終焉選択ゲームAGARIの噂

「いったいどうなってるのよ!」
 翌日、午前10時少し前にタイケンガタドットコムのオフィスへやってくると、珍しいことに野苅はすでにやって来ているようだった。廊下まで彼女の声が響いてくる。
「おはようございまーす」
 様子を伺うようにゆっくり扉を開ける。オフィスの中には、俺以外のスタッフ――野苅、樋渡、見附がすでにそろっており、野苅のパソコンの前にみんな集まっていた。
「尾崎くん、おはよう」
「廊下まで声響いてましたよ」
 指を口に当て、「しずかに」のジェスチャーをすると、野苅も慌てて指を口に当てる。「ああ、ごめんね。テンパっちゃった」と言う彼女の目の下には、大きな隈が出来ている。よく見れば樋渡の顔色も良くない。
「それで、何があったんですか?」
 俺が訊くと、野苅は答える代わりに自分のパソコンを指差した。画面には、タイケンガタドットコムの管理画面が表示されている。
「今日来てみたら、増えてるの」
 樋渡が言った。
「増えてるって、何が?」
「AGARIのレビュー。見て」
 言われるままに画面を覗き込んでみると、「終焉選択ゲーム AGARI」へ複数のレビュー申請が届いていた。
 タイケンガタドットコムでは、基本的にレビューは投稿されると一旦スタッフの審査を挟んでから公開される。謎解きイベントなどのレビューが多い都合上、意図せずネタバレをそのまま投稿されるのを防ぐためだ。そのため、ユーザーから投稿されたレビューは一度タイケンガタドットコムの管理画面に溜まっていき、スタッフの承認を経てサイトへ公開される。
 その審査待ちのレビューに、「終焉選択ゲーム AGARI」がいくつも表示されている。
「SNSにも、AGARIに参加したって言う人が増えていました」
「俺も見たよ。どうなってるのかわからん」
 樋渡は大きくため息をつくと、肩をすくめて自分のデスクへ戻っていく。野苅の様子は心配だが、このまま立ちっぱなしでいるわけにもいかない。俺と見附もそれぞれ自分の席へ着く。
「AGARIのレビューは放置しておいていいから」
 疲れきった樋渡の声。
「あ、はい。……そういえば、昨日の件はどうなったんですか?」
「ああ。日記以外もおかしかった。まとめて、尾崎くんと見附さんに送ってあるから、ちょっとそれを見てくれる?」
 パソコンを立ち上げると、樋渡からチャットでファイルが送られてきていた。これのことか、と思いデータを開いてみる。

<AGARI ARG 本来の構造>
 タイケンガタドットコムのレビュー
 ひねもすの民=マタタビプロジェクトの公式サイト
 マタタビプロジェクトのSNS
 余里すぐりのブログ
 新興宗教弓葉の会のサイト
 タイケンガタドットコムの偽会社概要(役員に弓葉の会のメンバー、会社紹介に余里すぐりの本名)
 きたの現在のSNSアカウント
 余里すぐりにきたののメッセージを伝えるためのフォーム
 エンディング

<AGARI ARG 現在残っている要素>
 ○ タイケンガタドットコムのレビュー
 ○ ひねもすの民=マタタビプロジェクトの公式サイト
 ○ マタタビプロジェクトのSNS
 △ 余里すぐりのブログ(予定外の日記へ変更されている)
 × 新興宗教弓葉の会のサイト
 × タイケンガタドットコムの偽会社概要(役員に弓葉の会のメンバー、会社紹介に余里すぐりの本名)
 × きたのの現在のSNSアカウント
 × 余里すぐりにきたののメッセージを伝えるためのフォーム
 × エンディング

「バツマークは、そもそもサイトやアカウントが消されてるって意味。もちろん、元データはローカルにデータが残ってるから、やろうと思えばすぐ復活させられるけど。いや、SNSアカウントなんかは復活させられないかもな」
「どうしてですか? ああいうの、30日以内に再度ログインしたらアカウント復活するんですよね?」
「パスワードも変更されているみたいでログインできない」
「え……そういうのって、メールで確認とか届きますよね?」
 昨日いなかった見附も、俺が来る前に状況を聞いていたのか、樋渡の話に顔を青くしている。
「どういうわけか、その手のメールはなにも来てない。届いていないのか、誰かに消されたのかもわからんが」
「不正アクセス、でしょうか」
「かもしれない。レビューやSNS投稿に愉快犯が増えている現状、原因がわからないまま消されたサイトを復活させても鼬ごっこになるだけかもしれない、と野苅さんと話していたんだ」
 愉快犯。
 果たして、本当に愉快犯の犯行なのだろうか。
 昨日、家で見た「AGARIへ参加した」と主張するアカウントは、普通のアカウントに見えた。アカウントを作ったのが何年も前で、フォロワーもいて、投稿もしていて、フォロワーとの会話もしていた。俺から見たら、本当に実在する人たちのアカウントに見えた。
「AGARIは『これはARGです』と銘打ってスタートしたものじゃないから、ゲームを再開させることは諦めて、いったんこのまま放置しておくのでもいいかな、と思ってるの。多少問い合わせは来ているけど、状況がわかってからゲームを再開するか、それともイベント情報を削除するか決めればいいかなって」
 苦々しい野苅の声。
 インターネットやビジネスのことはわからないから、それが適切な対処方法なのかはわからない。野苅と樋渡が考えて決めたなら、それがいいのだろう。
「それでね。私も樋渡くんも、そこまでネットワークとかに詳しいわけじゃないから、不正アクセスの調査とかをこれから外部の人に頼もうと思ってるの。でも……」
 言いにくそうに、野苅が口ごもる。どうしたのだろう。
 何かフォローするべきなのか考えていると、これまで黙って話を聞いていた見附が口を開いた。
「私や尾崎くんを疑っているんですか?」
 普段の優しい口調とは違う、刺すような物言い。
 なるほど、社員に疑いを向ける言葉を言うか言わないか悩んで、あんな口ごもり方をしたのか、と納得する。
「疑っているわけじゃないの。ただ、やっぱりこうした改変をしやすいのは社内の人間でしょう。フラットに考えたら私自身や樋渡くんも含めて、社内の誰かがやったってことになると思う」
「そうかもしれないですけど。……根拠もなく言っていいことではないと思います」
 珍しく見附が引かずに、野苅へ反論を続ける。何だか珍しいな、と思ってしまうが、信頼していた人に疑われてショックを受けるのも当然なのかもしれない。逆に、身内が疑われるのも当然だよな、と俯瞰して考えてしまう自分の方が、少し特殊なのかもしれない。
 ただ、この空気はいたたまれなかった。決して気持ちよく仕事ができる雰囲気ではない。
 周囲に漂う重さをシャットダウンするようにパソコンに向き直る。しかし仕事をする気にもなれなくて、見るでもなく目につくフォルダをどんどんクリックしていった。
 社内の共有データには、タイケンガタドットコムのほとんどのデータが入っている。個人情報や機密データみたいなものへのアクセス権限はないが、それ以外の様々なデータが自由に閲覧できるようになっている。業務に集中できないとき、会社の歴史の勉強と嘯いてそうしたデータを眺めることがあった。過去の業務マニュアル、キャンペーンの振り返り、頓挫したコラボ企画のアイディア。そんなものが雑多に詰め込まれている。
 具体的に「何か」を探していたわけではない。
 だから、これを見つけたのは本当に、たまたまだった。
「退職者」というフォルダの中に置かれていた、無数のフォルダやファイル。ただぼんやりと、何も考えずに、周囲の空気をシャットダウンするためだけに、奥のフォルダへ、奥のフォルダへと進んでいった。そして辿り着いたその先にぽつんと置かれていた、ひとつのパワーポイントのファイル。
 そのファイル名は――「終焉をえらべ、アガリ.pptx」。