空の声が聞こえたら

「ちょっと休憩していい?」

 私は、スマホを見ていた麻友の隣に雪崩れ込む。

「ね、疲れちゃった。交代してくれる?」
「え? 千和はもう終わり? もっと練習しなくていいの?」
「ううん、するよ。だけど今は休憩したい。麻友、行ってきて」

 私が抜けたことで二対三になったチームは、麻友が来るのを待っている。

「じゃあ……。まぁ、行くけど……」

 ずるずると立ち上がった麻友に、私はにこにこと必死で手を振る。
麻友はまだ怒っているようだった。

「千和がバスケやりたかったんじゃないの?」

 麻友は私にだけ聞こえる声を残し、立ち上がった。
元気よく駆け出すと、チームの中に入っていく。

「ゴメーン! 私が入ってもいい?」
「いいよー」

 麻友はブラウスの袖をめくると、準備運動代わりにぐるぐると肩を回している。
芽依からパスをもらうと、膝を落としたドリブルからのクイックターンで、綺麗なシュートを決めた。
一緒にバスケをしていた他の五人から、感嘆の声が漏れる。
麻友はいつも体育の授業が苦手だと言うけど、こういう時はすごく楽しそう。
そりゃ今は正式な授業とは違うんだから、当然か。
攻守が代わりディフェンスに回っても、麻友のステップは軽やかだった。
はしゃぎながらプレイする麻友を見て、私はようやくほっと安心する。

 よかった。麻友も楽しめて。
他のメンバーとも打ち解けてプレイする麻友に、私の気持ちも落ち着いてきた。
芽依も、一緒にバスケチームを組むことになった玲奈も美琴も愛未も、練習に付き合ってくれているバスケ部の陽菜ちゃんも、みんなが楽しいのなら私も楽しい。

 動いたあとの体に、そよぐ風が心地いい。
空はどこまでも高く青く澄んでいて、ここに座っている私すら、そのまま吸い込んでしまいそう。

 サブバックのポケットにさしていたスマホから、通知が届く。
麻友が待機している間に送ったものだ。
『よかったら参考にしてみて!』と書かれた文字の下に、URLが貼り付けられている。
開くと、スリーオンスリーのルールと、バスケの基本的な動きを解説した動画が動き出した。
それと同時に、いつの間にか麻友も含め七人で作られた『(猫の絵文字)バスケやります(猫の絵文字)』へのグループ招待状もある。
きっと掃除の時間に作られたものだ。
その時私はいなかったから、加入していないのは私だけだ。
なにコレ。
こんなのあるんだったら、早く言ってよ! 

 ハスキーな芽依の声が、私を呼ぶ。

「千和―! 交代しないの?」
「ちょっと待って。いまスマホ見てるから!」
「あはは。なにその理由」

 声をかけてくれた芽依には軽く笑われたけど、私にとって今一番大切なのは、すぐさまこのバスケグループに入ることだ。
他のみんなの書き込みに目を通し、タイムラインを全てさかのぼって、それにイイネをつけてまわることに必死になっていた。
こんなことは一瞬で終わる作業だ。
まだグループが結成されてから時間は経っていないから、それほど手間のかかることでもない。
他の六人はまた試合を始めている。
私のことは気にしなくていいから、十分に楽しんで練習してほしい。
次の攻守交代のタイミングで、都合がつけば全然交代する。
それに、今日は帰りが遅くなるって、お母さんにもちゃんと連絡しとかないと……。

 予想通り、タイムラインのチェックはすぐに終わった。
義務作業を終え、ほっと一息ついて顔を上げると、練習が盛り上がってきたのか、六人はすっかりバスケに夢中になっていた。
私はその光景を見て、今度こそ深く安心する。
全身に入っていた力が、ようやく解放された。

 このメンバーで、同じチームになれてよかった。
麻友が離れちゃったのは残念だったけど、こうして仲良くなれた。
おかげで私自身も、早く二年になった新しいクラスに馴染めそうな気がする。
ドッチボールと兼任になったのは大変だけど、結果的にこれはこれで悪くはなかったのかもしれない。

 バチンと背後でボールの跳ねる音がして、振り返る。
バスケットボールを抱えた知らない女の子たちが、ここから少し離れた体育館の軒下に集まっていた。
私たちの方を見ながら、何か話し合っている。
異様な雰囲気を放っている彼女たちに気づいた瞬間、私は即座に立ち上がった。

「あ、もしかして球技大会の練習ですか?」

 麻友や芽依、陽菜ちゃんたちにも聞こえるように大きめの声を出すと、すぐに彼女たちも気づいて動きを止めた。

「あ、はい。もう終わりますか?」

 制服だったら学年は分からなかっただろうけど、体操服のジャージに入ったラインは同じ二年生のものだ。
みんな知らない人たちばかりだけど、同じ理由で向こうもこっちが二年生だと分かっている。

「あー、ゴメン。替わるね」

 陽菜の知り合いだったのか、彼女が話をつけに行ってくれた。
そっちは彼女に任せても大丈夫だろうと判断した私は、まとめて置いてあったみんなの荷物を急いで両腕にぶら下げる。

「千和、結局あんま練習できなかったね」

 芽依が鞄の移動を手伝ってくれた。
麻友は他のメンバー五人と共に、話し合いの場へ向かっている。

「ううん。いいよ別に。この場所は交代で使うっていうルールとかあったのかな」
「さぁ。どうなんだろうね」

 芽依は自分の水筒を開けると、中の水を勢いよく飲み始める。
私はみんなの鞄をコート脇に避けると、それを見張りながら話し合いという名の戦場へ趣いた麻友たちの様子を観察した。
もし話し合いがこじれるようなことになれば、どうすればいいんだろう。
その辺りを、先に先生に確認しておけばよかった。

「私がおいでって言った時、スマホ触ってないですぐ来ればよかったのに」
「え? なにが?」
「何でもない」

 芽依は白い額に流れる汗を、手の甲で拭う。
サラサラとした長く明るい髪が肩から滑り落ちた。

「あ、私のハンドタオル使う?」
「ううん。自分のあるからいい」

 麻友は陽菜たちのグループに混じって、腕組みをしたまま仁王立ちで睨みを利かせていた。
もし大きな口喧嘩にまで発展するようなことになれば、自分はどう動けばいいのか。
そんなことをこの一瞬で何パターンもシミュレーションしてみる。
先生を呼んでくる? 
それとも加勢しに行けばいい? 
球技大会の運営本部って、どこだったっけ。
生徒会? 
体育館横の、体育準備室にいる先生たちのところへ駆け込んだ方が早い?

 ハラハラしながら見守る私を横目に、芽依は帰り支度を進めていた。
遠くで対立していた二つのグループが、ふいにその緊張を解く。

「おまたせ~!」

 笑っているような、困惑しているような、だけどスッキリともしたような、何とも言えない不思議な表情を浮かべた麻友が、両腕を広げこちらに駆け戻ってきた。

「いや~ん! ちょっと怖かったよー」

 私に抱きついてくるかと思ったのに、麻友は芽依に抱きついた。
芽依はそんな麻友をうっとうしそうな目で見ながらも、よしよしと頭を撫でてかまってやっている。

「あー。でも、平気だったでしょ」
「うん。陽菜と同じバスケ部の子だったみたい」
「じゃあ問題ないね」
「だけど、あんまり仲良くないみたいだったよー」

 麻友は芽依に抱きついたまま、にこにこ笑っているけど、それはそれで問題な気がする。

「え? それって平気なの?」
「平気でしょー。陽菜がそう言ってたしー」
「だけど、なんかイヤな感じしない?」
「イヤなって、どんな?」

 麻友と芽依が「どんな問題があるの?」といった目で私を見てくる。
問題はなかったとしても、問題にしないことの方が問題なような気がする。

「てか、千和の方こそよかったの?」
「なにが?」
「私が千和の練習、邪魔したみたいじゃない?」

 突然こちらへ向けられた良くない流れに、私のスイッチが入った。

「いいの、いいの! だって、迷惑かけたの私だし!」
「だから、何の迷惑かけたの?」

 芽依は呆れたとばかりに冷笑を浮かべ、もう一度水筒に口をつける。
麻友はいつものように、カワイ子ぶりながら目を細めた。

「それ、千和の口癖だよね」
「あはは。それ言っちゃう?」

 芽依は笑いながら目をそらすと、水筒の蓋を閉じた。
麻友は自分のサブバックから天然水のペットボトルを取りだすと、それを喉に流しこむ。
私は二人から何を言われているのか分からなくて、混乱したままだ。