生まれつき病弱であまりにも体が弱く、風邪をひいてはひどく拗らせるのを心配した両親が、まだ幼い彼に詳しい検査を受けさせたところ、五歳の時に難病に指定されている先天性横隔膜ヘルニアという診断が下されたそうだ。
学校へはほとんど通えず、手術と入退院をくり返す日々だったらしい。
村松くんは、落ち着いた表情で淡々と話す。
「小学校と中学校ってさ、義務教育だろ。だから、実際には学校へほとんど行けてなくても、行ったことにしてくれるんだよ。卒業証書とかももらってさ。だけど高校だけはどうにもならなくて。本人は行きたがってたよ。通信とかでもいいからって。それなりに勉強もしてた」
彼の見る景色は病室の窓から見上げる空だけで、海沿いに建てられた病院から見える空は、瀬戸内特有のキラキラとした空だった。
「結局高校進学は諦めてさ。代わりにこのスマホを俺にくれたんだ。大事に使えよっていうのが、真尋の遺言だった。そこに残ってたアカウントを見つけたのが俺」
赤いスマホは真尋さんの使っていた最後のスマホで、彼はこの機種のことをとても気に入っていたらしい。
村松くんの話す言葉の一つ一つが、重く鈍く私の耳に響く。
「だから俺は、真尋が死ぬほど行きたがってた高校に、一緒に通おうと思った。真尋が生きてたら、どんな高校生になってたんだろうって」
「それで村松くんが、SORAになったの?」
「見せてやりたかったんだ。天国にまで届くわけはないのに。このメッセージが電波にのって、真尋のところにまで届けばいいなって」
彼の手にすっぽり収まる古いスマホは、病床にいる真尋さんから贈られた最期のプレゼント。
村松くんは両手で自分の顔の半分を隠すように口元を覆う。
「だから、SORAのことはもう忘れて。ブロックは解除しておく。真尋なら、きっとそんなことはしないから。それと、真尋は望月さんが思っているような人じゃない。この件に関しては、そっとしておいてほしいし、俺にももう、あんまり話しかけないでくれると助かる」
「どうして?」
「……。本来なら、真尋は望月さんと出会うことはなかった」
「私はネットでSORAのことを知ったんだよ。出会いは関係なくない?」
「とっくの昔に死んでんだよ!」
村松くんの絞り出すような叫び声は、遠く高くどこにたどり着くこともない虚空に吸い込まれてゆく。
私たちがそれに触れようとどれだけ手を伸ばしても、決して届くことはない。
「真尋と約束したんだ。俺はアイツの代わりに生きるって」
「代わり?」
朝のホームルーム開始を知らせるチャイムが鳴った。
村松くんは立ち上がると、怒りに満ちた咆哮のような息を吐く。
「そう。だからもう、俺に関わるな」
私を残し、先に階段を下りてゆく彼の後頭部が、灰色のコンクリートの向こうに消えた。
騒がしかった校内も、今や静寂に包まれている。
急いで教室に戻らないと、私も遅刻扱いになってしまう。
駆け下りた非常階段に、すでに村松くんの姿はなく、先生とほぼ同時に私が教室へ戻った時には、彼はもう何事もなかったかのように自分の席で筆箱の中身をいじっていた。
私は昨夜からの寝不足で重たい頭を動かしながら、話を整理してみる。
村松くんはSORAではなかった。
SORAはもう亡くなっていて、私が見ていたのは、亡霊のように残された彼のアカウント。
それを動かしていたのが、村松くん。
ホームルームの終わる頃には、彼は約束通りブロックを解除してくれていて、私の本アカでSORAをフォローすると返してくれた。
村松くん自身のアカウントとも、相互フォローになっている。
『ありがとう』と打った言葉に、返事はなくとも既読はついた。
学校での村松くんは、よく笑う快活で朗らかな人だった。
比較的骨太でガッシリとした体格をしているけど、スラリと背は高く筋肉質というタイプでもない。
男女ともに普通に話す、接しやすい人だ。
一時間目の終わった休み時間、そんな彼は遠く離れた私の席までわざわざ移動してくると、目の前に腰を下ろした。
「あのさ」
朝イチでSORAの話をするまで、あれだけ私のことを毛嫌いしていたのに、自ら告白して何かが吹っ切れたのか、今の彼は驚くほどフレンドリーだ。
「次の時間の英単語テスト、ちゃんと勉強した?」
少し恥ずかしそうにしながらも、あまりにも気さくに話しかけてきたことに、私もそれを見ていた周囲のクラスメイトたちも、ちょっと驚いている。
「やったよ。前回点数悪かったから」
「そっか。俺もなんだよね。なぁ、問題出し合おうぜ」
席が前後だった時には一度もしたことのなかったことを、席が離れた今になってわざわざやろうとしている。
村松くんは実にさっぱりとした表情で、当たり前のように待っているから、私は仕方なく英単語集の該当ページを開いた。
私たちは与えられた義務作業のように、互いに問題を出し合う。
村松くんの目は、真剣だった。
そんな彼の真摯な眼差しに、私は許されたのかなと思う。
一時はストーカー扱いされていたような私も、彼が普通に接してくれるなら、普通でいられる。
他のクラスメイトからも、もう標的にされることもない。
それでも、あまりにも真剣過ぎる彼の表情に、私の中の何かがスッキリしない。
その正体をつかめないまま、私は彼と一心に英単語の問題を出し合う。
この数分間だけは、これほど懸命かつ徹底的に英単語に取り組んだ人間は、この世に存在しなかったと思う。
二時間目の授業が始まるチャイムが鳴った。
「ありがとう。助かった。じゃ。また」
立ち上がった村松くんは、怖いほど熱心な顔で言い放つ。
その思い詰めた表情が、私に似ているんだと気がついた。
学校へはほとんど通えず、手術と入退院をくり返す日々だったらしい。
村松くんは、落ち着いた表情で淡々と話す。
「小学校と中学校ってさ、義務教育だろ。だから、実際には学校へほとんど行けてなくても、行ったことにしてくれるんだよ。卒業証書とかももらってさ。だけど高校だけはどうにもならなくて。本人は行きたがってたよ。通信とかでもいいからって。それなりに勉強もしてた」
彼の見る景色は病室の窓から見上げる空だけで、海沿いに建てられた病院から見える空は、瀬戸内特有のキラキラとした空だった。
「結局高校進学は諦めてさ。代わりにこのスマホを俺にくれたんだ。大事に使えよっていうのが、真尋の遺言だった。そこに残ってたアカウントを見つけたのが俺」
赤いスマホは真尋さんの使っていた最後のスマホで、彼はこの機種のことをとても気に入っていたらしい。
村松くんの話す言葉の一つ一つが、重く鈍く私の耳に響く。
「だから俺は、真尋が死ぬほど行きたがってた高校に、一緒に通おうと思った。真尋が生きてたら、どんな高校生になってたんだろうって」
「それで村松くんが、SORAになったの?」
「見せてやりたかったんだ。天国にまで届くわけはないのに。このメッセージが電波にのって、真尋のところにまで届けばいいなって」
彼の手にすっぽり収まる古いスマホは、病床にいる真尋さんから贈られた最期のプレゼント。
村松くんは両手で自分の顔の半分を隠すように口元を覆う。
「だから、SORAのことはもう忘れて。ブロックは解除しておく。真尋なら、きっとそんなことはしないから。それと、真尋は望月さんが思っているような人じゃない。この件に関しては、そっとしておいてほしいし、俺にももう、あんまり話しかけないでくれると助かる」
「どうして?」
「……。本来なら、真尋は望月さんと出会うことはなかった」
「私はネットでSORAのことを知ったんだよ。出会いは関係なくない?」
「とっくの昔に死んでんだよ!」
村松くんの絞り出すような叫び声は、遠く高くどこにたどり着くこともない虚空に吸い込まれてゆく。
私たちがそれに触れようとどれだけ手を伸ばしても、決して届くことはない。
「真尋と約束したんだ。俺はアイツの代わりに生きるって」
「代わり?」
朝のホームルーム開始を知らせるチャイムが鳴った。
村松くんは立ち上がると、怒りに満ちた咆哮のような息を吐く。
「そう。だからもう、俺に関わるな」
私を残し、先に階段を下りてゆく彼の後頭部が、灰色のコンクリートの向こうに消えた。
騒がしかった校内も、今や静寂に包まれている。
急いで教室に戻らないと、私も遅刻扱いになってしまう。
駆け下りた非常階段に、すでに村松くんの姿はなく、先生とほぼ同時に私が教室へ戻った時には、彼はもう何事もなかったかのように自分の席で筆箱の中身をいじっていた。
私は昨夜からの寝不足で重たい頭を動かしながら、話を整理してみる。
村松くんはSORAではなかった。
SORAはもう亡くなっていて、私が見ていたのは、亡霊のように残された彼のアカウント。
それを動かしていたのが、村松くん。
ホームルームの終わる頃には、彼は約束通りブロックを解除してくれていて、私の本アカでSORAをフォローすると返してくれた。
村松くん自身のアカウントとも、相互フォローになっている。
『ありがとう』と打った言葉に、返事はなくとも既読はついた。
学校での村松くんは、よく笑う快活で朗らかな人だった。
比較的骨太でガッシリとした体格をしているけど、スラリと背は高く筋肉質というタイプでもない。
男女ともに普通に話す、接しやすい人だ。
一時間目の終わった休み時間、そんな彼は遠く離れた私の席までわざわざ移動してくると、目の前に腰を下ろした。
「あのさ」
朝イチでSORAの話をするまで、あれだけ私のことを毛嫌いしていたのに、自ら告白して何かが吹っ切れたのか、今の彼は驚くほどフレンドリーだ。
「次の時間の英単語テスト、ちゃんと勉強した?」
少し恥ずかしそうにしながらも、あまりにも気さくに話しかけてきたことに、私もそれを見ていた周囲のクラスメイトたちも、ちょっと驚いている。
「やったよ。前回点数悪かったから」
「そっか。俺もなんだよね。なぁ、問題出し合おうぜ」
席が前後だった時には一度もしたことのなかったことを、席が離れた今になってわざわざやろうとしている。
村松くんは実にさっぱりとした表情で、当たり前のように待っているから、私は仕方なく英単語集の該当ページを開いた。
私たちは与えられた義務作業のように、互いに問題を出し合う。
村松くんの目は、真剣だった。
そんな彼の真摯な眼差しに、私は許されたのかなと思う。
一時はストーカー扱いされていたような私も、彼が普通に接してくれるなら、普通でいられる。
他のクラスメイトからも、もう標的にされることもない。
それでも、あまりにも真剣過ぎる彼の表情に、私の中の何かがスッキリしない。
その正体をつかめないまま、私は彼と一心に英単語の問題を出し合う。
この数分間だけは、これほど懸命かつ徹底的に英単語に取り組んだ人間は、この世に存在しなかったと思う。
二時間目の授業が始まるチャイムが鳴った。
「ありがとう。助かった。じゃ。また」
立ち上がった村松くんは、怖いほど熱心な顔で言い放つ。
その思い詰めた表情が、私に似ているんだと気がついた。



