第四章 王子
災い転じて福となすって言うのだろうか、これは。
怜の断罪事件をきっかけに、俺の昼休みの過ごし方が変わった。
桜庭と仲直りをしたので、一緒に食堂で食べるようになった。それは地元に戻ったような安心感があるのだけれど、怜と雪が加わったことで、穏やかとは程遠くなってしまった。
俺の右隣には怜、左隣には雪。正面には桜庭。四人で囲んだテーブルの上には、それぞれの昼飯が並んでいる。
変わり映えのないパン食から解放され、炒飯とラーメンが目の前で湯気を放っている。
「これも食え」
桜庭が自分のサラダを小皿に取り分けてくれる。そして俺のラーメン鉢から、あんまり好きではないメンマを回収してくれた。
「ありがと」
ご機嫌に、ラーメンを啜る。
「先輩、今日の僕も可愛いですか?」
話し声や食器のぶつかる音で騒がしい食堂内でも怜の声はよく通る。俺は唐突な質問を受け、箸を止める。
「え? 可愛いんじゃねぇ?」
いつも通り、二重幅の大きな目はきゅるきゅるしている。犬種で言うなら、チワワ。
チワワは、にっこりと笑う。
「おつき合いしたくなりました?」
「いや、それはどうかな……。はは」
右隣から始まった会話を乾いた笑いで締めくくると、今度は左隣から鋭い言葉が飛んできた。
「いい加減、諦めてください……! 先輩は皆のものですから!」
「………」
あぁ、頭が痛い。
俺を挟んで座っている二人――怜と雪は、べーっと舌を出し合っている。
とやかく言っても仕方ないので、俺はラーメンを啜ることに集中する。あぁ、今日も飯が美味い。
あれから怜は吹っ切れたのか、俺へのアピールをあからさまにするようになった。昼休みは俺と過ごすために弁当をやめて食堂に来る。定位置は俺の右隣。もし他の奴が座っていても、「どけてくれます?」と艶やかな笑顔でお願いして、代わってもらうくらい度胸と強い意志がある。
一方、そんな怜に対抗するように、雪も食堂に来るようになった。騒がしいのは苦手だと言っていたのに、優先順位はこちらの方が高いと判断したらしく、闘志を燃やしている。
「僕は先輩と話しているの……! 下々の者が邪魔しないでくれない?」
「俺は、他のことでは自信がありませんけど、先輩を悪魔の毒牙から守るためには負けません……! 今、悪魔祓いの書物を読んでいるところです!」
「はぁ? 悪魔? 令和にいるわけないじゃん。何言ってんの?」
「目の前にいるじゃないですか、悪魔……! 先輩から離れてください……!」
二人に挟まれた俺は、空になってしまったラーメン鉢を未練たらしく見つめた後は、無我の境地で炒飯をレンゲで掬う作業を黙々とこなす。
俺が発言すると、余計にややこしくなるのだ。別にどちらの肩を持つわけでもねーのに、「先輩は僕の味方ですよね?」「勝手に決めないでください」と俺の取り合いになる。
だからこの場合、仲裁をするのは正面でハヤシライスを食べている桜庭の役目だ。
それを心得ている桜庭が的確な指摘をする。
「おい。早く食った方がいいぞ。昼休みが終わる」
怜は不満そうに眉根をギュッと寄せはするものの、確かに時間はあまり残っていないので、カルボナーラをフォークに巻く。
雪は、「あ、……す、……すみま、せん」と人見知りを発動して、俯いたまま、オムライスをリスのように頬張る。
俺が「助かった」と目線で合図すると、桜庭からは頷き返された。
俺は桜庭にも、これまで秘密にしていた、怜とつき合った経緯を説明した。
桜庭は聞いた瞬間に、その場にしゃがみ込み、頭を抱え込むほど驚いていた。
「——あー、まんまと騙された」
「悪ぃ。心配かけて。だから、怜は俺の我儘に協力してくれただけで、俺からすると、最初から手のかかる弟って感じなんだよな」
「恋愛感情はねーってことだよな?」
「恋愛……」
改めて、その単語に見合う感情を抱いているのかを考えてみても、結局、よくわからない。
「……怜も好きだし、雪も好きだし、お前も好きだ。——けど、皆が好きっていうのは恋愛じゃねーんだろ?」
「——そこからかよ……」
桜庭が心底呆れたように言うもんだから、俺はキックをお見舞いした。馬鹿にすんな。
怜とお試し期間としてつき合った当初は緊張していたが、結局、つき合うってよくわかんねーまま、終わってしまった。
恋愛の好きは、他の好きとどんなふうに違うんだろう?
絶対に恋愛だとわかるくらい、特別なのだろうか?
桜庭はキックを食らった脛を摩りながら、
「いばら姫が眠りから覚めるのを待つかぁ」
と意味のわからねーことを言った。
「居眠りキャラにすんな」
そう答えたものの、桜庭が言った意味とは違っている気がして、何となくその言葉が印象に残った。
それからは桜庭が怜に対して感情を荒立てることなく、いつもの泰然とした態度で接するようになったので、ほっとした。
「おい、灰かぶり姫。いばら姫を困らすんじゃねーぞ」
通りかかった二年生が怜に声をかける。本気の注意ではなく、面白がっている言い方だ。
怜は顎をつんと上げて、言い返す。
「誰が、灰かぶりですか。僕に似合わない名称やめてもらえます?」
「わざと靴を片方落として王子に見つけさせる、計算高くて、あざとい姫なんて、お前にぴったりだろ」
「自分で幸せを掴む、自立心のある姫という意味なら僕にぴったりだと思いますけど」
「相変わらず、強気〜」
口笛を吹いて面白がっているのは、この前、怜を断罪するために集まった連中だ。
裏表のない怜の性格を知り、俺への悪意がないのがわかったのだろう。面白い奴だと評価が変わり、気軽に声をかけ合う関係になっている。
先輩相手でも物怖じすることなく喋る怜をよく思っていない層もいるだろうが、怜を遠巻きにせずに絡んでいく層も少しずつ増えていくんじゃねーかと願望込みで予想している。
「あ、そうだ。先輩は乙木星祭、何の種目に出るんですか?」
怜が食堂に貼られている乙木星祭のポスターを見て、話題を振ってくる。
乙木星祭は、体育祭の名称で、開催日は今日からちょうど三週間後だ。男子校なので、かなり盛り上がる。
特に、乙木星祭を締めくくる、最後の競技である全校生徒で行う伝統のマスゲームは有名で、それを観るために近隣住人や保護者、OBたちが地獄坂を登ってくるほどだ。
練習にも熱が入っているため、乙木星祭の一ヶ月前から朝練、放課後練が始まっている。参加できない者は練習動画を観て、皆の足を引っ張らないようにイメトレをする。
マスゲームなんて、ただ歩くだけ。
そう思っていた去年の俺は、実際にやってみて、熱量と集中力の渦に巻き込まれる一体感を経験した。そして最後の動きを終えた瞬間、グラウンドを埋め尽くした観客から一斉に拍手が起こり、数千人分の手を打つ音は地鳴りのように響くことを知った。
それを経験してしまえば手を抜くなんてできない。伝統として受け継がれていくに足る魅力が詰まっている。
マスゲームは三年生が主体となって演目を決めるので、俺たちは言われた通りの動きを身体に叩き込む。両手を肩の高さまで上げ、膝を直角にして足を交互に振り上げる。単純な動きなのに、リズムを崩せないせいでかなりキツい。一年生は毎年、半数近くがへばる。
練習中のグラウンドには、何列にも並んだ生徒たちの掛け声が響く。
「一、二! 一、二!」
上級生の号令に合わせて、何百人もの足が一斉に上がる。少しでもタイミングがずれると、隣の奴の足音がずれて聞こえる。去年の俺も、最初はそのズレに何度も焦った。
怜も雪も、へとへとになりながらも、なんとか練習についていっているらしい。
特に真面目な雪は放課後の自主練にも参加しているので、真っ白だった肌が少し浅黒くなっている。
一番気合いが入っているのはマスゲームだが、他の競技も見応えがあって面白い。徒競走や大縄跳び、騎馬戦、応援合戦など、いくつもの競技がある中から二つを選んで、参加することになっている。
が、俺のクラスではまだ競技は決まっていない。
「次の五時間目のホームルームで、個人競技の割り振りが決まるんだよな。俺の希望としては選抜リレーと騎馬戦に出てぇと思ってる」
「僕は騎馬戦と応援合戦に決まりましたよ。馬の奴らに、僕を勝たせるように厳しく調教しているところです」
得意満面の怜に、雪は嫌な顔をし、俺は笑ってしまう。桜庭も笑いながら、
「新寺の騎馬はプレッシャー凄そうだから、すげぇ力を発揮しそうだ」
「強いですよ、先輩たちにも負けません。僕の騎馬、立候補者が多かったので選抜部隊ですから」
「すげぇな。怜、人気あんだな」
「ふふん。やっと僕の真価が認められてきましたね」
俺に、ありのままの自分を認められているなんて狡いと言っていたのに、怜もありのままを受け止めてくれる友人が増えてきたのだろう。怜自身は「友人だ」とははっきり言わないが、クラスに溶け込んで、行事を楽しんでいるのが伝わってくる。
「雪はもう決まったのか?」
「お、俺は、あまり、運動が得意ではないので、ムカデ競争と、お、応援合戦に、決まりました。クラスの足を引っ張らない、ように、頑張りたいと、思います」
「そうか。応援合戦の学ラン、怜も雪も似合いそうだから楽しみだ」
乙木星学園の制服はブレザーなので、応援合戦のクラス代表が着用する、白鉢巻、白襷、白手袋、黒の学ランはコスプレとして人気がある。
「はい! 僕は顔で選ばれましたから!」
堂々と宣言する怜は、確かに観客を沸かせそうだ。
逆に、雪がどーんと落ち込む。
「お、俺は、他に、皆の邪魔にならない競技がなくて——、そ、そんなに目立つなら、立候補、しなきゃよかった……」
高校から新しく入ると、情報が入って来ないことが多いので、こういうことがよくある。
「俺も一年生の時にはよくわからねーで、騎馬戦と応援合戦に出たから。気持ちはわかる」
「去年、茨は騎馬戦も応援合戦も無双したんだよな。あれで、学校中に存在が知れ渡ったんだぜ」
桜庭が懐かしそうに目尻を下げる。
「い、一年生が、最後の一騎に残るのは、三十年ぶりだったって、聞きました」
「騎馬戦の後の応援合戦に、茨が出てきたときの歓声凄かったよなぁ。騎馬戦での覇者が、ビジュアルも強すぎるってな。グラウンドが揺れたもんな。高校からの新入組は持ち上がり組とあんまり接点がねーから、マジで茨の登場に皆びびってた。百年に一度の最強姫だっつって」
「桜庭は大袈裟なんだよ」
俺も観たかったです、と拳を握る雪とは反対に、怜は「今年も一年生が単騎残る予定ですから」と鼻息を荒くしている。
そろそろ昼休みが終わる。俺たちはトレイを持って立ち上がり、返却口へ向かう。
「また明日。個人競技が決まったら教えてくださいね!」
なんだかんだと一緒にいることの多い、怜と雪が揃って、一年生の教室へと連れ立って歩いていく。
暦は五月末。ゴールデンウィークで英気を養い、中間テストも終わった、それほど暑くも寒くない季節。入学してから一ヶ月以上が過ぎ、怜も雪も、学校に馴染んでいるようだ。
桜庭と二年生の教室へと向かって廊下を歩けば、あちこちから競技の話が聞こえてくる。放課後になればグラウンドには生徒が集まり、体育館からは応援合戦の掛け声が響く。普段の学校とは違う、浮き足立った空気が校内に広がって独特の高揚感が生まれる。
「楽しみだな、乙木星祭」
このときの俺はこの後、奈落に突き落とされるのも知らずに、桜庭に呑気な笑顔を見せていたのだった。
五時間目のチャイムが鳴っても、教室の空気は授業よりもずっと緩んでいた。ホワイトボードには乙木星祭の競技名がずらりと書き出され、その横で学級委員長が手を挙げた人数を数えている。
クラス替えがないため、去年と同じ面子なので、意見の調整もしやすい。スムーズに進行して行く中、騎馬戦の希望者を募られ、俺が挙手した途端、
「姫、今年はやめておいた方がいい」
これまで個人的な意見を言わなかった委員長が難しい顔をする。
「なんでだよ」
首を傾げる俺に、委員長だけではなく、堰を切ったようにあちこちから声が上がった。
「去年の屈辱を晴らそうと、姫が狙われるに決まってんだろ…!」
「そうだ、そうだ! まずは一斉に姫の騎馬をぶっ潰しに来る! そうなったら、俺たちじゃ守れねぇ!」
「姫が怪我したら、どうすんだ…! 騎馬戦はやめとけ!」
「姫。去年の俺たちはノーマークだった。だから勝ち残れたんだ。今年は無理だ。単に負けるだけならいいが、怪我をするリスクが高い」
去年の騎馬戦を知っている連中の顔には、冗談では済まない真剣さが浮かんでいる。
「……過保護じゃねぇ?」
四方八方から心配され、むすっとする俺に、委員長が「……実はな」と言い難そうに声を落とした。
「乙木星祭実行委員会から、姫には騎馬戦以外の競技に出てもらえないかって要望があったんだ」
「えっ、わざわざ議題に上がったってことか?」
「ああ。それくらい注目されてんだよ。同じ理由で、応援合戦の参加も見合わせて欲しいと言われた。理由は他の応援が霞んじまうからだ」
「えぇー! なんだよ、それ! じゃあ今年は姫の応援団姿、見れねーのかよ!」
「そんなぁ…! 楽しみにしていたのにぃ!」
「いや、応援合戦はもう出るつもりはねーよ」
目立つのはこりごりだ。経験から、余計な心労が増えることがわかっている。
騎馬戦も、言われてみれば確かに俺の騎馬が狙われる展開になるのが目に見えている。そうなったら俺だけでなく、支えている三人も怪我のリスクがあると言われれば納得せざるを得ない。
「……わかったよ。じゃあ、——」
俺はホワイトボードに書かれている競技名を上から順に見つめ、まだ空きのある競技へと志願した。
「じゃあ借り物競争に出てもいいか? それと、もう一つはクラス対抗選抜リレーに出たいんだが」
「選抜リレーは部対抗リレーに出る奴を除いた、短距離走のタイムが速い順で決めるから、姫のタイムなら問題ない」
委員長から承諾をもらい、借り物競争も特に希望者がいなかったので、俺の参加競技が決まった。
やれやれ。
騎馬戦に出ることになっていたら、怜と対決することになったから、これはこれでよかったのかもしれねぇ。
後は、全ての競技名が埋まっていくのを眺める。
与えられた時間内で全てが決まり、残す時間があと五分を切ったところで、委員長が、和気藹々と喋っているクラス内の注目を集めるためにパン! と手を打った。
「では、ここから後夜祭のイベントについて告知をする」
後夜祭は、乙木星祭の打ち上げのようなものだ。
一般公開の乙木星祭が終わった後、片付けをして、今度はホールへと集まる。そこで有志によるイベントがある。去年は乙木星フェスが開催され、有志によるバンドやダンス、落語等が披露されて、盛り上がった。
後夜祭は、卒業生で形成されるOB会から飲食物の寄付があるため、それも楽しみだ。
過去には乙木星祭の後、生徒たちが駅前の飲食店でトラブルを起こす事案があったため、校内で打ち上げまで全てを済ませてしまおうと、いつぞやの生徒会で決まってから、この形式が取られているそうだ。
「今年はプリコレを開催することになった」
「……プリ、コレ?」
聞いたことのない単語に、クラスが騒つく。
委員長は、その反応を予想していたのだろう、にやりと笑って高らかに告げる。
「プリンス&プリンセスコレクション、略してプリコレ! 各クラスから、代表をひとり選出し、ファッションショーを行う! そしてその中から、最優秀プリンスとプリンセスを投票で選ぶことになった…!」
一瞬、教室が静まり返った。
「プリンス……?」
誰かが呟いた直後、意味を理解した奴から歓声が上がる。
「プリンセスはうちの姫に決まりだ!」
「目指すぞ、最優秀プリンセス!」
一気に教室が騒がしくなった。
「——お、おい。ちょっと待て」
予想だにしねぇ展開に、置いてけぼりなのは俺だけだった。
「委員長、ファッションショーってことは衣装も用意すんのか?」
「そうだ。衣装も込みで評価する。笑いに走るも良し、真剣に取り組むも良し、個性で勝負するも良し。各クラス自由に着飾ったプリンスとプリンセスがレッドカーペットを歩く。投票は全員参加だ」
「よっしゃー!」
野太い雄叫びが上がった。
「俺たちが、いばら姫に似合う衣装を用意するから、任せておけ!」
「やっぱドレスか? 俺の姉ちゃん、服飾系の専学行ってるから協力してもらえるぜ!」
「洋装もいいが、和装もよくねーか? 姫なら着物も似合いそうだ」
「いいな、それ! じゃあ、こうしねぇ? 姫にどんな衣装が似合うかアンケート取ろうぜ!」
「面白くなってきたー!!」
……いや、俺は全然面白くねぇ。
「……おい。俺がこのクラスの代表ってのはもう決定したのか?」
「満場一致で決定だろ! 反対してるのはお前だけだよ、姫!」
本人が反対していても、聞いてもらえないらしい。
俺は「落ち着いて、よく考えてみろ」と皆を見る。
「さっき、あんまり目立つなって実行委員会から注意をされただろうが」
「いや、だからこそ後夜祭では目立って欲しい」
委員長が俺を説得するために、強い口調でさっきとは真逆のことを言う。
「いばら姫の応援合戦や騎馬戦の勇姿を楽しみにしている連中も多いんだ。その分の穴埋めを後夜祭でするっていうのが委員会での決定事項だ」
「————」
絶句する俺に、委員長が「悪いな」と頭を下げる。そんなことをされたら、断れない。
この決定が覆らないのなら、少しでも傷口を浅くするしかない。俺は知恵を絞って、提案する。
「あ、あんまり顔が見えねーように、着ぐるみを着るのはどうだ? ぬいぐるみの可愛さで票を集められるだろうし」
「はぁ!? なんで綺麗なもん隠して、下位互換のぬいぐるみにしなきゃなんねーんだよ……!」
「申し訳ないが、今回は姫の意見は聞かねーぞ。俺たちの好きにさせてもらう。姫の魅力は姫自身よりも、俺たちの方が理解しているからな」
「え、えぇ〜…」
はっきりと戦力外通知を受けた俺は、盛り上がっている輪の外で、「最悪だ……」と肩を落とした。
翌朝、昼休みの食堂だけではなく朝の迎えも復活している桜庭が俺の顔を見るなり、
「プリコレ、茨も出るよな?」
挨拶もすっ飛ばして聞いてくる。
「……………………でる」
嫌々だとわかるくらい、長く沈黙してから答えた俺に、桜庭が苦笑する。
「まぁしょうがねーよな。茨が出なかったら、暴動が起きるかもしれねーから」
「俺が暴動を起こしてーくれぇだ」
「やさぐれんな。俺も代表に選ばれたぞ」
「——お前が選ばれんのは、わかるよ。プリンスにぴったりだからな」
「名前が王路ってだけだけどなぁ。俺よりかっこいい奴はいっぱいいるぞ」
「そうかぁ?」
俺の目からすると、お前が一番かっこいいが。見た目も、中身も。目立たないが、いつもさらりと気遣いをしてくれるから、俺はいつも甘えさせてもらっている。今朝も、「シャツの襟、折れてるぞ」と直してもらった。
俺たちはマスゲームの早朝練習のために足早に歩きながら口も動かす。
「でも、茨が最優秀プリンセスに選ばれんなら、最優秀プリンスには俺がなりてぇな。いばら姫の王子の座は譲りたくねぇし」
「はぁ? お前、嫌じゃねーの? 俺のせいで、姫と王子っつってセットにされて」
「ん? 嬉しいが? 嫌だったら、嫌だっつーよ」
……そうなのか。桜庭に迷惑をかけてないのはよかったが。
「——お前が最優秀プリンスだったとしても、俺はぜってぇ最優秀プリンセスになんてなりたくねー」
「ふぅん。お前以外だと、新寺が最有力候補じゃねーか?」
「怜、お願いだ! 最優秀プリンセスになってくれー!」
俺の願いが澄み渡った空へと消えていく。太陽のせいで見えねーけど、もしかすると流れ星が丁度横切って、願いを叶えてくれるかもしれねぇし。
「プリンセスは怜、プリンセスは怜」
願いごとを三回唱えている俺は、桜庭が複雑な表情でこちらを見ていることには気がつかなかった。
プリコレの話題は俺が思っている以上に、盛り上がっていた。
廊下を歩いているだけで、四方八方から声をかけられる。
「いばら姫ー! 頑張れよ!」
「お前に投票すっからな!」
「どんな衣装を着るんだ? 楽しみにしているぞー!」
…………まずい。
口元が引き攣り、背中を気持ちの悪い汗が流れる。
絵に描いたような、男子校の悪ノリ。
俺に投票しようと、二年生が一致団結しそうな空気を感じる。
桜庭以外の、他のクラスの代表に選ばれた奴からも、「俺はお笑い担当だから。お前に投票するよ」と出来レースを告げられた。
本当に、このまま最優秀プリンセスを獲得してしまったら、卒業まで、いや、卒業してからも同窓会があれば、延々と姫扱いを擦られるに違いない。
悲壮感と焦燥感を抱えて、教室に入ってみれば、後ろのホワイトボードにデカデカと『目指せ! 最優秀プリンセス!』と太文字ゴシックで書かれている。
そして、「姫! どうぞ!」と紙袋を渡される。中を見てみると、フェイスパックと化粧水、乳液、ヘアオイル等の美容グッズが入っていた。
「当日まで、ピカピカに磨いておけよ」
「今でも断トツ優勝できると思っているが、念には念を入れておくに越したことはねーからな!」
「…………は、はは」
周囲の盛り上がりに、いよいよ、追い詰められていく。
昼休みを一緒に過ごす三人の話題もプリコレで持ちきりだった。
食堂に行くなり、真っ先に駆け寄って来た雪の目がキラキラと輝いている。
「先輩、プリコレ頑張ってください! 俺、精一杯応援します…!」
「おう……」
雪を押し退けるようにして、怜も話しかけてくる。
「当然ですが、僕もクラス代表に選ばれましたから! プリコレ、僕が出場するからには目指すのは、てっぺんです…! 先輩には申し訳ございませんが、勝たせてもらいますからね!」
「————怜〜……!」
なんて頼もしいんだ、お前は…!
そこへ通りかかった一年生たちが怜へ話しかける。
「俺たちはお前を応援するから」
「いばら姫一強じゃねーことを証明してやろうぜ——って、うわっ、せ、先輩?!」
怜の手を握りしめて感涙しているのが俺だと気がつき、青褪める後輩たちに、俺は心の底から微笑みかけた。
「——怜の応援を、よろしく頼む」
「えっ……」
怜が、むすっとして、俺の手を振り払う。
「そういうのやめて下さい…! 先輩が姫って言われるのを好きじゃないからって、ライバルを応援するのは、馬鹿にされているみたいで不愉快です!」
「馬鹿になんて——」
「僕が最優秀プリンセスになったら、先輩は嬉しいんですよね?」
今にも掴みかかってきそうな勢いで詰め寄ってくる怜に、俺は反射的に頷く。すると、怜の口角がゆったりと持ち上がった。
「——じゃあ、僕がその栄冠を手にしたら、ご褒美ください」
「ご褒美?」
「僕と、一ヶ月間、もう一度お試しでつき合ってくださいね」
「え」
もう一度?
お試しというものは、そう何度もするもんじゃねーのでは?
「ということで、決まりましたから! ふふ、やる気出てきました…! 今日から昼休みは騎馬戦と応援合戦の練習があるので、当分一緒には過ごせません。乙木星祭で、決着をつけましょうね!」
「おい。俺は合意してねぇって——」
俺の言い分を伝える前に、怜が食堂から小走りに出て行ってしまう。
呆気に取られていると、雪が目の前に立った。
「——だったら、俺は全力で先輩を最優秀プリンセスにすることを誓います」
ゆっくりと膝を折り、跪いた雪が俺の手を取って、胸に手を当てる。王子様がするような誓約ポーズに、周囲に響めきが起きた。
「先輩が姫と呼ばれることに抵抗があるのは知っています。それってもしかして、姫って言葉のイメージのせいでしょうか? 俺、思ったんです。俺にとっての姫って、推しと一緒だって。単なる言い換えですけど、印象が変われば受け取り方も変わるんじゃないですか?」
「……『姫』は『推し』って意味なのか?」
「同義語ではないですが、大きい範囲で括れば内包されると思います。茨先輩」
雪は普段のおどおどとした態度とは百八十度違う、力強い口調で頭を下げた。
「なので、姫としての先輩を、下賤の我が身なりに応援することをお許し下さい」
「…………ちょっと待て。そんな大袈裟な——」
「では、俺も乙木星祭の練習があるので、ここで失礼させていただきます。しばらく先輩のご尊顔を拝見できませんが、後夜祭での晴れ舞台を楽しみにしていますね…!」
「おい、俺の話を——」
怜と同じく、足早に去って行くふわふわの頭を見送るしかできない。怜も雪も、違う方向性でマイペースなところが共通点だ。
「茨、悪ぃ」
最後に残った一人——桜庭の手が肩に置かれた。
「俺も乙木星祭まで、色々忙しいから、朝の登校も昼休みも別行動で頼むわ。お前も頑張れよ」
「えっ。お前も?」
——嫌だ。
去って行こうとする桜庭のシャツに手を伸ばそうとして、思い止まる。
桜庭のことだから、俺が嫌がれば側にいてくれるんだろう。だからこそ我儘を言うべきじゃない。
——皆それぞれにやるべきことがあるのだから仕方ねぇ。
俯いた俺の頭を撫でて、桜庭が「じゃあな」と食堂を後にする。
残された俺はひとりで食券を買い、窓際の席に座った。
食欲を感じなかったので、きつねうどんにしたのだが、それすらも一本ずつ啜る。
いつもは気にならない食堂の騒がしさがうるさく感じられた。
乙木星祭のポスターの隣に、新しく貼られたプリコレのポスターに恨めしい気持ちになり、目を眇めた。
それから乙木星祭当日まで、俺はひとりで過ごした。クラスメイトや知り合いが側にいてくれるので、ひとり、というと語弊があるが、桜庭や怜、雪と過ごす時間が失われたことは単純に寂しかった。
……側にいてくれるのが当たり前だなんて、思い上がっていたな。
桜庭も、怜も人気者だし、大人しそうな雪もしっかりとした意志がある。
いなくなってから有り難みがわかるなんて鈍すぎだろ、俺。
乙木星祭が終わった後は、また四人で飯を食いてぇな——。
俺の参加競技はクラス対抗選抜リレーと借り物競争なので、ほとんど練習を必要としない。個人練習で軽く走り込みをするくらいだ。後夜祭も、モデルとして歩くだけなので、事前準備はほとんどない。
周りが忙しくしている中、俺は唯一の練習を必要とするマスゲームを復習するくれぇで、あとは時間を持て余し、ようやく当日を迎えたときには、ほっとした。
明日からはまた日常に戻る。怜と雪の口喧嘩すらも懐かしく感じられた。
呼吸をするのが楽しく感じるほど、澄み渡った青空の下、乙木星祭が開催された。
朝だというのに、グラウンドには土と汗の匂いが立ち込めている。
朝から見通しの良い席を取るために、一般観覧客が地獄坂を登ってくる。
すり鉢状になっているグラウンドを見下ろす階段が観覧席になっているので、そこに地獄坂でかいた汗も気にせず、晴れやかな笑顔が並んでいる。
「これから乙木星祭を開催致します」
アナウンスと同時に拍手が湧き上がった。
グラウンドに椅子を持って来て、座っている俺たち生徒も、一斉に拍手をする。
乙木星祭は各学年九クラスを三等分にした、赤組、青組、白組で点数を競う。
俺がいる九組は白組。雪も九組なので同じ白組だ。
三組の怜は赤組で、五組の桜庭は青組。それぞれの色の鉢巻を巻いた俺たちは席も離れているので、遠目で位置を確認し合った。
開会式、準備体操が終わり、いよいよ競技が始まる。
俺の参加する借り物競争は三つ目だ。
召集がかかり、待機場所で待っている間も自軍の応援に精を出す。
メガホンを打ち鳴らす音、拍手、歓声、応援。観客にはうちわが配られているので、それらが揺れると、プロジェクトマッピングみたいに階段が彩られる。
非日常な光景に、テンションが上がってくる。
三階の校舎の窓には点数表が掲げられ、三つの競技が終わった時点では、一位が青組、二位が赤組、三位が白組だった。
「次の競技は借り物競争です。選手が紙に書かれているものを借りに来た場合は、妨害行為をせず、ご協力ください。さて一体どんな借り物が書かれているでしょうか?」
アナウンスと共に、列になってスタート地点に移動すると、白組から「逆転頼んだぞー!」と応援が飛んでくる。
俺は白い鉢巻を結び直し、ストレッチを始めた。
最初の組がスタートをし、箱が並べられている机へと直進する。
そして、箱から取り出した紙を開く。
マイクを持って実況中継をしている放送部員が、借り物が書かれた紙を覗き込み、「おっ! ぶ厚い眼鏡の人! 借り物はぶ厚い眼鏡の人です!」とアナウンスする。
他にも「校長」「バスケ部員」「腰までの長髪の人」等、読み上げられる。借り物というより借り人の方が合っている。紙に書かれている人物を探して走り回り、借り人が見つかれば、手を繋いでゴールへと向かう。なかなか借り人が見つからなかったり、借り人だけが先にゴールをしたり、ゴールをしたのに借り人が紙に書かれていたものと違っていたり、ハプニングが起きるので盛り上がる。
運要素もあるので、エンターテイメント寄りの競技だ。
いよいよ俺の番が回ってきて、スタート地点に並ぶ。
「姫ー! 一位を奪ったら逆転できるぞー!」
「行けー!!」
声援を受け取り、拳を軽く上げる。
「任せろ」
「姫ぇぇえー!!」
絶叫に近い応援を切り裂くように、スタートのホイッスルが鳴り響く。
爪先で地面を蹴り、理想的な加速に成功したので、すぐに箱が近づいてくる。
一番に箱の中へ手を突っ込み、紙を取り出した。
四つ折りにされた紙を広げる。
「————」
中央に書かれている一文字に、目が吸い寄せられた。
思わず立ち止まった俺の横から、放送部員が覗き込んでくる。
「——おぉっと、これは……! 面白い展開です! 成瀬選手の借り人は『姫』! 『姫』が『姫』を探すことになりました…!」
「————」
思いがけない借り人に言葉を失った俺の耳に、赤組の方からよく知っている声が聞こえた。
「せんぱーい! 姫なら、ここにいます…!」
怜だ。両手をあげて、ぴょんぴょんと飛んでいる。
反射的に爪先をそちらに向けて、数歩進んで、たたらを踏んだ。
俺の中の心の声が人知れず響く。
本当に、いいのか?
怜が、姫でいいのか?
無意識に白組の方へ視線が流れ、雪の姿を探す。
雪はさっき「ぶ厚い眼鏡の人」で借り人として指名され、ゴールまで走ったところだ。
ちょうど席へと戻って来たらしく、いつものふわふわの髪が汗で額に貼り付いているのが見えた。そして、眼鏡で隠されているが、視線が合ったのがわかった。
『姫』とは『推し』。
雪の言葉が天啓のように閃き、背中を押された俺は迷うことなく走り出した。
一直線。
脇目も振らず、目的の人物へと走る。
青組の席に着くと、片手に持った『姫』と書かれた紙を振りながら、口に手を当てて怒鳴った。
「——桜庭っ、来い!!」
「えっ」
隣にくっついて来た放送部員の間の抜けた声がマイクで拡散される。
それはグラウンドで成り行きを見守っていた全員の戸惑いを代弁していた。
たったひとり、動揺していない奴が前へと出てくる。
「呼び出し、さんきゅ」
「行くぞ…!」
手を握ろうとして、アドレナリンが全身を駆け巡る中、これじゃあ『姫』認定されない可能性に気がついた。
桜庭の見た目は、『姫』ではない。
俺が推すなら、桜庭だと思った。
そんな説明で判定員が納得してくれればいいが、却下されるかもしれない。
こうなったら、行動で姫を印象づけるしかねぇ……!
俺は桜庭の膝裏に手を回し、背中を抱き抱えた。
「——ふんっ!」
全身の筋肉を収縮させて、持ち上げる。
桜庭の足が宙に浮き、グラウンドに静寂が満ちる。
俺は桜庭をいわゆるお姫様抱っこして、ゴールまで駆ける。
「うおおおおー!」
俺より縦に長く、体重も重い桜庭を抱えて爆走する姿に、喝采が起きる。
ひとり抜き、ふたり抜き、俺は桜庭と共にゴールテープを切った。
そのまま桜庭と一緒に地面へと転がる。流石に重すぎた。筋肉が悲鳴を上げる。
ぶっ倒れた俺の隣では、放り出された桜庭が笑っている。
判定員がやって来て、俺と桜庭を交互に見て、どうしようか迷う様子を見せたが、グラウンドの盛り上がりに野暮なことはしないことにしたようだ。
ホイッスルが鳴る。
「一位、白組! 借り物は『姫』! 合格です!」
響めきが津波のように広がった。
倒れたまま、俺は高らかに笑って、桜庭とグータッチをした。
災い転じて福となすって言うのだろうか、これは。
怜の断罪事件をきっかけに、俺の昼休みの過ごし方が変わった。
桜庭と仲直りをしたので、一緒に食堂で食べるようになった。それは地元に戻ったような安心感があるのだけれど、怜と雪が加わったことで、穏やかとは程遠くなってしまった。
俺の右隣には怜、左隣には雪。正面には桜庭。四人で囲んだテーブルの上には、それぞれの昼飯が並んでいる。
変わり映えのないパン食から解放され、炒飯とラーメンが目の前で湯気を放っている。
「これも食え」
桜庭が自分のサラダを小皿に取り分けてくれる。そして俺のラーメン鉢から、あんまり好きではないメンマを回収してくれた。
「ありがと」
ご機嫌に、ラーメンを啜る。
「先輩、今日の僕も可愛いですか?」
話し声や食器のぶつかる音で騒がしい食堂内でも怜の声はよく通る。俺は唐突な質問を受け、箸を止める。
「え? 可愛いんじゃねぇ?」
いつも通り、二重幅の大きな目はきゅるきゅるしている。犬種で言うなら、チワワ。
チワワは、にっこりと笑う。
「おつき合いしたくなりました?」
「いや、それはどうかな……。はは」
右隣から始まった会話を乾いた笑いで締めくくると、今度は左隣から鋭い言葉が飛んできた。
「いい加減、諦めてください……! 先輩は皆のものですから!」
「………」
あぁ、頭が痛い。
俺を挟んで座っている二人――怜と雪は、べーっと舌を出し合っている。
とやかく言っても仕方ないので、俺はラーメンを啜ることに集中する。あぁ、今日も飯が美味い。
あれから怜は吹っ切れたのか、俺へのアピールをあからさまにするようになった。昼休みは俺と過ごすために弁当をやめて食堂に来る。定位置は俺の右隣。もし他の奴が座っていても、「どけてくれます?」と艶やかな笑顔でお願いして、代わってもらうくらい度胸と強い意志がある。
一方、そんな怜に対抗するように、雪も食堂に来るようになった。騒がしいのは苦手だと言っていたのに、優先順位はこちらの方が高いと判断したらしく、闘志を燃やしている。
「僕は先輩と話しているの……! 下々の者が邪魔しないでくれない?」
「俺は、他のことでは自信がありませんけど、先輩を悪魔の毒牙から守るためには負けません……! 今、悪魔祓いの書物を読んでいるところです!」
「はぁ? 悪魔? 令和にいるわけないじゃん。何言ってんの?」
「目の前にいるじゃないですか、悪魔……! 先輩から離れてください……!」
二人に挟まれた俺は、空になってしまったラーメン鉢を未練たらしく見つめた後は、無我の境地で炒飯をレンゲで掬う作業を黙々とこなす。
俺が発言すると、余計にややこしくなるのだ。別にどちらの肩を持つわけでもねーのに、「先輩は僕の味方ですよね?」「勝手に決めないでください」と俺の取り合いになる。
だからこの場合、仲裁をするのは正面でハヤシライスを食べている桜庭の役目だ。
それを心得ている桜庭が的確な指摘をする。
「おい。早く食った方がいいぞ。昼休みが終わる」
怜は不満そうに眉根をギュッと寄せはするものの、確かに時間はあまり残っていないので、カルボナーラをフォークに巻く。
雪は、「あ、……す、……すみま、せん」と人見知りを発動して、俯いたまま、オムライスをリスのように頬張る。
俺が「助かった」と目線で合図すると、桜庭からは頷き返された。
俺は桜庭にも、これまで秘密にしていた、怜とつき合った経緯を説明した。
桜庭は聞いた瞬間に、その場にしゃがみ込み、頭を抱え込むほど驚いていた。
「——あー、まんまと騙された」
「悪ぃ。心配かけて。だから、怜は俺の我儘に協力してくれただけで、俺からすると、最初から手のかかる弟って感じなんだよな」
「恋愛感情はねーってことだよな?」
「恋愛……」
改めて、その単語に見合う感情を抱いているのかを考えてみても、結局、よくわからない。
「……怜も好きだし、雪も好きだし、お前も好きだ。——けど、皆が好きっていうのは恋愛じゃねーんだろ?」
「——そこからかよ……」
桜庭が心底呆れたように言うもんだから、俺はキックをお見舞いした。馬鹿にすんな。
怜とお試し期間としてつき合った当初は緊張していたが、結局、つき合うってよくわかんねーまま、終わってしまった。
恋愛の好きは、他の好きとどんなふうに違うんだろう?
絶対に恋愛だとわかるくらい、特別なのだろうか?
桜庭はキックを食らった脛を摩りながら、
「いばら姫が眠りから覚めるのを待つかぁ」
と意味のわからねーことを言った。
「居眠りキャラにすんな」
そう答えたものの、桜庭が言った意味とは違っている気がして、何となくその言葉が印象に残った。
それからは桜庭が怜に対して感情を荒立てることなく、いつもの泰然とした態度で接するようになったので、ほっとした。
「おい、灰かぶり姫。いばら姫を困らすんじゃねーぞ」
通りかかった二年生が怜に声をかける。本気の注意ではなく、面白がっている言い方だ。
怜は顎をつんと上げて、言い返す。
「誰が、灰かぶりですか。僕に似合わない名称やめてもらえます?」
「わざと靴を片方落として王子に見つけさせる、計算高くて、あざとい姫なんて、お前にぴったりだろ」
「自分で幸せを掴む、自立心のある姫という意味なら僕にぴったりだと思いますけど」
「相変わらず、強気〜」
口笛を吹いて面白がっているのは、この前、怜を断罪するために集まった連中だ。
裏表のない怜の性格を知り、俺への悪意がないのがわかったのだろう。面白い奴だと評価が変わり、気軽に声をかけ合う関係になっている。
先輩相手でも物怖じすることなく喋る怜をよく思っていない層もいるだろうが、怜を遠巻きにせずに絡んでいく層も少しずつ増えていくんじゃねーかと願望込みで予想している。
「あ、そうだ。先輩は乙木星祭、何の種目に出るんですか?」
怜が食堂に貼られている乙木星祭のポスターを見て、話題を振ってくる。
乙木星祭は、体育祭の名称で、開催日は今日からちょうど三週間後だ。男子校なので、かなり盛り上がる。
特に、乙木星祭を締めくくる、最後の競技である全校生徒で行う伝統のマスゲームは有名で、それを観るために近隣住人や保護者、OBたちが地獄坂を登ってくるほどだ。
練習にも熱が入っているため、乙木星祭の一ヶ月前から朝練、放課後練が始まっている。参加できない者は練習動画を観て、皆の足を引っ張らないようにイメトレをする。
マスゲームなんて、ただ歩くだけ。
そう思っていた去年の俺は、実際にやってみて、熱量と集中力の渦に巻き込まれる一体感を経験した。そして最後の動きを終えた瞬間、グラウンドを埋め尽くした観客から一斉に拍手が起こり、数千人分の手を打つ音は地鳴りのように響くことを知った。
それを経験してしまえば手を抜くなんてできない。伝統として受け継がれていくに足る魅力が詰まっている。
マスゲームは三年生が主体となって演目を決めるので、俺たちは言われた通りの動きを身体に叩き込む。両手を肩の高さまで上げ、膝を直角にして足を交互に振り上げる。単純な動きなのに、リズムを崩せないせいでかなりキツい。一年生は毎年、半数近くがへばる。
練習中のグラウンドには、何列にも並んだ生徒たちの掛け声が響く。
「一、二! 一、二!」
上級生の号令に合わせて、何百人もの足が一斉に上がる。少しでもタイミングがずれると、隣の奴の足音がずれて聞こえる。去年の俺も、最初はそのズレに何度も焦った。
怜も雪も、へとへとになりながらも、なんとか練習についていっているらしい。
特に真面目な雪は放課後の自主練にも参加しているので、真っ白だった肌が少し浅黒くなっている。
一番気合いが入っているのはマスゲームだが、他の競技も見応えがあって面白い。徒競走や大縄跳び、騎馬戦、応援合戦など、いくつもの競技がある中から二つを選んで、参加することになっている。
が、俺のクラスではまだ競技は決まっていない。
「次の五時間目のホームルームで、個人競技の割り振りが決まるんだよな。俺の希望としては選抜リレーと騎馬戦に出てぇと思ってる」
「僕は騎馬戦と応援合戦に決まりましたよ。馬の奴らに、僕を勝たせるように厳しく調教しているところです」
得意満面の怜に、雪は嫌な顔をし、俺は笑ってしまう。桜庭も笑いながら、
「新寺の騎馬はプレッシャー凄そうだから、すげぇ力を発揮しそうだ」
「強いですよ、先輩たちにも負けません。僕の騎馬、立候補者が多かったので選抜部隊ですから」
「すげぇな。怜、人気あんだな」
「ふふん。やっと僕の真価が認められてきましたね」
俺に、ありのままの自分を認められているなんて狡いと言っていたのに、怜もありのままを受け止めてくれる友人が増えてきたのだろう。怜自身は「友人だ」とははっきり言わないが、クラスに溶け込んで、行事を楽しんでいるのが伝わってくる。
「雪はもう決まったのか?」
「お、俺は、あまり、運動が得意ではないので、ムカデ競争と、お、応援合戦に、決まりました。クラスの足を引っ張らない、ように、頑張りたいと、思います」
「そうか。応援合戦の学ラン、怜も雪も似合いそうだから楽しみだ」
乙木星学園の制服はブレザーなので、応援合戦のクラス代表が着用する、白鉢巻、白襷、白手袋、黒の学ランはコスプレとして人気がある。
「はい! 僕は顔で選ばれましたから!」
堂々と宣言する怜は、確かに観客を沸かせそうだ。
逆に、雪がどーんと落ち込む。
「お、俺は、他に、皆の邪魔にならない競技がなくて——、そ、そんなに目立つなら、立候補、しなきゃよかった……」
高校から新しく入ると、情報が入って来ないことが多いので、こういうことがよくある。
「俺も一年生の時にはよくわからねーで、騎馬戦と応援合戦に出たから。気持ちはわかる」
「去年、茨は騎馬戦も応援合戦も無双したんだよな。あれで、学校中に存在が知れ渡ったんだぜ」
桜庭が懐かしそうに目尻を下げる。
「い、一年生が、最後の一騎に残るのは、三十年ぶりだったって、聞きました」
「騎馬戦の後の応援合戦に、茨が出てきたときの歓声凄かったよなぁ。騎馬戦での覇者が、ビジュアルも強すぎるってな。グラウンドが揺れたもんな。高校からの新入組は持ち上がり組とあんまり接点がねーから、マジで茨の登場に皆びびってた。百年に一度の最強姫だっつって」
「桜庭は大袈裟なんだよ」
俺も観たかったです、と拳を握る雪とは反対に、怜は「今年も一年生が単騎残る予定ですから」と鼻息を荒くしている。
そろそろ昼休みが終わる。俺たちはトレイを持って立ち上がり、返却口へ向かう。
「また明日。個人競技が決まったら教えてくださいね!」
なんだかんだと一緒にいることの多い、怜と雪が揃って、一年生の教室へと連れ立って歩いていく。
暦は五月末。ゴールデンウィークで英気を養い、中間テストも終わった、それほど暑くも寒くない季節。入学してから一ヶ月以上が過ぎ、怜も雪も、学校に馴染んでいるようだ。
桜庭と二年生の教室へと向かって廊下を歩けば、あちこちから競技の話が聞こえてくる。放課後になればグラウンドには生徒が集まり、体育館からは応援合戦の掛け声が響く。普段の学校とは違う、浮き足立った空気が校内に広がって独特の高揚感が生まれる。
「楽しみだな、乙木星祭」
このときの俺はこの後、奈落に突き落とされるのも知らずに、桜庭に呑気な笑顔を見せていたのだった。
五時間目のチャイムが鳴っても、教室の空気は授業よりもずっと緩んでいた。ホワイトボードには乙木星祭の競技名がずらりと書き出され、その横で学級委員長が手を挙げた人数を数えている。
クラス替えがないため、去年と同じ面子なので、意見の調整もしやすい。スムーズに進行して行く中、騎馬戦の希望者を募られ、俺が挙手した途端、
「姫、今年はやめておいた方がいい」
これまで個人的な意見を言わなかった委員長が難しい顔をする。
「なんでだよ」
首を傾げる俺に、委員長だけではなく、堰を切ったようにあちこちから声が上がった。
「去年の屈辱を晴らそうと、姫が狙われるに決まってんだろ…!」
「そうだ、そうだ! まずは一斉に姫の騎馬をぶっ潰しに来る! そうなったら、俺たちじゃ守れねぇ!」
「姫が怪我したら、どうすんだ…! 騎馬戦はやめとけ!」
「姫。去年の俺たちはノーマークだった。だから勝ち残れたんだ。今年は無理だ。単に負けるだけならいいが、怪我をするリスクが高い」
去年の騎馬戦を知っている連中の顔には、冗談では済まない真剣さが浮かんでいる。
「……過保護じゃねぇ?」
四方八方から心配され、むすっとする俺に、委員長が「……実はな」と言い難そうに声を落とした。
「乙木星祭実行委員会から、姫には騎馬戦以外の競技に出てもらえないかって要望があったんだ」
「えっ、わざわざ議題に上がったってことか?」
「ああ。それくらい注目されてんだよ。同じ理由で、応援合戦の参加も見合わせて欲しいと言われた。理由は他の応援が霞んじまうからだ」
「えぇー! なんだよ、それ! じゃあ今年は姫の応援団姿、見れねーのかよ!」
「そんなぁ…! 楽しみにしていたのにぃ!」
「いや、応援合戦はもう出るつもりはねーよ」
目立つのはこりごりだ。経験から、余計な心労が増えることがわかっている。
騎馬戦も、言われてみれば確かに俺の騎馬が狙われる展開になるのが目に見えている。そうなったら俺だけでなく、支えている三人も怪我のリスクがあると言われれば納得せざるを得ない。
「……わかったよ。じゃあ、——」
俺はホワイトボードに書かれている競技名を上から順に見つめ、まだ空きのある競技へと志願した。
「じゃあ借り物競争に出てもいいか? それと、もう一つはクラス対抗選抜リレーに出たいんだが」
「選抜リレーは部対抗リレーに出る奴を除いた、短距離走のタイムが速い順で決めるから、姫のタイムなら問題ない」
委員長から承諾をもらい、借り物競争も特に希望者がいなかったので、俺の参加競技が決まった。
やれやれ。
騎馬戦に出ることになっていたら、怜と対決することになったから、これはこれでよかったのかもしれねぇ。
後は、全ての競技名が埋まっていくのを眺める。
与えられた時間内で全てが決まり、残す時間があと五分を切ったところで、委員長が、和気藹々と喋っているクラス内の注目を集めるためにパン! と手を打った。
「では、ここから後夜祭のイベントについて告知をする」
後夜祭は、乙木星祭の打ち上げのようなものだ。
一般公開の乙木星祭が終わった後、片付けをして、今度はホールへと集まる。そこで有志によるイベントがある。去年は乙木星フェスが開催され、有志によるバンドやダンス、落語等が披露されて、盛り上がった。
後夜祭は、卒業生で形成されるOB会から飲食物の寄付があるため、それも楽しみだ。
過去には乙木星祭の後、生徒たちが駅前の飲食店でトラブルを起こす事案があったため、校内で打ち上げまで全てを済ませてしまおうと、いつぞやの生徒会で決まってから、この形式が取られているそうだ。
「今年はプリコレを開催することになった」
「……プリ、コレ?」
聞いたことのない単語に、クラスが騒つく。
委員長は、その反応を予想していたのだろう、にやりと笑って高らかに告げる。
「プリンス&プリンセスコレクション、略してプリコレ! 各クラスから、代表をひとり選出し、ファッションショーを行う! そしてその中から、最優秀プリンスとプリンセスを投票で選ぶことになった…!」
一瞬、教室が静まり返った。
「プリンス……?」
誰かが呟いた直後、意味を理解した奴から歓声が上がる。
「プリンセスはうちの姫に決まりだ!」
「目指すぞ、最優秀プリンセス!」
一気に教室が騒がしくなった。
「——お、おい。ちょっと待て」
予想だにしねぇ展開に、置いてけぼりなのは俺だけだった。
「委員長、ファッションショーってことは衣装も用意すんのか?」
「そうだ。衣装も込みで評価する。笑いに走るも良し、真剣に取り組むも良し、個性で勝負するも良し。各クラス自由に着飾ったプリンスとプリンセスがレッドカーペットを歩く。投票は全員参加だ」
「よっしゃー!」
野太い雄叫びが上がった。
「俺たちが、いばら姫に似合う衣装を用意するから、任せておけ!」
「やっぱドレスか? 俺の姉ちゃん、服飾系の専学行ってるから協力してもらえるぜ!」
「洋装もいいが、和装もよくねーか? 姫なら着物も似合いそうだ」
「いいな、それ! じゃあ、こうしねぇ? 姫にどんな衣装が似合うかアンケート取ろうぜ!」
「面白くなってきたー!!」
……いや、俺は全然面白くねぇ。
「……おい。俺がこのクラスの代表ってのはもう決定したのか?」
「満場一致で決定だろ! 反対してるのはお前だけだよ、姫!」
本人が反対していても、聞いてもらえないらしい。
俺は「落ち着いて、よく考えてみろ」と皆を見る。
「さっき、あんまり目立つなって実行委員会から注意をされただろうが」
「いや、だからこそ後夜祭では目立って欲しい」
委員長が俺を説得するために、強い口調でさっきとは真逆のことを言う。
「いばら姫の応援合戦や騎馬戦の勇姿を楽しみにしている連中も多いんだ。その分の穴埋めを後夜祭でするっていうのが委員会での決定事項だ」
「————」
絶句する俺に、委員長が「悪いな」と頭を下げる。そんなことをされたら、断れない。
この決定が覆らないのなら、少しでも傷口を浅くするしかない。俺は知恵を絞って、提案する。
「あ、あんまり顔が見えねーように、着ぐるみを着るのはどうだ? ぬいぐるみの可愛さで票を集められるだろうし」
「はぁ!? なんで綺麗なもん隠して、下位互換のぬいぐるみにしなきゃなんねーんだよ……!」
「申し訳ないが、今回は姫の意見は聞かねーぞ。俺たちの好きにさせてもらう。姫の魅力は姫自身よりも、俺たちの方が理解しているからな」
「え、えぇ〜…」
はっきりと戦力外通知を受けた俺は、盛り上がっている輪の外で、「最悪だ……」と肩を落とした。
翌朝、昼休みの食堂だけではなく朝の迎えも復活している桜庭が俺の顔を見るなり、
「プリコレ、茨も出るよな?」
挨拶もすっ飛ばして聞いてくる。
「……………………でる」
嫌々だとわかるくらい、長く沈黙してから答えた俺に、桜庭が苦笑する。
「まぁしょうがねーよな。茨が出なかったら、暴動が起きるかもしれねーから」
「俺が暴動を起こしてーくれぇだ」
「やさぐれんな。俺も代表に選ばれたぞ」
「——お前が選ばれんのは、わかるよ。プリンスにぴったりだからな」
「名前が王路ってだけだけどなぁ。俺よりかっこいい奴はいっぱいいるぞ」
「そうかぁ?」
俺の目からすると、お前が一番かっこいいが。見た目も、中身も。目立たないが、いつもさらりと気遣いをしてくれるから、俺はいつも甘えさせてもらっている。今朝も、「シャツの襟、折れてるぞ」と直してもらった。
俺たちはマスゲームの早朝練習のために足早に歩きながら口も動かす。
「でも、茨が最優秀プリンセスに選ばれんなら、最優秀プリンスには俺がなりてぇな。いばら姫の王子の座は譲りたくねぇし」
「はぁ? お前、嫌じゃねーの? 俺のせいで、姫と王子っつってセットにされて」
「ん? 嬉しいが? 嫌だったら、嫌だっつーよ」
……そうなのか。桜庭に迷惑をかけてないのはよかったが。
「——お前が最優秀プリンスだったとしても、俺はぜってぇ最優秀プリンセスになんてなりたくねー」
「ふぅん。お前以外だと、新寺が最有力候補じゃねーか?」
「怜、お願いだ! 最優秀プリンセスになってくれー!」
俺の願いが澄み渡った空へと消えていく。太陽のせいで見えねーけど、もしかすると流れ星が丁度横切って、願いを叶えてくれるかもしれねぇし。
「プリンセスは怜、プリンセスは怜」
願いごとを三回唱えている俺は、桜庭が複雑な表情でこちらを見ていることには気がつかなかった。
プリコレの話題は俺が思っている以上に、盛り上がっていた。
廊下を歩いているだけで、四方八方から声をかけられる。
「いばら姫ー! 頑張れよ!」
「お前に投票すっからな!」
「どんな衣装を着るんだ? 楽しみにしているぞー!」
…………まずい。
口元が引き攣り、背中を気持ちの悪い汗が流れる。
絵に描いたような、男子校の悪ノリ。
俺に投票しようと、二年生が一致団結しそうな空気を感じる。
桜庭以外の、他のクラスの代表に選ばれた奴からも、「俺はお笑い担当だから。お前に投票するよ」と出来レースを告げられた。
本当に、このまま最優秀プリンセスを獲得してしまったら、卒業まで、いや、卒業してからも同窓会があれば、延々と姫扱いを擦られるに違いない。
悲壮感と焦燥感を抱えて、教室に入ってみれば、後ろのホワイトボードにデカデカと『目指せ! 最優秀プリンセス!』と太文字ゴシックで書かれている。
そして、「姫! どうぞ!」と紙袋を渡される。中を見てみると、フェイスパックと化粧水、乳液、ヘアオイル等の美容グッズが入っていた。
「当日まで、ピカピカに磨いておけよ」
「今でも断トツ優勝できると思っているが、念には念を入れておくに越したことはねーからな!」
「…………は、はは」
周囲の盛り上がりに、いよいよ、追い詰められていく。
昼休みを一緒に過ごす三人の話題もプリコレで持ちきりだった。
食堂に行くなり、真っ先に駆け寄って来た雪の目がキラキラと輝いている。
「先輩、プリコレ頑張ってください! 俺、精一杯応援します…!」
「おう……」
雪を押し退けるようにして、怜も話しかけてくる。
「当然ですが、僕もクラス代表に選ばれましたから! プリコレ、僕が出場するからには目指すのは、てっぺんです…! 先輩には申し訳ございませんが、勝たせてもらいますからね!」
「————怜〜……!」
なんて頼もしいんだ、お前は…!
そこへ通りかかった一年生たちが怜へ話しかける。
「俺たちはお前を応援するから」
「いばら姫一強じゃねーことを証明してやろうぜ——って、うわっ、せ、先輩?!」
怜の手を握りしめて感涙しているのが俺だと気がつき、青褪める後輩たちに、俺は心の底から微笑みかけた。
「——怜の応援を、よろしく頼む」
「えっ……」
怜が、むすっとして、俺の手を振り払う。
「そういうのやめて下さい…! 先輩が姫って言われるのを好きじゃないからって、ライバルを応援するのは、馬鹿にされているみたいで不愉快です!」
「馬鹿になんて——」
「僕が最優秀プリンセスになったら、先輩は嬉しいんですよね?」
今にも掴みかかってきそうな勢いで詰め寄ってくる怜に、俺は反射的に頷く。すると、怜の口角がゆったりと持ち上がった。
「——じゃあ、僕がその栄冠を手にしたら、ご褒美ください」
「ご褒美?」
「僕と、一ヶ月間、もう一度お試しでつき合ってくださいね」
「え」
もう一度?
お試しというものは、そう何度もするもんじゃねーのでは?
「ということで、決まりましたから! ふふ、やる気出てきました…! 今日から昼休みは騎馬戦と応援合戦の練習があるので、当分一緒には過ごせません。乙木星祭で、決着をつけましょうね!」
「おい。俺は合意してねぇって——」
俺の言い分を伝える前に、怜が食堂から小走りに出て行ってしまう。
呆気に取られていると、雪が目の前に立った。
「——だったら、俺は全力で先輩を最優秀プリンセスにすることを誓います」
ゆっくりと膝を折り、跪いた雪が俺の手を取って、胸に手を当てる。王子様がするような誓約ポーズに、周囲に響めきが起きた。
「先輩が姫と呼ばれることに抵抗があるのは知っています。それってもしかして、姫って言葉のイメージのせいでしょうか? 俺、思ったんです。俺にとっての姫って、推しと一緒だって。単なる言い換えですけど、印象が変われば受け取り方も変わるんじゃないですか?」
「……『姫』は『推し』って意味なのか?」
「同義語ではないですが、大きい範囲で括れば内包されると思います。茨先輩」
雪は普段のおどおどとした態度とは百八十度違う、力強い口調で頭を下げた。
「なので、姫としての先輩を、下賤の我が身なりに応援することをお許し下さい」
「…………ちょっと待て。そんな大袈裟な——」
「では、俺も乙木星祭の練習があるので、ここで失礼させていただきます。しばらく先輩のご尊顔を拝見できませんが、後夜祭での晴れ舞台を楽しみにしていますね…!」
「おい、俺の話を——」
怜と同じく、足早に去って行くふわふわの頭を見送るしかできない。怜も雪も、違う方向性でマイペースなところが共通点だ。
「茨、悪ぃ」
最後に残った一人——桜庭の手が肩に置かれた。
「俺も乙木星祭まで、色々忙しいから、朝の登校も昼休みも別行動で頼むわ。お前も頑張れよ」
「えっ。お前も?」
——嫌だ。
去って行こうとする桜庭のシャツに手を伸ばそうとして、思い止まる。
桜庭のことだから、俺が嫌がれば側にいてくれるんだろう。だからこそ我儘を言うべきじゃない。
——皆それぞれにやるべきことがあるのだから仕方ねぇ。
俯いた俺の頭を撫でて、桜庭が「じゃあな」と食堂を後にする。
残された俺はひとりで食券を買い、窓際の席に座った。
食欲を感じなかったので、きつねうどんにしたのだが、それすらも一本ずつ啜る。
いつもは気にならない食堂の騒がしさがうるさく感じられた。
乙木星祭のポスターの隣に、新しく貼られたプリコレのポスターに恨めしい気持ちになり、目を眇めた。
それから乙木星祭当日まで、俺はひとりで過ごした。クラスメイトや知り合いが側にいてくれるので、ひとり、というと語弊があるが、桜庭や怜、雪と過ごす時間が失われたことは単純に寂しかった。
……側にいてくれるのが当たり前だなんて、思い上がっていたな。
桜庭も、怜も人気者だし、大人しそうな雪もしっかりとした意志がある。
いなくなってから有り難みがわかるなんて鈍すぎだろ、俺。
乙木星祭が終わった後は、また四人で飯を食いてぇな——。
俺の参加競技はクラス対抗選抜リレーと借り物競争なので、ほとんど練習を必要としない。個人練習で軽く走り込みをするくらいだ。後夜祭も、モデルとして歩くだけなので、事前準備はほとんどない。
周りが忙しくしている中、俺は唯一の練習を必要とするマスゲームを復習するくれぇで、あとは時間を持て余し、ようやく当日を迎えたときには、ほっとした。
明日からはまた日常に戻る。怜と雪の口喧嘩すらも懐かしく感じられた。
呼吸をするのが楽しく感じるほど、澄み渡った青空の下、乙木星祭が開催された。
朝だというのに、グラウンドには土と汗の匂いが立ち込めている。
朝から見通しの良い席を取るために、一般観覧客が地獄坂を登ってくる。
すり鉢状になっているグラウンドを見下ろす階段が観覧席になっているので、そこに地獄坂でかいた汗も気にせず、晴れやかな笑顔が並んでいる。
「これから乙木星祭を開催致します」
アナウンスと同時に拍手が湧き上がった。
グラウンドに椅子を持って来て、座っている俺たち生徒も、一斉に拍手をする。
乙木星祭は各学年九クラスを三等分にした、赤組、青組、白組で点数を競う。
俺がいる九組は白組。雪も九組なので同じ白組だ。
三組の怜は赤組で、五組の桜庭は青組。それぞれの色の鉢巻を巻いた俺たちは席も離れているので、遠目で位置を確認し合った。
開会式、準備体操が終わり、いよいよ競技が始まる。
俺の参加する借り物競争は三つ目だ。
召集がかかり、待機場所で待っている間も自軍の応援に精を出す。
メガホンを打ち鳴らす音、拍手、歓声、応援。観客にはうちわが配られているので、それらが揺れると、プロジェクトマッピングみたいに階段が彩られる。
非日常な光景に、テンションが上がってくる。
三階の校舎の窓には点数表が掲げられ、三つの競技が終わった時点では、一位が青組、二位が赤組、三位が白組だった。
「次の競技は借り物競争です。選手が紙に書かれているものを借りに来た場合は、妨害行為をせず、ご協力ください。さて一体どんな借り物が書かれているでしょうか?」
アナウンスと共に、列になってスタート地点に移動すると、白組から「逆転頼んだぞー!」と応援が飛んでくる。
俺は白い鉢巻を結び直し、ストレッチを始めた。
最初の組がスタートをし、箱が並べられている机へと直進する。
そして、箱から取り出した紙を開く。
マイクを持って実況中継をしている放送部員が、借り物が書かれた紙を覗き込み、「おっ! ぶ厚い眼鏡の人! 借り物はぶ厚い眼鏡の人です!」とアナウンスする。
他にも「校長」「バスケ部員」「腰までの長髪の人」等、読み上げられる。借り物というより借り人の方が合っている。紙に書かれている人物を探して走り回り、借り人が見つかれば、手を繋いでゴールへと向かう。なかなか借り人が見つからなかったり、借り人だけが先にゴールをしたり、ゴールをしたのに借り人が紙に書かれていたものと違っていたり、ハプニングが起きるので盛り上がる。
運要素もあるので、エンターテイメント寄りの競技だ。
いよいよ俺の番が回ってきて、スタート地点に並ぶ。
「姫ー! 一位を奪ったら逆転できるぞー!」
「行けー!!」
声援を受け取り、拳を軽く上げる。
「任せろ」
「姫ぇぇえー!!」
絶叫に近い応援を切り裂くように、スタートのホイッスルが鳴り響く。
爪先で地面を蹴り、理想的な加速に成功したので、すぐに箱が近づいてくる。
一番に箱の中へ手を突っ込み、紙を取り出した。
四つ折りにされた紙を広げる。
「————」
中央に書かれている一文字に、目が吸い寄せられた。
思わず立ち止まった俺の横から、放送部員が覗き込んでくる。
「——おぉっと、これは……! 面白い展開です! 成瀬選手の借り人は『姫』! 『姫』が『姫』を探すことになりました…!」
「————」
思いがけない借り人に言葉を失った俺の耳に、赤組の方からよく知っている声が聞こえた。
「せんぱーい! 姫なら、ここにいます…!」
怜だ。両手をあげて、ぴょんぴょんと飛んでいる。
反射的に爪先をそちらに向けて、数歩進んで、たたらを踏んだ。
俺の中の心の声が人知れず響く。
本当に、いいのか?
怜が、姫でいいのか?
無意識に白組の方へ視線が流れ、雪の姿を探す。
雪はさっき「ぶ厚い眼鏡の人」で借り人として指名され、ゴールまで走ったところだ。
ちょうど席へと戻って来たらしく、いつものふわふわの髪が汗で額に貼り付いているのが見えた。そして、眼鏡で隠されているが、視線が合ったのがわかった。
『姫』とは『推し』。
雪の言葉が天啓のように閃き、背中を押された俺は迷うことなく走り出した。
一直線。
脇目も振らず、目的の人物へと走る。
青組の席に着くと、片手に持った『姫』と書かれた紙を振りながら、口に手を当てて怒鳴った。
「——桜庭っ、来い!!」
「えっ」
隣にくっついて来た放送部員の間の抜けた声がマイクで拡散される。
それはグラウンドで成り行きを見守っていた全員の戸惑いを代弁していた。
たったひとり、動揺していない奴が前へと出てくる。
「呼び出し、さんきゅ」
「行くぞ…!」
手を握ろうとして、アドレナリンが全身を駆け巡る中、これじゃあ『姫』認定されない可能性に気がついた。
桜庭の見た目は、『姫』ではない。
俺が推すなら、桜庭だと思った。
そんな説明で判定員が納得してくれればいいが、却下されるかもしれない。
こうなったら、行動で姫を印象づけるしかねぇ……!
俺は桜庭の膝裏に手を回し、背中を抱き抱えた。
「——ふんっ!」
全身の筋肉を収縮させて、持ち上げる。
桜庭の足が宙に浮き、グラウンドに静寂が満ちる。
俺は桜庭をいわゆるお姫様抱っこして、ゴールまで駆ける。
「うおおおおー!」
俺より縦に長く、体重も重い桜庭を抱えて爆走する姿に、喝采が起きる。
ひとり抜き、ふたり抜き、俺は桜庭と共にゴールテープを切った。
そのまま桜庭と一緒に地面へと転がる。流石に重すぎた。筋肉が悲鳴を上げる。
ぶっ倒れた俺の隣では、放り出された桜庭が笑っている。
判定員がやって来て、俺と桜庭を交互に見て、どうしようか迷う様子を見せたが、グラウンドの盛り上がりに野暮なことはしないことにしたようだ。
ホイッスルが鳴る。
「一位、白組! 借り物は『姫』! 合格です!」
響めきが津波のように広がった。
倒れたまま、俺は高らかに笑って、桜庭とグータッチをした。
