さよなら、スタジオ有栖ちゃん ー仮面の優等生と秘密の練習会ー


「颯真くんが花壇の世話してるって知ってたの、有栖ちゃんだけだもんね?」

 その言葉に、廊下の空気がにわかにざわつき始める。
 周囲の生徒たちが足を止め、こちらに視線を向けた。

「……どういう意味?」

 自分でも驚くほど、凍りつきそうな低い声が出た。

「だから、有栖ちゃんが撮って出したんじゃない? 捨て垢作って」
「『私の花王子』このコメントは痛いわ」

 後ろに控えていた希美が、くすくすと嫌な笑い声を漏らす。
 芹香が嘲笑を浮かべたまま畳みかけた。

「有栖ちゃんだけが知っていたんだもんね? 颯真くに信用されて、園芸係だって秘密も共有してもらって。だから勘違いしちゃったのかな?」
「ちがう、私じゃない」

 廊下にどんどん人が集まってくるのがわかったけれど、気にしていられなかった。
 こんな濡れ衣を着せられるなんて、絶対に許せない。

「え、でもこんな自然に颯真くんの写真が撮れるのって、颯真くんと仲良しの有栖ちゃんだけじゃない?」
「そうそう。アカウント名も『studio A』って分かりやすいしね」

 『スタジオ有栖ちゃん』そこからもじったのだと、言われたのだ。
 この学校での私のあだ名は、多くの人が知っている。
 冷汗が伝った。
 下校のために廊下へと出た人たちが遠巻きに見ている。

「ほら。すっごく良く撮れてる、この写真」

 写真のことを言われると、息が詰まる。
 画面の写真は接写ではない。少し遠目から撮って拡大しているように見えるが、写真部に所属している私がそれを主張したところで、私が撮っていないことの証明にはならないだろう。

「ねえ、待って」

 私の前に躍り出た人がいる。
 麻里奈ちゃんだ。

「どうして証拠もないのにそんなこと言うの?」

 少し震えた声で、私を庇うように胸を張っている。

「アカウント名のstudio Aだって、ひなたちゃんのあだ名を知っている人なら誰だって思いつくよ」

 そうだ。
 とにかく否定しなければならない。私じゃないのだから。

「違う。私じゃない。疑うなら見ていいよ、私のスマホ」

 ポケットからスマートフォンを取り出し、画面を差し出そうとした。けれど、芹香たちはそれを見ようともしない。

「えー。だって写真はもう消してるかもしれないし」
「家のパソコンで操作してるかもしれないしね?」

 くすくす笑う声と、こそこそと囁き合う声が廊下に満ちていく。
 麻里奈ちゃんが勇気を出して声を上げてくれたことなど気にする様子もなく、二人は追撃の手を緩めない。

「かわいそう。颯真くんが写真が苦手だって知っててこんなことしたの?」
「ちが……」
「あなた以外にこんなことできる人いる? ねえ、スタジオ有栖ちゃん」
「……っ」

 何と言い訳をしても無駄だった。
 彼女たちは初めから、真相を知りたいわけでも私の言葉を聞く気があるわけでもないのだから。
 悔しさと情けなさで、指先が白くなるほど強く拳を握り締める。

「有栖川じゃない!」

 廊下に響く大きな声がして、周囲がシン……と静まり返った。
 人垣を割るように、背の高い人影が前へ出る。
 佐伯君だ。
 息を切らせて、額から滴る汗を乱暴に腕で拭きながら、彼はゆっくりと芹香の前に立った。

「どうしてわかるの? 颯真くんの写真を撮れる人が、有栖ちゃん以外にいる?」

 芹香が怯みもせずに問い詰める。
 佐伯君は感情の失せた目で見下ろしていた。

「しらない。望遠で撮ったかもしれないし、誰が撮ったかも、誰が投稿したかもわからない。でも、絶対に有栖川じゃない」

 強い口調で『絶対』と言い切る佐伯君の勢いに、芹香は少しだけ押されたように言葉を詰まらせた。

「……っなんで? 何で言い切れるのよ、おかしいじゃない。颯真くんが園芸係だってことも、颯真くんが花壇の世話をしていたのも、知っていたのは有栖ちゃんだけなんだから!」
「お前も知ってるだろ」
「……え?」
「花壇にズカズカ入ってきた日。おまえらが花を踏み荒らした日、お前だって俺が園芸係だって知った」

 ずっと黙っていた、花壇が踏み荒らされたあの日の話が佐伯君の口から飛び出す。
 先生にすら言わなかった出来事を、こんな大勢の前で……。
 芹香の顔色が、一瞬で青ざめる。
 今更あの件を持ち出されるとは、夢にも思っていなかったのだろう。

 『花壇?』
 『踏み荒らすって……え、芹香ちゃんが?』

 周囲から困惑と疑念の混じった声が漏れ聞こえ始め、芹香の顔は一転して真っ赤に染まっていく。

「逆に聞くけど、これ、お前が投稿したんじゃないって証拠あるの?」

 お前。
 佐伯君が、人前で女の子をそんなふうに呼ぶのを、聞いたことがなかった。
 声を張り上げるでもなく、それでいて圧倒的な威圧感をはらんだ声。佐伯君の周りの空気が、ビリビリと肌を刺すように震えている。

「な、ち、ちがうわよ、なんで私が?!」
「まあいいよ。開示請求するから。勝手に顔晒されて、個人情報も特定されてさすがに許せないわ」
「あ、え、かい……じ?」
「やだ、冗談だよね颯真くん」

 希美が焦った声を出す。
 顔は引きつり、首元にはジワリと汗が浮かんでいた。

「開示請求すればはっきりするだろ、有栖川じゃない奴が犯人だって」
「で、でもそんな簡単に……」
「昔よりは楽だよ。俺の親父弁護士だからその手のことは心得てるし、実際、中学の時も悪質な書き込みは対応したんだ」

 廊下は完全な静寂に包まれる。
 芹香は目をキョロキョロと不気味に動かしている。希美はそんな芹香にしがみつきながら震えていた。
 誰も、次の声を出すことができない。

「それとも、開示請求されたら西条は困るの?」
「あ、う……」

 佐伯君が鋭く睨みつけると、芹香は口元を抑え黙り込んだ。

「え、そんなこと、しないよね? ね? 有栖ちゃん……」

 追い詰められた希美が、助けを求めるように私へ手を伸ばしてくる。
 芹香も縋りつくような声で叫んだ。

「そうだよ、私たち、友達じゃん!」
「都合がいいな」

 寄ってきた芹香たちと私の間を断ち切るように、佐伯君が割って入る。
 大きな背中が、目の前に立ちはだかった。

「トモダチの割には随分都合のいいように使ってたじゃないか。だいたい何だよ『スタジオ有栖ちゃん』って。失礼だろ」

 誰もが息を殺して黙り込んでいる。

「そんなバカにしたあだ名じゃなくて、有栖川のことちゃんと呼んだことあるのか。お前は、一回でも『ひなた』って呼んだことがあるか?」

 重苦しい沈黙が廊下を支配した。
 誰も動けない。

 しばらくして、佐伯君がくるりと後ろを向いて、私を見た。
 それから私の隣にいた麻里奈ちゃんに短く声をかける。

「ごめん相澤。有栖川、借りるな。……行こう」
「あ……」

 佐伯君は私の手をしっかりと掴むと、大股で歩き出した。
 周囲の誰もが固唾を飲んで見守る中、私は足の長い佐伯君の歩幅に合わせて、小走りでついていく。