差し出した。
「たぶん野苅さんにも遅刻連絡入ってると思うので、確認してみてください」
 野苅は受け取ったスマホに目を落とすと、しばらく黙って画面をスクロールしていた。いつもへらへらとしている顔から、表情が消えていく。パソコンが立ち上がると、せわしなくマウスを操作する。
「……ちょっと、電話してみる」
 そう言うと、野苅は俺たちの返事も待たずに自分のスマホを取り出し、発信ボタンを押した。
 無音のオフィスに、野苅のスマホからのコール音がやけに大きく響く。
 一回、二回、三回――
 樋渡が野苅の電話に出ることはなかった。その日、ずっと。

 「――野苅さん、話したいことがあるんですけど」
 電話を切った野苅に、俺はそう切り出した。今言うしかない、そんな気がした。
「え、何?」
 スマホをまだ握ったまま、野苅がこちらを見る。見附も顔を上げた。
「これ、見てください。見附さんにも送るので一緒に見てください」

 C:\Users\share\タイケンガタドットコム\退職者\古いもの\使わない\旧体制\桂木望\確認不要\企画書\終焉をえらべ、アガリ.pptx

 例のアガリの企画書のパスだ。これを2人宛てにメッセージで送信した。
「……アガリ……?」
 見附が困惑した顔でこちらを見てくる。
「たまたま見つけたんですけど、この『終焉をえらべ、アガリ』と言う企画書、これは『終焉選択ゲーム AGARI』の元ネタなんですか?」
 野苅は送ったスライドを読んでいるのか、すぐに返事をしなかった。短い企画書だ、すぐに内容を読み終わったようで、眉をしかめながらパソコンから顔を上げた。
「この企画書は、見たことがない……と、思う。AGARIは私が考えたそれっぽいイベント名、なんだけど……」
 いつもはきはきと話す野苅だが、あまりにも歯切れが悪い。自分が考えたと思っていた企画と、ほとんど似たようなタイトルの企画書が存在したら、困惑もするだろう。それとも、本当は野苅はアガリの企画書を見たことがあるのだろうか。それを誤魔化そうとしているから、こんな不自然な態度になっているとしたら――
「この企画書を作った、桂木望さんと言う人は、どんな人なんですか?」
 自分でも嫌な考えが頭をよぎってしまい、話題を変えることにした。野苅も今度は話しやすいのか、すぐにいつもの調子に戻る。
「桂木くんね。2年前くらいまでうちでアルバイトとして働いてくれていた……うーん、特に変わったところもない、普通の人だよ。私の学生時代からの知り合い」
「学生時代からの知り合いということは、タイケンガタドットコムの設立のころから働いていたんですか?」
「ううん。うちで働きだしたのは3年前かな、1年で辞めちゃったはずだから。桂木くんは私と同い年でね、別の大学の謎解きサークルに入ってたの。そのつながりで何回か会ったりSNS繋がったりしてたくらいの、本当にちょっとした知り合いだったんだけど、人が足りないときに別の友達経由で桂木くんが仕事探してるって聞いて声をかけたの」
 ということは、桂木がタイケンガタドットコムで働きだしたのは2023年頃、そして2024年ころに退職したのだろう。たしか、あのファイルの更新日は2023年だったので、辻褄はあっている。
「野苅さんも謎解きを作ってたんですね」
「そうそう。あれ、言ったことなかったっけ。J大学謎解きサークルあんちゅーるっていうところで学生謎解きやってて、その流れでタイケンガタドットコムを作って、なんやかんやあって今に至ってる」
 考えてみれば、会社の人たちのこれまでの経歴や人生について話したことがないかもしれない。仲が悪いわけでもないし、雑談や世間話はいつもしているが、それ以上の深い話となると聞いたこともないし、自分もしていない。
「すごかったんですよ、野苅さんがいたころのあんちゅーる。というか、学生謎解き。面白いイベントバンバン打ってて。私は当時高校生とかでしたけど、いろんな大学の学祭回ったりしてたなあ」
「へえ……」
 見附が懐かしそうに目を細める。謎解きイベントが好きなのは知っていたが、思っていたよりもかなり筋金入りのようだ。
「じゃあ、見附さんも桂木望さんのこと知ってたりするんですか?」
「いえ、私はわからないですね」
「桂木くんがいたのはD大学の火曜微酔部っていうところなんだけど、ちょっと小規模だったからね」
 昔話は楽しい。自然と空気も弛緩していき、アガリの企画書を見たときの、樋渡からのメッセージを見たときの緊張感が周囲から消えていく。しかし、このまま懐かしい話だけしているわけにはいかない。
「桂木さんは、どうしてタイケンガタドットコムを辞めたんですか?」