翌日、昼休みのざわめきが満ちる教室で、いつものように食堂に誘いに来た桜庭に、俺は片手を軽く上げた。
「あ、悪ぃ。怜と約束してっから」
「れい?」
誰だ? と首を傾げる桜庭の反応は、学校と寮の往復しかしていない俺の行動範囲で、新しい名前を聞くのが珍しいからだろう。
「この前、俺たちが保健室に運んだ一年生だよ。眼鏡をかけていない方」
「あぁ、あいつか。それじゃ、一年の教室経由して食堂に行くか」
「あー……」
三人で昼飯を食おうとしている桜庭を前に、俺は舌で唇を湿らせた。
うぅ、緊張するぜ。
生まれて初めて口にする台詞に気まずさを覚えながらも、いや、でも言わねば。何のためにこんな茶番をすることになったのか、意味がなくなる。
「実は俺、怜とつき合うことになった」
「————」
桜庭は軽く息を飲み、そして、
「……すまん。もう一回言ってくれねーか?」
首を傾げた。
気がつけば、さっきまで騒がしかった教室が、何故か静まり返っている。
桜庭以外の連中も、俺の発言に注目しているのがわかった。
嘘をつく罪悪感を無理矢理引っぺがし、もう一度繰り返す。
「怜とつき合うことにした」
一拍。
沈黙が落ちたかと思うと、
「ええぇぇぇええぇぇッ!!」
隣のクラスどころか、全クラスに響き渡るほどの大音量で、教室が揺れた。
「つき合う!? いばら姫が!?」
「俺たちの姫を奪ったのは、どこのどいつだ!?」
「信じらんねぇ、世界終わった…」
「鈍くてピュアないばら姫の口から、そんな台詞を聞くとは——」
「ちょっと待て! ちゃんと説明しろ!」
自分の発言から生じた想像以上の大騒ぎから俺は逃げ出した。
「お、おい…!」
桜庭の声も聞こえたが、それどころじゃねぇ。俺は食堂でパンを買い、そのまま怜の教室へ走った。
が、そこでもまた大騒ぎを引き起こす羽目になった。
「いばら姫だ、いばら姫」
「えっ、あの人が?」
「うわぁ、はじめて見たぁ!」
「いばら姫が何のご用事ですか?!」
「どうかされました?!」
次々と話しかけられて圧倒されつつも、俺はなんとか答える。
「新寺君を誘いに来た」
微妙な間が落ち、そのあとで小さなざわめきが広がった。新しいクラスだから、まだ名前を知らないのかもしれない。
「えぇと、新寺怜智君と昼飯を食う約束をしていて——」
「いばら先輩♡」
ひょこっと現れた怜が、俺の腕に絡みついてくる。
「あ、怜」
「誘いに来てくれたんですね。ご飯食べましょ」
思いがけない強風が吹いたかのように、ザワッと周囲の空気が蠢いた。
そんな奇妙な雰囲気の中、怜だけは陽気に笑い、俺の手を引く。俺は慌てて、事情を説明した。
「実は怜とつき合ってるって言ったせいで、クラスの奴らが大騒ぎになっちまって——。できれば周りに人のいねーとこで食いたい」
「じゃあ桜の木の下のベンチに行きましょうか。今日は天気も良いですし、それに——」
怜が片側の口角を持ち上げた。
「見せつけてやりましょう」
その宣言通り、校舎から突き刺さってくる注目の刃に刺されながら、俺は味のしないパンを咀嚼している。
グラウンドの隅に設置されているベンチまで、教室の喧騒が聞こえてくるはずはないけれど、今もまだ大騒ぎしているのは間違いないだろう。
「はぁ〜」
「どうしたんですか?」
「いや、ちょっと疲れた」
「あー、あいつらのせいですか」
怜が、二年生の教室が並んでいる二階の窓にへばりついている野次馬たちを指差す。
「……教室に戻ったら尋問される……」
「ふふ。困ってる先輩も可愛いですね♡」
「お前なぁ…」
周囲の騒ぎを全く気にしていない怜の様子に、俺も馬鹿馬鹿しくなってきて「ま、いっか」と次のパンの袋を破った。昼休みは短い。食いっぱぐれたら午後から地獄だ。
登校途中に仰ぎ見ている桜の木は葉桜がちらほらと混ざり、木漏れ日が頭上へ降り注いでいる。
屋外で昼飯を食べるのははじめてで、ちょっとしたピクニック気分になった。
「先輩、いつもパンなんですか?」
「いや、いつもは食堂。俺は寮生だから、昼飯は調達しなきゃなんねーんだ」
「そうなんですね。僕は自宅だから、中学校からずっと弁当です。よかったら、唐揚げ食べます?」
怜の膝の上に広げられている弁当は手作りらしく野菜が多い。俺よりも小柄だけれど、弁当箱はかなり大きく、これから体格が良くなりそうなポテンシャルを感じる。
「いや、いい」
「まぁまぁ。遠慮しなくていいですよ。はい、あーん♡」
怜の箸に摘ままれた唐揚げは、綺麗な色に揚げられている。思わず口を開くと、ぽん、と放り込まれた。大きめのそれを噛んでみると、程よい弾力があり、瞬く間に食べ尽くしてしまう。
「美味しいですか?」
「美味い。怜のお母さん、料理上手いんだな」
「ふふ。うちは弁当を作っているのはパパなんです。明日から唐揚げの量、増やしてもらいますね」
「そんなの悪ぃよ。お父さんの負担が増えるだろうし」
「大丈夫です。友達と一緒に食べるって言ったら、喜んで作ってくれると思います」
「だったら、いいけど」
そこへ、昼休みの終了を告げるチャイムが聞こえてきた。
「わ、まだ食べ終わってないのに……!」
「急げ……!」
二人して最後の一口を慌てて食べ、ベンチから立ち上がる。
ふと顔を上げると、野次馬の数が減っている。席に着いたのだろう。
やばい。
全力で走り、怜とは階段の手前で別れる。一年生の教室は一階だ。
「帰り、迎えに来てください!」
放課後の約束をする怜に、
「わかった!」
と返事をし、階段を駆け上がった。
怜とつき合い(仮)を始めて、十日目。
昼休みは桜の木の下で飯を食い、放課後になれば怜を教室まで迎えに行く。最初の頃のように騒がれることはなく、少し離れたところから様子を窺われる程度に落ち着いてからは行きやすくなった。帰り道には一緒にバスに乗り、くだらない話をしながら、駅周辺のカフェや公園、本屋で時間を潰し、夜になれば寮のベッドに寝転がりながら通話をする。
つき合うということに身構えていた俺は桜庭たちと遊んでいるのと同じ感覚でいいのだとわかり、肩から力が抜けた。周りには「つき合ってる」と言ってはいたが、怜は新しい友人のひとり——少し距離が近いだけの——と変わらなかった。
平日はほとんど怜と過ごし、土日は怜には塾があるため、俺は久しぶりに桜庭や他の寮生たちと外出した。
ボーリングと映画を楽しんで、最後はカラオケ。歌の得意な奴らがマイクを握る中、ドリンクをそれぞれ飲みながら飛び交う話題は、俺と怜のつき合いに関するものばかりだ。
それらを適当に流している俺を見た桜庭が、腕組みをしてソファに深くもたれる。
「姫のこと、お子ちゃまだと思ってたのなぁ。まさか一年生に手ぇ出すなんて」
ナイストス!
「これでお前らも、俺を姫とはもう呼べないだろう!」
桜庭のトスから、胸を張って打った渾身のアタックは、
「なんで?」
と不思議そうに聞き返されたことで、ライン外に着弾したのだとわかった。
「いや、だって怜の方が完璧な姫だろ?!」
「そうか?」
「うーん、まぁ、新寺の方がわかりやすく可愛いのは認めるが」
「だからって俺たちは推し変しねーぞ。安心しろ、姫はお前だ」
「だー!! だから、姫じゃねー!!」
拳を握る俺に、ドッと笑いが起きる。
くそー。全然、状況が変わってねー。
当初の目論見が外れ、頭を掻き毟る俺に、桜庭が呆れたように肩を竦めた。
新しい一週間の始まりの月曜日。昨夜は遅くまで怜と通話をしていたので眠い。Tシャツと半パンを脱ぎ、制服に着替える。後頭部の寝癖を手で撫でて、リュックを担いだ。
「ふわぁ……」
完全に気を抜いて、大欠伸をしながら自室の扉を開けると、廊下に桜庭が立っていた。
「うおっ!?」
「んな、びっくりすんなよ」
「いや、驚くだろ。なんか用か?」
「なんとなく、一緒に登校してぇ気分になって」
「はぁ? すぐそこじゃねーか」
桜庭はそれだけ言って、俺の横に並んだ。
始業五分前。わざわざ俺を待つ理由なんてない。
桜庭と肩を並べて、学校へ向かう。
ぎりぎりの時間だからか、俺たち以外の姿はない。
早足で歩きながら、桜庭が口を開いた。
「だってよ、お前、全然掴まらねーじゃん。ずーっと新寺が引っ付いてて」
「しょうがねーだろ。つき合ってんだから」
むっとしたように、桜庭が黙る。
「今までずっと一緒につるんでたのに、いきなり放ったらかされたら寂しくなんのは当たり前だろ」
「そうかもしんねーけど」
これはお前のためでもあるんだぞ。
じっと見つめると、
「なんだよ」
桜庭が唇を尖らせる。
「はは。拗ねんなって。多分、あと二週間くれぇで元に戻るから」
「二週間? なんでだよ」
「ん? なんとなく、そうじゃないかなーって予感」
「お前ら、上手くいってねーの?」
「いや? 怜といるのは楽しいよ」
「結局、惚気かよ」
桜庭が舌打ちをしたところで、学校に滑り込んだ。靴を履き替え、階段を昇る。
寮の部屋から教室まで、たった四分。それだけのために待っていたであろう桜庭に、俺は笑いかけた。
「またな」
「……明日も待ってるから」
言い残して去って行く桜庭の背中は、いつもより元気がないような気がした。
……おかしい。
「今日も新寺と昼飯か?」
「俺のおにぎりやるよ。パンばっかじゃ飽きるだろ?」
「俺のフルーツも持ってけ」
「あ。髪、跳ねてんぞ」
気づけば椅子の周りに三人も四人も集まっていて、勝手に髪を弄られている。右から三つ編み、左からピン、挙げ句の果てには頭の上に手まで伸びてきた。
「お前ら、俺を何だと思ってんだ……」
四方八方から甘やかされて、俺の眉間には皺が刻まれる。
怜とつき合って三週目に入ったのに、日常に何の変化もない。
俺に向けられるのは、相も変わらない姫扱い。
結局、両手に貰い物を抱え、セットしてもらった髪の礼を言う。
「——悪ぃな。ありがとう」
ほわわ〜と、花が綻ぶのを愛でるようなあたたかい空気が広がり、
「姫ー! 頑張れよー」
「楽しんでこーい」
盛大に見送られ、いつものベンチに向かうと、先に着いていた怜が呆れる。
「……今日も色々構われてますね」
「あいつら、世話焼きなんだよな」
「——先輩が愛されてるだけですよ」
「え? なに?」
小さく呟かれた言葉を聞き逃し、聞き返したけれど、怜からは「いえ、別に」と笑顔を向けられる。
最近は教室に迎えに行くのではなく、ベンチで待ち合わせをするようになっていた。
隣に座ると、怜から「はい」と小さなランチケースを渡された。
プラスチックの蓋を開ければ、ハンバーグとサラダが入っている。
「うわ、美味そう」
いただきます、と手を合わせてから、はた、と気がつく。
「俺、餌付けされてねぇ?」
「あはは。そうかもしれませんね。先輩って嬉しそうに食べるから」
ハンバーグを食べながら、クラスの奴らからもらったおにぎりも食べる。
幸せだなぁ、と顔を上げると、今日も窓に貼り付いている顔ぶれが見える。
毎日のことなので、こちらも慣れてしまって、手を振ってみる。すると、何人かが手を振り返してくれた。
覗いている連中は二年生が多い。
特に俺のクラスが多いのは、後でネタにするつもりなのだろう。
俺は目の上に手の庇を作り、校舎の窓を眺める。
怜のクラスは三組だっけ?
探してみたけれど、窓は閉まっている。
「——なぁ、怜。今更なんだが、お前、俺とばっかり遊んでいていいのか?」
トマトを口に運ぼうとしていた怜の手が止まる。
「俺はクラス替えがないからいいけど、お前は新しいクラスだろ? 友達とも遊んだ方がいいんじゃねーの?」
「…………友達になりたい奴なんていません」
「そうなの? どうして?」
「あいつら、僕と釣り合いませんから」
「……そういうもんか?」
俺はフルーツの入ったケースを開ける。綺麗に切られたオレンジに丁寧にピックが刺さっている。
「あ、このオレンジ美味い。怜も食べるか?」
「——僕のこと、性格悪いって思わないんですか」
「え?」
俺が差し出したオレンジなんて目に入らない勢いで、怜が早口になる。
「感じ悪い、調子乗りすぎって、内心で思ってるんじゃないですか?」
「えっ? そんなこと思ってねーよ」
怜が眦を吊り上げ、苛立ちをぶつけるように迫ってくる。
「なんで思わないんですか? 普通、思うでしょ。こいつ、顔は可愛いけど、性格終わってんなって。先輩だって、僕の良いところは顔だけだって呆れてるんでしょ……!」
「ちょっと待て。勝手に俺の気持ちを決めるな」
怜と一緒に過ごした日々で、わかったことがある。
それは俺の中の認識で、本人に伝えるつもりはなかったのだが、こんなふうに地雷を踏んだみたいに爆発するのなら、話し合ってみた方がいいのかもしれない。
「……もしかすると、怜って自分の顔が好きじゃねぇ?」
「————ッ」
顔が真っ赤に染まり、唇がわななく。俺の想像以上に、怜の痛い部分を抉ったようで、俺はふんわりと柔らかい髪に手を置いた。
「地元の友達はもっと口が悪かったし、怜は本気で言ってるわけじゃねーから、性格悪いって思わねぇよ」
にっと笑って、頭をぐりぐり撫でる。
「わかったか?」
「————先輩って、ずるい」
頬を餅のように膨らませる怜を見て、弟がいればこんな感じなのかなぁと思う。一人っ子の俺には、欲しかった弟ができたみたいで嬉しいなんて怜に言ったら、馬鹿にしてるんですかとますます怒らせてしまいそうだ。
「あ、悪ぃ。怜と約束してっから」
「れい?」
誰だ? と首を傾げる桜庭の反応は、学校と寮の往復しかしていない俺の行動範囲で、新しい名前を聞くのが珍しいからだろう。
「この前、俺たちが保健室に運んだ一年生だよ。眼鏡をかけていない方」
「あぁ、あいつか。それじゃ、一年の教室経由して食堂に行くか」
「あー……」
三人で昼飯を食おうとしている桜庭を前に、俺は舌で唇を湿らせた。
うぅ、緊張するぜ。
生まれて初めて口にする台詞に気まずさを覚えながらも、いや、でも言わねば。何のためにこんな茶番をすることになったのか、意味がなくなる。
「実は俺、怜とつき合うことになった」
「————」
桜庭は軽く息を飲み、そして、
「……すまん。もう一回言ってくれねーか?」
首を傾げた。
気がつけば、さっきまで騒がしかった教室が、何故か静まり返っている。
桜庭以外の連中も、俺の発言に注目しているのがわかった。
嘘をつく罪悪感を無理矢理引っぺがし、もう一度繰り返す。
「怜とつき合うことにした」
一拍。
沈黙が落ちたかと思うと、
「ええぇぇぇええぇぇッ!!」
隣のクラスどころか、全クラスに響き渡るほどの大音量で、教室が揺れた。
「つき合う!? いばら姫が!?」
「俺たちの姫を奪ったのは、どこのどいつだ!?」
「信じらんねぇ、世界終わった…」
「鈍くてピュアないばら姫の口から、そんな台詞を聞くとは——」
「ちょっと待て! ちゃんと説明しろ!」
自分の発言から生じた想像以上の大騒ぎから俺は逃げ出した。
「お、おい…!」
桜庭の声も聞こえたが、それどころじゃねぇ。俺は食堂でパンを買い、そのまま怜の教室へ走った。
が、そこでもまた大騒ぎを引き起こす羽目になった。
「いばら姫だ、いばら姫」
「えっ、あの人が?」
「うわぁ、はじめて見たぁ!」
「いばら姫が何のご用事ですか?!」
「どうかされました?!」
次々と話しかけられて圧倒されつつも、俺はなんとか答える。
「新寺君を誘いに来た」
微妙な間が落ち、そのあとで小さなざわめきが広がった。新しいクラスだから、まだ名前を知らないのかもしれない。
「えぇと、新寺怜智君と昼飯を食う約束をしていて——」
「いばら先輩♡」
ひょこっと現れた怜が、俺の腕に絡みついてくる。
「あ、怜」
「誘いに来てくれたんですね。ご飯食べましょ」
思いがけない強風が吹いたかのように、ザワッと周囲の空気が蠢いた。
そんな奇妙な雰囲気の中、怜だけは陽気に笑い、俺の手を引く。俺は慌てて、事情を説明した。
「実は怜とつき合ってるって言ったせいで、クラスの奴らが大騒ぎになっちまって——。できれば周りに人のいねーとこで食いたい」
「じゃあ桜の木の下のベンチに行きましょうか。今日は天気も良いですし、それに——」
怜が片側の口角を持ち上げた。
「見せつけてやりましょう」
その宣言通り、校舎から突き刺さってくる注目の刃に刺されながら、俺は味のしないパンを咀嚼している。
グラウンドの隅に設置されているベンチまで、教室の喧騒が聞こえてくるはずはないけれど、今もまだ大騒ぎしているのは間違いないだろう。
「はぁ〜」
「どうしたんですか?」
「いや、ちょっと疲れた」
「あー、あいつらのせいですか」
怜が、二年生の教室が並んでいる二階の窓にへばりついている野次馬たちを指差す。
「……教室に戻ったら尋問される……」
「ふふ。困ってる先輩も可愛いですね♡」
「お前なぁ…」
周囲の騒ぎを全く気にしていない怜の様子に、俺も馬鹿馬鹿しくなってきて「ま、いっか」と次のパンの袋を破った。昼休みは短い。食いっぱぐれたら午後から地獄だ。
登校途中に仰ぎ見ている桜の木は葉桜がちらほらと混ざり、木漏れ日が頭上へ降り注いでいる。
屋外で昼飯を食べるのははじめてで、ちょっとしたピクニック気分になった。
「先輩、いつもパンなんですか?」
「いや、いつもは食堂。俺は寮生だから、昼飯は調達しなきゃなんねーんだ」
「そうなんですね。僕は自宅だから、中学校からずっと弁当です。よかったら、唐揚げ食べます?」
怜の膝の上に広げられている弁当は手作りらしく野菜が多い。俺よりも小柄だけれど、弁当箱はかなり大きく、これから体格が良くなりそうなポテンシャルを感じる。
「いや、いい」
「まぁまぁ。遠慮しなくていいですよ。はい、あーん♡」
怜の箸に摘ままれた唐揚げは、綺麗な色に揚げられている。思わず口を開くと、ぽん、と放り込まれた。大きめのそれを噛んでみると、程よい弾力があり、瞬く間に食べ尽くしてしまう。
「美味しいですか?」
「美味い。怜のお母さん、料理上手いんだな」
「ふふ。うちは弁当を作っているのはパパなんです。明日から唐揚げの量、増やしてもらいますね」
「そんなの悪ぃよ。お父さんの負担が増えるだろうし」
「大丈夫です。友達と一緒に食べるって言ったら、喜んで作ってくれると思います」
「だったら、いいけど」
そこへ、昼休みの終了を告げるチャイムが聞こえてきた。
「わ、まだ食べ終わってないのに……!」
「急げ……!」
二人して最後の一口を慌てて食べ、ベンチから立ち上がる。
ふと顔を上げると、野次馬の数が減っている。席に着いたのだろう。
やばい。
全力で走り、怜とは階段の手前で別れる。一年生の教室は一階だ。
「帰り、迎えに来てください!」
放課後の約束をする怜に、
「わかった!」
と返事をし、階段を駆け上がった。
怜とつき合い(仮)を始めて、十日目。
昼休みは桜の木の下で飯を食い、放課後になれば怜を教室まで迎えに行く。最初の頃のように騒がれることはなく、少し離れたところから様子を窺われる程度に落ち着いてからは行きやすくなった。帰り道には一緒にバスに乗り、くだらない話をしながら、駅周辺のカフェや公園、本屋で時間を潰し、夜になれば寮のベッドに寝転がりながら通話をする。
つき合うということに身構えていた俺は桜庭たちと遊んでいるのと同じ感覚でいいのだとわかり、肩から力が抜けた。周りには「つき合ってる」と言ってはいたが、怜は新しい友人のひとり——少し距離が近いだけの——と変わらなかった。
平日はほとんど怜と過ごし、土日は怜には塾があるため、俺は久しぶりに桜庭や他の寮生たちと外出した。
ボーリングと映画を楽しんで、最後はカラオケ。歌の得意な奴らがマイクを握る中、ドリンクをそれぞれ飲みながら飛び交う話題は、俺と怜のつき合いに関するものばかりだ。
それらを適当に流している俺を見た桜庭が、腕組みをしてソファに深くもたれる。
「姫のこと、お子ちゃまだと思ってたのなぁ。まさか一年生に手ぇ出すなんて」
ナイストス!
「これでお前らも、俺を姫とはもう呼べないだろう!」
桜庭のトスから、胸を張って打った渾身のアタックは、
「なんで?」
と不思議そうに聞き返されたことで、ライン外に着弾したのだとわかった。
「いや、だって怜の方が完璧な姫だろ?!」
「そうか?」
「うーん、まぁ、新寺の方がわかりやすく可愛いのは認めるが」
「だからって俺たちは推し変しねーぞ。安心しろ、姫はお前だ」
「だー!! だから、姫じゃねー!!」
拳を握る俺に、ドッと笑いが起きる。
くそー。全然、状況が変わってねー。
当初の目論見が外れ、頭を掻き毟る俺に、桜庭が呆れたように肩を竦めた。
新しい一週間の始まりの月曜日。昨夜は遅くまで怜と通話をしていたので眠い。Tシャツと半パンを脱ぎ、制服に着替える。後頭部の寝癖を手で撫でて、リュックを担いだ。
「ふわぁ……」
完全に気を抜いて、大欠伸をしながら自室の扉を開けると、廊下に桜庭が立っていた。
「うおっ!?」
「んな、びっくりすんなよ」
「いや、驚くだろ。なんか用か?」
「なんとなく、一緒に登校してぇ気分になって」
「はぁ? すぐそこじゃねーか」
桜庭はそれだけ言って、俺の横に並んだ。
始業五分前。わざわざ俺を待つ理由なんてない。
桜庭と肩を並べて、学校へ向かう。
ぎりぎりの時間だからか、俺たち以外の姿はない。
早足で歩きながら、桜庭が口を開いた。
「だってよ、お前、全然掴まらねーじゃん。ずーっと新寺が引っ付いてて」
「しょうがねーだろ。つき合ってんだから」
むっとしたように、桜庭が黙る。
「今までずっと一緒につるんでたのに、いきなり放ったらかされたら寂しくなんのは当たり前だろ」
「そうかもしんねーけど」
これはお前のためでもあるんだぞ。
じっと見つめると、
「なんだよ」
桜庭が唇を尖らせる。
「はは。拗ねんなって。多分、あと二週間くれぇで元に戻るから」
「二週間? なんでだよ」
「ん? なんとなく、そうじゃないかなーって予感」
「お前ら、上手くいってねーの?」
「いや? 怜といるのは楽しいよ」
「結局、惚気かよ」
桜庭が舌打ちをしたところで、学校に滑り込んだ。靴を履き替え、階段を昇る。
寮の部屋から教室まで、たった四分。それだけのために待っていたであろう桜庭に、俺は笑いかけた。
「またな」
「……明日も待ってるから」
言い残して去って行く桜庭の背中は、いつもより元気がないような気がした。
……おかしい。
「今日も新寺と昼飯か?」
「俺のおにぎりやるよ。パンばっかじゃ飽きるだろ?」
「俺のフルーツも持ってけ」
「あ。髪、跳ねてんぞ」
気づけば椅子の周りに三人も四人も集まっていて、勝手に髪を弄られている。右から三つ編み、左からピン、挙げ句の果てには頭の上に手まで伸びてきた。
「お前ら、俺を何だと思ってんだ……」
四方八方から甘やかされて、俺の眉間には皺が刻まれる。
怜とつき合って三週目に入ったのに、日常に何の変化もない。
俺に向けられるのは、相も変わらない姫扱い。
結局、両手に貰い物を抱え、セットしてもらった髪の礼を言う。
「——悪ぃな。ありがとう」
ほわわ〜と、花が綻ぶのを愛でるようなあたたかい空気が広がり、
「姫ー! 頑張れよー」
「楽しんでこーい」
盛大に見送られ、いつものベンチに向かうと、先に着いていた怜が呆れる。
「……今日も色々構われてますね」
「あいつら、世話焼きなんだよな」
「——先輩が愛されてるだけですよ」
「え? なに?」
小さく呟かれた言葉を聞き逃し、聞き返したけれど、怜からは「いえ、別に」と笑顔を向けられる。
最近は教室に迎えに行くのではなく、ベンチで待ち合わせをするようになっていた。
隣に座ると、怜から「はい」と小さなランチケースを渡された。
プラスチックの蓋を開ければ、ハンバーグとサラダが入っている。
「うわ、美味そう」
いただきます、と手を合わせてから、はた、と気がつく。
「俺、餌付けされてねぇ?」
「あはは。そうかもしれませんね。先輩って嬉しそうに食べるから」
ハンバーグを食べながら、クラスの奴らからもらったおにぎりも食べる。
幸せだなぁ、と顔を上げると、今日も窓に貼り付いている顔ぶれが見える。
毎日のことなので、こちらも慣れてしまって、手を振ってみる。すると、何人かが手を振り返してくれた。
覗いている連中は二年生が多い。
特に俺のクラスが多いのは、後でネタにするつもりなのだろう。
俺は目の上に手の庇を作り、校舎の窓を眺める。
怜のクラスは三組だっけ?
探してみたけれど、窓は閉まっている。
「——なぁ、怜。今更なんだが、お前、俺とばっかり遊んでいていいのか?」
トマトを口に運ぼうとしていた怜の手が止まる。
「俺はクラス替えがないからいいけど、お前は新しいクラスだろ? 友達とも遊んだ方がいいんじゃねーの?」
「…………友達になりたい奴なんていません」
「そうなの? どうして?」
「あいつら、僕と釣り合いませんから」
「……そういうもんか?」
俺はフルーツの入ったケースを開ける。綺麗に切られたオレンジに丁寧にピックが刺さっている。
「あ、このオレンジ美味い。怜も食べるか?」
「——僕のこと、性格悪いって思わないんですか」
「え?」
俺が差し出したオレンジなんて目に入らない勢いで、怜が早口になる。
「感じ悪い、調子乗りすぎって、内心で思ってるんじゃないですか?」
「えっ? そんなこと思ってねーよ」
怜が眦を吊り上げ、苛立ちをぶつけるように迫ってくる。
「なんで思わないんですか? 普通、思うでしょ。こいつ、顔は可愛いけど、性格終わってんなって。先輩だって、僕の良いところは顔だけだって呆れてるんでしょ……!」
「ちょっと待て。勝手に俺の気持ちを決めるな」
怜と一緒に過ごした日々で、わかったことがある。
それは俺の中の認識で、本人に伝えるつもりはなかったのだが、こんなふうに地雷を踏んだみたいに爆発するのなら、話し合ってみた方がいいのかもしれない。
「……もしかすると、怜って自分の顔が好きじゃねぇ?」
「————ッ」
顔が真っ赤に染まり、唇がわななく。俺の想像以上に、怜の痛い部分を抉ったようで、俺はふんわりと柔らかい髪に手を置いた。
「地元の友達はもっと口が悪かったし、怜は本気で言ってるわけじゃねーから、性格悪いって思わねぇよ」
にっと笑って、頭をぐりぐり撫でる。
「わかったか?」
「————先輩って、ずるい」
頬を餅のように膨らませる怜を見て、弟がいればこんな感じなのかなぁと思う。一人っ子の俺には、欲しかった弟ができたみたいで嬉しいなんて怜に言ったら、馬鹿にしてるんですかとますます怒らせてしまいそうだ。
