第五章 姫と王子
観客席となっていた階段を埋め尽くしていた人々が地獄坂を列になって下りていく。
今年の乙木星祭も、無事に終わった。
俺が参加したクラス対抗選抜リレーは二位だったが、アンカーとして三人抜きをしたので、責務は果たせたと思う。
最終的に総合優勝したのは赤組で、白組は残念ながら三位に終わった。
マスゲームも大喝采を浴びた。観客席には、生徒たちの達成感が伝わっただろう。
爽やかにグラウンドを照らしていた日の光が山際に消えていく。無人になった観客席を見ると、祭りの後の虚無感と寂寥感が忍び寄ってくるものだが、俺たちはまだまだ高揚感の真っ只中にいる。
これから、祭りの後の祭り——打ち上げと余興を兼ねたお楽しみがあるので、後片付けのモチベも上がる。
グラウンドから教室へと、両手に椅子を持って運んでいたら、「姫! 何やってんだ! こっち来い!」と呼ばれた。
何事かと思えば、プリコレの衣装係の連中に囲まれ、髪やら顔やらぺたぺたと触られる。
「髪の毛、埃っぽいな…! 衣装に合わせて、セットさせてくれ!」
「いや、その前にまず衣装を合わさねーと! サイズは合ってると思うが、何か不備があるかもしれん!」
「肌もべとべとだ……! その前に顔洗って来い!」
そりゃ一日中グラウンドにいて、走り回っているんだから、ぴかぴか爽やかとはいかねーだろう。
まず洗面所へ! 連れて行かれる途中で、怜と遭遇した。怜もプリコレのために着替えに行くところらしい。
「茨先輩、僕の応援合戦ちゃんと見てましたか?」
「おう。白学ラン、似合っていたな。かっこよかった」
応援合戦の学ランは標準的な黒色で揃えられているのだが、怜は別注で用意したのか、真っ白の学ランで現れた。軍服のようで、かっこいい衣装に、怜の華やかな顔立ちが映えて、観客席から甲高い悲鳴が上がった。俺の周りの連中も「アイドルに負けてねーな」と口々に感心していた。
今年の乙木星祭の話題を攫ったのは、怜だ。応援合戦はもちろん、騎馬戦でもなかなか良い動きで活躍していた。
「ふふ。先輩、約束覚えてます?」
「ん?」
「惚けないでください。プリコレ、僕が最優秀プリンセスに選ばれたら、どうするんでしたっけ?」
「…………」
覚えてはいるが、半信半疑で首を傾げる。
「怜に好かれているのは、すげぇ嬉しい。でも俺は前んときと何も変わってねーよ。正直つき合うとか、よくわかんねーし」
「ストップ!」
怜の人差し指が俺の唇に触れる。
俺が口を噤んだのを見て、怜が口角を持ち上げた。
「今は僕に恋愛感情がなくても、未来がどうなるかはわかりませんよね? 前回は僕も先輩ならいいかなって軽い気持ちだったから、本気じゃありませんでした。先輩と別れてから、先輩と一緒にいたときが一番楽しかったなって気がついて、いつの間にか先輩を本気で好きになってたことがわかったんです。だから、今度は先輩に僕を好きになってもらいます」
先輩、とゆっくり動く唇は可愛らしくて、悪巧みなんて似つかわしくないのに。
「応援合戦の僕、目立っていたでしょう? プリコレで、あの時のあいつだって気づいてもらえるように、あの衣装を選んだんですから。ふふ。大成功です。今年の乙木星祭の主役は僕です。最優秀プリンセスに選ばれる確率高いと思いますよ」
特注の白学ランはプリコレでの最優秀プリンセスを獲るための布石だったと言われ、言葉を失った俺に、怜はくすりと笑う。
そして、「約束は守ってもらいますよ、逃げないでくださいね」と言い残し、去って行った。
俺たちのやり取りを固唾を飲んで見守っていた奴らが、呼吸をすることを思い出したのか、一斉に、ふー、と息を吐き出した。
「新寺は、姫の皮を被った狼だな」
「肉食獣だよな。姫、怖ぇ奴に好かれたもんだな」
「でも、安心しろ」
ぽんと肩を叩かれ、親指を立てられる。
「お前が最優秀プリンセスになれば問題ねーよ」
「俺たちはその自信がある」
頼もしい言葉に、俺は複雑な心境で頷いた。
汗でベトついていた顔と手を洗うと、すっきりした。椅子を運び入れる奴らの邪魔にならないように廊下の隅を歩いて、衣装が用意されている教室へと向かう。
一体どんな衣装なのか——。
恐る恐る教室の扉を開けた俺は、ハンガーに掛けられている衣装を見て、目を見開いた。
「え? ——王子?」
きっと姫っぽいドレスだろうと予想していたのに、目の前にあるのは、首元に大きなフリルとリボンタイがあしらわれた白シャツと、体のラインに沿った裾が長めの、金糸の刺繍が施されている赤いジャケット。下はシンプルな細身の黒いパンツで、黒のショートブーツ。そして、たっぷりとしたドレープの光沢のある黒マント。
「どうだ。かっこいいだろ? 着てみてくれ。腰回りはキュッとしてる方がシルエットが綺麗だから、着てから詰める」
「——すげぇ、凝っているな。俺のために……」
「俺たちも楽しんでるから、礼なんていらねぇよ。っていうか、この衣装のアイデアは桜庭からもらったんだ」
「桜庭?」
「あぁ。あいつが、いばら姫には大人しいお姫様のドレスは似合わねーって。なんか知んねーけど、俺たちと一緒に姫の衣装考えてくれてさ。自分もプリコレ出演者なのによ」
「本当は、どんな衣装を用意しているのかは部外者に内緒にしなきゃなんねーけど、あいつは姫と対立するつもりはなさそうだったから、まぁいいかって」
「へぇ…」
桜庭も一緒に選んだのか。
俺は衣装を手に取った。
「あれ? ——これって、どうやって着るんだ? 普通の服じゃなくね?」
「お前のための特別衣装だからな。コツがあるんだ。本番までに練習しよう」
一人では着られないので、手伝ってもらいながら、シャツの袖に手を通してみると、ちょうど良い袖丈だった。既製品のフリーサイズじゃない、俺にぴったりに作られている。ジャケットも肩の位置が窮屈ではないのに、身体のラインに綺麗に沿っていた。
細身のパンツを穿き、ヒールの高いショートブーツを履くと、視線が高くなる。
ふわりとマントを羽織り、「どうだ」と感想を求めると、こくこくと頷きが返ってくる。誰も言葉を発することなく、俺を見ている。
教室の明るさによって、暗い窓ガラスに映った自分の姿をじっくり見る。いつもなら自分の姿なんて何にも感じないのに、今はまるで別人を見ているみたいだ。
そこにいるのは成瀬茨じゃなく、映画に出てくる王子にしか見えない。自分なのに自分じゃない、不思議な感覚だ。
最強の衣装を用意してくれた奴らに、贈る言葉はひとつしかなかった。
「おい。髪をセットしてくれ。最優秀、狙うぞ」
プリコレの出演者たちとサポート役の生徒たちの熱気が舞台袖に充満している。
出番順は学年ごとにくじ引きで決めた。最初は一年生からだ。
俺が衣装を身につけて、待機場から舞台袖に向かったときに、ちょうど怜が舞台へと出ていくところだった。
後ろ姿しか見えなかったが、シャツにチェックのスカート、カーディガンを羽織って、スクバを肩に掛けている衣装はたぶん、マンガに出てくるようなギャルだ。
背中の真ん中くらいまであるピンク系のエクステが馬の尻尾のように跳ねている。
美意識の高い怜のことだから、メイクも完璧だろう。正面から見たら、きっと思わず振り返ってしまうくらい、可愛いギャルに変身しているに違いない。
怜が出て行ってから、しばらくすると、地鳴りのような観客のどよめきが聞こえてきた。
「すげぇな、アイツ」
声を掛けてきたのは、桜庭だ。全身黒ずくめの衣装に、目が引き寄せられる。
「お前の格好もすげぇよ」
胸元の開いた黒シャツの上から、胸筋とウエストを際立たせるような、皮のハーネスベルトを付けている。上半身は厚みを感じさせるのに、下半身は黒の皮パンと先の尖った革靴で細くて長い。桜庭のスタイルの良さがよくわかる。ハーフのレザーグローブを嵌めた手には、小道具の銃が握られている。
マフィアの設定なのかもしれない。危険な香りのするセクシーな男は桜庭にぴったりだ。
「茨も、正統派の王子様が似合ってるな」
「お前が王子衣装を勧めてくれたんだろ。助かった。——でも、あいつら、本当はドレス姿が見たかったんだとよ。しょうがねー奴らだよな。なんで俺の女装に需要があんのかわかんねーけど、まぁ、衣装を用意してくれた熱意に敬意を表する」
「——お前、新寺が最優秀プリンセスに選ばれたら、またつき合うのか?」
「らしいな。さっき、怜から念押しされた」
「…………絶対、勝てよ」
「どうかな? 勝つことを祈っててくれ」
俺はやるべきことをやるだけだ。
桜庭は何かを言いかけ、「次の出番、五組」と呼ばれたので、ひらひらと片手を上げた。
「行ってくる」
「お前こそ、最優秀プリンス狙えよ」
「俺も最優秀に選ばれたら、お前とつき合えるか?」
虚をつかれて、咄嗟に言葉が出て来なかった。が、すぐに、にやりと笑った。
「お前にも、怜にも、負けねーよ」
桜庭が舞台に出て行った後の、舞台袖から聞く観客のどよめきは怜程ではなかった。同性として羨望と悔しさ、そんな湿度が感じられたが、好意的な口笛や拍手の方が大きかった。
「出番、九組」
ついに呼ばれた。ブーツのヒールが硬いものにぶつかる音がする。
衣装をどこかにぶつけてめちゃくちゃにしないように細心の注意を払って、歩を進める。
舞台へと続く階段を上り、薄暗い袖から舞台へ踏み出すと、眩しい光に目を細めた。
テンポの良い曲が流れ、用意されているレッドカーペットの中央に立つ。
その場にいる全ての視線が全身に突き刺さってくる。
生徒と教師を含めれば千人以上からの注目を浴びていることへの緊張で、ごくり、と唾を飲み込み、俺は自分に言い聞かせる。
今の俺はカリスマモデル。カリスマモデル。
背筋をまっすぐに伸ばし、顎を少し持ち上げ、腰を固定したまま、滑らかに爪先を前に出す。
表情は、艶然と微笑むことを意識する。
スポットライトの中、舞台の先端——客席の最前列まで歩き、立ち止まった。
そこで、髪の毛を掻き上げ、自分の身体を抱くようにポーズを取り、そして一呼吸を置く。
さっきまでの緊張は消え去り、バッターボックスに立ったときのように度胸が座る。
客席の端から端まで、俺に注目しろ。
笑みを引っ込め、眉間に力を入れる。
そして、半回転をして客席に背中を向けた。
背中側はマントで覆われているので、俺の動きは見えない。ジャケットを引っ張ると、それは引き千切れ、床へと落ちる。そのために、肩口をしつけ糸で縫われていたのだ。
そして胸で結ばれているリボンを解く。そうすると、フリルのように折り畳まれていたシャツが解けて、床へとふわりと広がり、チュールスカートになった。
そしてまた客席へ正面を向くように半回転。一秒にも満たない。
王子様から、姫へ。
黒マントに、白のチューブトップのチュールドレスへと早替えした俺の姿に、静寂が落ちる。
俺はドレスの裾を掴み、お姫様らしく、優雅にお辞儀をしてみせた。
そして、王子でも姫でもなく、成瀬茨に戻って、拳を突き上げた。
「ちょっと女顔で愛想がねぇからって、氷のいばら姫だのなんだの言いやがってー! 俺は俺だ、ふざけんなー! お前ら、よく見たか? どっちの衣装もすげぇだろ!! 驚いたんなら、姫でも、王子でも、好きな方に投票しろー!! 以上!!」
言いたいことをぶちまけて、客席へと背を向けて、舞台袖へと引っ込む。
またもや暗がりへと逆戻りしたせいで、目がよく見えない。
「口、悪ぃなー」
話しかけられた声から桜庭だとわかったが、じっと見ていると、輪郭が浮かび上がってくる。
桜庭の隣には、付けまつ毛ばちばちのギャル姿の怜がいて、「——悔しい」と唇を尖らせている。
そこへ、客席からの歓声が空気砲のように圧となってぶつかってきた。
それだけじゃなく
「い、ば、ら! い、ば、ら!」
コールまで聞こえてきて、「はあ!?」と俺は口を開けて、振り返る。
桜庭は笑いながら、怜はむすっとしながら、同時に言った。
「さすがいばら姫」
「悔しいけれど、負けましたよ」
全ての出演者が舞台でのパフォーマンスを終え、スマホを使った投票が行われた。
投票結果を告げるアナウンスを、俺は舞台袖で聞いた。
「最優秀プリンセスは、成瀬茨」
「最優秀プリンスは、成瀬茨」
二冠を達成してしまい、会場は大盛り上がりだが、実行委員会の連中が頭を抱えている。
「ラストは最優秀プリンセスとプリンスでカーテンコールをする予定だったのに……」
俺ひとりになってしまう。
「だったら、プリンセスの二位の僕が一緒に行きますよ」
怜がちゃっかりと腕を組んでくる。
「だったら、プリンス二位の俺も一緒に行ってやるよ」
桜庭が俺の腰に手を回してくる。
「はいはい。盛り上がるんなら、なんでもいいよ。好きにしろ」
俺は二人に挟まれて、舞台中央へと連れ出された。
本番とは違い、客席にも明かりが点いているおかげで、うちわとペンライトを振っている一団が見えた。
うちわには「いばら姫」「最優秀プリンセス」「オレの推し」等が蛍光インクで書かれていて、それをど真ん中で振っているのは雪だった。
「い、ば、ら! い、ば、ら!」
続けられているコールも、彼らの仕業らしい。
「あいつら、何やってんだ…」
呆れる俺に、桜庭が他人事の感想を述べる。
「白地らしいなぁ」
突然、腰を強く引き寄せられ、ぐっと距離が縮まり、いつもの泰然とした桜庭の表情が不穏なものに変わった。
「——そろそろ、俺も本気で眠り姫を起こそうか」
「——え?」
柔らかいものが頬へと触れた。何が起きたのかわからず、瞬きをする。
あまりにも近すぎる桜庭の顔。
「え? ——え?」
頬に触れたのが何なのか、俺が理解する前に、阿鼻叫喚が耳に飛び込んできた。
「眠り姫を起こすのは王子の役目だからな」
「————」
キスをされた頬を掌で押さえていると、今度は逆側から抱き寄せられる。
「いかつい王子より、可愛い姫に起こされた方が目覚めが良いですよ♡」
またもや柔らかいものが今度はしっかりと頬にくっついてきた。
「な、——」
「こらー! 離れてください、二人とも……! 茨先輩は乙木星のアイドルなんです!!」
雪の絶叫が聞こえ、他の連中からも野次が飛んでくる。
収拾がつかない事態に、俺は二人の王子と姫を振り切って、その場から舞台袖へと逃げ出した。
『姫』ポジを返上しようとしていたのに、『王子』ポジまで追加されるなんて、おかしいだろ…!?
舞台袖から廊下へ飛び出し、「うわっ」と慌てて避ける奴らの横を走り抜ける。
ひらひらと纏わりついてくるスカート、走り難いヒールの高いブーツ。そんなハンデを物ともせずに走る。
振り返ると、桜庭、怜、そして雪たちが追いかけてきていた。
「逃げんなー! ぜってぇ捕まえやるからな!」
「僕はまだ諦めてませんからね……!」
「皆さん、いばら姫を守りましょう…!」
高校生になってから、散々「姫」だの「王子」だのと騒がれる日々だ。
正直、疲れる。そっとしておいて欲しい。
そう思うこともあるけれど、——。
あんな衣装を用意してくれたことも。
舞台に立った俺を、あれだけ大勢が見てくれたことも。
最後には、こんな馬鹿騒ぎまでしてくれたことも。
全部、嫌じゃない。
「茨ー! 待てって!」
「茨先輩、逃げないでください!」
「姫ー! こっちこっち!」
俺は廊下を曲がりながら、最後に言い残す。
「誰が待つか! もう姫も王子もやらねーからな!」
すると、
「じゃあ次は何にしますー!?」
怜のふざけた質問が聞こえ、
「知るか——ッ!!」
思いきり叫んだ。
小学生ではピッチャー。
中学生ではショート。
高校生では姫と王子。
いや、おかしいだろ。
俺は腹の底からくすぐったくなって、どうしても笑ってしまう口元を堪えながら、グラウンドへと飛び出す。
途中で転びそうになったから、ブーツを脱ぎ捨てる。
柔らかい土は裸足でも気持ちがいい。
ドレスを翻して、走る姿はまるで某お姫様のようだ。もしかすると、桜庭と怜がそれぞれ靴を拾って、追いかけてくるかもしれない。それこそ某王子様のように。
俺は夜空に向かって、咆哮した。
「もう新しいポジションは、こりごりだ!」
観客席となっていた階段を埋め尽くしていた人々が地獄坂を列になって下りていく。
今年の乙木星祭も、無事に終わった。
俺が参加したクラス対抗選抜リレーは二位だったが、アンカーとして三人抜きをしたので、責務は果たせたと思う。
最終的に総合優勝したのは赤組で、白組は残念ながら三位に終わった。
マスゲームも大喝采を浴びた。観客席には、生徒たちの達成感が伝わっただろう。
爽やかにグラウンドを照らしていた日の光が山際に消えていく。無人になった観客席を見ると、祭りの後の虚無感と寂寥感が忍び寄ってくるものだが、俺たちはまだまだ高揚感の真っ只中にいる。
これから、祭りの後の祭り——打ち上げと余興を兼ねたお楽しみがあるので、後片付けのモチベも上がる。
グラウンドから教室へと、両手に椅子を持って運んでいたら、「姫! 何やってんだ! こっち来い!」と呼ばれた。
何事かと思えば、プリコレの衣装係の連中に囲まれ、髪やら顔やらぺたぺたと触られる。
「髪の毛、埃っぽいな…! 衣装に合わせて、セットさせてくれ!」
「いや、その前にまず衣装を合わさねーと! サイズは合ってると思うが、何か不備があるかもしれん!」
「肌もべとべとだ……! その前に顔洗って来い!」
そりゃ一日中グラウンドにいて、走り回っているんだから、ぴかぴか爽やかとはいかねーだろう。
まず洗面所へ! 連れて行かれる途中で、怜と遭遇した。怜もプリコレのために着替えに行くところらしい。
「茨先輩、僕の応援合戦ちゃんと見てましたか?」
「おう。白学ラン、似合っていたな。かっこよかった」
応援合戦の学ランは標準的な黒色で揃えられているのだが、怜は別注で用意したのか、真っ白の学ランで現れた。軍服のようで、かっこいい衣装に、怜の華やかな顔立ちが映えて、観客席から甲高い悲鳴が上がった。俺の周りの連中も「アイドルに負けてねーな」と口々に感心していた。
今年の乙木星祭の話題を攫ったのは、怜だ。応援合戦はもちろん、騎馬戦でもなかなか良い動きで活躍していた。
「ふふ。先輩、約束覚えてます?」
「ん?」
「惚けないでください。プリコレ、僕が最優秀プリンセスに選ばれたら、どうするんでしたっけ?」
「…………」
覚えてはいるが、半信半疑で首を傾げる。
「怜に好かれているのは、すげぇ嬉しい。でも俺は前んときと何も変わってねーよ。正直つき合うとか、よくわかんねーし」
「ストップ!」
怜の人差し指が俺の唇に触れる。
俺が口を噤んだのを見て、怜が口角を持ち上げた。
「今は僕に恋愛感情がなくても、未来がどうなるかはわかりませんよね? 前回は僕も先輩ならいいかなって軽い気持ちだったから、本気じゃありませんでした。先輩と別れてから、先輩と一緒にいたときが一番楽しかったなって気がついて、いつの間にか先輩を本気で好きになってたことがわかったんです。だから、今度は先輩に僕を好きになってもらいます」
先輩、とゆっくり動く唇は可愛らしくて、悪巧みなんて似つかわしくないのに。
「応援合戦の僕、目立っていたでしょう? プリコレで、あの時のあいつだって気づいてもらえるように、あの衣装を選んだんですから。ふふ。大成功です。今年の乙木星祭の主役は僕です。最優秀プリンセスに選ばれる確率高いと思いますよ」
特注の白学ランはプリコレでの最優秀プリンセスを獲るための布石だったと言われ、言葉を失った俺に、怜はくすりと笑う。
そして、「約束は守ってもらいますよ、逃げないでくださいね」と言い残し、去って行った。
俺たちのやり取りを固唾を飲んで見守っていた奴らが、呼吸をすることを思い出したのか、一斉に、ふー、と息を吐き出した。
「新寺は、姫の皮を被った狼だな」
「肉食獣だよな。姫、怖ぇ奴に好かれたもんだな」
「でも、安心しろ」
ぽんと肩を叩かれ、親指を立てられる。
「お前が最優秀プリンセスになれば問題ねーよ」
「俺たちはその自信がある」
頼もしい言葉に、俺は複雑な心境で頷いた。
汗でベトついていた顔と手を洗うと、すっきりした。椅子を運び入れる奴らの邪魔にならないように廊下の隅を歩いて、衣装が用意されている教室へと向かう。
一体どんな衣装なのか——。
恐る恐る教室の扉を開けた俺は、ハンガーに掛けられている衣装を見て、目を見開いた。
「え? ——王子?」
きっと姫っぽいドレスだろうと予想していたのに、目の前にあるのは、首元に大きなフリルとリボンタイがあしらわれた白シャツと、体のラインに沿った裾が長めの、金糸の刺繍が施されている赤いジャケット。下はシンプルな細身の黒いパンツで、黒のショートブーツ。そして、たっぷりとしたドレープの光沢のある黒マント。
「どうだ。かっこいいだろ? 着てみてくれ。腰回りはキュッとしてる方がシルエットが綺麗だから、着てから詰める」
「——すげぇ、凝っているな。俺のために……」
「俺たちも楽しんでるから、礼なんていらねぇよ。っていうか、この衣装のアイデアは桜庭からもらったんだ」
「桜庭?」
「あぁ。あいつが、いばら姫には大人しいお姫様のドレスは似合わねーって。なんか知んねーけど、俺たちと一緒に姫の衣装考えてくれてさ。自分もプリコレ出演者なのによ」
「本当は、どんな衣装を用意しているのかは部外者に内緒にしなきゃなんねーけど、あいつは姫と対立するつもりはなさそうだったから、まぁいいかって」
「へぇ…」
桜庭も一緒に選んだのか。
俺は衣装を手に取った。
「あれ? ——これって、どうやって着るんだ? 普通の服じゃなくね?」
「お前のための特別衣装だからな。コツがあるんだ。本番までに練習しよう」
一人では着られないので、手伝ってもらいながら、シャツの袖に手を通してみると、ちょうど良い袖丈だった。既製品のフリーサイズじゃない、俺にぴったりに作られている。ジャケットも肩の位置が窮屈ではないのに、身体のラインに綺麗に沿っていた。
細身のパンツを穿き、ヒールの高いショートブーツを履くと、視線が高くなる。
ふわりとマントを羽織り、「どうだ」と感想を求めると、こくこくと頷きが返ってくる。誰も言葉を発することなく、俺を見ている。
教室の明るさによって、暗い窓ガラスに映った自分の姿をじっくり見る。いつもなら自分の姿なんて何にも感じないのに、今はまるで別人を見ているみたいだ。
そこにいるのは成瀬茨じゃなく、映画に出てくる王子にしか見えない。自分なのに自分じゃない、不思議な感覚だ。
最強の衣装を用意してくれた奴らに、贈る言葉はひとつしかなかった。
「おい。髪をセットしてくれ。最優秀、狙うぞ」
プリコレの出演者たちとサポート役の生徒たちの熱気が舞台袖に充満している。
出番順は学年ごとにくじ引きで決めた。最初は一年生からだ。
俺が衣装を身につけて、待機場から舞台袖に向かったときに、ちょうど怜が舞台へと出ていくところだった。
後ろ姿しか見えなかったが、シャツにチェックのスカート、カーディガンを羽織って、スクバを肩に掛けている衣装はたぶん、マンガに出てくるようなギャルだ。
背中の真ん中くらいまであるピンク系のエクステが馬の尻尾のように跳ねている。
美意識の高い怜のことだから、メイクも完璧だろう。正面から見たら、きっと思わず振り返ってしまうくらい、可愛いギャルに変身しているに違いない。
怜が出て行ってから、しばらくすると、地鳴りのような観客のどよめきが聞こえてきた。
「すげぇな、アイツ」
声を掛けてきたのは、桜庭だ。全身黒ずくめの衣装に、目が引き寄せられる。
「お前の格好もすげぇよ」
胸元の開いた黒シャツの上から、胸筋とウエストを際立たせるような、皮のハーネスベルトを付けている。上半身は厚みを感じさせるのに、下半身は黒の皮パンと先の尖った革靴で細くて長い。桜庭のスタイルの良さがよくわかる。ハーフのレザーグローブを嵌めた手には、小道具の銃が握られている。
マフィアの設定なのかもしれない。危険な香りのするセクシーな男は桜庭にぴったりだ。
「茨も、正統派の王子様が似合ってるな」
「お前が王子衣装を勧めてくれたんだろ。助かった。——でも、あいつら、本当はドレス姿が見たかったんだとよ。しょうがねー奴らだよな。なんで俺の女装に需要があんのかわかんねーけど、まぁ、衣装を用意してくれた熱意に敬意を表する」
「——お前、新寺が最優秀プリンセスに選ばれたら、またつき合うのか?」
「らしいな。さっき、怜から念押しされた」
「…………絶対、勝てよ」
「どうかな? 勝つことを祈っててくれ」
俺はやるべきことをやるだけだ。
桜庭は何かを言いかけ、「次の出番、五組」と呼ばれたので、ひらひらと片手を上げた。
「行ってくる」
「お前こそ、最優秀プリンス狙えよ」
「俺も最優秀に選ばれたら、お前とつき合えるか?」
虚をつかれて、咄嗟に言葉が出て来なかった。が、すぐに、にやりと笑った。
「お前にも、怜にも、負けねーよ」
桜庭が舞台に出て行った後の、舞台袖から聞く観客のどよめきは怜程ではなかった。同性として羨望と悔しさ、そんな湿度が感じられたが、好意的な口笛や拍手の方が大きかった。
「出番、九組」
ついに呼ばれた。ブーツのヒールが硬いものにぶつかる音がする。
衣装をどこかにぶつけてめちゃくちゃにしないように細心の注意を払って、歩を進める。
舞台へと続く階段を上り、薄暗い袖から舞台へ踏み出すと、眩しい光に目を細めた。
テンポの良い曲が流れ、用意されているレッドカーペットの中央に立つ。
その場にいる全ての視線が全身に突き刺さってくる。
生徒と教師を含めれば千人以上からの注目を浴びていることへの緊張で、ごくり、と唾を飲み込み、俺は自分に言い聞かせる。
今の俺はカリスマモデル。カリスマモデル。
背筋をまっすぐに伸ばし、顎を少し持ち上げ、腰を固定したまま、滑らかに爪先を前に出す。
表情は、艶然と微笑むことを意識する。
スポットライトの中、舞台の先端——客席の最前列まで歩き、立ち止まった。
そこで、髪の毛を掻き上げ、自分の身体を抱くようにポーズを取り、そして一呼吸を置く。
さっきまでの緊張は消え去り、バッターボックスに立ったときのように度胸が座る。
客席の端から端まで、俺に注目しろ。
笑みを引っ込め、眉間に力を入れる。
そして、半回転をして客席に背中を向けた。
背中側はマントで覆われているので、俺の動きは見えない。ジャケットを引っ張ると、それは引き千切れ、床へと落ちる。そのために、肩口をしつけ糸で縫われていたのだ。
そして胸で結ばれているリボンを解く。そうすると、フリルのように折り畳まれていたシャツが解けて、床へとふわりと広がり、チュールスカートになった。
そしてまた客席へ正面を向くように半回転。一秒にも満たない。
王子様から、姫へ。
黒マントに、白のチューブトップのチュールドレスへと早替えした俺の姿に、静寂が落ちる。
俺はドレスの裾を掴み、お姫様らしく、優雅にお辞儀をしてみせた。
そして、王子でも姫でもなく、成瀬茨に戻って、拳を突き上げた。
「ちょっと女顔で愛想がねぇからって、氷のいばら姫だのなんだの言いやがってー! 俺は俺だ、ふざけんなー! お前ら、よく見たか? どっちの衣装もすげぇだろ!! 驚いたんなら、姫でも、王子でも、好きな方に投票しろー!! 以上!!」
言いたいことをぶちまけて、客席へと背を向けて、舞台袖へと引っ込む。
またもや暗がりへと逆戻りしたせいで、目がよく見えない。
「口、悪ぃなー」
話しかけられた声から桜庭だとわかったが、じっと見ていると、輪郭が浮かび上がってくる。
桜庭の隣には、付けまつ毛ばちばちのギャル姿の怜がいて、「——悔しい」と唇を尖らせている。
そこへ、客席からの歓声が空気砲のように圧となってぶつかってきた。
それだけじゃなく
「い、ば、ら! い、ば、ら!」
コールまで聞こえてきて、「はあ!?」と俺は口を開けて、振り返る。
桜庭は笑いながら、怜はむすっとしながら、同時に言った。
「さすがいばら姫」
「悔しいけれど、負けましたよ」
全ての出演者が舞台でのパフォーマンスを終え、スマホを使った投票が行われた。
投票結果を告げるアナウンスを、俺は舞台袖で聞いた。
「最優秀プリンセスは、成瀬茨」
「最優秀プリンスは、成瀬茨」
二冠を達成してしまい、会場は大盛り上がりだが、実行委員会の連中が頭を抱えている。
「ラストは最優秀プリンセスとプリンスでカーテンコールをする予定だったのに……」
俺ひとりになってしまう。
「だったら、プリンセスの二位の僕が一緒に行きますよ」
怜がちゃっかりと腕を組んでくる。
「だったら、プリンス二位の俺も一緒に行ってやるよ」
桜庭が俺の腰に手を回してくる。
「はいはい。盛り上がるんなら、なんでもいいよ。好きにしろ」
俺は二人に挟まれて、舞台中央へと連れ出された。
本番とは違い、客席にも明かりが点いているおかげで、うちわとペンライトを振っている一団が見えた。
うちわには「いばら姫」「最優秀プリンセス」「オレの推し」等が蛍光インクで書かれていて、それをど真ん中で振っているのは雪だった。
「い、ば、ら! い、ば、ら!」
続けられているコールも、彼らの仕業らしい。
「あいつら、何やってんだ…」
呆れる俺に、桜庭が他人事の感想を述べる。
「白地らしいなぁ」
突然、腰を強く引き寄せられ、ぐっと距離が縮まり、いつもの泰然とした桜庭の表情が不穏なものに変わった。
「——そろそろ、俺も本気で眠り姫を起こそうか」
「——え?」
柔らかいものが頬へと触れた。何が起きたのかわからず、瞬きをする。
あまりにも近すぎる桜庭の顔。
「え? ——え?」
頬に触れたのが何なのか、俺が理解する前に、阿鼻叫喚が耳に飛び込んできた。
「眠り姫を起こすのは王子の役目だからな」
「————」
キスをされた頬を掌で押さえていると、今度は逆側から抱き寄せられる。
「いかつい王子より、可愛い姫に起こされた方が目覚めが良いですよ♡」
またもや柔らかいものが今度はしっかりと頬にくっついてきた。
「な、——」
「こらー! 離れてください、二人とも……! 茨先輩は乙木星のアイドルなんです!!」
雪の絶叫が聞こえ、他の連中からも野次が飛んでくる。
収拾がつかない事態に、俺は二人の王子と姫を振り切って、その場から舞台袖へと逃げ出した。
『姫』ポジを返上しようとしていたのに、『王子』ポジまで追加されるなんて、おかしいだろ…!?
舞台袖から廊下へ飛び出し、「うわっ」と慌てて避ける奴らの横を走り抜ける。
ひらひらと纏わりついてくるスカート、走り難いヒールの高いブーツ。そんなハンデを物ともせずに走る。
振り返ると、桜庭、怜、そして雪たちが追いかけてきていた。
「逃げんなー! ぜってぇ捕まえやるからな!」
「僕はまだ諦めてませんからね……!」
「皆さん、いばら姫を守りましょう…!」
高校生になってから、散々「姫」だの「王子」だのと騒がれる日々だ。
正直、疲れる。そっとしておいて欲しい。
そう思うこともあるけれど、——。
あんな衣装を用意してくれたことも。
舞台に立った俺を、あれだけ大勢が見てくれたことも。
最後には、こんな馬鹿騒ぎまでしてくれたことも。
全部、嫌じゃない。
「茨ー! 待てって!」
「茨先輩、逃げないでください!」
「姫ー! こっちこっち!」
俺は廊下を曲がりながら、最後に言い残す。
「誰が待つか! もう姫も王子もやらねーからな!」
すると、
「じゃあ次は何にしますー!?」
怜のふざけた質問が聞こえ、
「知るか——ッ!!」
思いきり叫んだ。
小学生ではピッチャー。
中学生ではショート。
高校生では姫と王子。
いや、おかしいだろ。
俺は腹の底からくすぐったくなって、どうしても笑ってしまう口元を堪えながら、グラウンドへと飛び出す。
途中で転びそうになったから、ブーツを脱ぎ捨てる。
柔らかい土は裸足でも気持ちがいい。
ドレスを翻して、走る姿はまるで某お姫様のようだ。もしかすると、桜庭と怜がそれぞれ靴を拾って、追いかけてくるかもしれない。それこそ某王子様のように。
俺は夜空に向かって、咆哮した。
「もう新しいポジションは、こりごりだ!」
