空の声が聞こえたら

「あ、さっきはゴメンね。スマホ見てたら村松くんのアカウント偶然見つけちゃって。何となくフォローしてみたんだけど、ダメだった?」
「いや、そんなことはないけど……」

彼が戸惑うのも仕方がない。
私は自分でも比較的得意だと思っている、ニコッと無邪気な笑みをきちんと整えた。

「よかった。ありがとう。せっかく席も近くになってたし、話せてよかった」

 村松くんは少し照れたような、困ったような不思議な顔をしてから、もぞもぞと前へ向き直った。
本当に、同じクラスでよかった。
もし違うクラスだったりしたら、どうやって話しかければよかったんだろう。

『ここから見えるのは、空しかない。空。空は空っぽな自分と同じ』

いま目の前に背を向けて座る人が、そんなことをネットにつぶやいていただなんて、想像も出来ない。
サブアカなんて他人に知られたくないのは当然だから、どうやって切りだそう。

沢山考えて悩んで話しかけたつもりだったのに、後悔ばかりが浮かび上がる。
やっぱりこんなこと、しない方がよかった?

だけど私は、彼の本当を知っている。
だから彼にも、私の本当を知ってほしい。
それが自分だけのエゴであることは十分過ぎるほど分かってはいるけれど、スマホに切り取られた空が本物であるならば、彼の気持ちだって本物であるはずだ。

私はただ真実を確かめたいだけ。
本当の心が知りたい。

午後の風が開け放たれた教室の窓から吹き込む。
古文の先生が、何百年もの時を超えても変わらない人の心を伝えている。
どれだけ時代が変わり文明が発達して生活環境が変わろうとも、人の心は変わらない。
人が純粋に何かを思う本当の気持ちがあれば、こうして時を超えても受け継がれる。
それはきっと、物理や化学の法則と同じなんじゃないかと思う。
変わらない真実は変わらない。
目には見えなくても、誰もが存在すると認められる事実。
私はこの人を知りたい。
私はこの人に知られたい。
それがどれだけ身勝手で我が儘な事実だとしても、伝えずにはいられない。

「ねぇ、村松くん!」

次の休み時間、思い切って声をかけた。
本当は放課後とかの方が自然かなとは思ったけど、放課後だと気まずくなった時に切り上げるタイミングが難しいし、彼に用事とかあればあまり話してももらえないだろう。
授業と授業の合間の十分間なら、彼は席からも動かないし教室から出て行くこともない。
話が続かなくても、すぐに次の授業が始まる。

「おー。なに?」

彼は体を前に向けたまま、肩越しに私を振り返った。

「村松くんって、球技大会バレーだったっけ」
「俺? そうそう。バレー」
「そうなんだ」

彼は振り返った右の目だけで私を見て、動きを止める。
私はそんな彼の右目と見つめ合ったまま、次の言葉を探していた。
続く話題がないことを察してそのまま前に向こうとする村松くんを、私は強引に引き留めた。

「バレー好きなの?」
「いや。別に」

村松くんは、私とのよく分からない会話に、友好的に付き合おうという意志を示してくれている。
問題集を片手に体を横に向け、目は紙面を泳いでいても耳はこちらを向いていた。

「男子のバレーって、練習とかしてるの?」
「いや? してない。しようかっていう話はしてるけど」
「するんだ」
「まーそのうちするかも」
「そのうちって?」
「さぁ」

村松くんはスマホを取り出すと、退屈そうに操作をし始めた。
これは会話から逃れるための、非常手段スマホ? 

私にはこれ以上、どう会話を繋げていいのかが分からない。
しばらく躊躇している間に、彼はまた横に向けていた体を前に動かす仕草をみせる。

「ね! 使ってる携帯、古いよね。なに使ってんの?」

私としては叫んだつもりでも、実際にはささやく程度の声しか出ていなかった。
そんな小さなつぶやきに、彼は意外にも意気揚々と私に向き直った。

「分かる?」

彼は満面の笑みを浮かべると、握っていたスマホを得意気に見せてくれる。

「iPhone11! カッコいいっしょ?」

赤い手帳タイプのケースに入れられた赤いスマホは、どう見ても型落ちした古い機種だ。

「赤って、珍しくない?」

てゆーか、こんなにうれしそうに、機嫌良くスマホを見せてくれるとは思わなかった。
私の予想を超えるはしゃぎっぷりに、少し驚いている。

「俺のお気に入り」

 彼の指が真っ黒な画面に触れた瞬間、赤く縁取られた本体が光を放つ。
彼のロック画面は、SORAのタイムラインで見たのと同じ空画像だった。

「私も、SORAの写真好き!」
「あ、マジで? 俺も。たまに自分でも撮って、ネットにあげたりしてる」
「本当に? 村松くんもそうなんだ」
「うん。たまにだけどね」
「てかさ、前もこんな話しなかったっけ」
「は? そんなことあったっけ」
「あったよ」
「えー、そう?」

脈打つ心音以外、何も聞こえない。
頭が支配されている。
私は震える手で、自分のスマホを彼に見せた。

「私さ、こういうのとか、めちゃくちゃ好きで……」

SORA本人になら、私のサブアカがバレてもいい。
本当の私を知ってほしい。
この世でたった一人だけでいいから、自分のことを分かってほしい。

「ね、こういうの」

私は素早くスマホを操作し、私のサブアカと分かるよう、彼の前で本アカである「ちより」から「けだま」のアカウントに切り替えた。
「けだま」はmahituki以外SORAをフォローしているたった一つのアカウントで、その「けだま」アカウントから、SORAのプロフィール画面を開く。

「え……」

予想通り、彼の息が止まる音が聞こえた。
私からはこれ以上、何も言う必要はない。
この一瞬で、私は私の伝えたかったことを全て伝えきることが出来たし、彼もその意図を理解した。

「私、空の画像がすっごい好きで、時々自分でもこうやってあげてて、それで、SORAのアカウント見つけて、ずっとフォローしてて……」
「あー……」

休み時間の十分が最適解だと思っていたのに、私が選んだのは最悪の選択肢だったらしい。
タイムアップを知らせるチャイムが鳴り、村松くんは私に見せてくれようとしていたスマホを、隠すようにポケットへ吸い込ませた。

「じゃ」

終わった。
彼はあっさりと私に背を向けてしまった。
どれだけ勇気を振り絞っても、届かないものは届かない。
たとえ「じゃ」だけでも、きっと何も言われないまま前を向かれるよりマシなんだ。

授業が始まり、深い紺の制服に包まれた背が私の前に立ちはだかる。
彼に対し、私がなぜこんなことをしたのか、言い訳をする余裕なんて何一つなかったし、突然こんなこと話してゴメンと、許しを請うことすらできなかった。
彼の背は私のつまらない行動に一切の疑問も興味関心もないまま、ただ黙々と授業に向かっているようにもみえる。

何も言ってくれないのは、突然サブアカを見せられて驚いたからだ。
私だってmahitukiが村松くんだと初めて気づいた時、すごくびっくりした。
だから彼の反応は正常だし当たり前だし、今も彼はとても驚いているだけで、別になにも……。

授業中、私は何度も何度も自分にそう言い聞かせた。
何も言ってくれないのは、言葉にするのが難しかったから? 
私にサブアカ知られるの、やっぱり嫌だった? 
急に近づいてこられて、気持ちわるかった? 
警戒された? 
怖かった? 
自分のしでかした過ちに、後悔してもしきれない思いがあふれ出す。

次の休み時間に、もう一度声をかけよう。
なんて言えば一番角が立たず警戒されないか、彼を安心させる言葉を選ぼう。
私は敵対したいわけじゃなくて、同じ思いを分かち合いたいだけなんだって……。

なのにこんな時に限って、数学の先生は休み時間に突入してもまだ解説を続けているし、教室はとっくに解散ムードになっているのに、席を立つどころか話しかけることすら出来ない。
もうセリフは決めてある。
「時々DM送ってもいい?」だ。
「返事とか特にしなくていいし、気になった時とかだけでいいから。迷惑だったらスルーしといて」って、それだけは最低でもちゃんと言っておきたい。

先生が持参のペンライトを胸ポケットに片付け、教科書のページを閉じた。

「じゃ、今日はここまでね」

やっと授業が終わり、待ちくたびれた生徒たちが一斉に立ち上がる。
ドッと拘束から解き放たれた教室の中で、私はもう一度勇気を振り絞った。

「あのね、村松く……」

私が声をかけるよりも先に、彼は席から立ち上がった。
こちらに一切気をかける様子もなく、引いた椅子もそのままに仲のよい男子のところへ行ってしまう。

あ。
やっぱりこの話題で話しかけてはダメだったんだ。
村松くんはいつもの明るい笑顔で、男の子たちとふざけあっている。
私と唯一繋がっているはずのスマホを見ながら、ほんの一時間前には私に自慢しようとしていた古い携帯を操作していた。
あの小さな画面の中に私と彼だけの秘密があったはずなのに、ないことにされてしまった。

私のポケットにあるスマホが急に重みを増し、この場から動けなくなってしまった。
触れてはいけないことに、触れてしまったんだ。
そうだよね。
彼にしてみれば、突然自分の本心を私に見られていましたよと暴かれたようなものだ。
そんなの、誰だって気持ち悪いと思うにきまって……。

ハッとして、電光石火でスマホを取り出す。
もしかして、今のでブロックされた? 
アカウント消しちゃう? 
私はもうSORAの投稿が見られなった?

慌ててさかのぼったスマホの中に、まだSORAは残されていた。
私のアカウントもブロ解されることなく、彼をフォローし続けている。

よかった。
本気で泣きそうになった。
ここまで切られてしまったら、本当に行き場を失っていた。
やっぱり、余計なところにまで踏み込むんじゃなかった。
私を徹底的に拒絶しなかった村松くんに、自分の席から思う限りの感謝の念を送る。
ぎゅっと閉じていた目を開くと、彼は友達と騒ぎながら教室を出ていくところだったけど、嫌わないでいてくれるのなら、それは彼の優しさの一部なんだろうと思った。

今にも泣き出しそうな自分を誤魔化すため席を立つと、私は一人教室のベランダに出て空を見上げる。
スマホを掲げ、いま見えている空を切り取った。
自分だけのものになった景色を村松くんであるSORAへコメントを付けて送る。

『嫌わないでくれて、ありがとう』

 今の私には、それしか言うことがなかった。