周囲からの期待に応えて『爽やかな優等生』でいることが俺らしさなんだと思っていた。
体育祭、文化祭、校外学習。
写真を撮ろう。誘ってくれるその声を笑ってかわして。
俺はいつも、カメラロールの外。
佐伯颯真、十七歳。バスケ部。ついでに園芸係。
写真なんて嫌いだ。
幼い頃から『女の子みたいな顔』と言われて育った。
親戚に頼まれたのがきっかけで、キッズモデルを始めた。初めは珍しくて、少し面白かった。
けれど『笑って、泣いて、怒って』と大人たちが求めてくる、その無機質な注文にうんざりした。
ちょうど訪れた親の海外転勤と共に、モデルを辞めた。
ベルギーに七年間。現地のインターナショナルスクールに通ったおかげで英語と、少し英語の混ざったフランス語が喋れる。
中学三年生の春、日本に戻ってきた。
そしてある時……。
『なあ、これ颯真じゃね?』
見せられたインスタグラムの画面には、俺の顔がはっきりと写っていた。投稿主は隣のクラスの女子っぽい。
『まじか。やだな、勝手に顔を載せられて』
初めはそれくらいにしか思っていなかった。けれど、一度タガが外れると、俺の写真は歯止めが効かない勢いでネットに出回り始めた。
俺の顔を載せると「いいね」が増えるらしい。
インスタで『未発掘のイケメン』なんて見出しで勝手に拡散された。
キッズモデルをやっていた過去から個人情報を特定され、本名も学校も割れた。
知らないやつからのフォローリクエストが山のように届き「自称友達」がSNS上に溢れた。
クラスの集合写真から俺だけが切り取られて、知らない女子とのツーショット写真に加工された。
そのうち、会ったこともない女子のアカウントで『彼氏』と紹介される投稿が増えていった。
いや、俺彼女いたことないけど。
『おう颯真、お前また新しい彼女できたのかよ』
女子はベタベタした変な目で見てくるし、嫉妬が一周回った男子たちは俺を『女好き』とこき下ろすことで溜飲を下げた。
過剰に怒ったり否定したりしたら負けだ。
そう自分に言い聞かせ、俺はヘラヘラと笑って受け流し続けた。
受験をして、地元から離れた進学校に通うようになって、心底ほっとした。
特進クラスにいれば、そんなバカみたいな噂話に勤しむ奴はいない。
あとは、他クラスの女子たちが廊下から写真を撮ろうとしてくるのを適当にかわせば済む話だった。
『俺、写真苦手なんだよね』
別に写真自体が嫌いなわけじゃない。
けれど、そう理由をつけておけば、相手を傷つけずに断るのが楽だ。
もしこっそりスマホを向けている奴がいたら、気づかない振りをしながら近づいてしれっと注意し、その場でデータを消してもらう。
誰のカメラロールにも俺を残さない。
別に十代の数年間、自分の写真が残っていなくたって、今後の人生で何ひとつ困りはしない。
だからあの日も、体育祭の喧騒の中で軽い気持ちで確認しただけだった。
『いっぱい写真撮ってたけど、俺のこと撮ってない?』
声をかけたのは、学年でも目立つ西条たちのグループと一緒にいた、地味な女子。
えっと……『アリスちゃん』だ。
周りからいつもそう呼ばれている。
それが名前なのか苗字なのかも知らなかったけれど。
『撮ってないです! 佐伯君、写真苦手っていつも言ってますし』
慌てて首を振る姿が、どうにも怪しく見えた。
地味でおとなしそうな子が、みんな良い子なわけじゃない。むしろ、そういうおとなしそうな奴に限って、盗撮して裏アカウントに上げるのを何回も見てきたから、ハナから疑いの目で見ていたんだと思う。
『見ていいですよ、カメラロール』
そう言って、彼女は自分のスマホを迷うことなく俺に差し出してきた。
珍しいな、と思った。
スマホは個人情報の宝庫だし、カメラロールなんて持ち主のプライベートが溢れている場所だ。普通は他人に見せたいものじゃない。
でも、アリスちゃんは一切の躊躇もなく差し出してきた。
画面をスクロールする。
体育祭の写真だらけだった。すごい量だ。そして、その写真のほとんどに西条たちが写っている。
ずいぶん仲がいいんだな。はじめはそう思った。朝の競技から閉会式まで、西条たちの笑顔で画面が埋め尽くされていた。
だけど、ふと気づく。
アリスちゃん自身が、どの写真にも映っていない。
他人の写真ばかりで、自分の写真がないのだ。
俺と同じだ、と思った。
『……アリスも写真嫌いなの?』
「ちゃん」付けで呼ぶのもどうかと思って「アリス」と呼んだ。
呼んでから、もしこれが名前だったら変に勘違いされちゃうかな、と少し後悔した。一応、自分がどれくらいモテるのか自覚はある。
でも、返ってきたのはそんな自惚れた心配を吹き飛ばすような反応だった。
『え、どうしてですか?』
心底思いもよらなかった、というようなぽかんとした顔。
『一枚もないから。自分の』
『あー……』
少し言いにくそうに、彼女は視線を泳がせた。
『みんなの撮ってたら忘れちゃったんです』
そう言ってへらりと笑ってみせたけれど、その顔はあきらかに曇っている。
理由はわからない。
けれど彼女は今にも泣き出しそうな顔になって、俺はすごく申し訳ない気持ちになって……。
泣かせたかったわけじゃないんだ。
ただ、俺と似たような人なんだと思って。俺と同じように、十代の写真が一枚もないままアリスちゃんも過ごして来たのかと思ったら……胸の奥が、ぎゅっとした。
俺は思わず持っていたスマホのレンズを彼女に向ける。
カシャ。
『……え?』
カシャ。
油断したところをもう一枚。
うん、二枚目はいい顔だ。
『一枚もなさそうだったからあげる。体操着だし、体育館の飾りもついたままだし、まだギリ体育祭中だし』
本当に自分の写真を撮るのを忘れてしまったのなら、これで少しは元気が出るだろうか。
本当は写真がほしいと思っていたなら、これで笑ってくれるだろうか。
『ほ、本当だ! 横断幕あるから体育祭っぽい!』
画面を見た瞬間、彼女の顔が急に弾けるような笑顔になった。
『ぷはっ』
期待以上の喜び方に、つい吹き出してしまう。
『抜き打ちの一枚でそんな喜ぶなよ』
『嫌だったら消してもいいし、記念が欲しければ取って置けば?』
自分の中に生まれた動揺を隠すように、少しぶっきらぼうに言ってスマホを返した。
『じゃ』
背を向けて帰ろうとすると、後ろから大きな声が届く。
『あ、佐伯君、ありがとうございました!』
振り向き、ちょっとだけ照れ隠しをしながら声を張り上げて返した。
『疑ったおわび!』
なぜか勢いで、手まで振ってしまった。
その日の帰り際、体育委員が持っていたクラス名簿をさりげなく覗き込み、「有栖川ひなた」という彼女の名前を知った。
*
