空の声が聞こえたら

 今の高校が好きかと聞かれたら、嫌いではないと答えるだろう。
わざわざ自宅から四十五分もかかる遠めの学校を選んだのは、同じ中学から受験する人が少ないから。
過去にあまり進学した人のいない高校を、わざわざ選んで受験した。
親には定期代がかかるとか、もっと近くの方が朝も楽だよとか散々言われたけど、私のことを知らない人たちのところへ行きたかった。
だけど結局、環境を変えてみたところで、私自身は何も変わらない。
変われないということを知っただけだった。
居心地の悪さも同じ。

「あー、もう。最悪」

 何で芽依から麻友と交代するよう言われた時、すぐに代わらなかったんだろう。
どうしてあの時、私はスマホの方を優先しちゃったんだろう。
その時はそれが正解だと思っていたのに、今になって後悔している。
私はいつもこんなことばかりだ。

 重い気分のまま、ポケットからスマホを取り出す。
麻友が定期券を購入する列に並んでいた時にスマホを見ていたから、出来たばかりのバスケグループに何かメッセージでも送ったかと見てみたけど、新しい通知は何もなかった。
私が加入して『よろしく』と打った挨拶だけが、既読も付かず返信もなく宙に浮いている。
当然だよね。
だってその時、みんなはバスケしてて見てなかったし、その後は何か揉めてそれどころではなかったし。

 遅れをとったと焦って早めに挨拶しなきゃと急いだのが、完全に裏目に出ている。
こんな気まずい雰囲気のまま、次に書き込むなんてやりにくいよね。

 タイムラインの流れを変えようと、どんなメッセージなら他の皆が後に続きやすいかをぼんやりと考え始める。
私が責任を持って次に何かを入れなくてはいけないのに、上手い言葉が思いつかない。
「ドリブル教えて?」
「対戦相手何組になるかな」
「当日晴れるといいね」?

 どれも的外れのようで、言い訳がましくて、何とかしようっていう魂胆が見え見えで、外してる。
やっぱり、練習中の揉めた時のことに触れないわけにはいかないのかな。
あーだけど、私は皆が話し合いに行ったとき、荷物番をしていたから何が起こってたのかもよく知らないし、後処理も任せたから、その後どうなったのかも知らない。
私が聞いていい話? や
っぱりここでは避けておく? 
終わった話をイチイチ蒸し返すのも、面倒くさいヤツとか思われたくないし、かといってスルーしてしまっては、興味ないんだとか思われそう。

 電車に揺られながら、麻友の背中を思い浮かべる。
麻友は仁王立ちで話し合いのど真ん中に入って行ってたっけ。
麻友に聞けば、詳しいことが分かるのかな。

 手にするスマホが百キロくらい重たい。
麻友とのトークルームを開いて、浮かび上がったフリック入力の「あかさたな」の文字が、蜘蛛の糸のように指先に絡みつく。
私は、どうするのが正解?

千和『バスケして、ちょっと痩せたいかも(笑)』
芽依『明日の練習どうする?』

 私が打ったのと同時刻に、芽依からのメッセージが入った。
同じ時間でも秒の差で私の方が先になっている。
すぐに既読がついて、陽菜たちからの返信が入る。

陽菜『明日は私、部活だから付き合えない。ゴメン』
玲奈『だよね。明日他に用事ある人いる?』
愛未『明日は塾』
美琴『図書委員の当番があった笑』

 次から次へと飛び交うメッセージに、私はまた自己嫌悪に陥る。
私の打った「痩せたい」っていう文字なんて、場違い過ぎて全員から当たり前にスルーされてる。

麻友『みんな忙しいんだね。じゃあ明日はなしってことで』
芽依『だね。また学校で』

 芽依は文字を打った直後に、「おやすみ」という文字の入った子グマのスタンプを送ってきた。
それに合わせて、メンバーから次々とスタンプが飛んでくる。
リアルタイムでトークルームを開いているから、打ち込まれた瞬間から既読の文字が表示されていた。
この会話に参加していなくても、既読人数で私も見ていることはバレてる。

 自分が会話に参加せず、スルーしているとは思われたくない。
私はようやく流れの最後に、布団で眠るユニコーンのスタンプを送ることができた。
最初に芽依がスタンプを送ってから、必頑張って履歴を探って見つけたコレだっていうスタンプだったのに、私のはみんなのよりずっと古くてダサくて可愛くない。
私はこんなところまで周囲から遅れているし、浮いている。

 乗っている人もまばらになった電車が、ホームに流れ着く。
電車を降り閑散としたカビ臭い構内を抜けると、肌寒く薄暗い外へ出た。

 学校から電車に乗って約四十五分。
最寄り駅から歩いて十五分の距離にある家は、私が五歳の時に両親が建てた家だ。
それまで住んでいたのは、駅の近くにある賃貸住宅だったと聞かされているけど、その家はいまの家から見ると駅の反対側で、もはや近くを通ることもなく記憶もほとんど残っていない。
住んでいた地域が多少かぶっているせいで、遊んだ公園やショッピングモールは覚えているけれど、それがいつの時代のものなのかは曖昧だった。

 庭というにはあまりにも控えめすぎる、謎に幅の広いだけの空き地に、母が植えたばかりのミニトマトの苗が三本、まだ小さいながらもひょろりと立っている。
去年は茄子で、その前の年はパプリカ。
どれもスーパーで売っている野菜の十分の一程度も上手く育ったことはないのに、それでも挑戦することをやめない。
育った実がどれだけ小さくてほとんど収穫はなくても、絶対に諦めない意地と執念だけの家庭菜園は今年もまだ続いていた。

 自宅の二階に、姉の部屋から漏れる灯りが見えた。
大学生の姉が先に帰ってきている。
その光に、私の中で何かがぐんと重みを増した。
鞄の奥から鍵を取りだし玄関を開けると、真っ先にリビングダイニングへと向う。
閉じられたガラス扉の向こうから、姉と母の声が聞こえた。

「ねぇ、なんで大学生になっても門限が九時のままなのよ。もうちょっと遅くてもいいでしょ!」
「なにがサークルよ、くだらない。遊ぶために大学行かせてるんじゃないのよ」
「バイトだって反対してるくせに!」
「バイトするくらいなら、勉強しなさいって言ってんの」
「勉強はしてるって!」
「学費を親に出してもらっている間は、親の言うことは聞きなさい」

 ドアを開けると、台所で夕飯の準備をしていた母と、テーブルに座る姉が同時に振り返った。
そのどキツい視線に、私はどうしても緊張してしまう。

「……。た、ただいま……」

 二人は一瞬だけこちらに視線を向けると、何度繰り返したか分からない同じ争いを再び始める。
私は二人の罵声を横に、必要以上に刺激しないよう静かにお弁当箱を取り出すと、母の前でさっと水で洗ってから、それを流しに置いた。

「おかえり」
「うん。ただいま」

 私にそう言った母に、姉の怒りはさらにヒートアップする。

「なによ! 千和だって今日は私より帰りが遅いじゃない。なのに何で千和には何も言わないの? もう七時過ぎてるのに!」
「過ぎてるたって、ちょっとじゃない」
「なんでお母さんが千和を庇うのよ! 私には文句しか言わないクセに!」

 リビングにある時計は、七時八分を指している。
私はうつむいたまま身を小さくして流しを離れた。
ドアノブに手をかけ、もう少しでここから逃げられると思ったのに、姉の矛先は私に向かう。

「なんで遅くなったのよ。ちゃんと説明しなさい!」

 どうして私がそんなことをしないといけないのか。
お姉ちゃんには関係ないのに。
母は呆れたようにため息をついてから、やっと姉から解放されたとばかりに包丁で人参を刻み始める。

「友達と、球技大会の練習してたから……」
「球技大会? 何それ。くだらなーい。そんなことに夢中になってんの? バカみたい」

 お姉ちゃんに、分かってもらおうとも思っていないし、そもそもそんなに興味もなく言ってることは分かっている。
私はリビングダイニングのドアを開けると、大人しく廊下へ抜けだした。
姉の捨て台詞にフッと笑った母は、刻み終わった人参をフライパンに放り込む。

「千和も、門限はちゃんと守りなさい」
「はい。ごめんなさい」

 音を立てないよう扉を閉めると、すぐに姉の声が扉の向こうに響く。

「なにあの態度、ちょっと感じ悪くない? まさか反抗期ってやつ? おもしろーい」
「百音、お皿持ってきて」
「今日の晩ご飯、なにー?」

 私は狭い階段を上ると、自室のベッドへドサリと転がり込んだ。
疲れ果てた体で、もうクセになっているとしか言い様のない惰性でスマホを開くと、ここにはない別世界が広がっていた。
明るい笑顔に包まれた誰もが幸せで楽しそうなショート動画、可愛らしい癒やしの動物たち、素朴で簡単にみえるのに美味しそうな手作りご飯と、目の前にはいないはずの誰かに向けて発せられた、心温かいメッセージ。
私のいるべき本当の世界は、この小さなスマホの中にある。
私はいつも見ている、SORAのプロフィール画面を開いた。