晴天の空の下、合同授業の体育ではクラス対抗のサッカーが行われている。他のクラスの試合が行われているのを膝を抱えてぼんやり見ながら欠伸を連発していると、桜庭が寄ってくる。
「おい、眠そうだな。サッカー中に寝んなよ」
「寝るわけねーだろ。次の試合、ボコボコにしてやんからな」
次は桜庭のクラスとの対抗戦だ。桜庭の脛をぽんと蹴ると、お返しとばかりに頭をぐちゃぐちゃに撫でられた。
「やーめろー」
近くにいた目敏い連中がすぐに揶揄ってくる。
「また姫と王子がふざけてんぞー」
やれやれ。結局、何の改善もされてねぇ。困ったもんだ。
ため息を吐きながら、文句を言おうとしたとき、
「危ねぇ!!」
「——!」
ガゴン!!
後頭部に衝撃を食らい、俺の視界は暗転し、そこから先の意識を失っちまった。
目を覚まして、最初に目に入ったのは見慣れない白い天井だった。
ぼんやりと瞬きをする。カーテン越しに差し込む昼の光が眩しい。鼻を動かすと、嗅ぎ慣れないアルコールのような匂いがした。
「起きたのか?」
突如、視界に現れた桜庭が体操服姿だったので、ここは学校なのだとわかった。
瞬きをする俺に、桜庭が気を利かせて教えてくれる。
「ここは保健室だ。お前はサッカーボールの直撃を受けてぶっ倒れたんだよ。で、そのまま気を失って、それからずっと寝てた」
「寝てた?」
「保健の先生が呆れて昼飯を食べに行っちまうくらい、ぐーすか寝てた」
「まじか」
起き上がってみると、後頭部が少し痛かった。触ってみたら、たんこぶができている。
「眩暈や吐き気はあるか? 先生が来たらもう一回診てもらえ」
「うん。別に大丈夫。っていうか、頭がすっきりして気分が良くなったわ」
「そりゃよかったな」
壁にかかっている時計を見る。昼休みが終わる十分前。
「あー、しまった。怜を待たせちまってる」
「今から行くのか?」
「すっぽかすのは気分が悪いからな」
「じゃあ俺も行く」
なんで? と感じないくらい、桜庭の言い方が当たり前だったので、「うん」と頷き、ベッドから足を下ろす。きちんと揃えて置かれているのは上靴だ。
「……もしかして、ここまで俺を運んだのってお前?」
「あぁ。俺の目の前でぶっ倒れられたらな、放っておけねぇだろ。なんでわかった?」
「わざわざ外靴から上靴に履き替えさせて、きっちり並べて置いてるところが几帳面なお前らしい。俺だったらそこまでやらねーよ」
外靴のままここまで運んで、寝かせるときに靴を脱がせるだろう。
「お前、変なところでよく見てるんだな」
目を丸くする桜庭は、「鈍感だ」とよく言われている俺にしては珍しいと思ったに違いない。
なんとなく頭を撫でて、腫れているこぶに触れてしまい、「いてっ」と声を上げた。
いつもの桜の木の下。緑の木陰に、怜がぽつんと座っている。
膝の上には弁当箱。自分のものと俺用に用意してくれるもの。二つとも蓋も開けられていないのが遠目にもわかった。
俺は小走りに近づく。
「——怜……」
片手を上げると、怜がパッと顔を上げた。
「せんぱ——」
「——話がある」
俺と怜を遮るように、桜庭が立ち塞がった。目の前にある桜庭の背中に、「え」と足が止まる。
桜庭が声を掛けたのは俺ではない。桜庭は俺の方を見ることもなく、怜へと向いている。
「話って——」
なんでお前が?
これまでも特に怜と桜庭に接点はないはずだ。
疑問符が飛び交い、ぽかんとする俺とは対照的に、怜は戦闘体勢になった猫のように刺々しい声を放った。
「いばら先輩。僕を待たせておいて、桜庭先輩と一緒にいたんですか?」
「え? あ、いや」
いきなり責められ、言葉が出て来ない俺を押し除け、桜庭が怜へと近づく。
その背中には友好的な雰囲気はなく、いつもの朗らかな桜庭には似つかわしくない不穏な空気を纏っている。
「——お前、姫が特待生だって知ってんのか?」
重々しい口調で何を言うのかと思ったら、別に隠してもいないし、怜にも話したことがある質問だったので拍子抜けする。
怜も、眉根を寄せて、
「知っていますが? それがどうかしましたか?」
「知ってんなら、こいつの勉強時間も慮ってやれよ…! こいつは優しいから、お前が甘えてくりゃ断らねーだろうが!! つき合ってんなら、お前が気を遣ってやれよ!!」
「ちょ、桜庭…! 何言ってんだよ!」
桜庭の肩を掴み、こちらへと向かせる。
「お前、どうしたんだよ…!! 勝手なこと言うんじゃねぇよ!」
桜庭の双眸がぎろりと細められる、その迫力に、俺は背筋を伸ばした。温厚な姿しか見たことがなかったので、俺よりかなり体格が良いことに気づかされる。
「俺だってこんなこと言いたかねーよ! お前が言わねーから、俺が言ってんだよ! お前、最近ずっと眠そうじゃねーか! 目の下にも隈があるぞ。眠くて、ぼーっとしているから、さっきだってボールに当たったんだろうが!」
桜庭は怜へと視線を移動させた。
「こいつ、ぶっ倒れて、今まで保健室で寝てたんだ。誰のせいだと思う?」
俺は桜庭の前に回り込んで、目を見開き、固まった怜を背中に庇った。
「俺のせいだよ…! ボールが当たったのは俺の不注意!! なんで怜に文句を言うんだよ、桜庭!」
「お前が優しくしてやっても、こいつは調子に乗るだけだぞ…! 茨は知らねーだろうけど、新寺は性悪姫って中学の頃から有名なんだぞ。一年の奴らだって、誰もこいつには近づかねー。こいつはぼっちだから、情弱で優しい茨を囲い込んでんだよ!!」
「黙れ!!」
あまりの暴言に、目の前が真っ赤になり、気がつけば桜庭を両手でどん!と押していた。
「そんな、——そんなこと言うな……!」
ショックだった。はじめて見る桜庭の表情も、発言内容も。
桜庭は俺を見て、怜を見て、それから長い息を鼻から吐いた。
「——俺だけじゃない。他の奴らも、茨のことを心配してる。お前みたいな純真な奴は、騙されやすいって」
「心配してるからって自分を正当化すんな…! 怜は今、俺とつき合ってんだ。余計なお世話なんだよ!」
「——本当に馬鹿だな、お前」
桜庭の冷たい眼差しが俺に突き刺さる。
胸を貫かれたように感じられて、シャツを握り締めた。
「……目ぇ覚ますんだな、茨姫」
桜庭は深い海の底に沈むような言葉を残し、その場から去って行く。
「…………」
なんだよ、くそ。
これ以上、胸の穴が広がらないように悪態を吐いたけれど、あまり効果はなさそうだった。
土を踏む音が聞こえ、怜が俺の横を通り過ぎて行く。
「怜——、気にすんな。さっきのは——」
「……いばら先輩。桜庭先輩が言ってたことは本当ですよ。僕は姫じゃないんです。顔が良いだけの、姫の皮を被った嫌われ者です。いばら先輩、僕みたいなのとつき合って、評判下がってるの気づいてませんか? 僕と一緒にいるせいで、いばら姫の棘が抜かれてダサくなったって」
「関係ない奴らに何を言われても気にしねーよ。評判なんてどうでもいい。なんで怜が嫌われてるのか理解できねーし」
「あはは…!」
突然、笑い出した怜に、思わず後退る。
「矛盾していますよ……! 姫って呼ばれるのが嫌で僕とつき合ったんでしょう?! 評判、めちゃくちゃ気にしているじゃないですか……!」
「それは——」
「自分の評価は気にする癖に、僕の悪評は気にしないなんておかしいですよ。あー、がっかりです、がっかり。いばら先輩も結局、他人の評価を気にしているんですよ……! もっとかっこいい人だと思っていたのに、あーあ、残念だなぁ」
怜は俺に背中を向けて、歩き出す。追いかけてくるな、と拒絶のオーラが出ている。
「——ちょうどお試しの一ヶ月もそろそろ終わることだし、ちょうどよかったです。いばら先輩」
言葉を切った後、怜の頭が迷うように左右に揺れて、そして凪の海面を撫でるように静かに止まった。
「さようなら。僕たちのおつき合いごっこは今日で終わりです」
「おい、眠そうだな。サッカー中に寝んなよ」
「寝るわけねーだろ。次の試合、ボコボコにしてやんからな」
次は桜庭のクラスとの対抗戦だ。桜庭の脛をぽんと蹴ると、お返しとばかりに頭をぐちゃぐちゃに撫でられた。
「やーめろー」
近くにいた目敏い連中がすぐに揶揄ってくる。
「また姫と王子がふざけてんぞー」
やれやれ。結局、何の改善もされてねぇ。困ったもんだ。
ため息を吐きながら、文句を言おうとしたとき、
「危ねぇ!!」
「——!」
ガゴン!!
後頭部に衝撃を食らい、俺の視界は暗転し、そこから先の意識を失っちまった。
目を覚まして、最初に目に入ったのは見慣れない白い天井だった。
ぼんやりと瞬きをする。カーテン越しに差し込む昼の光が眩しい。鼻を動かすと、嗅ぎ慣れないアルコールのような匂いがした。
「起きたのか?」
突如、視界に現れた桜庭が体操服姿だったので、ここは学校なのだとわかった。
瞬きをする俺に、桜庭が気を利かせて教えてくれる。
「ここは保健室だ。お前はサッカーボールの直撃を受けてぶっ倒れたんだよ。で、そのまま気を失って、それからずっと寝てた」
「寝てた?」
「保健の先生が呆れて昼飯を食べに行っちまうくらい、ぐーすか寝てた」
「まじか」
起き上がってみると、後頭部が少し痛かった。触ってみたら、たんこぶができている。
「眩暈や吐き気はあるか? 先生が来たらもう一回診てもらえ」
「うん。別に大丈夫。っていうか、頭がすっきりして気分が良くなったわ」
「そりゃよかったな」
壁にかかっている時計を見る。昼休みが終わる十分前。
「あー、しまった。怜を待たせちまってる」
「今から行くのか?」
「すっぽかすのは気分が悪いからな」
「じゃあ俺も行く」
なんで? と感じないくらい、桜庭の言い方が当たり前だったので、「うん」と頷き、ベッドから足を下ろす。きちんと揃えて置かれているのは上靴だ。
「……もしかして、ここまで俺を運んだのってお前?」
「あぁ。俺の目の前でぶっ倒れられたらな、放っておけねぇだろ。なんでわかった?」
「わざわざ外靴から上靴に履き替えさせて、きっちり並べて置いてるところが几帳面なお前らしい。俺だったらそこまでやらねーよ」
外靴のままここまで運んで、寝かせるときに靴を脱がせるだろう。
「お前、変なところでよく見てるんだな」
目を丸くする桜庭は、「鈍感だ」とよく言われている俺にしては珍しいと思ったに違いない。
なんとなく頭を撫でて、腫れているこぶに触れてしまい、「いてっ」と声を上げた。
いつもの桜の木の下。緑の木陰に、怜がぽつんと座っている。
膝の上には弁当箱。自分のものと俺用に用意してくれるもの。二つとも蓋も開けられていないのが遠目にもわかった。
俺は小走りに近づく。
「——怜……」
片手を上げると、怜がパッと顔を上げた。
「せんぱ——」
「——話がある」
俺と怜を遮るように、桜庭が立ち塞がった。目の前にある桜庭の背中に、「え」と足が止まる。
桜庭が声を掛けたのは俺ではない。桜庭は俺の方を見ることもなく、怜へと向いている。
「話って——」
なんでお前が?
これまでも特に怜と桜庭に接点はないはずだ。
疑問符が飛び交い、ぽかんとする俺とは対照的に、怜は戦闘体勢になった猫のように刺々しい声を放った。
「いばら先輩。僕を待たせておいて、桜庭先輩と一緒にいたんですか?」
「え? あ、いや」
いきなり責められ、言葉が出て来ない俺を押し除け、桜庭が怜へと近づく。
その背中には友好的な雰囲気はなく、いつもの朗らかな桜庭には似つかわしくない不穏な空気を纏っている。
「——お前、姫が特待生だって知ってんのか?」
重々しい口調で何を言うのかと思ったら、別に隠してもいないし、怜にも話したことがある質問だったので拍子抜けする。
怜も、眉根を寄せて、
「知っていますが? それがどうかしましたか?」
「知ってんなら、こいつの勉強時間も慮ってやれよ…! こいつは優しいから、お前が甘えてくりゃ断らねーだろうが!! つき合ってんなら、お前が気を遣ってやれよ!!」
「ちょ、桜庭…! 何言ってんだよ!」
桜庭の肩を掴み、こちらへと向かせる。
「お前、どうしたんだよ…!! 勝手なこと言うんじゃねぇよ!」
桜庭の双眸がぎろりと細められる、その迫力に、俺は背筋を伸ばした。温厚な姿しか見たことがなかったので、俺よりかなり体格が良いことに気づかされる。
「俺だってこんなこと言いたかねーよ! お前が言わねーから、俺が言ってんだよ! お前、最近ずっと眠そうじゃねーか! 目の下にも隈があるぞ。眠くて、ぼーっとしているから、さっきだってボールに当たったんだろうが!」
桜庭は怜へと視線を移動させた。
「こいつ、ぶっ倒れて、今まで保健室で寝てたんだ。誰のせいだと思う?」
俺は桜庭の前に回り込んで、目を見開き、固まった怜を背中に庇った。
「俺のせいだよ…! ボールが当たったのは俺の不注意!! なんで怜に文句を言うんだよ、桜庭!」
「お前が優しくしてやっても、こいつは調子に乗るだけだぞ…! 茨は知らねーだろうけど、新寺は性悪姫って中学の頃から有名なんだぞ。一年の奴らだって、誰もこいつには近づかねー。こいつはぼっちだから、情弱で優しい茨を囲い込んでんだよ!!」
「黙れ!!」
あまりの暴言に、目の前が真っ赤になり、気がつけば桜庭を両手でどん!と押していた。
「そんな、——そんなこと言うな……!」
ショックだった。はじめて見る桜庭の表情も、発言内容も。
桜庭は俺を見て、怜を見て、それから長い息を鼻から吐いた。
「——俺だけじゃない。他の奴らも、茨のことを心配してる。お前みたいな純真な奴は、騙されやすいって」
「心配してるからって自分を正当化すんな…! 怜は今、俺とつき合ってんだ。余計なお世話なんだよ!」
「——本当に馬鹿だな、お前」
桜庭の冷たい眼差しが俺に突き刺さる。
胸を貫かれたように感じられて、シャツを握り締めた。
「……目ぇ覚ますんだな、茨姫」
桜庭は深い海の底に沈むような言葉を残し、その場から去って行く。
「…………」
なんだよ、くそ。
これ以上、胸の穴が広がらないように悪態を吐いたけれど、あまり効果はなさそうだった。
土を踏む音が聞こえ、怜が俺の横を通り過ぎて行く。
「怜——、気にすんな。さっきのは——」
「……いばら先輩。桜庭先輩が言ってたことは本当ですよ。僕は姫じゃないんです。顔が良いだけの、姫の皮を被った嫌われ者です。いばら先輩、僕みたいなのとつき合って、評判下がってるの気づいてませんか? 僕と一緒にいるせいで、いばら姫の棘が抜かれてダサくなったって」
「関係ない奴らに何を言われても気にしねーよ。評判なんてどうでもいい。なんで怜が嫌われてるのか理解できねーし」
「あはは…!」
突然、笑い出した怜に、思わず後退る。
「矛盾していますよ……! 姫って呼ばれるのが嫌で僕とつき合ったんでしょう?! 評判、めちゃくちゃ気にしているじゃないですか……!」
「それは——」
「自分の評価は気にする癖に、僕の悪評は気にしないなんておかしいですよ。あー、がっかりです、がっかり。いばら先輩も結局、他人の評価を気にしているんですよ……! もっとかっこいい人だと思っていたのに、あーあ、残念だなぁ」
怜は俺に背中を向けて、歩き出す。追いかけてくるな、と拒絶のオーラが出ている。
「——ちょうどお試しの一ヶ月もそろそろ終わることだし、ちょうどよかったです。いばら先輩」
言葉を切った後、怜の頭が迷うように左右に揺れて、そして凪の海面を撫でるように静かに止まった。
「さようなら。僕たちのおつき合いごっこは今日で終わりです」
