空の声が聞こえたら

時間にして三十分、軽く体を動かしているうちに、すぐに次の練習グループとの交代時間となる。
私たちは練習を終えると、すぐそばにある花壇の縁石に、一直線に並んで腰を下ろした。
ぺちゃくちゃとおしゃべりの弾むその列の一番端っこで、私は水筒に入れられた氷の塊を一つ口に含んだ。

別に何てことはない。
練習に来る前は嫌だったけど、実際に体を動かせば気持ちはいい。
すっきりとした頭で、頭上を見上げる。
高く澄んだ空は、さっきまで沈んでいた私を、いくらかは軽くしてくれたようだ。

そんな空を撮りたくて、脱ぎ捨ててあった上着のポケットからスマホを探り出す。
切り取った空を、小さな手の中に閉じ込めた。
これまでは同じ空の下にSORAがいると思うだけで幸せだったのに、今はその同じ空の下にいることが苦しい。

麻友の言っていた通り、少し前から校庭のちょっと離れたフェンスの向こうで、村松くんたちが円陣を組みバレーボールを打ち合っていることに気づいていた。
私はこっそりとスマホのカメラを村松くんに向ける。
顔は写らないよう、だけどバレーをしているのは分かるよう、画角をかなり低い位置から見上げるように調整し、跳ね上がったボールと校舎の一部、その向こうに広がる空をカメラに収めた。
すぐそばにいるその人に向かって、何をどう弁明すればいいのか、あれこれ頭を捻ってから文字を打つ。

『いつも変わらないでいてくれてありがとう』

自分でも、しつこいなって思ってる。
だから村松くんにもきっと、気持ち悪いとかウザいとか思われている。
だけど心のどこかで、彼はそんな人じゃないと知っている。
そうであってほしいと、願っている。
そんな気持ちを込めて、私は報われない思いを彼に送った。

SNSを通した架空の存在でなくなってしまったら、私とSORAは終わってしまうようなものだったの? 
実際に会ったことはなくても、私はSORAの存在を身近に感じていたし、「いる」ことを疑いもしなかった。
村松くんは、そうじゃなかった?

突然何の考えもなしに声をかけたことは、悪かったと思ってる。
自分の気持ちだけを優先してしまった。
それをSORAがどう思うかなんて、本当に考えてなかった。
だから怒られるのは仕方がない。
それでもせめて私だけは、これまでのように変わらぬ空を見ていたい。

ごめんなさい。
現実世界では、これ以上のことは望まない。
村松くんのSORAとしての存在を、邪魔するつもりも壊すつもりもない。
それを理解してもらうまで、私は彼に謝り続けるしかない。
彼を脅かすものは何もないのだと、これまで通り空のように空っぽの存在でありつづけようと思う。

男の子たちの笑い声は、離れていてもちゃんと私にも聞こえてくる。
直接話すわけではないけど、いつも苦しそうな思いを吐き出していた彼が、楽しく過ごしているのを見ているだけで、私自身が救われている。
彼がいま辛くないのなら、それでいい。
だから、これでいいんだ。

私は自分と彼の頭上にかかる同じ空を見上げた。
SORAの存在をこれまでにないほど身近に感じている。
それが一番私の望んでいたこと。

「ちーよりっ!」

麻友が一直線に並んでいた列を離れ、私の隣に滑り込んできた。
麻友はいつにない上機嫌で、私の左腕に肩を擦り付けてくる。

「ねぇねぇ、さっきなに撮ってたの?」
「撮ってたって?」
「スマホの写真」
「あぁ」

別に空画像が好きなことは、二人にも内緒にしていない。
たまに聞かれることもあり、その度に普通に話しているから、知っている人は知っている。

バカみたいに三人で変顔したロック画面を解除すると、私は撮ったばかりの空を、SORAに送ったSNSの方からではなく、画像フォルダから表示して彼女に見せた。
私の右隣に座っていた芽依も、麻友と一緒に画面をのぞき込む。

「綺麗な空だなーと思って。友情と青春の空? みたいな?」

球技大会に向けて、仲間と放課後に集まって練習してました。
なんてタイトルをつけたら、正解な画像になっていると、自分でもそう思う。

「なにー? そんなこと言って。これ、うちらの写真じゃないじゃん。今そこでバレーやってる男子を撮ったやつだよね」

麻友の顔が、むき出しの好奇心を隠しきれていない。
しまった。
一番面倒くさい人に、一番触れてほしくないことを気づかれた。

「そりゃだって、やってる時は撮れないもん」
「ね、千和は誰狙いなのー? これじゃあ、せっかくの隠し撮りが隠し撮りになってないじゃん。顔全然映ってないし。だれだれ? 誰を撮りたかったの?」

 隠し撮り? 
これが? 
そんなつもりで、撮ったんじゃない。

「だから、そんなんじゃないって」
「でもでも、せっかくだったら、ちゃんと撮りたくない?」
「は? なにが?」

 腹の底から、声が出た。
ここは私とSORAの領域であって、たとえ麻友でも入り込んでほしくない。

「気になる人と、一緒に撮りたくないの? 私が代わりに撮ってきてあげようか?」
「嫌だ。絶対にいらない」

大きくなった声に、麻友は一瞬ひるんで口を閉ざしたものの、すぐに言い返してきた。

「なに? なんで怒られてんの? そんな悪いことした?」
「そうじゃないけど、隠し撮りとか言われたくなかった」
「隠し撮りじゃなかったんだ」
「違うよ!」
「だったらなに?」

 話にならない。
いい加減にしてほしい。
麻友に空が好きだとか、教えるんじゃなかった。
もう本アカの方では絶対にあげないし、この画像も家に帰ったらすぐ消す。

「ねー、そんな怒ることなくない?」

怒っている麻友からそんなことを言われても、ナニサマなんだろうとしか思わない。
今回は私も怒ってるから、絶対に謝らない。

「別に怒ってないよ。誤解されたくなかっただけ」

麻友も麻友なりに、足りない頭で何かを考えているようだった。
そんな私たちの隣で、芽依は惜しげもなく晒した長く白い足を、大胆に組み直す。

「まーゆー。面白い動画見つけたから、見てー。千和にも送るねー」

芽依は本気で、意味の分からない動画を速攻送ってきた。
麻友と私のスマホがほぼ同時に通知音を鳴らし、麻友は渋々その場でスマホを取りだしたけど、まだ怒りの治まらない私は、二人から顔を背ける。

私たちのそんなくだらないやりとりは、空じゃなくても緑のフェンスが遮ってくれるらしい。
男の子たちの作るバレーの円陣はいつの間にかほどけていて、それぞれに散っていた。
「はづきー」なんて声をかけあって、置いてあった鞄を拾い歩き出す男の子たちは、なんて自由なんだろうと思う。
私は麻友と芽依の二人に挟まれ、今まさに拷問のような時を過ごしているのに。

「ふーん。千和は私の送った動画、見てくれないんだ」

芽依もたまにウザい。
いつも楽な人がたまにウザいと、本当にウザい。
ケンカの仲裁をしてくれようとしているのは分かってるけど、余計なお世話すぎる。
それでも私は、気を遣ってくれている芽依のために、見たくもない動画を開いた。

芽依のお気に入りの、若手YouTuberの企画動画だ。
クラウドファンディングで集めたお金でおもしろ動画をあげるとかいうことをやっていて、支援者からの要望にこたえ、あれこれくだらない挑戦を続けている。
昨日あがったばかりの脳筋ゴリ押し動画は、もうすでに十八万回再生を越えていた。

「高速草刈り機ってなに?」
「発想が面白いよね」
「だけど、これでも結構刈れてるのがいいよね」

芽依が笑うから、麻友が笑って、仕方なく私も笑った。
段ボールで作った新幹線のような模型の中に鎌を持って横たわり、自分ではいずりながら草刈りをしている。

くだらない。
全くくだらない。
こんなことするくらいなら、普通に草刈りした方が全然早いし。
100%興味ないけど、関心のあるフリをしておかないといけないから、見たくもない動画を見て、面白くもないのに乾いた笑いを浮かべていたら、ようやく陽菜たちが立ち上がった。

「じゃあうちら、帰るねー」
「またねー」
「お疲れー」

球技大会まであと数日。
それまで我慢すればいい。
あと少し、あと少しだからと、必死で自分に言い聞かせる。
ようやく解散された私たちは、三人で一緒に自転車置き場まで移動して、芽依と途中で別れるまでがいつもの帰り道。
その後麻友と二人きりになる時間が、いつにも増して重苦しかった。
さすがに今日は麻友自身も、私の不機嫌を感じているらしい。

「千和。さっきはごめん。からかうつもりじゃなくて、応援したかっただけなの」

 ウェーブさせた艶やかな黒髪が、歩く動きに合わせて軽く上下にゆれる。
麻友はじっと表情を強ばらせたまま、前を向いていた。