「いくよ。はい、チーズ」
乾いたシャッター音が朝の澄んだ空気に響く。
二人で集まる朝の練習会は「早朝デート」と名前を変えて続けられていた。
昼休みも放課後も花壇の周りに人が溢れるようになったので、ここで二人きりで落ち着いて話せる時間は、もう朝くらいしかないのだ。
「あれ、ちょっと半目かも。もう一回撮ってもいい?」
「いいよ。じゃあ寄って」
佐伯君はそう言いながら、自然な動作で私の肩をぐっと自分の方へ引き寄せた。
「はい、チーズ」
カシャ。
レンズ越しに重なる二人の距離が、以前よりもずっと近い。
「そういえば、コンテストには出せたんだっけ?」
「うん、昨日出したよ。このコスモスにしたの」
カバンから出した現像済みの写真を見せる。
「綺麗だな。色がいい、本当に……」
佐伯君が大切に育てた花の写真を、佐伯君自身が心から嬉しそうに眺めている。
その横顔を見ているだけで、胸の奥が温かいものでいっぱいになった。
「長谷部先輩も、麻里奈ちゃんも褒めてくれたんだよ」
二人の名前を出しても、もう気まずくなることはない。
『嫉妬した』と明かしてくれた佐伯君は、まるで憑き物が落ちたように、二人の話をしても平気になっていた。
私と気持ちを確認し合えたことで、心が落ち着いたのだと教えてくれた。
「あ、長谷部先輩といえば……」
佐伯君は制服の胸ポケットに手を入れ、封筒を取り出した。
「ちょうどいいや。これ、長谷部先輩がくれたんだ」
「……見ていいの?」
佐伯君が黙って頷く。
封筒を受け取り、中身を取り出した。
「これ……」
写真に写っていたのは、私だ。
北公園へ行った時の私の姿。
俯いている写真、遠くを見つめている写真、花を見つめる写真。
どれもこれも、切なげで悲しそうな表情をしている。笑っている顔もあるけれど、目が霞みがかったような、生気のない顔だ。
もう一枚は、学校で撮られたものだった。
暗室。
写真の中の私は、心から嬉しそうに笑っている。その視線の向こうに誰がいるのかは、考えなくてもすぐにわかった。
「『写真の腕がいいから、被写体の気持ちが手に取るようにわかる』って、キザっぽいこと言ってた」
私はもう一度写真をめくり、北公園のものに戻す。
「この日は、ずっと悲しかったの。佐伯君と喧嘩して、謝りたいのにうまく話せなくて……先輩の前では普通にしていたつもりだったんだけど」
全然、隠せていなかった。
写真の中の自分は、表面上は笑っているのに今にも泣き出しそうな顔をしている。あの日感じていた胸の苦しさが蘇ってきて、息が浅くなる。
「こっちは暗室だね。佐伯君と一緒に、写真を見た日」
途中でドアをノックしてきた長谷部先輩は、その直前に、この一瞬を切り取っていたのだろう。
そこには、嬉しそうに、本当に幸せそうに笑っている私がいた。
「写真を見るまでは、何言ってんだろうって思ってた。でもこの写真を見て、よくわかったよ。それで有栖川と話そうと思ったんだ。ちゃんと、謝らなきゃと思った」
一つ一つの言葉を、丁寧に噛み締めるように伝えてくれる。
彼の声の優しい響きと、そこにわずかに混ざる後悔を感じ取って、胸が強く掴まれたようにきゅっとなる。
「SNSの件は偶然。あれで仲直りしたみたいになってるけど、でも、そうじゃなくて……ちゃんと有栖川と話そうと決めていたんだよ」
真っ直ぐに注がれる佐伯君の言葉が、乾いた心に水のようにじわじわと染み渡っていく。
「うれしい。ありがとう」
込み上げてくるものを抑えるように、少しだけ目尻を指でなぞってから、努めて明るい声を出す。
「長谷部先輩にお礼しなきゃ」
「大丈夫。もう俺がしておいた」
「え?」
「写真のフィルム、一本渡してお礼も伝えた。だから有栖川はもう何もしなくて大丈夫だよ」
そう言われても、お世話になった先輩なのだからそういうわけにもいかない。
「でも写真部の先輩だし……」
「じゃあ、どうしてもお礼を言いたかったら俺も行くから言って」
佐伯君は少しだけ目を細め、じとっとした視線で私を見つめながら言った。
「……自分の心が狭くて嫌になる」
身を乗り出し、耳元で低く囁く。
顔がぼっと熱くなった。
赤くなった私の様子を見て、佐伯君は満足そうに楽しげに笑った。
「明日、11時に駅な」
「うん」
明日は中央公園へ行くことになっている。
近くのパン屋さんでテイクアウトをして、ピクニックをしながら、園内の花壇を見て回るのだ。
「花束持って行くから。帰り、荷物になるけど家まで送るから心配しないで」
「ありがとう。あんまり大きくなくていいからね?」
「うん、まあ、俺が小遣いで買える範囲になるから限界はあるけど……。でも自分で有栖川に似合いそうなの選ぶから、楽しみにしてて」
花束を渡して、そこでもう一度ちゃんと告白してくれるらしい。
デートの計画も告白の準備も、全部包み隠さず話してくれるスタイルは斬新で、おかしくてつい笑ってしまった。
佐伯君は「もう気持ちは確かめあっているんだから、一緒に計画を立てて一緒に楽しもう」と言った。
気取らない、私たちらしいスタイルで、すごく素敵だ。
キーンコーンカーンコーン
朝の予鈴が鳴った。
ベンチから先に立ち上がった佐伯君が、すっと手を伸ばす。私はその温かい手をしっかりと掴んで立ち上がる。
「行こう」
「うん」
手を繋いだまま、私たちは朝の光が差し込む渡り廊下を抜けて、教室へと走った。
終
